日本的経営はリーマン・ショックで死んだのか-:2
リーマン・ショックとは一口で言えば、アメリカが「サブプライムローンという不良債権を、金融工学の衣に包んでトリプルAの債券に仕立て、世界中に売ったところ、中身がばれ、債券の価値は暴落、世界中の金融機関のB/Sに大穴が空いて、世界金融恐慌になりかけたということでしょう。
日本の金融機関は、バブル崩壊の経験もあり、手堅かったので、傷手は小さいと言われましたが、おそるべき脅威は別のところから来ました。
アメリカのFRBが、世界金融恐慌回避のために採った、超金融緩和、ゼロ金利政策が深刻な円高をもたらしたのです。円レートは$1=120円から80円になりました。
困ったことに、日銀は、円安より円高の方がいいと考えていたようでした。
結果的に日本のコストと物価はドル建てで5割増しになりました。2倍という円高をやっと超克し、これからは経済の安定成長に向けて頑張ろうという矢先です。
更に困ったことに、世界に「円は安全通貨」という評価が高まり、日本経済が良くなれば(競争力が強まれば)それだけ円高が進むといった雰囲気がでてきたのです。
つまり、日本が生産性を上げ、競争力を強めれば、その分円高になるという経済的はまさに「無間地獄」のような状況が生まれたと感じられたのです。
エコノミストの中でも、此の儘では円レートは1ドル=50円になって日本は潰れる、など言う意見もありました。
「コストのドル化」が真剣に言われ、円でコストを払っていては企業は成り立たないと真剣に考える企業が増えたのも当然でしょう。結果は事業所の海外移転です。
日本経済の空洞化は一層進み、事業所閉鎖、人員削減、就職氷河期の再来、そして一方では非正規労働の著増といった最悪の経済状態が2012年まで続いたのです。
当時、企業の意識としては「これでは頑張っても無駄だ」、「一生懸命やればその分だけ円高になる」、「研究開発や従業員の教育訓練に意味はあるのか?」「非正規労働でコストを下げる事は必須だが、それでも利益は出ない」、「仕事をするなら海外で」、「ものづくりより金で金を儲ける仕事の方がいいのでは?」・・・といった感じのようにみえました。
客観的に見ても、韓国、中国など日本の技術を学び、身につけ、それを使って圧倒的に安いコストで世界にものを売ることが出来る国があるわけで、中国などは、為替管理が可能な国で、人民元高を要求するアメリカにまともに反論する国です。
リーマン・ショックから2012年までの日本は、日本的経営が、「まじめに頑張ればそれだけ円高になる」という無間地獄の中で、その意味を次第に失っていった時期ではなかったでしょうか。
加えて、この時代に経営者になられた方達は、既に、日本的経営で日本が成功してきた経験を肌で感じていない世代の方々でもあるのです。
日本歴経営と言えば、バブルとその崩壊、後は努力しても報われない苦難の時期ばかりだったのかもしれません。
労働側の代表である連合も、この日本経済の中では、為す術がなかったのではないでしょうか。
リーマン・ショックとは一口で言えば、アメリカが「サブプライムローンという不良債権を、金融工学の衣に包んでトリプルAの債券に仕立て、世界中に売ったところ、中身がばれ、債券の価値は暴落、世界中の金融機関のB/Sに大穴が空いて、世界金融恐慌になりかけたということでしょう。
日本の金融機関は、バブル崩壊の経験もあり、手堅かったので、傷手は小さいと言われましたが、おそるべき脅威は別のところから来ました。
アメリカのFRBが、世界金融恐慌回避のために採った、超金融緩和、ゼロ金利政策が深刻な円高をもたらしたのです。円レートは$1=120円から80円になりました。
困ったことに、日銀は、円安より円高の方がいいと考えていたようでした。
結果的に日本のコストと物価はドル建てで5割増しになりました。2倍という円高をやっと超克し、これからは経済の安定成長に向けて頑張ろうという矢先です。
更に困ったことに、世界に「円は安全通貨」という評価が高まり、日本経済が良くなれば(競争力が強まれば)それだけ円高が進むといった雰囲気がでてきたのです。
つまり、日本が生産性を上げ、競争力を強めれば、その分円高になるという経済的はまさに「無間地獄」のような状況が生まれたと感じられたのです。
エコノミストの中でも、此の儘では円レートは1ドル=50円になって日本は潰れる、など言う意見もありました。
「コストのドル化」が真剣に言われ、円でコストを払っていては企業は成り立たないと真剣に考える企業が増えたのも当然でしょう。結果は事業所の海外移転です。
日本経済の空洞化は一層進み、事業所閉鎖、人員削減、就職氷河期の再来、そして一方では非正規労働の著増といった最悪の経済状態が2012年まで続いたのです。
当時、企業の意識としては「これでは頑張っても無駄だ」、「一生懸命やればその分だけ円高になる」、「研究開発や従業員の教育訓練に意味はあるのか?」「非正規労働でコストを下げる事は必須だが、それでも利益は出ない」、「仕事をするなら海外で」、「ものづくりより金で金を儲ける仕事の方がいいのでは?」・・・といった感じのようにみえました。
客観的に見ても、韓国、中国など日本の技術を学び、身につけ、それを使って圧倒的に安いコストで世界にものを売ることが出来る国があるわけで、中国などは、為替管理が可能な国で、人民元高を要求するアメリカにまともに反論する国です。
リーマン・ショックから2012年までの日本は、日本的経営が、「まじめに頑張ればそれだけ円高になる」という無間地獄の中で、その意味を次第に失っていった時期ではなかったでしょうか。
加えて、この時代に経営者になられた方達は、既に、日本的経営で日本が成功してきた経験を肌で感じていない世代の方々でもあるのです。
日本歴経営と言えば、バブルとその崩壊、後は努力しても報われない苦難の時期ばかりだったのかもしれません。
労働側の代表である連合も、この日本経済の中では、為す術がなかったのではないでしょうか。