19世紀後半から驚異的な産業発展を遂げたアメリカ経済。
それは、資本主義の勃興と技術革新、イノベーションの進展と機を一にしたものでした。
しかしながら、
工場現場では、職人気質の労働者や監督者により、KKD(経験・勘・度胸)により作業が進められていました。
そこに科学的管理法を引っ提げて登場したのがF.W.テーラー。
しかしながら、彼の主張は、現場で働く職人や現場監督によって都合の悪いものでした。
労働強化につながる、失業が増える、自己裁量の部分がなくなる・・・等の理由。
テーラーは、差別的出来高払賃金や作業と計画の分離、あるいは標準の設定等により、労使の利害のバランスをとろうとしましたが、彼の努力はなかなか浸透しませんでした。
議会にも呼び出され、喚問をうけるまでの社会問題に発展していったのです。
テーラーが提唱した科学的管理法は、弱者イジメととらえられ、また、人間を機械視しているという風潮が拡大、テーラーの本当の想いが理解されるまでには至らなかったのです。
このことをもって、科学的管理法を批判する歴史家もいますが、それは正しい解釈とは言えないと考えます。
そういう批判を展開する人たちは、テーラーの著作、特に「科学的管理法」を読んでいない人が多い傾向にあります。
政治思想ではなく、マネジメント思想としての「科学的管理法」を読むことがお勧めします。