降って来るもの

写真と散文とぽえむ

~其の予後と顛末記③~

2017-10-20 07:02:07 | 徒然

     *三日目と四日目*

 

 ほんの少し、よほど鋭い感覚の持ち主でなければ気付かない程の、微かに痛感が減少したような、だから前の二日よりは軽い足取りで(その様な気分で支えて)14階段を壁伝いに下りる。

 もしも直立歩行が我慢できる状態だと、自らの状況に判断を下せるだけの心の余裕が生まれているとしたら、今日は時間割の何処かで”洗い師“本来の仕事時間を挿入しなければならぬのだ。この仕事の宿命のようなものだが、今日は是が非にでもアイロンを握らねばならない仕上げがあった。俗に言う”急き物”があって、その為に工場に入って仕上げ台の前に立ちironを操らねばならないのだ。

 午前中の一時間をそれに該当させた。”歯を食いしばり”などと云う表現が必要な状況など、それがピタリと嵌る環境になど何年も前から置かれることが無かったが、今回はまさしくそういう感慨をなぞった。恐る恐る、彼方此方から派生する痛みを宥めすかして丁度60分。正常な状態の1、5倍ぐらいの労力を駆使して為すべき最低限の仕事を熟したのだ。

 その試練を経て、初日の吃驚仰天の痛みに戻らなかったのだから、少なくとも3日分の日にち薬がその分だけの効き目は出て、一応は回復基調に乗ったと言えなくはないのだろう。けれど、その微々たる程度の症状の回復具合では、途切れることなく先へ先へと続いてゆく日々に対処してゆくには余りにも心もとない感覚ではある。

”Gikuri”恐るべし!!

 日にち薬でのんびりと直して行くしかない・・とよく慰められるのだが、それはやっぱり日常のスケジュール表から解放された人々に対する療法のようで、その悠長さを前提に処方箋を貰えない者にとっては、自由に日常を差配できる人以外にとっては、やはりそんな風な言葉がけはある種の虚しさを伴って鼓膜を通過するような案配なのだ。

10/11 

 安静の時間が日ごとに秒刻みで伸びてゆくのを感じ(もどかしい極みでもあるのだが)ながら、それでも時折”雷光のように“走る鋭い痛み、”震度5強のように”押し寄せる痛覚の振動を慄きながら遣り過ごし、受け止めているのだが、あの衝撃から4日経っても心の底にあるビクビクは消滅しない。

 奥歯の片隅に巣食うズキズキのように、本当に末端の神経を絶えず齧られているかのごとき不快感は、相変わらず痛覚を弾いているのだが、きのう60分の立ち仕事に耐えられたという豆粒のような自信は、少なからず僕の姿勢を前向きに保つ要素には成った。

 今日は14:15から16:45までを費やした生業の時間を頑張れたのだ。労働時間をほぼ前日の倍にして見たが、思った程のダメージは受け取らなかった。午前中には故郷に帰って何時ものように窓という窓、扉という扉を開けて換気し、それから大事な目的の為に倉庫入りしていた「刈り払い機」を持って帰ったのだ。

 もう直ぐ四世帯住宅を建てる土地で「地鎮祭」が執り行われる。6月に伸び放題の青草を刈ってから4ヵ月で前よりも逞しく育った雑草をその期日までにはどうしても退治しなければならない。週末は傘マークが続く。それだから、ここ2~3日が勝負になると心構えは出来ているのだが、こればかりは腰の回復具合との兼ね合いになる。痛みの状況に左右されそうなので、もし駄目な場合の対処法も考慮しておかねばならないのだ。

 ”想い”だけでは如何とも為し難い時間が続く。まるで永遠に蟻地獄に嵌り込んだような・・。

17日の祭典まで一週間を切った!!

*10/20 07:02:07 

コメント
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