勇気・執念・闘志の一念が全てを変える

2022年05月21日 11時50分19秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

▽批判するだけでは、物事は進まない。
▽偉大な仕事というものは、自ら責任を担い立つ、勇敢な人によって為されていくといことである。
▽人に「やらされている」という暗い意識があるかぎり、本当に一流の仕事は、絶対にできるものではない。
▽強い心をもち、生命力があふれた自分であれば、どんな試練にさらされても、負けることはない。
▽「勇んで行動する」勇気。
「智慧の限りを尽くす」執念。
どんな壁に突き当たっても諦めない闘志。
▽「団結」とは、崇高な目的に向かって心を合わせ、それぞれの力を存分に発揮していく戦いだ。
▽何よりも、自分自身の惰性、油断、臆病の内なる弱い心を破る戦いだ。
▽マンネリ化した古い発想、人を縛る固定観念などを打破していく戦いでもある。


人新世の「資本論」

2022年05月21日 11時50分19秒 | 社会・文化・政治・経済
 
斎藤 幸平  (著)
 
【「新書大賞2021」受賞作!】
人類の経済活動が地球を破壊する「人新世」=環境危機の時代。
気候変動を放置すれば、この社会は野蛮状態に陥るだろう。
それを阻止するには資本主義の際限なき利潤追求を止めなければならないが、資本主義を捨てた文明に繁栄などありうるのか。
いや、危機の解決策はある。
ヒントは、著者が発掘した晩期マルクスの思想の中に眠っていた。
世界的に注目を浴びる俊英が、豊かな未来社会への道筋を具体的に描きだす!
【各界が絶賛!】
■佐藤優氏(作家)
斎藤は、ピケティを超えた。これぞ、真の「21世紀の資本論」である。
■ヤマザキマリ氏(漫画家・文筆家)
経済力が振るう無慈悲な暴力に泣き寝入りをせず、未来を逞しく生きる知恵と力を養いたいのであれば、本書は間違いなく力強い支えとなる。
■白井聡氏(政治学者)
理論と実践の、この見事な結合に刮目せよ。
■坂本龍一氏(音楽家)
気候危機をとめ、生活を豊かにし、余暇を増やし、格差もなくなる、そんな社会が可能だとしたら?
■水野和夫氏(経済学者)
資本主義を終わらせれば、豊かな社会がやってくる。だが、資本主義を止めなければ、歴史が終わる。常識を破る、衝撃の名著だ。

【おもな内容】
はじめに――SDGsは「大衆のアヘン」である!
第1章:気候変動と帝国的生活様式
気候変動が文明を危機に/フロンティアの消滅―市場と環境の二重の限界にぶつかる資本主義
第2章:気候ケインズ主義の限界
二酸化炭素排出と経済成長は切り離せない
第3章:資本主義システムでの脱成長を撃つ
なぜ資本主義では脱成長は不可能なのか
第4章:「人新世」のマルクス
地球を〈コモン〉として管理する/〈コモン〉を再建するためのコミュニズム/新解釈! 進歩史観を捨てた晩年のマルクス
第5章:加速主義という現実逃避
生産力至上主義が生んだ幻想/資本の「包摂」によって無力になる私たち
第6章:欠乏の資本主義、潤沢なコミュニズム
貧しさの原因は資本主義
第7章:脱成長コミュニズムが世界を救う
コロナ禍も「人新世」の産物/脱成長コミュニズムとは何か
第8章 気候正義という「梃子」
グローバル・サウスから世界へ
おわりに――歴史を終わらせないために
 
【著者略歴】
斎藤幸平(さいとう こうへい)
1987年生まれ。大阪市立大学大学院経済学研究科准教授。ベルリン・フンボルト大学哲学科博士課程修了。
博士(哲学)。専門は経済思想、社会思想。
Karl Marx’s Ecosocialism:Capital,Nature,and the Unfinished Critique of Political Economyによって権威ある「ドイッチャー記念賞」を日本人初歴代最年少で受賞。編著に『未来への大分岐』など。
 
