友情

2015年10月05日 22時37分58秒 | 創作欄
太田静雄は独立しなければ、長い生きしたかもしれない。
彼には次期編集局長、さらに取締役のポストも約束されていたと想われていた。
だが、内勤のデスク(部長待遇)となったのだ。
大好きな取材現場から離れることが、どうにも彼には認め難かったのである。
そこで、独立を決断した。
FAXでのリアルタイムでの情報提供を思いついた。
確かに彼が思いついたように情報提供は、新聞を印刷するより速いはずだ。
それがFAXでの情報発信それが、これまでになかった「売り」であった。
私は彼に協力を依頼された。
そこで全面的に彼の要請に応じても良かったのだが、私はその時の安定した立場を維持したいと思っていた。
結婚し、子どもが生まれたことで、不安定な生活になることを避けたいと思っていたのだ。


美貴と美智の姉妹の追憶

2015年10月05日 22時32分14秒 | 創作欄

「ピクニック」
万事に受身の性格の私にとって、美貴の能動的性格には圧倒されるものがあった。
「欲張りなので、宮本さんを好きになったのに、小川さんが結婚したら、とても悔しい想いがしたの。せめて、小川さんの親戚になれないかしら・・・」と真剣な眼差しで迫ってきたのだ。
「私に、事前に断らず結婚してしまうなんて裏切りよ」美貴は憤りの感情をストレートにぶっける女であった。
「私は、何時も誰かに恋をしていたいの」と宮本にも私にも美貴は告げていた。
私が結婚したことで、反動のように美貴は宮本に深入りしていく。
「私、どうかしている。私を確りと抑えておいて、そうでなければ何処かへ風船のように飛んで行ってしまうかもしれない」美貴はベッドで夫に身を寄せながら訴えた。
だが、夫は明日の府中競馬の大きなレースのことで頭がいっぱいになっていた。
美貴は夫からしばしば競馬場へ誘われたが一度も競馬には興味を示さなかった。
その美貴は宮本たちの野球の試合やゴルフのコンペの観戦には積極的に行っていた。
2人は何時か最悪の事態になって駆け落ちでもするのではないかと懸念されたが、そうはならなかった。
宮本と美貴のそれぞれの家庭には子どもが居なかったので、離婚も容易と想われたがその方向へは向かわなかった。
宮本の方に醒めた心があったのだ。
また、私に対する美貴の拘りや複雑な想いもあったのだ、「私と妹と徹さんと3人で暮らせないかな」とも言うのである。
神田のガード下のバー「カルメン」で2人はウイスキーのロックを飲んでいた。
「宮本さんは、本気でなかったのね。分別なんて愛には必要ないのよ。小川さんだったら、私を奪うことできる」と迫るような眼をした。
「とても無理です」と私は、大袈裟に両手を広げた。
親友であり、私を信頼している宮本の顔が浮かんだ。
私には宮本と美貴の情事の聞き役に徹する以外、私の身の処し方はないと思っていた。
2人は止まり木のカウンターに身を寄せるように座り飲んでいた。
ウイスキーの酔いが回ってきて、美貴の眼は定まりがなくなってきた。
「ああ、酔ってしまったな」と止まり木の椅子を回転させたので、美貴の太ももが私の足に触れた。
その感触は温かく思いのほか肉感的であった。
美貴は私の右腕を抱え込むようにして眼前に唇を突き出した。
「ねえ、徹さんキスして」と眼を閉じた。
ママがチラリと視線を注いだ。
東京女子大出でお嬢さん育ちのママに徹は憧れを抱いていた時期がった。
私が会社の上司に連れられて、バー「カルメン」を初めて訪れたのは、25歳の時であった。
「小川さんがお店に初めて来た日、私の昔の彼が訪れたように年甲斐もなく、胸がときめいたのよ」35歳のママは打ち明けた。
私は水商売の女の戯れごとと受けとめた。
「小川さんのお嫁さんは、私が探してあげる」とママは言っていたが、徹はママに恋心を抱いていた。
