利根輪太郎の競輪人間学 拘りは美学か?

2022年05月08日 09時00分50秒 | 未来予測研究会の掲示板

拘りは、柔軟性のなさの証ではないだろうか。

毎度のようにスタートを取りに行き、結果として、勝負どころで後方に置かれ、捲り不発で敗退する選手が少なくないのだ。
一方、我々も柔軟性がないことが否めない。
藤代の武蔵さんは、「何点も買って、どうするんだ。2点、3点に絞れ!」と買い目に拘る。
だが、3連単車券で、買い目を2、3点に絞って的中させることは、ほぼ無理!
抜け目にやられることが、ほとんどなのだ。
実際には、<要らない目>などないのだ。
不利の位置と思われる別のラインの3番手選手でも、展開次第で、車券に絡むのだ。
「抜け目がきた」と嘆く声ばかりである。

「引き際が良いこと」・・・・ギャンブルは「引き際」というか「諦め」の美学だと思ってます。

だが、諦めてばかりいられません。 

悔いを残さないこどだ。

裏目に泣くなら、複勝の3百円でも、収支はプラスになるのもだ。

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伝統的に美学は「美とは何か」という美の本質、「どのようなものが美しいのか」という美の基準、「美は何のためにあるのか」という美の 「自分の視点」でとらえ直し、物事の“本質”を見極める力を。

「独特の価値観や考え方」 のことだと解釈してください。 人それぞれ特有にもっているもので、それまでの体験や経験からきている場合が多い。

「男の美学」 は、 「男性とはかくあるのが美しい」 という信念を表す言葉です。

 


利根輪太郎の競輪人間学 シンプルイズベスト

2022年05月08日 09時00分50秒 | 未来予測研究会の掲示板

GⅠ いわき平競輪 日本選手権

最終日(5月8日)の11レース決勝戦

情報過多の時代でもある。
そこで、輪太郎は情報を極力、制限することにした。

あれだ、これだと迷いの元となる余計な情報を排除するこことした。
情報の過多は時には戸惑いとなり、予想行為に少なからず影響するものなのだ。

シンプルイズベスト:単純素朴であることが最良である、という意味の英語の表現。

並び 8-1-4 5-2-9 7(単騎) 3-6

レース評
脇本がカマシも含めた豪快な自力戦で2度目のダービー王に輝く。古性が迫って対抗だが好調な真杉を利す平原もV機十分。

力を重視して8-2の3連単で勝負する。

押さえは、8-9 8-1 8-3

世界の8番脇本 雄太選手であり、ものが違うはず!
日本人選手相手に、決勝戦では2着はないとシンプルに期待する。

あれこれ、迷う必要はない!

それは期待値であり、現実的な予想行為でもあった。

結果

8-9 2,520円(9番人気)

8-9-7 1万8,320円(56番人気)




選手名 着差 上り 決ま
り手
S

B
勝敗因
1 8 脇本 雄太   11.1    
2 9 佐藤 慎太郎 1車身1/2 11.1    
  3 7 守澤 太志 1/4車輪 11.0      
× 4 2 平原 康多 1/4車輪 11.3      
5 1 古性 優作 1車身1/2 11.3      
6 6 荒井 崇博 3/4車輪 11.3      
7 3 清水 裕友 1車身1/2 11.4      
  8 4 東口 善朋 1車身1/2 11.4      
  9 5 眞杉 匠 大差 13.0   B