 
日本企業で働くサラリーマンという立場から書評を書きます。これまでマルクス主義者が書いた本は何冊か読んだことがあったのですが、その中ではかなり読みやすく説得力もある本だとは感じました。
ただ一貫して大きな違和感を持ち続ける本でもありました。まず本書の主題でもある「脱成長コミュニズム」という言葉。著者が言わんとしている「脱成長」とは、資本主義の否定だと言うことですが、はたして「成長」は資本主義の専売特許なのでしょうか。何の成長なのかがより大事なのではないでしょうか。
著者が批判する成長とは資本の増殖(成長)であって、それはGDPなどの経済指標が18世紀から指数関数的に増加していることから見て取れます
そしてこれを追求するのはもうやめよ(つまり端的にはGDPの極大化、永遠の成長を目指すな)ということで、これはそうだろうなと思う一方、著者が本書で主張しているのは別のモノの成長を追求せよというメッセージではないでしょうか。それは「使用価値」の追求であり、連帯感、環境意識、コモンズが成長する社会を構築しようということでしょう。
そうであれば、著者は「成長」という概念をマルクスで鍛え直そうと言うべきであって、「脱成長コミュニズム」という言葉は、申し訳ありませんが私には響きませんでした。つまり脱成長ではなく、「資本では無い別のモノ」を成長させようというふうに主張すべきなわけです。

2番目に違和感を持ち続けたのは、著者が描く企業観です。著者は一貫して株主がいる会社の存在を否定していますが、たとえば日本企業に目を向けると、そこまでひどい企業ばかりとは思えません。
企業経営者の中には、本気で利潤獲得と社会正義の両立を目指して事業をしているところもあり、協同組合型ではない企業はすべてダメだと一刀両断する姿勢はあまりに幼稚でしょう。こういう企業経営者こそが大いなる矛盾に日々悩んでいるのです。
もし著者が、企業で働いた経験があったり、NPOを立ちあげるなど何らかの「行動」を起こしているのであればまだ説得力はあるのですが、本書を通じて「それであなたは何か行動しているのですか?」という問いかけが常に頭に浮かびました。
また本書には、銀行や保険、コンサルティングなど高給取りほど使用価値のない仕事(ブルシット・ジョブ)だから無くして大丈夫だという話も出てきますが、それなら経済学者のなかには害をもたらしている人もいるんだから(全員ではありませんよ)、そういう人々は使用価値がないどころか、マイナスだろう、とは思いました。
つまり「この職業はブルシットだ」というような「イチかゼロか」論ではないのです。
本書を通じて感じたのは、著者はイチゼロ論を進めるクセがあるようですが、それこそが危険思想なのです。大企業イコール悪、というような思考様式で、このような思考様式はある意味で思考停止状態を生み出してもいるからです。
私は企業人ですからバイアスがかかってしまうのですが、利潤獲得という命題に従いながらも、気候変動や格差問題に本気で取り組む企業は(少なくとも日本には)存在していて、日々多くの矛盾に直面しながら苦闘している企業人がいる、ということは主張したいと思います。
 
 

