今いる場所こそ、最高の学びの場

2016年05月27日 12時04分34秒 | 社会・文化・政治・経済
★行動は思想の完成であり公表である―エマソン
★「何とかなるだろう」
曖昧さは楕性であり敗北につながる。
「絶対に勝つ」と決意し、実行することだ。
★不屈の「前進」の中に「希望」があり、「発展」はある。
「幸福」「勝利」もある。
★「臆病の壁」を打ち破る。
★一人立ち上がり、勇気と執念の行動げ道を開く。
★われわれは「良き市民」の輪を広げるために行動するのだ。
★今までの固定化観念から脱皮する。
★今いる場所こそ、最高の学びの場。
最高の結果を出すのだ。
★だれにでも皆、必ず使命がある。
それを見つけるために、まず目の前の「現実」から逃げないこと。
逃げずに頑張る「くせ」をつけることだ。

偏見や無理解の壁を打ち破る

2016年05月27日 11時41分46秒 | 社会・文化・政治・経済
「外交とは、結局。人民と人民の友好である」
中国の周恩来総理の信条。
私生活においても、新たな友情を育む、疎遠だった知人と再会する、主張が違う人と対話するなど、他者と交流する“外交”の機会は少なくない。
一度きりではなく、度重なる「粘り強い」交流が、信頼を深め、友情を強固なものにしてきたといえよう。
「本来、外交というのは、一度や二度で思い通りの結果が出るほど、甘いものではない。壁が厚ければ、厚いほど、闘志を燃え上がらせて、粘り強く立ち向かっていく」
くじけず、徹し抜く姿勢が友情の扉を開く。
「誠実な振る舞い」は、無理解の人も味方にする、といことである。
労をいとわず、一人のために尽くす姿勢は、偏見や無理解の壁を打ち破る。

映画「葛城事件」

2016年05月27日 11時16分59秒 | 社会・文化・政治・経済
『葛城事件』は無差別殺人事件を起こした男の家族を描いた映画。
2001年に起きた実話である小学生無差別殺傷事件の『附属池田小事件』がベースと言われている。
出演者のコメントとあらすじ、感想まとめ。
更新日: 2016年05月14日

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監督・脚本 赤堀雅秋
この物語は、対岸の火事ではなく、我々の地続きにある。
ある家族の話。
無様に、愚かに、それでも必死に生きる人間の姿。
観客の心を強く揺さぶる作品になるという自負があります。
極めておこがましい言い草ですが、これは三浦友和さんの代表作になると、僕自身は勝手にそう思ってます。
強くそう思ってます。
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我執の強い父親が家庭を崩壊させていくさまがあまちにリアルで怖い。
葛城清(三浦友和)が思い描いた理想の家庭―それは美しい妻と優秀な2人の息子に囲まれ、立派なマイホームで暮らすこと。
だが思い通りにならない現実に、家庭を抑圧的に支配するようになる。
妻は心を病み、従順な長男はリストラされたことを明かせず自殺、反抗的な次男は無差別殺傷事件を・・・
「俺がいったい何をした? 俺だって被害者なんだ」との清の叫びが強烈だ。
映画ライター・増沢京子さん

日本人らしさとつながっている

2016年05月27日 10時50分24秒 | 社会・文化・政治・経済
日本に息づく縄文の伝統

アイヌの文化は、「わび・さび」とう日本的な文化とは対極です。
同じ縄文人お祖先に持ちながら、「どうしてこれほど異なっているのでしょうか。
近年、アイヌこそが縄文文化人の正統な末裔であることが、さまざまな研究や調査で分かってきています。
現代の日本列島に暮らす人々のDNAを分析した研究によると、本土人、琉球人、アイヌは、DNA的には直線上に並んでおり、この順で東南アジア人殻』離れています。
さらに、アイヌの先には縄文人が位置していることが分かってきています。
縄文人かた本土人につながる歴史は、日本史として知られています。
ところがアイヌの歴史については書物も少なく、本土人から見たアイヌの記録が残っているにすぎません。
古代にさかのぼると、アイヌは全くイメージが異なります。
アイヌは北海道で孤立して暮らしていたわけではなく、縄文の伝統を残しながら狩猟・漁労を行い、本州の人たちとも交流し、生活していたもです。
1万年以上続いた縄文時代といのは自然と密接に関わる中で、自然との共生を成し遂げ、自然とともに暮らしていたのです。
そこに、約3000年前、大陸から農耕民が入ってきて、縄文人と混じり合い、弥生人となり現代へとへと続いています。
この時、混じり合うことをよしとしなかった人々が、アイヌや海民(漁労を生業とする人々)として、現代に縄文の伝統を伝えていると考えられています。
長崎、大分、瀬戸内海の各地にいた漂海民(船上生活者)には、アイヌと同じように、抜歯や入れ墨などの縄文習俗が見られます。
また、物の売買に対する忌避などの縄文伝統も残っています。
自然からの贈り物である獲物を、単純に人にあげたり、金銭で売買できないという感覚です。
そこには、商品経済以前に行われていた暮らし方や伝統があるのです。
縄文と弥生の文化は全く異質です。
例えば、弥生文化に特徴的な、金属器の使用、社会の階層化、集団同士の争いなどは、縄文文化ではほとんど見られません。
日本列島にもともとあった縄文伝統は、最終的に日本語と水耕稲作文化に取り込まれ、弥生文化へと変わっていきます。
しかし、そこに至る過程は一様ではなく、弥生時代以降も、各地に縄文の伝統が残存していたのではないでしょうか。
弥生文化によって縄文文化はく駆遂されたのではなく、縄文文化をうまく取り込みながら、弥生文化は発展していったと考えられます。
アイヌや海民が伝える縄文伝統を調べていくと、自然と共生してきた日本人の源郷の思想が浮かび上がってきます。
それは日本人の底流に流れる、日本人らしさとつながっているように思えるのです。
旭川市博物館館長・瀬川拓郎さん