ヒロシマ「平和の軸線」。
国際平和都市の広島市は南北を結ぶラインには、平和への祈りが込められています。
1945年8月6日午前8時15分、米軍による一発の原子爆弾により広島の街は廃墟となりました。
14万人が虐殺され、75年は草木も生えないと言われました。
そこから、広島市民は復興に向けて立ち上がりました。
最初は、国際平和都市ヒロシマというコンセプト。
そして、焦土と化した広島市の都市計画をどうしていくかという大きな課題が持ち上がりました。
都市計画のコンペを実施。
そこで一番になったのが、建築家の丹下健三さんの作品。
原爆ドーム、慰霊碑、原爆資料館、大噴水を結ぶ南北のラインを引きました。
慰霊碑前からは、原爆ドームを見ることができます。
この計画は、後にユネスコの世界遺産になります。
さらに1957年には原爆ドームの横に広島市民球場が完成。
「平和の南北軸」上です。
親会社を唯一持たない市民球団カープの本拠地となりました。
セリーグのお荷物球団、ビンボー球団と揶揄されましたが、カープの存在は復興に向けて頑張る広島市民の心の支えになりました。
球団解散、大洋との合併などの危機を広島市民は、樽募金や寄付でビンボー球団をバックアップしました。
新しいナイタ―球場・・・当時、日本で一番明るい照明設備だったと言われています。
カープは新しく建設したマツダスタジアムで新たな飛躍を目指すことになります。
現在、広島市民球場は解体され、ゲートパーク広島という市民公園になっています。
そして、2024年。
この「平和の軸線」上に新しいサッカー専用スタジアムが完成しました。
エディオン ピースウイング広島
「平和の翼」という祈りが込められています。
収容人員3万人、地上7階建てという巨大の施設です。
J1のサンフレッチェ広島のホームグラウンドになります。
広島市の中心部にあるこの「平和の南北軸」は、歩いて移動できるウォーキングコースに最適なルートです。
広島の街にお越しの際には、ぜひお立ち寄りください。