Giku!!
前兆のようなものが、もしも”予兆”というような微細なる前触れが有るのだとしたら、その予言のような幽かな振動をさえも的確に捉えられる程の繊細な感受性を持たねばならぬ。
その時点における体力の消耗度やそれまでのスケジュールの過密さや、あらゆる要因による心身の疲労度の深浅や、あれやこれやの腰部の酷使状況から推し量って、少なくとも用心を怠らない心構えを整えて崩さない慎重さが求められていたのだが、それは建前に違いないけれど(その如何せんの後悔を差し引いても)、イザ!という時に対処できるだけの強靭さを普段から養生しておかなければならないと改めて思い知らされる。
こんな風に「Gyu!!」っと、総ての感慨を喪失してしまう程の厄災に見舞われて仕舞って後に、”後悔先に立たず”の懺悔の坩堝に放り込まれてしまう前に。
ほんとうに姿勢を保持できないのだ。脂汗を搔きつつ前後左右に、仰向け俯せ、はたまた中腰、四つん這いになっても、斜に構えたり立ち尽くしたり椅子に座ったりしても、疼痛から、絶えず神経を逆撫でする鈍痛から逃れる術もないのだ。
発症してから既に九時間が経過した。如何ともしがたい招かれざる客の相手をするような、ただ不如意の時の間に間を浮遊している気分の儘なのだ。それは、永遠に持続されるかも知れぬという危惧と恐れを伴って長々と維持される。
今日は秋晴れになって、校区運動会の予定が滞りなく開催されると、丁度午前五時にそれを告知する三発の空砲が鳴った。僕は既に四時半には起きて(僕のこの頃の日常では当然のように)朝の一連の動作を踏襲する様にブログを二本書いてUPし、朝食を済ませご先祖にお線香をあげて七時には準備完了していた。
七時十五分に、公民館のカギを持って(公民館長の僕が管理している建物の地下に我が自治会の二張りのテントが保管されているのだ)出発。役員、班長十数名がが集合して積み込みが始まり、三度目の往復に地下の倉庫へ向かい、鉄製のテントの足四本を束にした一括りを持ち上げようと(悲しいことにテントの足類は二段になっている棚の下の段に入れてあった)しゃがんでいた体を勢い良く伸ばした瞬間に「Gku!!!!」とその災難は当然のように起こった。
まさかの、当に世にいう「ぎっくり腰」を引き起こしてしまった(恐らく何度も経験済みの最悪の規模で)のだ。前かがみで、ヨチヨチとしか移動できぬ。バリアフリーの手すりのように何かに掴まらなければ歩行がままならなくなった。類人猿よりもたどたどしくしか歩けないのだ。二歳の湊人より危なっかしく、五か月の蒼唯より遅々としてしか移動できなくなった。
それ故、今日は全てのスケジュールをキャンセルする羽目になった。湊人を連れて運動会に夫婦で参加してきた息子に、急遽薬局で大判の湿布薬を買ってきてもらい痛みの元に張り付けた。更にその上から、腹巻のようなきつめのサポーターを巻いて固定して過ごしているのだが、その忌まわしい時間から既に十時間経とうとしている現在も、まだ何の改善の兆しも感じられない。
Giku!!のままの自分の身体を持て余しながら、思いの他の苛立たしいトキの間に間を浮遊している。収束の目途も立たず、通常に復帰する日時も予想できない、希望もなく揺蕩ゆ時間に溺れそうになりながら・・。
*10/08 16:50:16 まんぼ