人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

大野和士 ✕ 小林厚子 ✕ 山下裕賀 ✕ 福井敬 ✕ 妻屋秀和 ✕ 大木麻理 ✕ 新国立劇場合唱団 ✕ 東京都交響楽団でドヴォルザーク「交響曲第5番」、ヤナーチェク「グラゴル・ミサ」を聴く

2022年09月10日 07時07分51秒 | 日記

10日(土)。わが家に来てから今日で2799日目を迎え、英国の君主として歴代最長となる70年にわたり在位してきたエリザベス女王が8日、静養先のスコットランド北部のパレモラル城で逝去(96歳)したことを受けて、20日前後にウエストミンスター寺院で国葬が行われる予定である  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     国民の誰からも慕われる エリザベス女王のような人こそ 国葬で送るのが相応しい

 

         

 

昨夜、サントリーホールで東京都交響楽団「第958回 定期演奏会 Bシリーズ」を聴きました プログラムは①ドヴォルザーク「交響曲第5番ヘ長調作品76」、②ヤナーチェク「グラゴル・ミサ」(1927年:第1稿)です 演奏は②のソプラノ独唱=小林厚子、アルト独唱=山下裕賀、テノール独唱=福井敬、バス独唱=妻屋秀和、オルガン=大木麻理、合唱=新国立劇場合唱団。指揮=都響音楽監督・大野和士です

 

     

     

オケは左から第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、その後ろにコントラバスといういつもの都響の並び コンマスは矢部達哉、隣は四方恭子というダブル・コンマス態勢を敷きます 彼女から時計回りに双紙正哉、遠藤加奈子、江口心一、古川展生、篠崎友美、店村眞積、そしてコントラバスには池松宏という盤石の態勢です

1曲目はヴォルザーク「交響曲第5番ヘ長調作品76」です この曲はアントニン・ドヴォルザーク(1841ー1904)が1875年に作曲、1879年に改訂したうえで同年プラハで初演されました 第1楽章「アレグロ・マ・ノン・トロッポ」、第2楽章「アンダンテ・コン・モト」、第3楽章「アンダンテ・コン・モト、クワジ・リステッソ・テンポ ~ アレグロ・スケルツァンド」、第4楽章「フィナーレ:アレグロ・モルト」の4楽章から成ります

この曲を聴くにあたってCDで予習しておいたのですが、どうもすんなりと入ってきません ドヴォルザークと言えば第7番、第8番、第9番の3曲が民俗色の豊かさと美しいメロディーに溢れていて大きな魅力を感じるのに対し、第5番は何回聴いてもその良さが解りません そんなわけで、せっかくの大野氏のアグレッシブな指揮と都響の渾身の演奏にも関わらず、最後まで楽しむことができませんでした。これは演奏する側よりも聴く側の問題だと思います

 

     

 

プログラム後半はヤナーチェク「グラゴル・ミサ」(1927年:第1稿)です この曲はレオシュ・ヤナーチェク(1854ー1928)が1926年8月2日~10月15日に作曲(1926年~28年に改訂)、1927年12月5日にブルノで初演されました 「グラゴル」とは、古代教会スラヴ語で用いられた文字の名で9世紀に作られたとのこと 第1稿の全曲は9楽章から成ります 第1楽章「イントラーダ」、第2楽章「序奏」、第3楽章「キリエ / 主よ、憐れみたまえ」、第4楽章「グロリア / 栄光あれ」、第5楽章「クレド / われは信ず」、第6楽章「サンクトゥス / 聖なるかな」、第7楽章「アニュス・デイ / 神の子羊」、第8楽章「オルガン・ソロ」、第9楽章「イントラーダ」で、第5楽章「クレド」を中心にシンメトリーの構成となっています

P席に新国立劇場合唱団のメンバーが配置に着きます 下手に女声36名、上手に男声24名、合計60名の混声合唱団です 2階正面のパイプオルガン席に大木麻里がスタンバイし、ソリストの4人が指揮台の左右に分かれてスタンバイします

小林厚子は東京藝大出身のソプラノですが、新国立劇場では「トスカ」タイトルロール他に出演しています 山下裕賀(ひろか)は東京藝大出身のアルトですが、日生オペラ「セビリアの理髪師」ロジーナ他に出演しています 福井敬は国立音楽大学出身のテノールですが、二期会のオペラ公演を中心に活躍しています 妻屋秀和は東京藝大出身のバスですが、新国立オペラの常連歌手で数多くの公演に出演しています 大木麻理は東京藝大出身のオルガニストですが、内外のオルガン・コンクールで入賞歴が多数あります

大野の指揮で演奏に入りますが、特に印象に残ったのは第2楽章「序奏」です 村上春樹の「1Q84」にも登場するヤナーチェクの代表作「シンフォニエッタ」によく似た曲想のファンファーレが印象的です トランペットとティンパニのリズム感が素晴らしい 第3楽章と第4楽章ではソプラノ独唱が入りますが、小林厚子の声が良く通ります この人の歌声には説得力があります テノールの福井敬の歌唱には破壊力があります 第5楽章ではオルガンと3対のティンパニのやり取りを中心とするオケの演奏が迫力満点でした また、新国立劇場合唱団のコーラスが素晴らしい 第7楽章では、アルトの山下裕賀とバスの妻屋秀和が加わりますが、2人とも安定感があり声も良く通ります 第8楽章はオルガン・ソロですが、大木麻里の演奏は大ホールの空気を震わせ、大迫力で迫ってきました 最後に再び第1楽章の「イントラーダ」が戻ってきて、「ヤナーチェクの旅も終わりだな」と思いました

大野和士は新国立劇場オペラ芸術監督だけあって、新国立オペラで活躍する歌手を中心に粒よりのソリスト4人を集め、世界に通用する新国立劇場合唱団を起用し、自ら音楽監督を務める都響の演奏能力を最大点に発揮して、ヤナーチェクの「グラゴル・ミサ」の魅力を余すことなく引き出しました 大野和士はこういう曲が一番得意なのではないか、と思ったりしました

この曲は生まれて初めて聴きましたが、一度聴いただけで すっかり魅了されました 昨日のブログで、「良い演奏の基準」として「聴き終わった後で、作曲者や作品をあらためて見直すような演奏かどうか」を挙げましたが、実はもう一つあります それは、「今聴いた演奏をもう一度聴きたいと思うかどうか」です その意味では、この日の「グラゴル・ミサ」は是非もう一度聴きたいと思いました

 

     

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新日本フィル9月度定期 公開リハーサルを聴く ~ ラヴェル「マ・メール・ロワ」他 / 同「室内楽シリーズ ~ 桑田歩プロデュース編」を聴く ~ チャイコフスキー & ブラームス「弦楽六重奏曲」

2022年09月09日 07時02分02秒 | 日記

9日(金)。わが家に来てから今日で2798日目を迎え、東京五輪・パラリンピック組織委員会などの会長を務めた森喜朗元首相の功績をたたえるため、政財界人の15人が発起人になり、胸像制作の募金活動をしている  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     森氏は東京五輪がらみで裏金を受け取っている疑いのある人物だよ 何かの冗談だろ

 

         

 

昨日、夕食に「肉じゃが」「生野菜とツナとタコのサラダ」「冷奴」「キャベツの味噌汁」を作りました 肉じゃがは牛肉がアメリカ産だったので若干固かったのが残念でしたが、味は美味しくできました

 

     

 

         

 

昨日午前10時30分から、すみだトリフォニーホールで新日本フィル9月度定期演奏会の公開リハーサルを聴きました 本公演は9月10日(土)14時からトリフォニーホールで、同12日(月)19時からサントリーホールで開かれます プログラムは①ベルリオーズ:序曲「ローマの謝肉祭」、②ラヴェル:組曲「マ・メール・ロワ」、③ベートーヴェン「交響曲第3番”英雄”」です このプログラムは50年前の1972年9月15日に東京文化会館大ホールで開かれた「新日本フィル結成特別演奏会」(指揮=小澤征爾)を再現したものです 指揮はマルクス・シュテンツです

