日本人としてのDNAを確認するための思想、哲学を探索する上で三冊の書籍があると言われています。
いずれも英語やフランス語が書かれたものだそうです。
「武士道」 新渡戸稲造著
「茶の本」 岡倉天心著
「いきの構造」 九鬼周造著
歳を重ねるにつれ、学生時代になかなか理解できなかった、これらの書籍が徐々にわかるようになってきました。
不思議なものです。
「いきの構造」は、哲学者九鬼周造が、昭和初期、その専門であったカント観念哲学、ハイデッカー哲学を土台として築き上げた日本の思想論。
その波乱万丈な人生が同書を基礎づけたといってもいいと思います。
「いき」は、粋であり、意気。
江戸っ子の九鬼は、「いき」の本質について追及していきます。
九鬼は、いきとは、「媚態」「意気地」「あきらめ」で構成されていると喝破します。
媚態とは、異性との不安定な緊張した関係である、つかず、離れずという状態。
意気とは、自分への誇り、諦めとは執着を断つこと。
これらが三位一体となっている状態を「いき」と定義したのです。
ここは、武士道にもつながる世界があると思います。
同書は、多少難解な書籍ですが、それは、哲学ベースで表記されているためとも言えます。
ただ、「垢抜けた」「張りのある」「色っぽさ」「上品」「派手」「意気」「渋み」といった日本ならではのレトリックを入れることにより、文学的な香りを漂わせます。
また、美意識の六面体というモデルを構築するなど、なかなか魅惑な書籍です。
圧巻なのは、いきの身体的表現という章。
いきな言葉遣い、いきな姿勢、いきな衣装、いきな身体つき、いきな顔と表情、いきな化粧、いきな髪型、いきな着こなし、いきな素足と手のしぐさ・・・について図解入りでリアルに分析しています。
江戸っ子の九鬼が、江戸の「いき」と京都の「粋」「はんなり」を融合させた芸術の世界です。
まるで、美術本を見ているような錯覚に陥ります。
「野暮」なわたしとしては、九鬼は「良家のおぼっちゃま」が学者になった・・・という感じがしています。
逆に、哲学者、学者は良家の子女が潤沢な資産に裏付けられたセレブな環境で学ばなければ、い
い仕事は出来ないのでは・・・と考えた次第です。
余裕というか、ココロの広さというか、懐の深さというか、やさしさというか、貴族的というか・・・そういったものが、新しいコンセプトを創出するまではないかと考えた次第です。
九鬼周造(1883~1941)は、九鬼水軍の血をひく名門の出。
父は文部省の高級官僚。
母は京都祇園の芸者。
上品で物静かだった母波津を父が見初め、結婚。四男として九鬼周造が産まれたのです。
母が周造を身ごもったのが父が駐米大使として赴任していた頃。
出産のため、母が日本に帰る途上で、母波津に熱を入れたのが、父の部下であった岡倉天心。
「茶の本」の著者です。
この不倫関係は、その後、波津の離婚、岡倉天心は公職離脱という展開となっていきます。
岡倉は、フェノロサとともに苦心して開校した東京美術学校を辞め在野に降りることになります。
ただ、九鬼は岡倉天心を生涯慕ったということらしいです。
その後、九鬼は東京高等師範学校附属小学校、中学校、第一高等学校、東京帝国大学哲学科というエリートコースを歩み、さらにドイツ、フランスに留学することになります。
帰国後は、京都帝国大学の教授に赴任。
当時、西田幾多郎、和辻哲郎といった京都哲学の大御所の中で、さらなる哲学の研究を進めることになります。
九鬼は、海外留学の時までの妻とも離婚。
祇園の芸者との再婚という道を選択します。
少しマザコン気味の九鬼は、母波津の面影をその女性の中に見出したのかもしれません。
学生の間では、九鬼教授は朝、祇園から大学へ通っているという噂もたったようです。
この九鬼の人生は、「いきの構造」に行きつくための、まさに伏線。
人生そのものが凝縮されているようにも思えます。
そして、九鬼がたどり着いたのが、「偶然性の問題」。
人生と偶然、いきと偶然。
ハイデッカーの時間論、ニーチェの運命愛、サルトルの実存主義と紐づけて考えていくことになると思います。
このあたりは、西洋哲学の文献を、ホットウイスキーを舐めながら、もう少し読み進めたいと思っています。