最初に。無限の経済成長はありえないので、今、資本主義市場経済は数百年の寿命を迎えつつあると私は考えています。
ヴォルフガング・シュトレークも論じているように、高度成長が終わった70年代から、資本主義システムはケインズ的な再分配重視の政策のままでは自らを存続させることができなくなり、延命のために規制緩和と金融化を推し進め、同時に国家の債務の累積が起きましたがそれは「時間稼ぎ」でしかなく、その帰結がリーマンショックでした。
それも国家や中央銀行の介入によってなんとか脱したように見えますが、単に負担を外部に転嫁し危機を先送りにしたに過ぎません。
そもそも資本主義と民主主義には本質的にズレがあり、双方が「幸福な結婚」をしていた高度成長時代がむしろ例外的なのです。
資本主義は自らが存続の危機に陥ると、民主的な公平性を振り捨てて資本の自由のみを優先するようになり、今の民主政治の危機に至ります。
今世界を覆っている政治の混乱も、根本的な原因は資本主義市場経済の行き詰まりにあるのです。
 中世と近代の間に「近世」という移行の時代があったように、今は近代と次の時代の間の移行の時代だと考えています。
資本主義へ問題意識をもっているという点では(彼とは異なる角度からですが)、斎藤さんと同じです。
しかし、その解決策として、生産を社会的な計画のもとに置くアソシエーショニズムを持ち出したことには、全く納得できません。
 全体を読んで、部分的に学ぶところはさまざまありました。冷笑主義が蔓延る現代日本で、理想をもって社会を語る著者の勇気には大いに敬意をもちます。
資本主義を自明化することなく問題化するという点で、本書の意義は大きいものがあると思います。
しかし、「あえて」星ひとつをつけます。それは、もう人類には失敗する余裕は無いと考えるからです。20世紀の共産主義の失敗の歴史に学ばなくてはなりません。わたしたちは、真に実現可能な資本主義市場経済のオルタナティブを目指す必要があります。
 アソシエーショニズムといっても、具体像がきわめてあいまいです。人々が生産手段を自律的、水平的に共同管理するという生産の次元に焦点をあてた解決策を提示しますが、全体の経済システムがどのように動くのかのヴィジョンが見えません。
要は、ミクロの生産現場はそれなりに論じられているのですが、マクロの視点が弱いのです。マルクスは生産に焦点をあてたのに対し、彼が(不当に?)批判したプルードンは流通の変革を志向します。わたしは、これからのことを考えるにはマルクスよりもプルードンのほうに学ぶべきことが多いと思います。
 人間の経済活動とは「システム」です。システムはひとつの生き物のようなもので、その中で個々はそれぞれの機能を果たしつつ他と有機的な連携を保って全体を構成しています。
分業に否定的なマルクスは、経済活動がシステムであるということをあまり理解していないように見えます。
分業は人間の経済活動から必然的に生じます。人間の経済活動がシステムであるということは、全体を管理し計画することは不可能ということです。人間の理性には限界があります。人間は、限定合理的な存在です。人間は、経済システム全体を設計することはできません。
契約論的・啓蒙主義的な構築主義は現実の経済システムに適用することはできません。人間の自律性や理性の限定性をアソシエーショニズムは理解していません。
柄谷行人がNAMで失敗したのもそこに根本的原因があると思います(青木孝平さんが「コミュニタリアニズムへ」でアソシエーショニズムを徹底的に批判しています)。
経済全体の管理計画を無理にやろうとすれば、著者の批判する、一部の官僚が全体を計画的に管理する非効率的で抑圧的な旧ソ連のような国家体制に「必然的に」陥るでしょう。
この点で、ハイエクが「隷従への道」でいっていることは正しいと思います(わたしは新自由主義者ではないし、ハイエクは嫌いですが)。
 交換無くして社会は無く、貨幣なくして交換はありません。資本主義市場経済と市場経済は別概念です。市場経済はいままでもずっとあったしこれからもずっとあり続けるでしょう。
しかし、資本主義市場経済は市場経済の一バリエーションで、ここ数世紀の歴史しかない経済システムなので、永遠ではありません。経済成長しつづけなければ自壊する資本主義市場経済システムはもう限界を迎えています。
社会主義や共産主義、アソシエーショニズムが解決策にならないとしたらどうすればいいか?
 わたしは、マルクスが不当に批判したプルードンに影響をうけた、シルビオゲゼルの貨幣改革論が議論の俎上にのせられるべきと考えます。
管理経済は不可能であるとするなら、市場経済の「質」を変えるしかありません。そして、市場経済の質は、それを成り立たせている貨幣の質によって決定します。
経済活動の「媒介」となる、コミュニケーションメディアとしての貨幣を変えることで市場の質は変わります。
社会システム理論によれば、実体があって関係があるのではなく、まずはじめに関係があって後に実体があると考えます。経済において実体とは生産や消費、関係とは貨幣による交換のことです。