独身であったママは40歳の時に、高校教師で画家である50歳の男と結婚した。
「帰りましょ」と私は美貴を促し立ち上がった。
「徹さん、逃げるのね。私から逃げるのね。宮本さんと同じね」目に突き刺すような怒りの感情が宿っていた。
止まり木から立ち上がった美貴の足がふらついて、私の胸に倒れ込んだ。
私は思わずその身を受けとめた。
「ふっふ ふっふ」と声をもらし、「抱いてくれたのね」と笑顔となった。
美貴は長い髪を私の頬に押し付けてきた。
「今夜は、離さないのよ。私と1曲踊って」と強く豊な胸を押し付けてきた。
「帰りましょ。赤羽まで送っていきますから」と美貴の耳元で諭すように言うと
私はママに勘定を求めた。
「踊ってよ。私は赤羽じゃないの。私は今、高尾、あの人を追って行ったのよ」
美貴は髪を左右に振りながら私を強く抱きしめた。
「高尾?本当ですか?」私は半信半疑で聞き返した。
「そうよ。先月、あの人と同じ団地に越したのよ。あの人、私を奪って逃げないので、追いかけたの」美貴の声がたかぶっていた。
その日は、美貴と新宿で別れて私は小田急線で百合ケ丘の自宅へ帰った。
それから、二日後の日曜日、私は宮本と彼が住む団地の運動場でキャッチボールをしたのであった。
「先日は、お酒飲みすぎて、小川さんに絡んでしまったわね。途中で小川さんが旦那様に見えてしまって」美貴は茶目っ気を出して、可愛い女の表情を浮かべた。
「宮本さんが、小川さんを連れてきて今日はとても楽しい」美貴は上機嫌である。
妹の美智が、私にサンドイッチと紙コップに入れたコーヒーを手渡す仕種がとても女性らしく映じる。
4人が横に並んでベンチに座っていたので、美智の柔らかい腰の感触と体温が伝わってきた。
美貴は澄み渡った秋空を見上げながら「楽しいわね」と晴れ晴れとした笑顔を浮かべていた。
空気に夏から秋に移り変わる季節の香りが漂っていた。
15cmほど伸びた雑草に朝露の名残があった。
私はそこに無数にうごめく蟻がいるのを見詰めていた。
間もなくして、私は美智とキャッチボールを始めた。
学生時代にソフトボールをやっていた美智は、投げる球にスピードもあって、コントロールも良かった。
「2人はお似合いよ。そうしていると、小川さんは美智の旦那様のようね」と美貴が声をかけた。
私はその声をとても快く聞いた。
「あら、赤トンボじゃないかしら」美貴の声に私たちはボールを投げるのを止めて秋空を見上げた。
数匹と想われた赤トンボは、無数に群れていて、右に左に上下に移動を繰り返していた。
そして、交尾した赤トンボが、緩急に上下へ移動していた。
スーッと高く上がり、それらの交尾した赤トンボは歓喜しているように水平に飛び、再び下降してきた。
仲良く対で飛んでいる赤トンボも多数見られた。
私は何か言い知れぬ満ち足りた気持ちで、美智とキャッチボールに興じた。
宮本と美貴は腕を組み、運動場のフェンスに沿って歩いて行った。
何故か、2人の愛が静かに終焉するような気がした。
「最後は、仄かな思い出にしたいの」と美貴が言っていた。
燃え上がるような慕情が、吹っ切れたのたのだろうか?
宮本は美貴の気持ちを察して分別で応えるだろうと私は信じた。

真実は何も分からないままになった

2015年10月05日 11時16分42秒 | 社会・文化・政治・経済
名張毒ぶどう酒事件
1961年3月事件発生
1964年津地裁が無罪判決
1964年9月名古屋高裁が逆転死刑判決
1972年6月最高裁が上告棄却し、死刑が確定
2015年10月4日八王子医療刑務所で奥西勝死刑囚(89)が死亡
再審開始決定を取り消した裁判所の判断は、一人の人間の人権や人生、科学的知見よりも、裁判所の無謬(誤りがないこと)やメンツを優先させた結果だったと思う」