 戦い終わって

戦い終わって写真

 平原康多を連れた真杉匠の気迫が凄く、打鐘では全開の先行勝負。単騎の守沢太志がこれを追って中団には清水裕友、そして後方に脇本雄太となった。真杉はグングン加速し、飛ばしたが脇本が最終ホームから巻き返し開始。抜群の初速で最終バック過ぎには関東勢に並んだ。平原も併せて出たが遅かった。脇本が力でねじ伏せ二度目のダービー王に。2着は脇本マークの古性優作を捌いた佐藤慎太郎が入り、3着に中割りを狙った守沢が入った。
 脇本は「決勝だからと言って変化を付けず、いつも通りのレースをしようと思っていた。平原さんを乗り越えてからは記憶がなくなるくらい力を出し切った。ハンドルを投げてからは一秒くらい『あれ?優勝したの』ってなりました。そのくらい自分の力を出し切れた。ここまで来るのに決して楽な道のりでは無かったけど、段階を踏んで闘える力は付けた。まだ完調とはいかないけど、闘う気持ちは戻ってきました。お客さんの声援が凄くてこれがG1だなぁと。今年は出られるG1が限られている中で、G1を獲ってGPに出るという最低限の目標は達成した。あとは近畿の選手をGPに連れて行けるように。今年は前半戦がまだ終わってないし、気持ちを緩めずに。目の前の一戦一戦を大事に闘っていきたい」。
 佐藤は「顔見せの段階でお客さんの熱気が凄かった。お客さんは熱いね。競輪選手という職業は素晴らしい。真杉も平原も気持ちが伝わってきたレース。地区は違うけど、最後まで心中しようと。このラインで勝てないなら仕方ないと思って走っていた。ワッキーが捲ってきてタテに踏んでも良かったけど、まずは古性を止めた方がいいと思って判断した。先に踏んでもワッキーの優勝は変わらなかったね。唯一想定外だったのは4角回って守沢がヘッドパンチしてきたとこ(笑)。でもプロとして4角回ってから1着を取りに行くのは当たり前だし、本気だっていう良いレースを魅せられたと思う」。
 守沢は「シビアに行きました。その為に単騎でやった。一回当たって普通の選手なら抜けるけど、慎太郎さんの壁が厚かった。自分の想定していた展開で勝負はできました」。
 

 

 


あの胸が岬のように遠かった

2022年05月08日 09時00分50秒 | 社会・文化・政治・経済
 
 永田 和宏  (著)
 
熱く、性急で、誠実でありたくて傷つけあった――。

「二人の人を愛してしまへり」――没後十年、歌人の妻が遺した日記と手紙300通から
夫が辿り直す、命がけの愛の物語。


「知らぬまま逝ってしまった きみを捨て死なうとしたこと死にそこねたこと」
「わたくしはあなたにふさはしかつたのか そのために書き、書き継ぎてなほ」――。

ロングセラー『歌に私は泣くだらう――妻・河野裕子 闘病の十年』、最期の日まで
愛を詠み続けた二人の物語は、この青春の日々から始まった。

反響を呼び、「書籍化はいつ」と問い合わせが相次いだ長期連載、ついに発売! !
連載名「あなたと出会って、それから……」

NHKドラマ「あの胸が岬のように遠かった~河野裕子と生きた青春」原作
柄本佑さん(永田和宏役)、藤野涼子さん(河野裕子役)さんが主演、
初回放送はNHK4Kで2022年3月30日(水)朝3時半から、NHKBSプレミアムで22年春放送予定

NHK BS1スペシャル「ほんたうに俺でよかつたのか」(2022年2月25日放送、3月10日再放送)で大注目

<目次>
はじめに

湖に降る雪ふりながら消ゆ
風のうわさに母の来ること
消したき言葉は消せざる言葉
手を触るることあらざりし口惜しさの
わが十代は駆けて去りゆく
青春の証が欲しい
さびしきことは言わずわかれき
二人のひとを愛してしまへり
あの胸が岬のように遠かった
きみに逢う以前のぼくに遭いたくて
わが頬を打ちたるのちに
わが愛の栖といえば
はろばろと美し古典力学
泣くものか いまあざみさえ脱走を
おほよその君の範囲を知りしこと
「夏がおわる。夏がおわる。」と
寡黙のひとりをひそかに憎む
今しばしわれを娶らずにゐよ

