tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

「ごっこの世界」だから安心して・・・

2019年10月04日 21時35分31秒 | 国際関係
「ごっこの世界」だから安心して・・・
 一昨日でしたか、朝日新聞の朝刊の「異論のすすめ」というコラムに、佐伯啓思氏の「○○ごっこ」する世界、という論文がありました。国際政治の世界などをとりあげられ、本気なのか、「鬼ごっこ」のような「ごっこ」ではないのか、といった問題提起が書かれていました。

 そしてその証拠には、「もし本当の鬼が出てきたら、こんな「ごっこ」はやっていられないということ、本当の鬼の恐ろしさを前提にした時、今やっているとは「ごっこ」の範囲ではないかという趣旨なのでしょう。拝読し、心に痛く響きました。

 経済では、時には、リーマン・ショックのような本当の鬼が出てきて、世界中の経済がとんでもないマイナスに陥ることもあるわけですが、経済活動では、大失敗でも、人類が滅亡に陥るような事態は通常起こりません。

 しかし、事が政治から軍事に及ぶと、その惨禍は経済の比ではありません。第二次世界大戦でも、人的被害は5000万から8000万といわれ、人類の2.5%ほどになるといわれています。日本の人的被害も300万でした。
 
 しかし、これは「ごっこ」ではありませんでした。そして人類はまさに長い歴史の中でそれを続けてきたわけです。 第一次世界大戦からもほとんど学ばず、第二次世界大戦をやりましたし、その後も局地的な戦争は繰り返されています。

 そして今も、戦争の危険はあちこちにあるようです。
 なのになぜ、戦争の危険をはらむような行動が、「ごっこ」の世界と見られるようになったかです。トランプさんが怖い顔をしても、金正恩さんが、粛々と大量殺戮兵器を作っても、やはり「ごっこ」とみられるということのようです。

 なぜか。それは「本当の鬼が出てきたら」という「本当の鬼は」は何かを考えてみれば理解できるのではないでしょうか。
 多分、「本当の鬼」というのは、「核戦争」でしょう。そして、核兵器が自分で動き出す事は有リ得ませんから、本気で核戦争をやろうという「人間」が出てくることが「本当の鬼の出現」ということになるのではないでしょうか。

 すでに「核の抑止力」という言葉は広く使われ、またかなりの程度信じられています。しかし本当に信じていいのかどうかは誰にも解りません。
 もし、本気で核兵器を使おうという人間が現れれば、いまの国際関係のトラブルはすべて「ごっこ」だたということになるのでしょう。

  ユネスコ憲章の前文にある「戦争は人の心の中で始まるものでありから・・・・・」というあの言葉は忘れられてしまったのでしょうか。
 そういえば、アメリカはユネスコを脱退していますね。これも「ごっこ」でしょうか。