*当日と翌日*
ー常に体の中心に蹲っているこの痛みの変遷を、若しかしたら、己を含めてこの先に訪れるだろう同じ厄災の事態の、回復までの目印になるかも知れぬと思い立ち、日を追って詳細に書き残しておこうと、じくじくと鈍痛に弄ばれながらその気分に抗うように決意を固め、ある日突然の災難から復活までの道程を書き綴ってゆくー
10月8日の日曜日のその日は、子供たちが卒業した小学校で「校区運動会」が開催される予定になっていた。自治会の役員であり、公民館の館長でもある僕は預かっている”鍵”を持って集合時間の5分前には建物前の(西公園)に参集していた。
役員と12班まである各班の班長を含めて20人余が集合し、運動場に建てるテント2張り分の部品をトラックの荷台に積み込む作業を7時半から始め、大方終わりろうかという最後の荷物(それがテントの金属の足4本をひと纏めにした最も重そうな荷物に当たって)を、張り切って持ち上げようと中腰のまま力を入れた・・、その時!!災難が降ってわいた。
その後に控えていた役割の全てを否応なくキャンセル。僕は100歳の爺のように前かがみのヨチヨチ歩きで家までの100mを何とか克服。本当にようように歩いて我が家に辿り着いたのだった。そのままただ布団の上に猫のようにまるまって夕方までを、夜明けまでを過ごした。
絶えず騒ぎ出す痛覚との格闘。寝返りを打ち、恐る恐る仰向けになってみる。ただそれを繰り返す時間は長い。どんなに探しても痛みのない平穏なトキの間に間が見つからないのだ。それ故、横になっていても眠ることなど不可能の悶々の時間帯を(殆ど永遠と思える程に)経験することになるのだった。
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翌日は皮肉なことに体育の日という祝日。二日目のぎっくり患者はほぼ何もせずに過ごした。ひたすら痛みの軽い姿勢を探求してモゾモゾするのみの。もちろん腰部には冷感の湿布薬を、そろりそろりと動くためのサポーターは、もはや肌身離さず装着する羽目になった。
何もせずというのは正確でないかも知れない。寧ろ何をする気も起らないという方が正しいのだろう。気が自立しないのだ。それ故に経験する昼夜は普段の三割増し程の長長しさになって流石にウンザリもするのだ。
読み始めている村上春樹の長編「カフカの海」の文庫本の上下巻(全部で1000頁にもなる)の、読みかけの下巻の250頁目は、いよいよ物語のクライマックスを予感させる記述に満ちて、それが先へ先へとココロを逸らせるのだが、時としてそれを追ってゆくのさえ疎ましく感じる程の気分の萎え方では如何ともし難い。
結果として、唯、無の続く、虚無の拡がるだけの痛覚との戦いに終始した二日目。まったく生産性のない痛みとのやり取りに疲れ果ててしまった昼夜であった。
*10/19 15:00:15