附記
おわりに
 

著者について

ながた・かずひろ
1947年滋賀県生まれ。歌人・細胞生物学者。京都大学理学部物理学科卒業。京大再生医科学研究所教授など
を経て、2020年よりJT生命誌研究館館長。日本細胞生物学会元会長。京大名誉教授。京都産業大名誉教授。
歌人として宮中歌会始詠進歌選者、朝日歌壇選者をつとめる。 「塔」短歌会前主宰。読売文学賞、 迢空賞など
を受賞。2009年、紫綬褒章受章。近著に『知の体力』『置行堀』(第十五歌集)。

河野裕子と1972年に結婚。2010年、64歳で亡くなるまで38年間連れ添った。
最後の日々を綴った著書に『歌に私は泣くだらう――妻・河野裕子 闘病の十年』。
 
 
 
からこそ生まれてきた歌だったんだと、改めて手元にある歌集を読んでいます。もう一度人生を歩めるならとも想わせて、貰いました。
 
 
歌を詠むことを通し、互いの距離が徐々に縮まっていく、若く不器用な二人の愛の軌跡。
 
 

歌人・学者の永田和宏氏のこの『あの胸が岬のように遠かった』の、
『週刊新潮』最新号裏表紙直前の宣伝広告が良い。

この本、凄いなぁ。『波』での連載をずっと読んでいたが、この京大名誉教授、いろいろ苦労しているよう。
しかし、歌人で学者という、ある意味超人的な作者の「涙の物語」。
もう、TVドラマにもなっているという。
凄いなぁ。
謳い文句:「熱く、性急で、誠実ゆえに傷つけあった――」。
激しくもうらやましくなるほどに、上手いなぁ。
もう、買って読むしかないだろう。

今、蔵書整理中に出てきた、このわたくしの前の女房への恋歌とは、随分と次元が違うなぁ。

*ところで、この本のあとがきによると、永田氏、
結婚式以来ウン10年間のいままで、ずっと散髪は自分でやってきたとか。
それだけでも、「超人」だ。

**わたくしツマ井、昨日久々に散髪屋に行ってまいりました。
客が何人もいたのて、ひたすら順番を待ちました。長かった!
どうやら、わたくし、超人ではないようです……。

***『波』5月号にある、梯久美子氏の、この本の短評。
『歌に私は泣くだろう』での、「お父さんを頼みましたよ。お父さんはさびしい人なのだから、ひとりにしてはいけませんよ」と〔臨終前の奥さんの〕河野が〔遺される夫の頭を抱き寄せて髪をなでながら〕子供たちに語りかけた、という引用文。
滅茶滅茶滅茶、泣けてきますよね。
心無い人にも、「ずしーん」とくると思うわ。
 

 

 
 
 
 

親鸞と道元

2022年05月08日 08時40分29秒 | 社会・文化・政治・経済

平岡聡  (著)

救いか、悟りか。
念仏か、坐禅か。
信心か、修行か――

今なお計37000の寺院数を誇る浄土真宗と曹洞宗。それぞれの宗祖である親鸞と道元は、ともに鎌倉仏教の旗手として斬新かつ独創的な思想を展開、日本仏教の行く末を大きく変えた。しかし両者を比較すると、「念仏(南無阿弥陀仏)と坐禅(只管打坐)」「救い(絶対他力)と悟り(修証一等)」など、極めて対照的。同じ仏教を掲げながら、なぜここまで違うのか――。多様で寛容な日本仏教の魅力に迫り、宗教の本質を問う。

出版社からのコメント

(目次より)
序章 生涯と思想
親鸞の生涯/如来より賜りたる信心/道元の生涯/身心脱落:仏道修行の出発点etc

第一章 機と法
否定的な人間観/最低最悪の自己と無我/末法観の相違etc

第二章 出家と在家
「非僧非俗」の意味するところ/出家至上主義/仲間(同朋)とともに/無戒の親鸞/持戒の道元etc

第三章 師匠と弟子
法然と親鸞/如浄と道元/親鸞と唯円/道元と懐奘/「自力の念仏に陥ってはならない」──『歎異抄』より/「善悪は縁にしたがっておこる」──道元の人間観etc