この日公開されたのはベルリオーズ:序曲「ローマの謝肉祭」とラヴェル:組曲「マ・メール・ロワ」の2曲です

 

     

 

オケは14型で、左から第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、その後ろにコントラバスといういつもの新日本フィルの並び コンマスは西江王子、その隣はアシスタント・コンマスの立上舞です。彼女から時計回りにビルマン聡平、佐々木絵理子、川上徹、長谷川彰子、瀧本麻衣子、中恵菜と盤石の態勢を整えています

最初にベルリオーズ:序曲「ローマの謝肉祭」が演奏されました この曲はエクトール・ベルリオーズ(1803ー1869)が1843年に作曲、翌1844年にパリで初演されました 本来は歌劇「ベンヴェヌート・チェッリーニ」の第2幕の前奏曲として計画されましたが、後に独立曲として出版されました

指揮をとるマルクス・シュテンツはケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団の音楽監督、ボルティモア交響楽団の首席客演指揮者、メルボルン交響楽団の芸術監督・首席指揮者などを歴任しました

シュテンツが登場し、さっそくリハーサルに入りますが、彼は最初に、途中で止めることなく全曲を通して演奏しました 聴く側にとって、こういうのはありがたいです。最初から小間切れに演奏されると鑑賞どころではなくなってしまいますから その後、演奏しては止めて指示を出し、ということを繰り返し1時間ジャストでこの曲のリハーサルを終えました

15分の休憩の後、ラヴェル:組曲「マ・メール・ロワ」のリハーサルに入りました この曲はモーリス・ラヴェル(1875ー1937)が1911年に作曲、翌1912年にパリで初演されました「マ・メール・ロワ」とは「マザー・グース」のことで、もともとピアノ連弾曲として作曲したものを後に管弦楽曲化した作品です 第1曲「眠りの森の美女のパヴァーヌ」、第2曲「おやゆび小僧(一寸法師)」、第3曲「パゴタの女王レドロネット」、第4曲「美女と野獣の対話」、第5曲「妖精の国」の5曲から成ります

シュテンツはこの曲でも、最初に中断することなく全曲を通して演奏しました 次いで、第3曲 ⇒ 第4曲 ⇒ 第5曲 ⇒ 第1曲 ⇒ 第2曲の順に、途中で止めては指示を出し、ということを繰り返し、ちょうど1時間で終了しました

第5曲「妖精の国」を聴いていて、エルガー「エグニマ変奏曲」の第9曲「ニムロッド」に曲想が似ているな、と思いました どちらもすごく良い曲です

2曲のリハーサルを通じて、シュテンツ氏はエネルギッシュで、その一方、かなり細かい人だな、という印象を持ちました

ところで、7日付のブログに10月13日開催予定の公開リハーサルについて、「上岡氏の指揮で決行するのか、あるいは中止にするのか、新日本フィルからの連絡を待ちたい」旨 書きましたが、下の掲示のとおり 実施するとのことです パトロネージュ部の登原さんの指摘により10月度の「公開リハーサルのご案内」の【注意事項】をよく見たら、「状況により、出演者・曲目等変更になる場合がございます。変更の際のご連絡はいたしませんのでご了承ください」と書かれていました。私の早とちりでした 新日本フィルからの連絡はありませんのでご承知おきください なお、「お知らせ」の通り 公開リハーサルは休憩なしの90分です

 

     

     

 

         

 

一旦家に帰って、夕食を作って食べてから、再びすみだトリフォニーホール(小)に出向き、新日本フィル「第151回  室内楽シリーズ ~ 桑田歩プロデュース編」を聴きました プログラムは①チャイコフスキー「弦楽六重奏曲 ニ短調 作品70 ”フィレンツェの思い出” 」、②ブラームス「弦楽六重奏曲 第1番 変ロ長調 作品18」です 演奏はヴァイオリン=ビルマン聡平(首席)、今高友香、ヴィオラ=瀧本麻衣子(首席)、脇屋冴子(フォアシュピーラー)、チェロ=桑田歩(首席)、飯島哲三です

 

     

 

チケットは販売開始早々に販売予定枚数終了とのことで、プレトークで「せっかく刷ったチラシが大量に余って困っている」と、この日の仕掛け人・桑田氏が嘆いて?いました

プレトークでは、チャイコフスキーとブラームスは誕生日が同じ(5月7日)であることが紹介されました(ブラームスが7つ年上)

1曲目はチャイコフスキー「弦楽六重奏曲 ニ短調 作品70 ”フィレンツェの思い出” 」です この曲はピョートル・イリイチ・チャイコフスキー(1840ー1893)が1887年から1890年にかけて作曲(91~92年に改訂)、1892年にペテルブルクで初演されました 第1楽章「アレグロ・コン・スピリト」、第2楽章「アダージョ・カンタービレ・エ・コン・モト」、第3楽章「アレグレット・モデラート」、第4楽章「アレグロ・ヴィヴァーチェ」の4楽章から成ります

メンバーは下手からビルマン聡平、今高友香、飯島哲蔵、桑田歩、脇屋冴子、瀧本麻衣子という並びです

全体を通して聴いた印象は、第1ヴァイオリンのビルマン聡平が終始美しい音色で素晴らしい演奏を展開していました アンサンブルとしては後ろの楽章にいくにしたがって調子を上げていった印象があります 特に良かったのは第2楽章で、ピッツィカートに乗せてヴァイオリンのソロが、そしてチェロのソロが美しいメロディーを弾くところです また、第4楽章は爽快な演奏でした

休憩に入る前に出演者から一言ずつ挨拶がありましたが、面白かったのはヴィオラの脇屋冴子さんです 「やりたくないこともやらなきゃならないし・・・。でも、このコンサートはやりたいことがやれるので嬉しいです」と語っていました。正直で良いと思いますが、「やりたくないこと」って何でしょう?  演奏したくない曲を演奏すること?  本来業務以外の雑用?  それとも朝と晩のお祈り?  みんなで考えてみましょう また、桑田氏はウィーン市立音楽院でロシアの先生にチェロを師事したそうですが、先生や先輩方からは「チャイコフスキーは三大バレエ曲を演奏して初めて交響曲に新しい景色が見えてくる モーツアルトはオペラ『フィガロの結婚』『ドン・ジョバンニ』を演奏して初めて、『ジュピター交響曲』に新しい景色が見えてくる」と教わったそうです これは真理を突いていると思います

 

     

 

プログラム後半はブラームス「弦楽六重奏曲 第1番 変ロ長調 作品18」です この曲はヨハネス・ブラームス(1833ー1897)が1858年から1860年にかけて作曲(25歳の時)、1861年にハノーファーで初演されました 第1楽章「アレグロ・マ・ノン・トロッポ」、第2楽章「アンダンテ・マ・モデラート」、第3楽章「スケルツォ:アレグロ・モルト」、第4楽章「ロンド:ポコ・アレグレット・エ・グラツィオーソ」の4楽章から成ります

第1楽章が桑田のチェロにより悠然とした旋律で開始されますが、このチェロが素晴らしい そしてヴィオラとチェロの中低音にヴァイオリンの高音が絡み、見事なアンサンブルを奏でます これこそブラームスの魅力です 第2楽章は冒頭、ヴィオラからヴァイオリンにメランコリックなメロディーが受け継がれますが、この演奏が素晴らしい この楽章では瀧本麻衣子のヴィオラが良く歌っていました 第3楽章は一転、アクセントのあるスケルツォです。そして第4楽章では第1楽章のメロディーを回想しながら、悠然と音楽が進みます 6つの楽器のアンサンブルが見事です

