カープ、今日は、移動日。
明日は、大阪でタイガース戦。
クリス投手が先発。
早ければ、今週の中頃から週末にマジックが出るはずです。
今日は、カープの歴史をさらりと振り返りたいと思います。
カープの創設は、1949年。
1945年、原爆で14万人を虐殺され、焦土と化した広島市。
大量殺戮から、わずか4年・・・市民球団カープは、広島市民と地元企業の尽力で創設されました。
プロ野球チームで、唯一、親会社持たないカープ・・・。
お金持ちの読売新聞や阪神電鉄などとは、大きく異なります。
(現在、セリーグの黒字チームは、巨人、阪神、広島の3チームだけです)
当時の広島市は、こんな状況だったそうです。
設立当初は、選手への給料の遅延が続き、東京への遠征も汽車の通路に新聞紙を敷いて、一軍選手と言えども、そこで雑魚寝。
石本監督の時代は、「たる募金」を実施。
県営球場の入口に、酒樽を置き、入場する人からカンパを募るというもの。
当時は、野球が好きというよりは、カープの存続のために球場に駆けつけるというファンが多かったようです。
「セ・リーグのお荷物球団」と呼ばれていました。
この頃、山口県下関市に本拠地を置いた、大洋ホエールズ(現在のDeNAベイスターズ)との合併話まで、持ち上がりました。
1957年、広島市民球場が完成。
原爆ドームの正面に造られました。
中四国初のナイター球場・・・その照明は、日本で一番明るい球場と言われていました。
この頃は、内野の2階席もなく、とてもシンプル。
カープが強くなるにつれて、観客席を増築・・・。
最後には、3万人近くを収容できるようになったと言います。
現在の旧広島市民球場の跡地・・・ライトスタンドの一部が残されています。
そして、球団結成から26年目・・・。
「セ・リーグのお荷物球団」、リーグ優勝。
1975年、カープ初優勝!
後楽園球場で巨人を破り、古葉監督が胴上げ!!!
ちなみに、キャップが赤になったのは、1975年。
意識改革のために、ルーツ監督が帽子を赤に変えたのでした。
この年、平和大通り(100メートル道路)で優勝パレードが行われました。
コージ、衣笠、大下、ポプキンス・・・懐かしいなあ。
このパレードを契機として、毎年5月の鯉のぼりの季節に「広島フラワーフェスティバル」が開催されるようになりました。
こちらも、広島市民と地元企業の、手作りのお祭です。
そして、新球場「マツダズームズームスタジアム広島(通称ズムスタ)」が完成。
日本で一番美しく、楽しいと言われるボールパークが出来上がりました。
この時も、広島市民と地元企業が決起、「第二次・たる募金」でお金を集め、行政を動かしました。
この頃から、カープ女子が、東京で勃興・・・日本中に広がりました。
トランペット応援も、
選手別応援歌も、
ラッキーセブンのジェット風船も、
スクワット応援も、
すべて、カープファンが元祖。
広島市民球場から始まりました。
今では、全てのプロ野球チームの応援に普及しています。
勝鯉の森・・・初優勝の年、旧広島市民球場の横に作られたカープの記念碑。
リーグ優勝の最後が、1991年・・・。
25年前。
この記念碑の一番下を見ると、まだ、二行は入ります(笑)。
「2016年」と入れたいなあ。
日本シリーズ制覇は、32年前・・・涙。
こちらは、あと三行ほど文字を入れることができます。
この小さな森には、鉄人衣笠選手の碑も建てられています。
連続試合出場の世界記録を持っています。
2215試合連続・・・本当に驚異的です。
デッドボールで骨折しても、代打で出場・・・フルスイングしました。
広島市内を走る路面電車もカープ。
カープの応援グッズやカープ商品も、年間20億円以上の売上。
放映権料が減少する昨今。
(ジャイアンツでさえ、地上波、場合によってはBSでも放送されないこともある時代になりました)
カープ、放映権料以外でも、しっかり稼いでいます。
カープファンも購入し、しっかりサポートしています。
喫茶店もカープ。
銀行もカープ。
お弁当もカープ。
ちょっと割高なのですが、それでもカープが好き。
広島市民の多くは、カープが生活の中に組み込まれています。
がんばれ!カープ