論点 (毎日新聞)
毎日新聞 2016年5月11日 東京朝刊
深い霧に包まれていた租税回避地(タックスヘイブン)。その一端が「パナマ文書」によって浮き上がった。富の偏在が拡大している実相を数理的に明らかにしたのは仏の経済学者のトマ・ピケティ氏だったが、今回の内部文書は一握りの金持ち、権力者たちが富を増やし続ける“秘訣(ひけつ)”をさらけ出そうとしている。何が問われようとしているのか。
■公平性、冷静な議論必要
西江 章:元東京国税局長
租税回避地に法人を設立すること自体は、法人税や所得税などの税率が極めて低く、また設立手続きが簡単なため、昔から行われてきた。必ずしも違法ではない。
ただ近年、グーグルやスターバックスなどの多国籍企業が租税回避地に置いた関連会社や各国の税制の違いを最大限利用し、過度な税負担の軽減に走る動きが問題化してきた。このため先進国は新興国の協力も得て、「BEPS」(税源浸食と利益移転)と呼ばれる国際的な課税逃れを是正する包括的な取り組みを進めている。多国籍企業に各国での事業実態や国別の納税額を報告させる内容も盛り込まれており、取り組みが進めば国際課税の透明性は向上する。
パナマ文書の膨大な情報の解明が行われている。現在進められている「BEPS」の取り組みと、課税逃れの実態との乖離(かいり)点も分かる可能性がある。規制の網が強まっても、回避の動きは今後も出るはずで、国際的な連携強化は欠かせない。課税当局サイドは、国際課税や金融知識に精通した人材の育成も求められる。
パナマ文書には日本の富裕層や企業の名前もあったと聞く。租税回避地の法人は確かに外部から実態が見えにくい。租税回避地が情報公開に前向きになってきたとも聞くがそもそも国が十分な法人情報を持っていない。
その設立の目的が、租税回避なのか、不正な資産隠しや脱税、マネーロンダリング(資金洗浄)であるのかは、金や資産の動きとつき合わせて慎重に見極める必要がある。企業が倒産した場合に当該企業の保有資産に影響が及ばないようにする「倒産隔離」が目的で設立されている可能性もある。また、日本の国税当局から、租税回避地にある関係会社の利益も国内の会社の利益の一部として課税する「租税回避地対策税制」(外国子会社合算税制)の適用を受けているケースもあるかもしれない。
富裕層によるボーダーレスな資金の流れは、租税条約などで国際的な情報交換のネットワークがあり相手国に調査要請や問い合わせができるとはいえ、税務調査権限の問題もあり、詳しい実態の把握は正直難しい。そこに租税回避地の法人が絡むとさらに追跡は難しくなる。実態を把握する困難さが増す中、日本は海外に5000万円を超える財産を持つ富裕層に「国外財産調書」の提出を義務付けたり、海外に移住する富裕層の保有株の含み益に「出国税」を課したりするなど、近年、規制の網を強化している。約100カ国・地域が2017年以降、各国の非居住者の銀行口座の残高などを年1回自動的に情報交換する仕組みも新たに導入される。金や資産の動きがより把握しやすくなる。
パナマ文書に関する報道で「富裕層が海外で資産運用したり節税したりするのは問題だ。課税の公平性に欠ける」などの意見が出ているが、資産のリスク分散のため海外で不動産を購入したり、外貨建て預金をしたりすることはある。「過度な節税」や「行きすぎた課税回避」と言われるが、どこまでが「過度」や「行きすぎ」なのか、冷静な議論も必要ではないか。【聞き手・松浦吉剛】
■「21世紀的」調査報道の力
山田健太:専修大学教授
パナマ文書の報道では、非営利組織の国際調査報道ジャーナリスト連合(ICIJ)が結節点となり、異なる国のさまざまな規模の報道機関が協力して膨大な内部文書の解明にあたった。
報道の対象が国際化、専門化、複雑化し、一つの報道機関で対応するには限界が生じてきた。誰かが内部告発を試みても、報道機関の手に負えず放置され、社会の闇に消えていく可能性は常にある。だが、今回は専門分野も異なる記者たちが会社や国の枠を超え、連携を取りながら真実を追及する形を示した。象徴的な新しい事例だ。結節点となったのが非営利組織というのも21世紀的と言える。
従来の調査報道は、限られた記者が情報を抱え込み、社内でも情報源を明かさず潜伏取材するスタイルが多かった。しかし、デジタルの時代は、もたらされる情報量も膨大だ。今回、告発者から送られてきたデータ量は2・6テラバイト。これを紙の文書で持ち出すことなど不可能だ。しかも、この中には役に立たない情報も多く、宝の山を探し出すには、多くの記者の力が必要になる。
多様な記者が情報を共有して分析することは、デジタル時代の新しい調査報道スタイルだ。従来の調査報道と共存する形で、新しい取材手法が加わったと考える。
ICIJは今回、文書の一部を公開した。一つの組織で取材を完結させるのではなく、さらに多くの報道機関や市井の専門家と協力して、調査を継続するということだ。公開によって新たな情報提供や、ICIJが気づかなかった新たな真実の発見につながる可能性が高まるだろう。これも新しい報道のあり方を示している。報道機関はこの公開情報をどう読み解くべきか、ノウハウをより分かりやすく読者に提供し、さらなる追及の糸口を示す役割が求められる。
ICIJには調査報道の実績もあり、各国報道機関も信頼していた。今回の文書公表で、きちんと整理された情報が提示されたのを見ても、十分な取材・分析力を持つ組織であることはよく分かる。