「今後、再審請求については裁判所だけでなく、市民が参加して判断する仕組みに改めるべきだ」ジャーンリスト・江川紹子さん
同感である。
裁判所も間違えるのだから。
沼田利根

真実は何も分からないままになった。
門前払いはあってはならないのではないか。
制度を改革してほしい。
再審を認めるための明確な基準が必要だ。
作家・高村薫さん

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1945年9月2日、日本政府代表は東京湾に浮かぶ戦艦ミズーリ上で降伏文書に調印。
9月3日、「急告 特別女子従業員募集」の広告が新聞に掲載された。
進駐軍による強姦を恐れた政府が性的慰安婦施設設置を決めたことを受けて設立され、従業員集めを急いだ。
「婦女の拉致増加」の記事。
「数名の米兵が自動車で来て通行中の婦女子を拉致」
連合軍総司令部(GHQ)ha進駐軍による事件の公表を許さなかった。
全国に設置された慰安施設は、性病のまん延や米国本土での批判の高まりを受け7か月で閉鎖された。

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沼田利根の拘りは、このような歴史的事実に深入りすることである。
言わば、むしろ向きな性格が災いしていた。
救いは米国内に良識派の人が存在したことであった。
沼田は子どもころ、近所の娘さんがジープで連れされる現場を目撃していた。
あるいは、拉致を制止した警官がジープに跳ねられ即死したことも目撃していた。
沼田は笑わない子どもになっていた。

