おはようございます。
今朝も屋根を叩く雨の音が聞こえる。人間ドックで三年ほど連続して「要精検」と判断された右耳にもはっきりと伝わるほどの強さで。十月に入って何度目の”雨の朝”になることだろう。
十月と言えば”天高く馬肥える秋”のはずが、何十年も前の東京オリンピックが、もっとも雨の降る確率が少ない10月に開催され、開会式はその中でも10月10日の”晴の特異日”に決まったと云う、その十月の今年の「October-rain」はどうだ。
もうずいぶん昔の話だが、舌っ足らずの甘え声(そこが男心を擽ったのだ)で”太田裕美”が歌った
「九月の雨」は、青春の切なさを降り続く雨になぞらえて表現し、ほぼ同世代として生息していた僕も共感でき、風情も有って忘れられないmelodyになっているのだが、十月の雨はいけない。
まるで異常気象の走りのようで、いやいや、徐徐に正体を現してきている気象変動の一環のようで、何かしら恐怖感が芽生えるほどの昨今の異常さだ。雨、又、雨。巨大台風を挟んで、また、雨天。如何やら、天高く、青く澄んだ”秋晴れの日々”を経験しない間に、爽やかなスポーツの秋や、食欲や芸術といったものに出合うのに一番相応しい季節を経験しないうちに、薄ら寒い十一月へと廻ってしまいそうな気配だ。
この状態を地球温暖化による異常気象と表現しないで何という?長い間、日本人が拠り所にしてきた四季の移ろい。自然と共存することで保たれてきた心身の調和が、少しづつ損なわれようとしていると感じるのは僕だけだろうか?二度と取り戻せない平穏の日々が瓦解してゆく恐怖を感じているのは、恐らく僕一人ではないのだろうが、それでは、如何する?と問われれば、悲しいかな沈黙するしかないのだ。
兎に角、今日も雨!!の雨音を聞きながら、一つの枠組みが失われてゆく”薄ら寒い”感覚に陥ってしまいそうな「October-rain」の朝なのだ。
*10/25 06:32 まんぼ