おそらく私が
日曜の夜にブログを書くとき
たいていは
「静かな日曜の夜だ」という
言葉を書くことが多いだろう。
ちょうどこの時刻あたりは
いつも静かだ。
むしろウィークデイの方が
テレビを付けていて
音があったり
ネコ同士遊んでいたり
外の音が入ってくることが多い。
その活動的な音が
都会が生きている(ここは都会、うちの前はホテル)
と思わせ
雑多な音が生活感が出て
安心の音になっている。
しかし
日曜はいつも静かだ。
テレビを付けていないと
外の静けさが逆にわかる。
寝静まる時刻でもないのに
人々は
家の中でひっそりと休息しているように
思える。
その静けさが
人に思念をもたらせる。
今、友人が帰省して
こちらに来ている。
今回は短い滞在なので
会わないことになった。
せっかく来たから
今度は彼女の実家に私が
訪れようと思っていたが
今回は見送り。
ゆったり時間のあるときのほうが
いいような気がした。
心ひそかに
私はその町に住みたい、などと
勝手に夢想しているのだが、
実際どんな所かこの目で見てみようと
思った。
でも次回の帰省のときに。
それにご両親が不在ということもあって
私はご両親にも会いたかったので
やはり次回の方が計画もじっくり立てられる。
彼女の日記に
田舎の様子が書かれていた。
田んぼ、カエルの声、川、山
夕陽など
私の好きなものばかりだ。
それらの言葉から
マイナスイオンが出てきているようで
気持ちが癒された。
都会に住む彼女だからこそ
それらの懐かしさや
久々のおふくろの味など
心が休まって
たくさん癒されて
再び
都会に帰っていくのだろう。
都会に住む人は
田舎に来ると
たいくつだろうか。
それとも
癒されるだろうか。
親元を離れているからこそ
敏感に感じ取るものが
あるかもしれない。
親のありがたみとか
感じながら
また都会に戻っていくんだね。
まだまだ
自分を奮い立たせなくてはならない
年代だ。
がんばれ、私の友人。
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さて、タマ。
夕方、2回散歩に出たよ。
少し、歩こうね、と声をかけると
すんなり私の後に付いて来た。
歩かなければ
筋肉の衰えがひどいし
腸の動きも悪い
お腹も空かない
少しでも歩けば
気分も違う。
入っては、ドライフードを食べ
また出かけるというので
付いていき
家の裏までいっしょに歩き
かくれんぼをして
家に入る。
爪とぎをする。
何でもないいつものことが
貴重な宝のしぐさに見える。
今日も1日
生きたタマ。
タマもがんばれ。