「ピクニック」 上

2015年10月05日 05時15分37秒 | 創作欄
「ピクニック」
団地5階のベランダから北側の高尾山へ連なる小高い山並みが迫るように見えた。
濃緑色の山肌の所々が削り取られて、そこに赤や青の家並みが麓から上へ伸びていた。
50棟余の団地の真ん中に、150㍍四方ほどの大きな運動場があった。
友人の宮本志郎の部屋に前夜泊まった私は、彼に誘われキャッチボールをした。
「久しぶりだな。我々の野球部はゴルフ部のようになって、もう何年も野球の試合をしていない」
宮本は押入れからグローブと軟式ボールを取り出して感慨深げに言った。
最低9人揃わないと野球はできない。
ブームに乗ってゴルフ場の会員権を買った者も数人いて、友人たちは野球に対して以前ほど関心を示さなくなっていた。
肩慣らしだと、10㍍、15㍍、20㍍と投げる距離を広げていく。
山なりの緩いボールを投げながら遠投へ移行していくが、私の肩は悪くなっていて、50㍍ほどの距離となると真っ直ぐに投げられなくなり、宮本は右に左に身を振り回された。
「久しぶりなので、走るのきついですな」と息を切らせて宮本が言った。
その時、彼の左前方から2人の女性が近づいて来た。
「小川さん、いらいしてたのね」と相手が言うので、その声の主が中島美貴であることに気付いた。
彼女にとって珍しい濃紺のスラックス姿であった。
長い髪を掻き分けると、「今日は、少し蒸し暑いわね」と言って物憂そうな表情をした。
彼女の後ろに妹の美智が立っていた。
1年前に彼女から紹介された時より、その人がとても女性らしくなったと想った。長い髪型が姉にそっくりであった。
「こんにちわ。ここで小川さんとお目にかかろうとは思いませんでした」
美智は宮本と私に柔和な笑顔で会釈した。
物腰に緩慢さがあったが、静かな口調の中に甘美さが漂っていた。
初めて会って日、「今日は、お目にかかれ光栄でした」と美智が別れ際に言った。
その声の耳触りが良かったので印象に残った。
「姉にしては、日曜日なのに早起きだと思ったの。こういうことだったのね」と美智は口に手を当てて、愉快そうに笑った。
「美智、旦那様には内緒よ」美貴が片眼をつぶった。
「ここから、7号棟は見えるかしら」と美貴は背後お気にかけた。
「あそこに、高い木立があるから見えないでしょう」と宮本は意に介さない。
「うちの23号棟からは、ここが丸見えよ」と美貴は肩をすくめた。
「旦那さん、家に居るのですか」と私は気にかけた。
「旦那様は、朝早く府中競馬に行くと言って出て行ったわ」と美貴は笑顔を見せ、何とも浮き浮きした様子である。
手に竹製のバスケットを下げていた。
「今日は、4人でピクニック気分になりましょう」とベンチの方へ歩いていく。
3人はその後に従った。
運動場には、子ども5、6人と、老夫婦らしい人影、犬を散歩させている人などがいた。
腕時計を見ると、まだ午前7時を過ぎたところであった。
宮本が2年前に、高円寺のアパートからこの高尾の団地に引っ越して来ると、美貴は後を追うように赤羽のアパートからここへ越してきた。
「姉は、昔からとても能動的なので、驚くことばかり」と美智が言った。
「宮本さんに毎日会えなくても、近くに住んでいると思うだけで心が落ち行くの」と言って、美貴は熱い視線を宮本に送った。
私は幼馴染と平凡な結婚をしたので、宮本のような熱烈な恋愛の上での結婚生活をとても羨ましく思っていた。
その宮本が仕事先で出会った美貴に「惚れ込んだ」と私に告白した。
宮本は私を親友として信頼していたので、情事の経緯を明かしていた。
「初めは、こういう人もいるんだ」とあまり気にかけなかったそうだ。
一方、美貴は情熱的な性格で、夫となった茂雄には当時、交際していた女性がいたが、自ら愛を告白して結婚を迫った。
7歳年上の茂雄は包容力があり、「我がままな自分を温かく包み込んでくれるもの」と思ったのである。
茂雄が交際していた相手の女性は大学の同期生で演劇をしている人であった。
「旦那様は兄のような存在。私は宮本さんのような恋人が欲しかったの」
宮本は貴公子然とした風貌で親分肌、男も惚れ込むような魅力的な人間であった。
お嬢さん育ちの美貌の母親似だった。
父親は東京帝大を卒業したが、硫黄島で戦死していた。
戦後間なく亡くなった母方の祖父は男爵であった。


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阪神ファンとして、ガックリしている。
出るのは嘆息ばかり。
今日の広島戦は1点が遠く、一番、情けない阪神の欠点が出て敗退。
関本賢太郎選手(37歳)の引退セレモニーに感動したことが、救いであっただろうか?!

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numata727 さんが 2014年10月04日 に書かれた記事をお届けします。

人間関係の失敗も心配することはない

★仕事は多くの人の力を借りて成り立つものだ。そのためには人から好感を持ってもらわないと始まらない。仕事は言わばファンづくり。★コミュニケーションとは、どれだけ相手の立場に立って考えられるかという共感能力。つまり思いやりの“心”★コミュニケーションが苦手という人には、他人に関心を持たない人が多いように思われる。...
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友情は時代を変える

★インド独立の父ハマトマ・ガンジーは朝夕2度祈りを捧げていた。インドのタミール文字で「南妙法蓮華経」ガンジーは「祈り」について、「祈りに参加する人々が、これを単なる趣味だと思わないことを願う」「(祈る者は)託された使命を成し遂げようとする者である」★座して瞑想するだけではない。祈りを通じて、わが人生の使命に目...
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今一度“本の持つ力”を見直すべきではないか

★ネットなどに代表される“情報社会”は、“バーチャルな社会”の拡大と浸透とも指摘されている。現実というものが目の前から遠のき、非常に虚ろに感じる。そして、東日本大震災大震災が起きた。★実業とより虚業に走ると、もはた経済も社会制度も、ハッキリとした実態が把握できなくなる。しかし、貧困に陥れは人は飢え、紛争地域で...
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