「良い演奏」というのは聴き終わったあとで、作曲者や作品をあらためて見直すようなところがありますが、その意味では、ブラームスの魅力をあらためて見直した名演でした

満場の拍手に仕掛け人・桑田氏は、「アンコールにドヴォルザークの『弦楽六重奏曲イ長調』から第3楽章を演奏します 実は今日はドヴォルザークの誕生日(1841年9月8日)なのです ドヴォルザークの181回目の誕生祝いを兼ねて演奏します」と語り、6人により民俗色豊かなメロディーをノリノリで演奏、再び大きな拍手を浴びました

満席のコンサートを聴いて思ったのは、プログラミングを良く練り、出演者の半数位は首席クラスを揃えないとトリフォニー(小)ホールを満席にするのは難しいのではないか、ということです この室内楽シリーズは「楽団員プロデューサー編」と銘打っているので、特定の楽団員の独断でプログラムが組まれることになりますが、あまりにも玄人好みの作品に特化し、誰も聴いたことのない作品ばかり並べると、観客離れを起こす懸念があります 2曲演奏するのであれば1曲は比較的ポピュラーな名曲を取り上げるなどの配慮が必要だと思います オペラ界では時に「演出家のための演出」が批判されますが、「演奏する側のための公演」でなく、あくまでも「聴く側の立場に立った公演」を意識してプログラミングしてほしいと思います

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「獲得する知と無知の知」~ プラトンの教え:朝日の記事から / ジャン=ポール・ベルモンド傑作選3「華麗なる大泥棒」&「ラ・スクムーン」を観る ~ スタントなしの体当たり演技が身上:新宿武蔵野館

2022年09月08日 07時00分26秒 | 日記

8日(木)。昨日の朝日朝刊 文化欄のコラム「学びを語る」で、奈良県東吉野村にある私設図書館「ルチャ・リブロ」司書の青木海青子さんが「本から学べること」について語っています 超略すると次の通りです

「古代ギリシャの哲学者プラトンの本を読むと、知ることには『獲得する知』と『無知の知』があるとわかる。読書で得る知識は『獲得する知』、知らない世界の広がりを感じることは『無知の知』だと言える 今はスマホで検索してすぐに知ることが出来るが、その外側は意識しずらい それに比べると、本は外の世界に開かれた『窓』のようだ。近ごろ『わからない』という言葉が、コミュニケーションの断絶に使われていると感じる シャッターを閉ざしてしまう。それはすごくもったいない わかりにくいものでも、じっくり待って少しずつ近付けば、いつかわかるかもしれない わからないことから、自分の世界が広がるかもしれない。本という窓に触れ、無知の知へ意識を広げ、分からない状態を面白がる。そうすれば世界はもっと楽しくなるはず

私は、コンサートを聴けば聴くほど、映画を観れば観るほど、本を読めば読むほど、まだ知らない世界が広がっていくことを感じます 「知れば知るほど知らない世界が広がっていく」。その意味では、「獲得する知」と「無知の知」とは表裏一体の関係にあるのではないか、と思います

ということで、わが家に来てから今日で2797日目を迎え、米紙ワシントン・ポストは6日、連邦捜査局(FBI)が8月のトランプ前大統領の邸宅マールアラーゴの家宅捜査で押収した文書の中に、外国の核能力に関する情報が含まれていたと報じたが、トランプ氏が2021年1月に退任した後、今年8月に文書が押収されるまで十分な対策を講じないままマールアラーゴに保管されていた恐れがあり、管理のずさんさにも批判が高まりそうだ  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     トランプは米国だけでなく 世界にとっても危険な人物だということが 証明された

 

         

 

昨日、夕食に「赤魚の粕焼き」「生野菜とワカメのサラダ」「冷奴」「舞茸の味噌汁」を作り、「マグロとタコの刺身」と一緒にいただきました 和食はいいですね

 

     

 

         

 

新宿武蔵野館で「ジャン=ポール・ベルモンド傑作選3」の上映が始まりました ジャン=ポール・ベルモンドは1970年代から80年代にかけて活躍したフランスの映画俳優ですが、CGのない時代にスタントなしで生身のアクションに挑み、世界中の観衆を虜にしました 残念ながら昨年9月6日に亡くなりました 今回の上映は「傑作選」の第3弾で、これまで上映されなかった作品が取り上げられています 「華麗なる大泥棒」と「ラ・スクムーン」を観ました

 

     

 

「華麗なる大泥棒」はアンリ・ヴェルヌイユ監督による1971年製作フランス・イタリア合作映画(125分)です

アサド(ジャン=ポール・ベルモント)をはじめとする3人の男と1人の女レナ(ダイアン・キャノン)がアテネに集結する とある豪邸に押し入った彼らは、鮮やかな手際で金庫を開けると大粒のエメラルド36個を取り出す 4人は港へ向かうが逃亡用の船は修理中で、5日間別行動で身を潜めることになる そんな彼らを地元のベテラン警視ザカリア(オマー・シャリフ)が追うが、ザカリアの真の狙いは4人の逮捕ではなく、彼らが奪ったエメラルドだった

 

     

 

この映画は、アメリカの作家デビッド・グーディスの小説を基に、「地下室のメロディー」のアンリ・ベルヌイユ監督がメガホンをとり、エンニオ・モリコーネが音楽を手がけた作品です

冒頭の金庫を開けるシーンが面白い スーツケースを開けると、中が「合鍵製造機」になっていて、金庫製造会社の製造した金庫の製造番号や鍵見本などの番号を打ち込むと合鍵が作れるのです これなどは「007シリーズ」や「ナポレオン・ソロ」を彷彿とさせます ベルモンドはこの映画でも体当たり演技で臨んでいます ザカリア警視とのカーチェイスは迫力満点で、スティーヴ・マックィーンの「ブリット」を思い出しました 大型ダンプから積んでいた石や土砂とともに廃棄場に棄てられるシーンでは、急斜面を転がり落ちていきますが、後ろから石が飛んできたりして、当たったら大けがを負うところです それでもスタントなしでやるところがベルモンドです

警視ザカリアを演じたのは「アラビアのロレンス」のオマー・シャリフです ニヒルな悪徳警視を見事に演じています

 

         

 

「ラ・スクムーン」はジョゼ・ジョバンニ監督による1972年製作フランス・イタリア合作映画(106分)です

1934年、マルセイユの暗黒街のボスであるヴィラノヴァ(アルド・ブフィ・ランディ)は、組織内で台頭してきたグザヴィエ(ミシェル・コンスタンタン)に殺人の濡れ衣をきせて警察に逮捕させる グザヴィエの妹ジョルジア(クラウディア・カルディナーレ)は、グザヴィエの兄弟分ロベルト(ジャン=ポール・ベルモント)に助けを求める ロベルトは暗黒街で「ラ・スクムーン(死神)」と呼ばれる伝説のギャングだった ロベルトはヴィラノヴァを殺してマルセイユを仕切ることになるが、やがてアメリカ人ギャングとの銃撃戦の末に負傷して逮捕され、刑務所でグザヴィエと再会を果たす

 

     

 

この映画は、1961年に「勝負(かた)をつけろ」のタイトルで映画化されたジョゼ・ジョバンニの小説「ひとり狼」を、再びジャン=ポール・ベルモントを主演に迎えて原作者自らのメガホンで再映画化したものです

相変わらずカッコいいベルモンドですが、この映画ではアクションシーンはほとんどありません その代わり、クラウディア・カルディナーレが出演していて懐かしかった 中学生の時、彼女のブロマイドを持っていてクラスの女子に見つかり、「あら、〇〇君てこういう女性が好みだったのね~」と言われ、赤面した思い出があります その女子は、私はもっと地味で日本的な女性が好みだと思い込んでいたようでした しかし、思春期の中学男子にとっては、美人なら誰でも良いのです その昔 男子中学生だった人なら分かってもらえると思います この映画では、最後に殺されてしまうので可哀そうでした