第四章 悟りと救い
本覚思想と仏教の世俗化/此岸と彼岸の距離感/真実の信心とは/救いの先取り/「修行と悟りは一体である」──修証一等/行持:修行の継続性/絶えざる修行 etc

第五章 特殊と普遍
真実の教えとしての浄土教/ブッダ出世の本懐とは/存在と時間/而今:永遠の今/而今の山水:時間と空間etc

第六章 改読と新解釈
聖典解釈の歴史/親鸞の改読:阿弥陀仏の絶対肯定/親鸞の改読:人間存在の絶対否定/改読と新解釈の根拠:宗教経験の重要性etc

終章 自力と他力――宗教の本質を問う
ブッダの仏教は自力の教えか/宗教とは何か/道元仏教の他力性etc

著者について

1960(昭和35)年京都市生まれ。京都文教大学教授。専門は仏教学。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程満期退学。博士(文学)。主な著書に『ブッダと法然』『南無阿弥陀仏と南無法蓮華経』『進化する南無阿弥陀仏』『鎌倉仏教』『日蓮に学ぶレジリエンス』などがある。
 
 
道元の只管打座 親鸞の称名念仏
どちらも ただひたすらです。
二人とも 鎌倉仏教として多くの宗門のでた貴族から武家の支配へと移りゆく時代的背景があったのでしょう。道元は栄西につかれ 親鸞は法然に やっぱり先達はあらまほしかるというかいい先生に就いておられるます。
 
 

 
平岡聡(1960年~)氏は、佛教大学文学部卒、同大学大学院文学研究科博士課程満期退学、博士(文学)、京都文教大学学長を経て、京都文教大学教授。
本書は、書名の通り、浄土真宗宗祖の親鸞と曹洞宗宗祖の道元を比較しつつ論じたものである。
日本の仏教には、平安時代に誕生した天台宗と真言宗に加え、鎌倉時代に起源を持つ、浄土系の浄土宗、浄土真宗、時宗、禅系の臨済宗、曹洞宗、黄檗宗、そして日蓮宗と、多彩な宗派があるが、その中でも寺院数が多いのは、浄土真宗の約2万2千と曹洞宗の1万5千で、群を抜いている。
また、それぞれの宗祖である親鸞と道元には、明治以降の著名な文化人が評価した(親鸞は倉田百三、吉川英治、亀井勝一郎、三木清など/道元は和辻哲郎、田辺元など)という共通した特徴があり、それらも手伝って、両宗祖は鎌倉仏教の祖師の中でも特に人気があるという。
一方で、一般に(私も含め)、「親鸞仏教は他力、道元仏教は自力」と思われていることをはじめ、数々の対照的な点があり、本書では、それらを以下のような章立てで比較しつつ、最終的に、仏教としての共通点を探っていく。
序章:生涯と思想 第1章:機と法 第2章:出家と在家 第3章:師匠と弟子 第4章:救いと悟り 第5章:特殊と普遍 第6章:改読と転釈 終章:自力と他力~宗教の本質を問う
私は、仏教に対して特別の知識や関心があるわけではないものの、この二人については知っておきたいと思い、しばらく前に、梅原猛の『親鸞の告白』、栗田勇の『道元の読み方』等を読んだが、正直なところ消化不良に終わっており、今般書店で、二人を比較しつつ論じた本書を目にして購入した。
通読してみて、やはり「教え」について書かれた部分(第4章など)は難しく感じられたものの、二人を比べることで、双方の思想が浮き彫りになり、これまでよりは理解が進んだように思う。
本書から、親鸞仏教と道元仏教のエッセンスを引用するなら、以下のようなものである。
「大乗仏教は万人の成仏を認める平等思想に立つ。では、この成仏をいかに実現するか。親鸞は絶対他力の立場から、阿弥陀仏にたいする信を強調し、その信も自力で獲得するのではなく、「如来より賜りたる信心」に成仏の根拠をみいだした。
一方、道元は「衆生は本来、仏なり」から出発し、衆生は本来、仏であるからこそ無我に立脚して修行(只管打座)しなければならず、その修行を継続(行持)するところに真理の現成(成仏)をみた。つまり、親鸞仏教が「他力を基盤にした他力」なら、道元仏教は「他力を基盤にした自力」だ。道元仏教には修行の継続という点で「自力的要素」はたしかに存在するが、その場合の自力も「吾我の自力」ではなく「無我の自力」(それはもはや「自力」とは呼ばないのかもしれないが)ということになる。だから親鸞と道元の仏教を、従来のように「他力vs自力」と紋切型で特徴づけるのは、厳密には正しくない。」
鎌倉仏教の中で双璧の人気を誇る祖師、親鸞と道元を比較しつつ、仏教の本質を探った良書といえる。
(2022年3月了)
 
