現在わが国が直面している社会・経済的問題は、世界的な混乱による部分もありますが、日本の社会経済自体の構造に問題が在る部分が大きい事もこれまでの検討で見えてきました。
そしてその主要なものは、格差社会化の深刻化にあることもはっきりしてきました。
格差社会化の最大の要因は非正規雇用の拡大にある事は前々回指摘しましたが、格差社会化の是正には、まず雇用構造の正常化が必要でしょう。
戦後、日本の経営者は、従業員の身分制を廃止し、全員「社員」とい事で統一しました。賃金体系なども全従業員共通の企業も多かったようです。
これは、格差拡大を進めないうえで大きな効果があったと考えられています。
ところが、プラザ合意で、円レートが2倍になってからの円高不況の中で計算上は賃金を半分にしなければならないのですが、そんなことは不可能です。
2割、3割下げた企業もありましたがそこで企業は賃金水準が社員平均の3分の1以下の非正規従業員を雇用する事です。
当時は非正規従業員(所謂パートさん)のほとんどは家計維持者ではなく、家計補助者で雇用者に占める比率は15%程度だったと記憶しますが、その後急速に上昇し今日の40%近くになっているのが実態です。
2014年には、日銀の金融政策によって円レートは正常に戻り、企業の収益率なども円高以前と遜色ない水準に回復しています。しかし、非正規従業員の比率は殆ど戻っていません。
家計に責任を持つ人は当然正規従業員を望みますから、経済が正常化すれば、企業は「社会的責任」として正規従業員として採用するという慣行を徹底することが必要でしょう。
企業にはそれを可能にする、人事賃金制度、支払いうる総額人件費の中での配分を、人事制度根幹として考える態度が必要なのでしょう。
これは、それぞれの企業が、それぞれの企業の中で、格差の小さい社会を実現するという考え方と関係があります。
日本の企業では、伝統的に仕事の出来る出来ないで処遇に大きな格差をつけることは好まなかったようです。
同期の中で良く出来ても給与やボーナスの差は僅かで、長い目で見て昇進が早いといった処遇で報いるのが普通でした。
これは、企業の経営理念も人事制度も「人間中心」が基本でした故に、あまり大きな差をつけることが憚られたからでしょう。
欧米流の人事制度でいえば、能力が違えば職務が違い、成果が違うから賃金に大幅な違いが出るという仕事中心・利益基準とは異なる、人間中心、社会貢献が目的という日本の企業理念の故でしょう。
結果的に、かつての日本では、所得格差縮小は、税・社会保障制度による再分配の前に企業の内部でも、行われていたと考えられます。
その意味では、かつての、企業の手になる家族手当制度その他の福利厚生制度も。所得格差の是正に大きく与っていたということが出来るのではないでしょうか。
日本企業の中でも、以前から職務給が合理的という意見はあり、仕事に関係ない子供の人数による給与や手当の支給などはおかしいという意見もあり。国の児童手当制度の発足などとともに、それは国の手に移っていきましたが、日本の場合、少子化に悩んだフランスのように手厚い物にはなっていません。
日本の所得格差が少なかったという背景には、政府の税制などの効果も大きかったと思われますが、企業の経営理念(いわゆる日本的経営)に発する企業の人事、処遇制度によるものも小さくなかったということが出来るように思います。
アベノミクス以来の「働き方改革」で人間中心からジョブ(職務)中心の人事賃金制度が推奨され、企業による格差縮小の要素がなくなり、政府の再分配による格差是正の動きも進まないといったことになると格差社会化による日本社会の劣化が止まらないのではないのではないかと心配されます。
次回は、国の手による所得再分配について見ていきたいと思います。
そしてその主要なものは、格差社会化の深刻化にあることもはっきりしてきました。
格差社会化の最大の要因は非正規雇用の拡大にある事は前々回指摘しましたが、格差社会化の是正には、まず雇用構造の正常化が必要でしょう。
戦後、日本の経営者は、従業員の身分制を廃止し、全員「社員」とい事で統一しました。賃金体系なども全従業員共通の企業も多かったようです。
これは、格差拡大を進めないうえで大きな効果があったと考えられています。
ところが、プラザ合意で、円レートが2倍になってからの円高不況の中で計算上は賃金を半分にしなければならないのですが、そんなことは不可能です。
2割、3割下げた企業もありましたがそこで企業は賃金水準が社員平均の3分の1以下の非正規従業員を雇用する事です。
当時は非正規従業員(所謂パートさん)のほとんどは家計維持者ではなく、家計補助者で雇用者に占める比率は15%程度だったと記憶しますが、その後急速に上昇し今日の40%近くになっているのが実態です。
2014年には、日銀の金融政策によって円レートは正常に戻り、企業の収益率なども円高以前と遜色ない水準に回復しています。しかし、非正規従業員の比率は殆ど戻っていません。
家計に責任を持つ人は当然正規従業員を望みますから、経済が正常化すれば、企業は「社会的責任」として正規従業員として採用するという慣行を徹底することが必要でしょう。
企業にはそれを可能にする、人事賃金制度、支払いうる総額人件費の中での配分を、人事制度根幹として考える態度が必要なのでしょう。
これは、それぞれの企業が、それぞれの企業の中で、格差の小さい社会を実現するという考え方と関係があります。
日本の企業では、伝統的に仕事の出来る出来ないで処遇に大きな格差をつけることは好まなかったようです。
同期の中で良く出来ても給与やボーナスの差は僅かで、長い目で見て昇進が早いといった処遇で報いるのが普通でした。
これは、企業の経営理念も人事制度も「人間中心」が基本でした故に、あまり大きな差をつけることが憚られたからでしょう。
欧米流の人事制度でいえば、能力が違えば職務が違い、成果が違うから賃金に大幅な違いが出るという仕事中心・利益基準とは異なる、人間中心、社会貢献が目的という日本の企業理念の故でしょう。
結果的に、かつての日本では、所得格差縮小は、税・社会保障制度による再分配の前に企業の内部でも、行われていたと考えられます。
その意味では、かつての、企業の手になる家族手当制度その他の福利厚生制度も。所得格差の是正に大きく与っていたということが出来るのではないでしょうか。
日本企業の中でも、以前から職務給が合理的という意見はあり、仕事に関係ない子供の人数による給与や手当の支給などはおかしいという意見もあり。国の児童手当制度の発足などとともに、それは国の手に移っていきましたが、日本の場合、少子化に悩んだフランスのように手厚い物にはなっていません。
日本の所得格差が少なかったという背景には、政府の税制などの効果も大きかったと思われますが、企業の経営理念(いわゆる日本的経営)に発する企業の人事、処遇制度によるものも小さくなかったということが出来るように思います。
アベノミクス以来の「働き方改革」で人間中心からジョブ(職務)中心の人事賃金制度が推奨され、企業による格差縮小の要素がなくなり、政府の再分配による格差是正の動きも進まないといったことになると格差社会化による日本社会の劣化が止まらないのではないのではないかと心配されます。
次回は、国の手による所得再分配について見ていきたいと思います。