 

     

 

「来場者先着プレゼント」ということで「うちわ」をいただきました 「9月なのにうちわ❓」「いや、まだ暑いから」「いまさら団扇なんて」「タダだからいいじゃん」・・皆さん、うちわ揉めは止めましょう 「センスが良くない」と言われます

 

     

     

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ピアニスト・指揮者のラルス・フォークト氏死す ⇒ 新日本フィル「扉」代役で公演実施 / ジャック・オーディアール監督「パリ13区」を観る ~ 人種の坩堝「パリ13区」で生きる4人の若者たちの物語

2022年09月07日 07時02分21秒 | 日記

7日(水)。新日本フィルのホームページに「すみだクラシックへの扉  第10回(10/14・15)出演者変更のお知らせ」が載っていました 概要は以下の通りです

「2022年10月開催の新日本フィル すみだクラシックへの扉第10回に、指揮・ピアノとして出演を予定していたラルス・フォークト氏が5日夜死去した(※享年51歳)。フォークト氏は昨年来、病気治療を続けながら演奏活動を行っていたが、当時の体調を考慮して医師の助言を受け、去る8月30日に今回の来日を見送る判断に至った。楽団としてはフォークト氏の快癒後の共演を心待ちするとともに、代役の調整などを経て正式発表すべく準備を進めているところだった。今回の訃報に際し、以下の通り出演者を変更する。

指揮=上岡敏之(新日本フィル第4代音楽監督)

ピアノ=田部京子

なお、プログラムは

①モーツアルト「フルートとハープのための協奏曲K.299」

②ベートーヴェン「ピアノ協奏曲第4番」

③ブラームス「交響曲第2番」

で変更なし」

なお、本番前日の13日には公開リハーサルが予定されていますが、上岡氏の指揮で決行するのか、あるいは中止にするのか、新日本フィルからの連絡を待ちたいと思います

あらためて、ラルス・フォークトさんのご冥福をお祈りいたします

ということで、わが家に来てから今日で2796日目を迎え、東京五輪・パラリンピックを巡る汚職事件で、組織委員会の高橋治之元理事(電通OB)サイドに、AOKIホールディングスだけでなく、出版大手KADOKAWAや広告大手の大広からも不透明な資金が流れていたことが分かった  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     電通や電通OBが絡んでるオリンピックの招致はもう止めるべき  日本の信頼を失う

 

         

 

昨日、夕食に「茄子と鶏肉の炒めもの」「生野菜とアボカドとササミのサラダ」「冷奴」「大根の味噌汁」を作りました 炒め物の材料は鶏もも肉、茄子、パプリカ、ミョウガ、オクラです

 

     

 

         

 

早稲田松竹でジャック・オーディアール監督による2021年製作フランス映画「パリ13区」(105分・モノクロ)を観ました

高学歴ながらコールセンターでオペレーターとして働く台湾系フランス人のエミリー(ルーシー・チャン)のもとに、ルームシェアを希望するアフリカ系フランス人の男性高校教師カミーユ(マキタ・サンバ)が訪れる 2人はすぐにセックスする仲になるが、ルームメイト以上の関係になることはない 同じころ、法律を学ぶため32歳でソルボンヌ大学に復学したノラ(ノエミ・メルラン)は、年下のクラスメイトたちに溶け込めずにいた ノラは金髪ウィッグを被り、学生の企画するパーティーに参加したことをきっかけに、ウェブカメラを使ったポルノ女優のアンバー・スウィート(ジェニー・べス)だと勘違いされてしまい、SNSを通じて学内の冷かしの対象になってしまう 大学を追われたノラは、教師を辞めて一時的に不動産会社に勤めていたカミーユの同僚となり、新たな関係を築くが、上手くいかない ノラはアンバー・スウィートのサイトにアクセスし彼女と話をするが、お互いに顔が似ていることから親近感を抱き、スカイプを通じて話し相手になる ある日2人は待ち合わせして会うことになるが、ノラはめまいを起こし倒れてしまう そんなノラにアンバーは優しく接する 一方、一時けんか別れしていたエミリーとカミーユは縒りを戻す

 

     

 

この映画は、グラフィックノベル作家エイドリアン・トミネの短編集「キリング・アンド・ダイング」「サマーブロンド」に収録されている3篇からストーリーの着想を得たといいます

パリ13区は再開発による高層マンションやビルが建ち並び、アジア系移民も多く暮らすなど、パリの中でも現代を象徴する地域となっています この映画は、そんなパリ13区を舞台に、都市に生きる若者たちの孤独や複雑な人間関係を描いています

この映画には3人の女性が登場しますが、それぞれの「性」に対する考え方は全く異なります エミリーにとっては生きる喜びの源泉であり、ノラにとっては苦手の領分であり、アンバーにとっては生活の糧です しかし、ラストシーンを観ると、男性が苦手なノラも女性のアンバーとなら上手くやっていけると思わされます 現代のパリはそうしたことがごく普通であることが暗示されています また、同じフランス人でもカミーユはアフリカ系、エミリーは台湾系、ノラやアンバーは生粋のフランス人というように、今のパリは人種の坩堝であることが暗示されています

前日ご紹介した「カモン  カモン」もそうでしたが、本作はモノクロ映像で撮影されています 「カモン  カモン」では、「外面的なものに囚われず、2人の内面に集中できるようにあえてモノクロで撮ったのだろうか?」と書きましたが、「パリ13区」ではむしろ「モノクロ映像特有の美しさを狙ったのだろうか?」と感じました

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マイク・ミルズ監督ホアキン・フェニックス主演「カモン カモン」を観る ~ モーツアルト「レクイエム」、ドビュッシー「月の光」も流れる

2022年09月06日 06時59分05秒 | 日記

6日(火)。わが家に来てから今日で2795日目を迎え、北海道議会議員・道見やすのり氏が「国葬に反対する方々にお伝えしたい。わかったから、賛成してほしいとか野暮なことは言わないから、だからもう黙ってろ」とツイートしたことが物議を醸している  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     上から目線でものを言うのは議員の特徴か?  黙ることは認めることだ 自分が黙れ!

 

         

 

昨日、夕食に「ビーフカレー」と「生野菜とアボカドと鶏ササミのサラダ」を作りました ビーフカレーはいつものようにバラ肉を使っています

 

     

 

         

 

昨日、早稲田松竹でマイク・ミルズ監督による2021年製作アメリカ映画「カモン  カモン」(モノクロ・108分)を観ました

ニューヨークで一人暮らしをしていたラジオジャーナリストのジョニー(ホアキン・フェニックス)は、妹から頼まれて9歳の甥ジェシー(ウッディ・ノーマン)の面倒を数日間みることになり、ロサンゼルスの妹の家で甥っ子との共同生活が始まる 好奇心旺盛なジェシーは、疑問に思うことを次々とストレートに投げかけてきてジョニーを困らせるが、その一方でジョニーの仕事や録音機材にも興味を示す それをきっかけに2人は次第に距離を縮めていく 仕事のためニューヨークに戻ることになったジョニーはジェシーを連れていくことを決める

 

     

 

何がビックリしたかと言って、「ジョーカー」での怪演でアカデミー賞主演男優賞を受賞したホアキン・フェニックスが、まったく真逆の、9歳の子どもに振り回される中年男を怪演していることです それと共に、9歳のジェシーを演じたウディ・ノーマンの演技力が素晴らしいと思いました 将来、大物になる予感がします