 

 
本書はタイトル通りで、親鸞と道元という対照的な二人の思想を対比しながら明らかにしていこうという本である。
意義は大きくありそうな問題設定なのだが、残念ながら読んでも二人の思想のポイントは見えにくい。
その大きな理由は、本書が「機と法」「師匠と弟子」「特殊と普遍」のように、切り口ごとに繰り返し二人の思想を取り上げるような手法を用いているからだと思う。
二人の思想はそれぞれのテーマごとに断片的にしか取り上げられないので、全体としてどのようにそれぞれの思想の体系が作られているのか、はあまり見えてこない。
また「二人の相違と共通点」という視点で取り上げにくい問題はあまり言及されないので、例えば「道元の禅宗と大乗・上座部の対立」のような論点は少し触れられる程度である。

ある程度親鸞と道元の思想に詳しい人が読めば、細かな違いなどが分かって有益なのかもしれないが、入門者にはいささかあってない本だと感じた。

かくも甘き果実

2022年05月08日 08時23分30秒 | 社会・文化・政治・経済
 
 
「小泉八雲」となった男ラフカディオ・ハーンを愛した、3人の女たち

あなたを語ることは、あなたを蘇らせること――
甘い思い出と苦い記憶を語る彼女たちの「声」が、時を超えて響きわたる。

“ここではないどこか”を求めつづけ、最後には日本で「移民作家・小泉八雲」となった男ラフカディオ・ハーン。彼の人生に深く関わった3人の女性が、胸に秘めた長年の思いを語りだす。
生みの母ローザ・アントニア・カシマチは、1854年、故郷への帰路の途中アイリッシュ海を渡る船上で、あとに残してきた我が子の未来を思いながら。
最初の妻アリシア・フォーリーは、夫との別離を乗り越えたのち、1906年のシンシナティで、ジャーナリストの取材を受けながら。
2番目の妻小泉セツは、永遠の別れのあと、1909年の東京で、亡き夫に呼びかけながら。

ジョン・ドス・パソス賞受賞の注目作家が、女性たちの胸の内を繊細かつ鮮やかに描いた話題作

【著者略歴】
モニク・トゥルン
1968年南ベトナム・サイゴン(現ベトナム・ホーチミン市)生まれ。6歳のときに戦争難民としてアメリカに移住。イェール大学卒業(文学専攻)、コロンビア大学修了(法学博士)。2003年刊行のデビュー作『ブック・オブ・ソルト』がニューヨーク公共図書館若獅子賞、PEN/ロバート・W・ビンガム賞などを受賞、14ヶ国で出版される。“Bitter in the Mouth”に続く第三長編となる本書は、ジョン・ガードナー小説賞を受賞、パブリッシャーズ・ウィークリーの2019年ベストフィクションにも選ばれる。2021年ジョン・ドス・パソス賞受賞。現在ニューヨーク在住。

【訳者略歴】
吉田恭子
1969年福岡県生まれ。京都大学人間環境学研究科博士課程前期修了、ウィスコンシン大学ミルウォーキー校英文科創作専攻博士課程修了。現在、立命館大学教授。著書に“Disorientalism”、共著書に「現代アメリカ文学ポップコーン大盛」、訳書に「ミルドレッド・ピアース 未必の故意」、共訳書に「生まれつき翻訳 世界文学時代の現代小説」などがある。