交換のあり方が生産や消費を決定するのです。生産に焦点を当てた共産主義やアソシエーショニズムの変革は順序が転倒、逆立ちして現実に合わないので失敗してきたのです。
生産・流通・消費のうち「流通」に焦点をあてたプルードンは正しいのです(ただしアナーキズムには疑問がありますが)。
 シルビオゲゼルは減価する貨幣、つまり時間と共に少しずつ価値を減らしていく「腐るお金」を提唱しました。少しずつ価値を減らしていくのでお金を持つ人々は手元にずっと持つのではなく、お金をつかおうとします。
お金が一部に留まって経済活動が停滞することがなくなります。
そして、手元に置いていたら少しずつ価値を減らしていくので、「利子」もありません。資本主義では事業を始めるためのお金を借りるときに金利が発生します。
借りたときより多い額を返さなくてはなりません。だから、経済全体が成長しないと事業が成り立たなくなる企業が増えるのです。
しかし、お金が腐っていくならば、資本主義のように「貸し手が借り手より強い立場」ではなくなるので、利子もなくなります。
経済全体が成長しなくても、財やサービスが社会を良好に循環するエコロジー市場経済に移行します。わたしは、これこそが資本主義市場経済のオルタナティブと考えます。
 このゲゼルの提案をケインズは、流動性があるのは貨幣のみではないので貨幣の減価は意味がないと批判していますが、彼自身がインフレ化による貨幣の減価を推奨するという矛盾をさらけ出しています。
ケインズは、マイナス金利を課すと、他の貨幣を代替する資産に移行してしまうから導入困難と指摘していますが、世界ではインフレ減価がよく発生している現実と矛盾しています。
インフレによる減価が起きている国でも、それが常識的な範囲なら、通貨はきちんと流動性を維持しています。
このケインズの見立て違いの要因は、貨幣の統治性を見落としているところにあります。
貨幣は、その歴史で見ると、租税手段として認められることで、その流動性を得ています。
このため、統治安定と納税技能がある限り、仮にある程度インフレやゲゼル式の減価が発生しても、それがある程度の水準におさまるなら、流動性が弱まるということはないでしょう。
ケインズは、貨幣と他の財貨との違いは流動性の程度に過ぎないと見なしましたが、そうではないのです。
貨幣は国家の統治と一体の、特別な商品なのです。ケインズは自分の思想がオリジナルでないことを隠すためか、前任者を批判し続けましたが、ゲゼルの存在がなければケインズは一般理論を書けなかったでしょう。
 フロンティアが目の前に無限に広がっていた時代、経済成長する余地の多かった時代、自然利子率がプラスの時代は、プラスの利子率の貨幣金融制度が必要でした。
その意味で資本主義経済システムはその時代に必要な経済システムでした。しかし現代は、自然利子率がプラスであることが当たり前ではなくなった時代です。
今の貨幣金融制度(自然利子率がプラスであることが前提)の基礎は19世紀に生まれたと言われています。
しかし、それももう歴史的役割を終えました。自然利子率がマイナスである時代には、それに応じた貨幣金融制度が必要です。それが、シルビオゲゼルの提唱した「腐るお金」です。
これは彼の提唱した時代にはスタンプ貨幣という複雑で手間のかかる方法が必要でしたが、現代は電子マネーがあるので、やる気があれば十分実現可能だと思います。緩やかなインフレがどうしても起こらなくなった現代には、減価する貨幣が必要です。
 長いレビューを最後まで読んでくださった方には、ぜひ、岩村充さんの「貨幣進化論 成長なき時代の通貨システム」、そしてアソシエーショニズムの不可能性を論じた西部忠さんの「資本主義はどこへ向かうのか」(複雑系経済学やルーマンの社会システム論からアソシエーショニズムについて論じています)、塩沢由典さんの「複雑系経済学入門」、青木孝平さんの「コミュニタリアニズムへ」を読んでいただきたいと思います。
現状分析にはシュトレークの「時間かせぎの資本主義」と「資本主義はどう終わるのか」、そしてウェンディブラウンの「いかにして民主主義は失われていくのか」がいいでしょう。
人間の経済を理解するためには社会システム論が重要です。複雑系科学もそうでしょう。何よりも、システム論的に経済を考える事が重要です。市場とは、貨幣というコミュニケーションメディアによって形成される自律分散的なネットワークです。
共産主義やアソシエーショニズムはそれを全く理解していないから、失敗するのです。市場経済そのものを否定するようなマルクスの思想は人間の自然性に反しています。人間とは、言葉や貨幣などを「交換」する生き物だからです。
その交換のネットワークから自生的に秩序が生まれてくるのに、それをすべて理性で管理できると考えるのは間違いです。そのことを踏まえた変革、つまり貨幣改革による「市場の体質改善」が必要です。
 