ジェシーは普通の子どもと違って、大人には通じない作り話を夢中で話し、それを受け入れない大人には心を開かないところがあります 独身のジョニーはまるで異星人のようなジェシーを前に、子育ての厳しさを味わうとともに、刺激に満ちた”疑似親子”を体験することになります

タイトルの「カモン  カモン」は、「さあ行こう!」といった意味で使われています    人生いろいろあるけど、前を向いて行こう、というポジティブシンキングな言葉です

劇中、ジョニーがラジオ番組の一環として子どもたちに「未来について」インタビューをするシーンが挟まれますが、子供たちの現在置かれた境遇や、未来に対する考え方が率直に語られています 映画を観たわれわれは、「現在だけでなく、子供たちの未来を考えて責任ある行動をしなければならない」というメッセージを受け取ることになります

この映画はモノクロ映像で撮られています。それはなぜか?  監督は外面的なものに囚われず、二人の内面に集中できるようにあえてモノクロで撮ったのだろうか? マイク・ミルズ監督のみぞ知る、です

さて、音楽です ジェシーと暮らし始めて間もない朝のこと、ジョニーは大音響の音楽に目を覚まします ジェシーの部屋に行くと、モーツアルト「レクイエム」の「Dies  irae(怒りの日)」が耳をつんざくような大音響で流れていました それは、母親が自分を置き去りにして、代わりに兄のジョニーを子守代わりに押し付けたことに対する怒りのように響きます この激しい「アレグロ・アッサイ」の音楽は、後のシーンでも流れます また、2人がタクシーで空港に向かう途中では、サックスのような楽器で演奏されたドビュッシー「月の光」が流れていました この曲も別のシーンでもう一度流れます この2曲の選曲だけをとっても、監督の音楽センスの良さを感じます

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「ベルリン便り メンデルスゾーンが聴きたい」(9/10:ブルーローズ)のチケットを取る / 佐藤典雅著「カルト脱出記 ~ エホバの証人 元信者が語る25年間のすべて」を読む

2022年09月05日 07時04分26秒 | 日記

5日(月)。9月10日(土)午後2時からサントリーホール「ブルーローズ」で開かれる「ベルリン便り メンデルスゾーンが聴きたい」公演のチケットを取りました プログラムはメンデルスゾーン①ヴァイオリン・ソナタ ヘ長調 MWVQ26、②チェロ・ソナタ第2番 ニ長調 作品58、③無言歌より、④ピアノ三重奏曲 第1番 ニ短調 作品49です   演奏はヴァイオリン=石原悠企、チェロ=藤原秀章、ピアノ=野上真梨子です メンデルスゾーンが大好きなので、今からとても楽しみです

 

     

     

 

ということで、わが家に来てから今日で2794日目を迎え、アメリカのトランプ前大統領が3日、11月の中間選挙の激戦州、ペンシルベニア州で演説し、多くの時間をFBIによる強制捜査の批判に費やした上で、「我々こそ、この国の民主主義を救おうとしている。我々は立ち上がり、病的で無法で死の独裁からこの国を取り戻さなければならない」」と約1万人の支持者に訴えた  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     「病的で無法で死の独裁」はトランプの大統領時代そのものじゃね? 聞いて呆れる

 

         

 

佐藤典雅著「カルト脱出記 ~ エホバの証人 元信者が語る25年間のすべて」(河出文庫)を読み終わりました    佐藤典雅氏は1971年広島市生まれ。株式会社1400グラム代表取締役。少年期の大半をアメリカで過ごし、ハワイの高校を卒業。グラフィックデザイナー、医療コンサル営業、BSデジタル放送局を経てヤフーに入社。2005年にブランディング社に入社しLAセレブ、東京ガールズコレクション、キットソン等のプロデュースを行う この間、9歳から35歳まで「エホバの証人」の信者だった

 

     

 

本書は、2013年1月に河出書房新社から刊行された「ドアの向こうのカルト ー 9歳から35歳まで過ごしたエホバの証人の記録」を文庫化したものです

本書は次の10章から構成されています

第1章「カルト生活の幕開け」

第2章「自己アイデンティティの上書」

第3章「信者としての自覚と芽生え」

第4章「信者としてのアイデンティティ」

第5楽章「激動の活動時代」

第6章「芽生える疑問」

第7章「アイデンティティとの闘い」

第8章「脱宗教洗脳」

第9章「ミッション・インポシブル・・・親族洗脳解約」

第10章「死と再生・・・人生バージョン2.0」

著者は上記の全10章の中で、まず最初に母親が「エホバの証人」に入信し、彼女を通じて「私」、弟、妹、そして夫である父親が次々と入信させられていき、「私」は組織の中ではそれなりの存在になり、信者としての自覚を持つようになったものの、次第にその教義に疑問を感じ始め、調べていくうちに「教え」に矛盾があることを突き止め、まず自分が脱会し、家族を一人一人説得して脱会させるまでの25年間にわたる信仰生活を、トータル380ページで振り返っています

著者は第1章の中で、「『エホバの証人』は宗教法人『ものみの塔聖書冊子協会』の一般名称である」と説明しています

第2章では次のように解説しています

「証人たちは信者でない人たちを『世の人たち』と呼んでいる 証人たちはキリストによって選ばれているので、サタンの世から嫌われることになる 真の宗教は世の人である親族から反対を受けて当然である。組織は前もって『聖書を学んで組織に入ると周りから反対が起きるよ』と予告する。研究生が聖書研究を始めると身内や友人から『そんな変な宗教やめておきなよ』と言われる すると、『あの予告はやっぱり本当だわ。周りが反対するからこそ真理である証拠だ』と信仰を深めてしまう

これはまさに旧統一教会とほぼ同じやり口ではないか、と思います

また、著者は母親たちから、何か悪いことが起こると「サタンの仕業」と決めつけられ閉口したと書いています 「風邪を引いて伝道に出られなくなれば、それはサタンの邪魔」「学校で子どもが苛められるのも、サタンが悪い」「テレビや漫画の見過ぎはサタンの罠」「讃美歌以外はサタンの音楽」・・・すべてサタンが原因だと言われる 当時中学2年生だった著者にとって、これらがいかに我慢ならない行動制限だったか、容易に想像がつきます

第3章の中では「エホバの証人」の教義について次のように書いています

「神が支配していた王国(エルサレム)が崩壊したのは西暦前607年。ここから2520年の間は神は民を見捨てる。しかしこの期間が終わると、神がイエスを通して再び神の民を支配する。その年が1914年に相当する この時にイエスは天で支配を開始された。そして近いうちに天の王国を地上に持ってくる。この時に今存在するサタンの事物の体制が滅ぼされないといけない したがってハルマゲドン(世の終わり)のカウントダウンとなる『終わりの日』は1914年から始まっている。つまり1914年は事物の体制の終わりの日の始まりであるから、ハルマゲドンはいつ来てもおかしくない。さらに、1919年に『エホバの証人』がイエスによって『真の宗教』として指名された(根拠不明)・・・というのが協会の理論の根拠となっている

第6章ではハルマゲドンについて次のように書いています

「ものみの塔聖書冊子協会は1914年から数えて2000年までには世が終わるという見解を出していた ところが1995年の教義変更で、いつ来るのか分からなくなってしまった ハルマゲドンのデッドラインが大幅に引き延ばされたことに対し、(著者は)どうにも腑に落ちなかった 預言の解釈を変えたのは百歩譲って仕方ないとしても、一体なせこの組織は謝罪の言葉一つも述べられないのかが不愉快だった

