日本的経営はリーマン・ショックで死んだのか-:1
「人間中心」と「長期的視点」の二本柱の日本的経営の基本的部分として成熟してきた「日本的労使関係」の研鑚の場として労使双方から活用されてきたのが、いわゆる「春闘」でした。
春闘は、かつて日本の労使総ぐるみの全国的勉強会などと言われ、その成果でオイルショックを乗り切って、成熟の域に達した年中行事でしたが、1990年代の長期不況の中で「春闘の終焉」とか「春闘は死んだ」とか言われるようになりました。
理由は単純で、春闘の中心である「賃金決定」についての論戦が出来ないような状況になったからです。
プラザ合意で、円の価値が2倍になり、日本の物価・賃金がドル建てで2倍になったのですがら、理論的には、賃金を半分に下げ、物価を半分にしなければ、競争力は元に戻りません。
しかし、労働組合として賃下げを要求するというのは現実には困難でしょう。賃金要求は「定期昇給」(制度として決まっている)程度となり、春闘は「へそ」を失ったのです。
もちろん、雇用関連、時短と賃下げ、実質賃下げなどの労使の話し合いは、どこの企業でも真剣に行われ、企業内労使関係の中で、労使とも苦渋の選択で人件費の削減をしたのが実情でしょう。
ある大企業の経営者から、「あの時は○○と○○(労使のリーダの名前)という理解しあったリーダーがいたから合意ができたと思うよ」と感慨深く話していたのを聞いた記憶があります。
組織の改編、職務の改廃、業務縮小などに伴う、人員配置の変更などが大規模に可能だったのは、職務中心ではなく人間中心の日本的経営だったからこそでしょう。
(当ブログ「 富士フイルムとコダックの比較」も参照ください)
表面的には「日本的経営」の影が薄くなっているように見えましたが、現場では、日本的経営は確実にその成果を日本企業・日本経済にもたらしていたと私は考えています。
こうした企業内の努力で2000~2002年には、日本経済は2倍の円高を克服、労使の協力を生かして、企業の再建、日本経済の再生に向けて、当時「いざなぎ越え」と言われた微弱ながら経済回復の過程に入りました。
当時の多くの企業経営者たちは、10年余かかったが、バブル崩壊と円高を自力で乗り切り、好況感はないとはいえ、経済は回復過程に入ることが出来たと、ある意味では自信を回復し、前向きの経営に取り組もうとした意気込みが、就職氷河期の解消、研究開発投資の積極化、従業員の教育訓練費の増加などにみられます。
この日本的経営の復元減少に、あらためて冷水をかけたのがリーマンショックによる更なる円高 (1ドル120円→80円) でした。
「人間中心」と「長期的視点」の二本柱の日本的経営の基本的部分として成熟してきた「日本的労使関係」の研鑚の場として労使双方から活用されてきたのが、いわゆる「春闘」でした。
春闘は、かつて日本の労使総ぐるみの全国的勉強会などと言われ、その成果でオイルショックを乗り切って、成熟の域に達した年中行事でしたが、1990年代の長期不況の中で「春闘の終焉」とか「春闘は死んだ」とか言われるようになりました。
理由は単純で、春闘の中心である「賃金決定」についての論戦が出来ないような状況になったからです。
プラザ合意で、円の価値が2倍になり、日本の物価・賃金がドル建てで2倍になったのですがら、理論的には、賃金を半分に下げ、物価を半分にしなければ、競争力は元に戻りません。
しかし、労働組合として賃下げを要求するというのは現実には困難でしょう。賃金要求は「定期昇給」(制度として決まっている)程度となり、春闘は「へそ」を失ったのです。
もちろん、雇用関連、時短と賃下げ、実質賃下げなどの労使の話し合いは、どこの企業でも真剣に行われ、企業内労使関係の中で、労使とも苦渋の選択で人件費の削減をしたのが実情でしょう。
ある大企業の経営者から、「あの時は○○と○○(労使のリーダの名前)という理解しあったリーダーがいたから合意ができたと思うよ」と感慨深く話していたのを聞いた記憶があります。
組織の改編、職務の改廃、業務縮小などに伴う、人員配置の変更などが大規模に可能だったのは、職務中心ではなく人間中心の日本的経営だったからこそでしょう。
(当ブログ「 富士フイルムとコダックの比較」も参照ください)
表面的には「日本的経営」の影が薄くなっているように見えましたが、現場では、日本的経営は確実にその成果を日本企業・日本経済にもたらしていたと私は考えています。
こうした企業内の努力で2000~2002年には、日本経済は2倍の円高を克服、労使の協力を生かして、企業の再建、日本経済の再生に向けて、当時「いざなぎ越え」と言われた微弱ながら経済回復の過程に入りました。
当時の多くの企業経営者たちは、10年余かかったが、バブル崩壊と円高を自力で乗り切り、好況感はないとはいえ、経済は回復過程に入ることが出来たと、ある意味では自信を回復し、前向きの経営に取り組もうとした意気込みが、就職氷河期の解消、研究開発投資の積極化、従業員の教育訓練費の増加などにみられます。
この日本的経営の復元減少に、あらためて冷水をかけたのがリーマンショックによる更なる円高 (1ドル120円→80円) でした。