だが、こうした新しい手法が世に出る時、それが公権力に不都合な情報であればあるほど、権力側は情報の入手方法などを批判し、報道価値を下げようとする可能性がある。日本の特定秘密保護法に照らせば、「不当な取材」を理由に処罰の対象になる恐れもある。報道機関に課せられた役割は、読者に知らせるべき公共性があることをしっかり示すことだ。
一連の調査報道に多くの新聞社が関与したことは、マスメディアの力を改めて世に示したとも言える。インターネット時代の到来によって、マスメディアはその存在を軽視されがちだったが、パナマ文書のような大規模な調査報道においては、一定の安定的、継続的な取材・報道基盤を持つマスメディアの存在が社会に必要だということを再認識させた。人材や取材経費などの物理的な制約もあり、時間もお金も人手もかかる調査報道は敬遠されがちだというが、今回の報道を通じて、社会に内部告発の「受け皿」が存在していることを示せた意義は大きいのではないか。【聞き手・尾中香尚里】
■税逃れ、摘発の好機到来
リズ・ネルソン:タックス・ジャスティス・ネットワーク(TJN)ディレクター
「パナマ文書」の暴露は、国際的な資金隠しや課税逃れの問題に、改めて光を当てた。文書の公表以来、この問題への関心は高まり、ジャーナリストによる調査報道や、(フェイスブックやツイッターなど)ソーシャルメディアを通じた情報交換が急増し、多くの政治家が対策強化を約束した。銀行業界も、当局の指示や自己保身が動機とはいえ、彼らなりの方法で内部調査を始めている。それ自体は確かに歓迎すべき動きだが、まだ文書公開の効果について評価を下すには早い。世界のリーダーたちが美辞麗句を並べるだけでなく、本当に意味のある行動に移せるのかどうか。我々はしっかりと見極める必要がある。
試金石となるのは、各国の当局がどこまで法人などの情報開示を進められるかだ。中でも最も重要な点は、法人の設立によって最終的に利益を得ている「実質所有者」の開示がどこまで進むかにある。多くの法人が、世間のせんさくの目を避け、課税や規制から逃れるために設立されてきた。パナマだけでなく、ジャージー島やガーンジー島、ケイマン諸島といった租税回避地は、緩い規制や高い秘匿性を保証することで、それらを手助けしてきた。租税回避地を含む金融業界の秘匿性が問題なのは、課税逃れだけでなく、汚職による不正蓄財の根源になっている点にある。12日には、英国政府主催で、各国の代表が集まって不正蓄財対策などを議論する反腐敗サミットが開かれる。各国が本気でこうした不正を撲滅する意思があるなら、実質所有者の開示を進めることが決定的に重要だ。
その際に必要なのは、実質所有者などの情報をただ政府の関係機関に報告するだけでなく、ジャーナリストなどがチェックできるよう、一般に開示するということだ。さらに、実質所有者の開示対象に信託と財団を含めることも不可欠だ。(銀行などの第三者に名義上の所有権を移して、管理を委託する)信託は、実質所有者を隠す手段として広く利用されてきたのが実態だが、多くの租税回避地を海外領として持つ英国政府は、これまで信託を開示対象に含むことをかたくなに拒んできた。このため信託は課税逃れの巨大な抜け道となり、多くの資金が流れ込んでいる。反腐敗サミットを主催する英国政府自身がこの問題にきちんと取り組むかどうかは、最大の焦点の一つとなるだろう。
ICIJが公表したパナマ文書のデータベースは、隠されてきた不正蓄財のスキャンダルをあぶり出し、秘匿性の裏側にある構造を理解する機会を提供するという点で、極めて意義のあるものだ。分析には数年かかるかもしれないが、各国の捜査機関や税務当局が職務の遂行のため、このデータベースを活用できるかどうかも問われている。
一方で、多くの国が税務当局への適切な予算配分を怠ってきたため、せっかく課税逃れの摘発に取り組む好機が訪れているにもかかわらず、適切な対応を取る余力が無い国も多い。政府が真剣に租税回避行為を減らそうと思うなら、税務当局の能力強化にもっと投資を行う必要がある。【聞き手・ロンドン坂井隆之】
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外国の首相、閣僚の辞任も
租税回避地での法人設立を代行するパナマの法律事務所から流出したとされる内部文書には、おびただしい数の法人や政治家、権力者を含む関係者の名前が書かれていた。アイスランドでは首相が、スペインでは閣僚が辞任に追い込まれる騒ぎに発展した。文書を入手した南ドイツ新聞は一社で独占するのではなく、国際的な記者組織とともに広範囲な取材を進め、さらに文書をネット上に公開するなどその取材手法も注目されている。
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■人物略歴
西江 章(にしえ・あきら)1950年大阪府生まれ。京大法卒。74年に旧大蔵省入りし国税庁課税部長や東京国税局長を歴任。2008年7月に弁護士登録し、成和明哲法律事務所(東京都)に勤務する。
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山田健太(やまだ・けんた) 1959年京都市生まれ。青山学院大法卒。日本出版学会、日本マス・コミュニケーション学会の理事などを務める。著書に「法とジャーナリズム」(学陽書房)など。
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Liz Nelson(リズ・ネルソン) 1961年生まれ。貧困世帯の住宅問題などの社会活動に長年携わった後、2010年に租税回避行為を監視・追及する国際組織TJN(英NGO)に参画。税の公正性と人権問題を主に担当している。