 
【すぐ上のレビューに関して】
同じ本を読んだとは思えない、不思議なレビュー。
12月30日に投稿されたレビューが丁寧に論点整理してくださっているので
気になる人は読まれてみてはいかがでしょうか。

【初読の際に書いたレビュー】
「SDGsは大衆のアヘンである!」という強烈な出だしに、アドレナリンが出てしまい、徹夜に近いかたちで、ひといきに読み終えました。最後まで面白い。素晴らしすぎる。

絶対的におすすめしたいのは、こんなことを思っている人たち。
資本主義は限界がある。それはそう。だけど、どうする? どういう未来を描く?

この本では、他の書が太刀打ちできないほど、具体的に、未来の絵柄が描かれています。
そのキーワードは<コモン>。<コモン>の領域を生産の次元で広げていく
新しい社会の可能性に心が躍りました。
 
 
 
 
現代は、人間の経済活動が地球の表面の隅々までを覆い尽くし、環境破壊・気候変動が深刻な時代である。地質学的には、いわゆる「人新世」と呼ばれる時代に突入しているが、一体何がこのような事態を引き起こしたのかと言えば、それは行き過ぎた資本主義のせいだ、と言わざるを得ない。
資本主義というシステムは、地球環境を含めたあらゆるものを収奪し、それに伴う負担を外部に押し付けて不可視化し、無限の経済成長を続けることによって、地球環境を危機に陥れ、ひいては我々人類の生存をも脅かそうとしているのである。
また、ごく少数の大富豪が世界の半分以上の富を独占している事実からも分かるように、資本主義はごく一部の人々だけが潤い、後の大多数の人間が彼らに搾取され続けるという、我々一般人にとっては全く救いのないシステムでもある。
そんな現代で再評価されているのが、カール・マルクスの思想である。古臭い左翼思想だと笑うなかれ。マルクスの思想は、有名な『共産党宣言』『資本論』ではごく一部しか表れていないのである。マルクスは、その晩年に至るまで真摯な研究を続けており、その思想は年を重ねるにしたがって大きく転換していったという知られざる事実がある。
晩年のマルクスが唱えたのは、「脱成長コミュニズム」とも呼ぶべきもので、これは今までどの社会主義国家も実現出来なかったものであった。その詳しい内容については、本書を読んでもらう他はないが、従来のマルクス主義とのあまりの違いに驚かされるのは間違いない。
本書は、右派のみでなく、甘っちょろい左派・リベラル派も超越した内容である。イデオロギーに囚われることなしに読んでもらいたい一冊である。
 
 
 
 
 
 

受け身の姿勢では、本当の力はでない。

2022年05月21日 10時51分19秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

▽どん底を知るからこそ、浮上できるのだ。

▽受け身の姿勢では、本当の力はでない。
何事も主体者の自覚で、自発能動の挑戦を!

▽課題の明確化がストレス減の近道。

▽立場や状況などは人それぞれ異なる。
それでも心を一つにして同じ目的に立ち行動することで、これまでにない大きな力を結集できるものだ。
▽たとえ一人になっても、私は進む「一人立つ」強さが不可欠だ。
▽竹のようにしなやかに、一人一人が強く支え合う。


悔しさをバネにする

2022年05月21日 10時39分02秒 | 沼田利根の言いたい放題

勝負の世界は悔しさの連続!
その中で、逆転勝利をいかに呼び込むかだ。
つまりは、非常識、逆転の発想に徹することができるかどうかが常に問われているのだ。

苦戦をどう乗り越えるかによって、人の真価は決まる。

何事にも全力で!

同じ負け方、同じ勝ち方でも、それをどう捉え次に生かすかだ。


阪神 12回、痛恨エラーから勝ち越し許す チームは22試合ぶり4失点以上に

2022年05月21日 06時12分39秒 | 野球

デイリースポーツ - 昨日 22:48

「阪神2-6巨人」(20日、甲子園球場)

延長12回、中野は中山の打球をエラーする(撮影・山口登)
 阪神が十二回、勝ち越しを許した。

 この回からアルカンタラが登板。先頭中山を遊ゴロに打ち取ったかと思われたが、中野が失策し、出塁を許した。嫌な空気が流れると、続く岸田の初球は死球。無死一、二塁から、丸には右前打を打たれ、満塁となった。

 ここで立岡には右前適時打。アルカンタラはここで降板となった。

 さらに渡辺は代打・中田に中前2点適時打。9番手・石井大がマウンドに上がった。

 21試合連続3失点以内の記録もついにストップした。

 打線は九回2死一塁、大山が起死回生の同点2ラン。執念で延長に持ち込んだ。