古葉竹識さんが亡くなられました。
享年85歳。
心よりお悔やみ申し上げます。
12球団中、唯一親会社を持たない市民球団カープ。
貧乏のため「セリーグのお荷物球団」と揶揄されていました。
解散の危機や他球団との合併危機が幾度もありました。
古葉さんは1975年(昭和50年)のシーズン途中からルーツ監督に変わりカープの監督に就任。
当時主力だった衣笠祥雄さんや山本浩二さんらを率いて、3年連続最下位に沈んでいた広島を球団創設以来初のリーグ優勝に導きました。
79年、80年には2年連続日本一を達成。
84年にも日本一に輝くなど、カープを日本一に導いた唯一の監督で、最初の“黄金時代”を築いた名将。
99年には野球殿堂入り。
地味ですが、カープらしい真面目、実直な人柄でした。
熊本出身の九州男児なんですね。
晩年のインタビューでは、優勝パレードの時、沿道には亡き旦那さんの遺影を持った女性がたくさんいて嬉しかったと話されていました。
熱狂的なカープファンの夫がたくさんいたということでしたょう。
古葉さんは涙ながらに語っていました。
いつもベンチの陰から采配する姿・・・その実直で厳しい指導は万年最下位のカープのポテンシャルを限りなく引き出しました。
「耐えて、勝つ」
古葉さんのサイン色紙には、いつもこの言葉が書かれていました。
勇気づけられます。
心よりお悔やみ申し上げます。合掌