辺境と呼ぶべき土地への親和

2016年05月03日 11時53分03秒 | 社会・文化・政治・経済
「何がこの国を歪めてきたのか?」
近年の津島佑子作品は、辺境と呼ぶべき土地への親和と、脳内を含む移動の感覚を調和させるものが多かった。
アイヌの神謡への関心からはじまった近代文明への懐疑は、メキシコを経由してモンゴル、ウイグル、オーストラリア、そして台湾の先住民に対する敬意に満ちた理解と共感を経たのち、2011年3月の原発事故を契機に、すべてを一本につなぎあわせる、思わぬ動線を彼女に提示することになる。
夢の歌から 津島佑子著
堀江敏幸評









































東京は、見る町に変わってゆく

2016年05月03日 11時47分15秒 | 社会・文化・政治・経済
東京が現代のようなモダン都市の様相を呈してゆくのは、昭和のはじめ、関東大震災のあとの復興期。
ビルが建ち、地下鉄が出来、車が走るようになった。
雑誌、レコード、ラジオ、映画などの新しいメディアがモダン都市東京のイメージを大量に作り出していった。
なかでも中心的な役割を果たしたのが百貨店。
多様な商品をきらびやかに並べ、人を惹きつけた。
モノを売るだけでなく、百貨店のなかを歩き、買いものをするそのものの楽しさを作り出していった。
そこでは、商品を見る「まなざし」が重要になった。
モダン都市では、見ること、視覚が重要になっていった。
百貨店がポスターという見る広告に力を入れるのも当然だった。
戦後の東京では、映画館が激増した。
若者や労働者の娯楽になった。
映画もまた「見る」ものであることは言うまでもない。
映画はやがてテレビにとって変わられる。
外の世界が家庭のなかに入り込み、暮らしが大きく変わる。
何時に何を見るかで一日が決まる。
テレビが生活時間を決定する。
テレビも映画同様に「見る」もの。
都市生活では、視覚が大事になってゆく。
都市を歩き、見る。
歩行者となって渋谷や新宿を見る。
東京は、見る町に変わってゆく。
視覚都市の地政学-まなざしとしての近代 吉見俊哉著
川本三郎評

性愛は生の営みで、花はその表象

2016年05月03日 11時25分01秒 | 社会・文化・政治・経済
ひらがなが成立する900年ごろを境に、日本の文化は大きく変わったという。

その証が「古今和歌集」。
ひらがなで書かれた歌は、大半が恋か季節を歌い、季節の歌も恋歌の意味が重なっている。
「性愛の歌ばかりせす」
なぜか。
政治、宗教、哲学の表現は漢語が担っており、その分野の詩で、ひらがなは漢詩に対抗できない。
「でも、人間が生きるうえで最も大切なことは、そこからはみ出した部分にある。
男女の仲です。
男女が出会い、恋をして子どもが生まれる。
正に生の営みで、花はその表象です。
そこを歌うのに、ひらがなは適していた。
漢字に比べ、長々と書かないといけないが、その代わり、滑らかに考え、言葉を紡ぎ出し、書けるようになった。
そこからできた詩が和歌です」
<花>の構造 石川九楊著 鈴木敬吾評

映画の物語はもうひとつの人生のように

2016年05月03日 11時02分27秒 | 社会・文化・政治・経済
映画は人々の人生を豊かにし、その世界は新たな可能性を示唆するでしょう。
映画が誕生してまだ100年と少しですが、その可能性はますます広がっています。
そしてそれたは世界中の多種多様な文化を体現することができる優れたメディアであり、物語はもうひとつの人生のようにそれを見た観客を魅了します。
映画監督・河瀬直美さん

それで善いのだと納得

2016年05月03日 10時42分23秒 | 日記・断片
我々人間は、何時か終わりを迎える。
その終わりは今日かもしれない。
先のことは誰もわからないことだ。
それゆに生かされているのだと実感する。
今朝の散歩でも出会いがあった。
「おはようございます」相手の元気な声に思わず笑みがこぼれた。
日々の生活に感謝する思いである。
やり残したことが多いような気もする。
でも今は1日1日の些細なことの積み重ねである。
それで善いのだと納得する。
どこかに小旅に出たいと思うこともあるが・・・