そして、第8章では「エホバの証人」に不信感を抱いた著者が自らの調査を通じて「エホバ」という言葉が聖書には一切出てこないことを突き止めます

「証人たちは『新世界訳聖書』という独自の聖書を用いており、協会は『他の聖書訳とは違って、原本の聖書に一番忠実である』と説明していた しかし実際には協会独自の特殊な教義に合わせて、聖句の文法や言葉を改ざんしていた 一番露骨なのはギリシャ語聖書の『エホバ』という部分である。協会の説明では、他のキリスト教会は神の名を隠蔽しているという。そのために、聖書を改ざんしてエホバという名前を聖句から抹消したという だから他の聖書にはエホバの名前が出てこない。証人たちは自分たちの聖書の中にはエホバの名前がたくさん出ているので鼻が高かった ところが、私が読んだ本には『ギリシャ語聖書にはエホバという名前は出てこない』と書いてあった 協会はギリシャ語聖書に勝手にエホバという名前を追加したという 全て『神』『主』と書いてあるところを独断で『エホバ』に置き換えたのだ。しかし聖書には『その言葉に何も付け加えてはならない』と書いてある

こうして、著者は「エホバの証人」の教義は信用できないと判断、脱会に向けて行動を開始します はっきり言って「カルトに洗脳された」信者を普通の真人間に戻すのには、並大抵の努力では成し遂げることが出来ないようです 著者は母親や兄弟から「サタンの回し者」と罵倒されながらも、自分で調べた「エホバの証人」に関する資料やデータを基に、いかに組織が矛盾に満ちた教義を押し付けているか、時間をかけて説明していきます。彼の素晴らしいところは、決して無理強いしないことです 「無理に脱会しなくてもいい。でも話だけは聞いてほしい」というスタンスで攻めていきます。そして納得づくで脱会まで持っていきます 自分自身が信者だったからこそ、どうしたら脱会させることが出来るかが解ったのだと思います

最後に付け加えると、「エホバの証人」は、彼らの主張によると「聖書を読むための組織」であり「宗教」ではない、とのことです 旧統一教会と違って、霊感商法で高い壺を売りつけたり、多額の寄付を強請したりすることはなく、寄付は自由とのこと。その代わり伝道活動は自由とはいえ 実際には大変なようです 街の公園や街角でカバンを下げた真面目そうな数人の男女が集まって何やら話し合っていたら、それは「エホバの証人」が戸別訪問の打ち合わせをしているのだと思ってよいそうです もし証人たちに家に来てほしくなければ「訪問拒否にしてくれ」と強く言うと、区域カードに「訪問拒否」と記録され、1年間は家にやってこないそうです

現在、同じ「カルト」である世界平和統一家庭連合(旧統一教会)と全国の国会議員、都道府県議、知事らとの関係が大きな問題になっています 朝日新聞のアンケート調査によると、教団や関連団体と接点があったことを認めたのは447人(うち国会議員=150人、都道府県議=290人)で、ともに自民党が8割を占めたそうです(9月4日付朝日朝刊)。言うまでもなく、なぜ議員がカルトと関係を持ってはいけないかと言えば、議員がカルトの「広告塔」として利用される恐れが強いからです 旧統一教会は多くの信者から多額の寄付を巻き上げていると言われており、全国的に寄付金返還の訴訟が起こされていると報道されています もし、旧統一教会の信者で「脱会したい」、あるいは家族を「脱会させたい」と考えている人がいれば、本書は大いに参考になると思います また、一般読者にとっても、カルトとはどんなものかを知る意味で参考になります いま読むべき書籍として強くお薦めします

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小菅優 ✕ 東京交響楽団「モーツアルト・マチネ」でモーツアルト「ピアノ協奏曲第13番」、メンデルスゾーン「ピアノと弦楽のための協奏曲」を聴く ~ 演奏中に地震も

2022年09月04日 07時05分32秒 | 日記

4日(日)わが家に来てから今日で2793日目を迎え、ドナルド・トランプ前米大統領の邸宅「マーアーラゴ」が連邦捜査局の家宅捜査を受けた問題で、押収された機密文書の一部はトランプ氏の事務室で見つかり、事務室からは「機密」と書かれた空のフォルダーも数十点見つかっており、機密文書が紛失したり破棄されたりした疑惑が浮上している  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     「疑惑のデパート」トランプに支配されてる共和党は 憐れ過ぎて見ちゃいられない

 

         

 

昨日、ミューザ川崎シンフォニーホールで「第50回モーツアルト・マチネ」を聴きました プログラムは①モーツアルト「ピアノ協奏曲第13番 ハ長調 K.415」、②メンデルスゾーン「ピアノと弦楽のための協奏曲 イ短調 MWV.02」です    演奏は管弦楽=東京交響楽団、指揮とピアノ=小菅優です

小菅優は9歳から演奏活動を開始し、2005年ニューヨークのカーネギーホールで、翌2006年にはザルツブルク音楽祭でリサイタルを開き大成功を収めました 新日鉄音楽賞をはじめ数々の賞を受賞し、次々と新しいテーマによりリサイタル・シリーズを展開し注目を集めています

 

     

 

オケは6型で、ピアノを中心に下手にヴァイオリン12,上手にヴィオラ4,チェロ3、コントラバス2という小規模編成。コンマスは水谷晃です ピアノは鍵盤が見える向きで設置されており、ソリストは聴衆に背中を見せる形で指揮をしながらピアノを弾くことになります

1曲目はモーツアルト「ピアノ協奏曲第13番 ハ長調 K.415」です この曲はウォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756ー1791)が1782年に作曲した作品です ザルツブルクを後にしてパリに出てきて初めての自主開催の公開演奏会で演奏された作品の一つです(K.413、K.414、K.415) モーツアルトはパリの聴衆を前にコンポーザーピアニストとしてこれらの協奏曲を弾き振りしたのです モーツアルトはこの3曲の楽譜を販売する際に、幅広く売れるように「管楽器抜きで演奏してもよい」と明示しました それに従って、この日の演奏は管楽器抜きで演奏されます 第1楽章「アレグロ」、第2楽章「アンダンテ」、第3楽章「ロンド:アレグロ」の3楽章から成ります

小菅優が登場し、第1楽章の演奏に入ります 冒頭はオケだけの演奏ですが、途中から独奏ピアノが軽快に入ってきます 逞しい両腕から繰り出される音楽は愉悦感に満ちています 第2楽章は優美な演奏が続きます 第3楽章では再び軽快で愉悦感に満ちた演奏が繰り広げられます。各楽章のカデンツァも素晴らしい 管楽器がなくても十分楽しめる音楽です モーツアルトの音楽の土台がしっかりしている証拠でしょう

 

     

 

プログラム後半はメンデルスゾーン「ピアノと弦楽のための協奏曲 イ短調 MWV.02」です この曲はフェリックス・メンデルスゾーン(1809ー1847)が1822年に作曲しました 第1楽章「アレグロ」、第2楽章「アダージョ」、第3楽章「フィナーレ:アレグロ・マ・ノン・トロッポ」の3楽章から成ります

小菅優が再登場し、第1楽章に入ります 短調が疾走する曲想はまるでモーツアルトです 客席側から小菅の指使いが見えますが、スピード感溢れる演奏は圧巻です 第2楽章では、一音一音の粒立ちがとても綺麗です 第3楽章に入ると、再び短調が疾走します 小菅の演奏は力強く、フィナーレに向けての追い込みはアグレッシブで破竹の勢いでした

全曲を聴き終わって率直に感じたのは「この曲、本当に13歳の時に作曲したのだろうか」という疑問と驚きです メンデルスゾーンは資産家の家庭に生まれ、幼い頃から家庭教師について様々な勉強に打ち興じることが出来たーとは言うものの、本人に才能がなければ「ただの人」で終わってしまっていたでしょう バッハの再発見を含めて、本当の天才だったのだと思います

モーツアルト:35歳、シューベルト:31歳、ショパン:39歳、そしてメンデルスゾーン:38歳・・・天才は早死にします

この日の公演はモーツアルトとメンデルスゾーンのピアノ協奏曲のカップリングでしたが、相性がもの凄く良かったので、これからも同じ路線で企画してほしいと熱望します モーツアルトには27曲のピアノ協奏曲があり、一方のメンデルスゾーンにも、この日演奏されたイ短調の協奏曲のほかに「ピアノ協奏曲第1番 ト短調 作品25」「同第2番 ニ短調 作品40」(ともに演奏時間約22分)という名曲があるので、2回は企画できると思います   小菅優さん、東響さん、いかがでしょうか

さて、この日の演奏に戻りますが、メンデルスゾーンの第2楽章の演奏中の11時55分頃、2度揺れを感じました 建物がズズーンという音とともに揺れました 地震だと思いますが、演奏は続けられました その後は演奏終了まで何事もなかったので良かったと思います 「地震なんてどうってことないぜ」という自信過剰は困ったものですが、公演中の地震過剰はもっと困ります 特に、ミューザ川崎シンフォニーホールは2011年の東日本大震災の際、吊り天井崩落事故を起こしているだけに、一瞬不安を感じたことを告白しなければなりません 現在は耐震工事も完了しているので建物は安全だと思いますが、大地震が起こった時には怖いと思います 合言葉は「気をつけよう 甘い言葉と大地震」です

 

     

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高関健 ✕ 竹澤恭子 ✕ 東京シティ・フィル でエルガー「ヴァイオリン協奏曲」、シベリウス「交響曲第4番」を聴く

2022年09月03日 07時05分59秒 | 日記

3日(土)。先日 血圧計を購入したので、区切りの良い9月1日から朝と夜に血圧を測り始めました 初日の朝は163:104とあまりの高さにビックリしましたが、その夜は147:86と下がり若干安心しました しかし、血圧を測って一喜一憂しているだけでは何の改善にもならないので、週3回通っている整骨院のA先生に相談してみました。A先生は専門分野以外の医学知識が豊富なので何かと相談に乗ってもらっています 「1年近く高血圧状態が続いているが、考えられる原因は何か。どうしたら改善できるか」と尋ねたところ、「高血圧になる前と後を比較して何が違うのかを考えてみてほしい 特にコロナ感染拡大の影響で外出する機会が減り、運動不足になっているのではないか」「歩いたりして身体を動かすことで、血液を心臓に還元するのを助けている。運動不足になると、心臓ばかりがその役割を果たさなければならないので心臓の負担が増えて血圧が上がる」という説明でした そう言われてみれば、以前は1日8000歩を目標に毎日歩いていたのが、とくに昨年10月に階段から転げ落ちて頭を5針縫う手術を受け9日間入院したり、今年に入ってから椎間板を痛めたりして、1日8000歩の目標がすっ飛んでしまっていました おまけに万歩計もどこかにいってしまい、すっかり歩くのを諦めていました 先生のアドヴァイスは、「外に出て最低1日7000歩以上歩くのがベストだが、できなければ、家の中で腿を上げて足踏みするだけでも効果がある 最初は5分、次の日は10分と伸ばしていき、最終的には1日1時間程度出来るようになればよい」というものでした 私の場合は数値の根拠がないと続かないので、さっそく新しい万歩計を購入してきました 家に居る時も外出する時も常に着用して夜にチェックし、合計で1日8000歩を達成するよう頑張ってみようと思います

ということで、わが家に来てから今日で2792日目を迎え、米下院監視・政府改革委員会は1日、トランプ前大統領が在任中の財務記録の一部を同委員会に提出することに応じる意向を示したと発表した  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     トランプは今や大統領特権がないことを自覚すべきだ 一部と言わず全て開示すべし

 

         

 

昨日、夕食に「チキンステーキ」を作りました 鶏もも肉のステーキは作り慣れてきたので、ソフトで美味しく出来ました

 

     

 

         

 

昨夜、東京オペラシティコンサートホールで「東京シティ・フィル  第354回定期演奏会」を聴きました    プログラムは①エルガー「ヴァイオリン協奏曲 ロ短調 作品61」、②シベリウス「交響曲第4番 イ短調 作品63」です   演奏は①のヴァイオリン独奏=竹澤恭子、指揮=高関健です

 

     

 

拍手の中、楽団員が配置に着きます オケは14型で、左から第1ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、第2ヴァイオリン、その後ろにコントラバスという対抗配置をとります コンマスは荒井英治です

1曲目はエルガー「ヴァイオリン協奏曲 ロ短調 作品61」です この曲はエドワード・エルガー(1857ー1934)が1909年から翌1910年にかけて作曲、1910年11月10日にロンドンでフリッツ・クライスラーの独奏、エルガーの指揮により初演されました 第1楽章「アレグロ」、第2楽章「アンダンテ」、第3楽章「アレグロ・モルト」の3楽章から成ります 演奏時間にして約50分という大曲です

ヴァイオリン独奏の竹澤恭子は桐朋女子高校音楽科在学中に第51回日本音楽コンクール第1位。1986年インディアナポリス国際ヴァイオリン・コンクールで優勝 現在東京音楽大学教授、桐朋学園大学特任教授を務めています

初めて聴くに等しい曲ですが、シンフォニックで重厚感があり、ソリストにとっては気力+体力+実力が揃っていないととても弾き切れない作品だと思いました 竹澤恭子は譜面を見ながら弾きましたが、そんなことは些末なことで、渾身の演奏でこの曲の神髄を聴かせてもらったように感じました 曲想としては、プレトークで高関氏が語ったように「ブラームスやブルッフやリヒャルト・シュトラウスなどの良いところをかき集めてエッセンスを採り入れたような感じ」で、極めてロマン的でメロディーもしっかりしています とくに第2楽章「アンダンテ」がエルガーらしい優しくどこか懐かしさを感じさせる音楽でした また、第3楽章に置かれたオーケストラ伴奏付のカデンツァでは、エルガーが考案したと言われる「ピッツィカート・トレモランド」(弦楽器をマンドリンのように指の腹でつま弾いてトレモロ効果を発揮する奏法)がソリストの超絶技巧をバックで支え、美しいアンサンブルを奏でていました 総じて竹澤の演奏は、そんじょそこらのおにいさん・おねいさんには到達できない深みのあるハイ・レヴェルに達していると思います

会場いっぱいの拍手にカーテンコールが繰り返され、竹澤はオーケストラをバックにエルガー「愛のあいさつ」を独特の歌いまわしで優雅に演奏、再び満場の拍手に包まれました

 

     

 

プログラム後半はシベリウス「交響曲第4番 イ短調 作品63」です この曲はジャン・シベリウス(1865ー1957)が1911年に作曲、同年4月3日にヘルシンキでシベリウスの指揮で初演されました 第1楽章「テンポ・モルト・モデラート、クアジ・アダージョ」、第2楽章「アレグロ・モルト・ヴィヴァーチェ」、第3楽章「イル・テンポ・ラルゴ」、第4楽章「アレグロ」の4楽章から成ります

第1楽章が低弦の重々しい響きで開始されます 次いで、この日客演したルドヴィート・カンタ氏(元オーケストラ・アンサンブル金沢 首席)の独奏でメランコリックなメロディーが演奏されますが、素晴らしい演奏でした 間を置かずに続けて演奏された第2楽章では本多啓佑のオーボエが冴えていました 第3楽章ではクラリネット、フルート、オーボエ、ファゴットといった木管楽器群が大活躍でした 第4楽章は”謎”です 明るい曲想で、モーツアルトが歌劇「魔笛」で使用したグロッケンシュピール(鉄琴)まで登場し、不思議な世界感を醸し出しています もっと不思議なのはラストです。あっけない幕切れで、「えっ、これで終わり?」と言いたくなるような物足りなさを感じます シベリウスの意図は如何なるものか、考えてしまいます

この日のプログラムはエルガーが1910年、シベリウスが1911年の作曲ということで、同時期に完成した作品を並べて演奏した企画でした この2曲を比べただけでも曲想の違いを認識しますが、同時期にはマーラーも、ストラヴィンスキーも、ドビュッシーも第一線で活躍していたわけで、1910年前後の年はクラシック音楽界において豊作の年代だったのだな、とあらためて思ったコンサートでした

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ヴィム・ヴェンダース監督「さすらい」を観る ~ 男二人が大型ワゴン車でドイツ各地を巡るロードムービー:早稲田松竹

2022年09月02日 07時01分04秒 | 日記

2日(金)。わが家に来てから今日で2791日目を迎え、東京五輪・パラリンピックを巡る汚職事件で、大会スポンサーに選定されたAOKIホールディングス側が大会組織委員会の会長を務めていた森喜朗元首相に現金を渡したとみられることが1日、関係者への取材で分かった  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     やっぱり失言だけで止まらなかった 電通と森喜朗が絡むと必ず 不正の臭いが漂う

 

         

 

昨日、夕食に「サーロインステーキ」を焼いて、「生野菜と鶏ササミのサラダ」「もやしの味噌汁」を作りました ステーキは柔らかくて美味しかったです

 

     

 

         

 

昨日、早稲田松竹でヴィム・ヴェンダース監督による1976年製作西ドイツ映画「さすらい」(176分・モノクロ)を観ました

ブルーノ・ヴィンター(リュディガー・フォーグラー)は大型ワゴンで各地の映画館を巡りながらフィルム運びや映写技師の仕事をしている ある日彼は河原で髭剃りをしている時に、妻と別れ自暴自棄になり猛スピードの車で河に突っ込んだ男ローベルト・ランダー(ハンス・ツィッシュラー)と出会う    自殺に失敗し悲しみに打ちひしがれたランダーにヴィンターは手を差し伸べ、2人の東西ドイツ国境周辺の旅が始まる  2人はお互いに過去をあまり語らないまま旅を続けるが、時に喧嘩をしながらも次第にお互いを認め合うようになる 旅の途中で、妻を自殺で亡くし悲嘆に暮れる男に出会う。その出会いの後、ランダーは自分の過去に対峙することを決意し父親の元へ向かい、家族を顧みなかった父親に自分の気持ちをぶつける そしてまた2人の旅は続く。ランダーは、ヴィンターも自身と向き合うべきだと促し、母親の家に向かう お互いの過去に触れた2人は初めて、自ら進んで自分について口を開く。そしてお互いに現在の自分と向き合い別々の道を歩んでいく

 

     

 

この映画は、ヴィム・ヴェンダース監督がリュディガー・フォーグラーを主演に「都会のアリス」「まわり道」に続いて撮った「ロードムービー三部作」の完結編です

驚くのは当時のタブーを打ち破ったかのようなシーンです 冒頭近くでヴィンターを演じるリュディガー・フォーグラーが一糸まとわぬ全裸の姿で現れます 驚くのはその後で、ランダーを車に残し、ヴィンターは「ちょっとトイレ」と言って、一人で砂漠のようなところを歩いていき、ズボンを脱いでしゃがみ込みます 遠景で撮っていますが、カメラは彼が脱糞するシーンをしっかり捉えています 全裸どころか脱糞シーンまで観衆に晒すことを求められる役者は大変だな~と思いました 「ヴィム・ヴェンダース」を当て字で書くと「美無・便出ーす」なのか、と思ったくらいです フォーグラーがヴェンダースに「Shit!」と叫んだかどうかは分かりません

登場人物はヴィンターとランダーの2人のほかには数えるほどしかいません それでドイツ各地を巡りながら3時間弱の映像に仕上げ、全く飽きさせないのですから監督の手腕がいかに優れているかということです 早稲田松竹の壁に貼り出された本作の解説によると、この映画はシナリオなしで延々と撮ったとのことです ヴェンダース監督はさすがに途中で、本当に完成するのか、と怖くなったと語っています あえてモノクロ映像で撮ったところもセンスの良さを感じます これぞまさしく本当の「ロードムービー」と言うべき作品でしょう

本作は1976年の第29回カンヌ国際映画祭で国際映画批評家連盟賞を受賞しました

 

     

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ジャスティン・チョン監督「ブルー・バイユー」を観る ~ 法律により強制送還される市民権のない移民の物語:ギンレイホール

2022年09月01日 07時05分10秒 | 日記

9月1日(木)。わが家に来てから今日で2790日目を迎え、ウクライナに侵攻したロシアのプーチン政権が進める「愛国教育」が激しさを増しており、16歳や17歳ごろの10,11年生では、ロシアでウクライナ侵攻を指す「特別軍事作戦」の目的について、「(ウクライナ東部)ドンバス地方の住民保護」であり、「欧米の軍事支援が戦闘を長引かせ、犠牲者を増やしている」と説明するよう教師に求め、「言葉だけでは愛国者にはなれない。真の愛国者は祖国を守るために武器をとる覚悟がある」と教えさせる  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     プーチン政権による洗脳が始まった  これでロシア国民は一生世界の嫌われ者になる

 

         

 

昨日、夕食に「初サンマ」を焼きました あとは「カンパチの刺身」「生野菜とアボカドのサラダ」「冷奴」「白舞茸の味噌汁」です サンマは2尾で500円でした    ここで一句。

サンマ  サンマ  サンマ高いか 明石家か ・・・ おそまつ

 

     

 

         

 

ギンレイホールでジャスティン・チョン監督による2021年製作アメリカ映画「ブルー・バイユー」(118分)を観ました

韓国で生まれ、3歳の時に養子としてアメリカに連れてこられたアントニオ(ジャスティン・チョン)は、大人になった今はシングルマザーのキャシー(アリシア・ピキャンデル)と結婚して自ら家庭を持ち、娘のジェシーも含めた3人で貧しいながらも幸せに暮らしていた ある時、アントニオは些細なことで警官とトラブルを起こして逮捕されてしまうが、その過程で30年以上前の養父母による手続きの不備が発覚する 彼は移民局に連行され、国外追放命令を受けてしまう 下手をすれば強制送還となり、そうなれば二度とアメリカに戻ることはできない。アントニオとキャシーは裁判を起こして異議を申し立てようとするが、そのためには5000ドルという高額な費用が必要だった 途方に暮れる中、家族と離れたくないアントニオはある決心をする

 

     

 

この映画は、養子としてアメリカに連れてこられた韓国生まれの青年が、移民政策の法律の隙間に落とされ、家族と引き離されそうになりながらも懸命に生きる姿を描いたヒューマンドラマです

タイトルの「ブルー・バイユー」は、「青いバイユー(川や沼)地帯」のことで、アントニオが育ったルイジアナ州のバイユー地帯(彼の故郷)を指しています

夫婦そろってパーティーに呼ばれたベトナム女性宅の庭で、「何か歌って」と乞われてキャシーが歌ったのは、ルイ・オービソンが1963年に発表し、リンダ・ロンシュタットのカバー曲としても知られている「ブルー・バイユー」だと思います

アントニオは本業のタトゥーを彫る仕事だけではとても5000ドルを調達できないので、昔の仲間たちと共にバイク窃盗に手を染めます 彼に経済力があればそんなリスクを冒す必要はなかったわけですが、現実には多くの移民が貧しく、犯罪に手を染めがちであることを示しています

エンドロールに移る直前に、実際にアメリカで養子縁組をしたにも関わらず、法律により強制送還される(あるいはその予定の)人々が映し出されますが、この映画が本当に訴えたいのは理不尽な移民政策によりアメリカを去らなければならないこれら「市民権のない移民」の人々の無念であり、怒りではないかと思いました

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