

マルクス・ガブリエル (著), 大野 和基 (編集), 月谷 真紀 (翻訳)
◆多様性が尊重される現代社会。その一方で、密かに広がる分断、同調圧力――。
◇私にとって「他者」とは何か、わかりあえない他者とともに生きることは可能か?
◆世界が注目する哲学界の旗手が示す「まったく新しい他者論」!
多様性の尊重が叫ばれると同時に、その背後で人々の分断が加速している現代社会。
誰もが自分とは異質な存在である「他者」と、共生することを強いられている――。
そんな現代社会を取り巻く「私と他者の関係」について、哲学者マルクス・ガブリエルは、
「他者がいなければ私たちは存在することさえできない」と喝破し、
さらに、「従来の哲学における他者認識は誤りだった」とまで語る。
ガブリエルの提唱する「新しい実在論」から見た「他者」とはいかなる存在なのか。
そして、わかりあえない他者とともに、我々はどう生きるべきなのか。
現代に生きる我々の「アイデンティティ」「家族」「愛」「宗教」「倫理」といった、
様々な課題に対する、新たな解決策を提示する1冊。
【本書の目次(項目一部抜粋)】
第I章 私にとって「他者」とは何か
〇従来の哲学における他者認識は、何が問題だったか
〇SNSは「アイデンティティ」を押し付けてくる
〇日本的同調圧力をどう見るか
第II章 我々はいかに「他者」とわかりあうべきか
〇話し合いは万能の解決策である
〇「対話できない相手」と話し合う方法とは?
〇ガブリエルが語る「民主主義」の意味
第III章 家族とは何か、愛とは何か
〇毒親とどう接するべきか
〇「私なんて、生まれない方がよかった」は真実か?
〇愛し方を学ぶ――現代における恋愛の意味
第IV章 自己の感情とどう向き合うか
〇社会的孤立と身体性、パンデミック
〇負の感情から抜け出す処方箋
〇「抱くべき怒り」とはどんなものか
第V章 宗教や倫理と他者の関係
〇宗教は「救いと対立」のいずれをもたらすか
〇なぜ利他主義は道徳と言えないのか
〇「無知の知」を乗り越えるために必要なこと
◇私にとって「他者」とは何か、わかりあえない他者とともに生きることは可能か?
◆世界が注目する哲学界の旗手が示す「まったく新しい他者論」!
多様性の尊重が叫ばれると同時に、その背後で人々の分断が加速している現代社会。
誰もが自分とは異質な存在である「他者」と、共生することを強いられている――。
そんな現代社会を取り巻く「私と他者の関係」について、哲学者マルクス・ガブリエルは、
「他者がいなければ私たちは存在することさえできない」と喝破し、
さらに、「従来の哲学における他者認識は誤りだった」とまで語る。
ガブリエルの提唱する「新しい実在論」から見た「他者」とはいかなる存在なのか。
そして、わかりあえない他者とともに、我々はどう生きるべきなのか。
現代に生きる我々の「アイデンティティ」「家族」「愛」「宗教」「倫理」といった、
様々な課題に対する、新たな解決策を提示する1冊。
【本書の目次(項目一部抜粋)】
第I章 私にとって「他者」とは何か
〇従来の哲学における他者認識は、何が問題だったか
〇SNSは「アイデンティティ」を押し付けてくる
〇日本的同調圧力をどう見るか
第II章 我々はいかに「他者」とわかりあうべきか
〇話し合いは万能の解決策である
〇「対話できない相手」と話し合う方法とは?
〇ガブリエルが語る「民主主義」の意味
第III章 家族とは何か、愛とは何か
〇毒親とどう接するべきか
〇「私なんて、生まれない方がよかった」は真実か?
〇愛し方を学ぶ――現代における恋愛の意味
第IV章 自己の感情とどう向き合うか
〇社会的孤立と身体性、パンデミック
〇負の感情から抜け出す処方箋
〇「抱くべき怒り」とはどんなものか
第V章 宗教や倫理と他者の関係
〇宗教は「救いと対立」のいずれをもたらすか
〇なぜ利他主義は道徳と言えないのか
〇「無知の知」を乗り越えるために必要なこと
著者について
【著者略歴】
マルクス・ガブリエル[Markus Gabriel]
1980年生まれ。史上最年少の29歳で、200年以上の伝統を誇るボン大学の正教授に就任。西洋哲学の伝統に根ざしつつ、「新しい実在論」を提唱して世界的に注目される。著書『なぜ世界は存在しないのか』(講談社選書メチエ)は世界中でベストセラーとなった。さらに「新実存主義」「新しい啓蒙」と次々に新たな概念を語る。NHK Eテレ『欲望の時代の哲学』等にも出演。他の著書に『世界史の針が巻き戻るとき』『つながり過ぎた世界の先に』(ともにPHP新書)など。
【インタビュー・編者略歴】
大野和基(おおの・かずもと)
1955年、兵庫県生まれ。大阪府立北野高校、東京外国語大学英米学科卒業。1979~97年渡米。コーネル大学で化学、ニューヨーク医科大学で基礎医学を学ぶ。その後、現地でジャーナリストとして活動。97年に帰国後も取材のため、頻繁に渡航。世界的な識者への取材を精力的に行っている。著書に『代理出産 生殖ビジネスと命の尊厳』(集英社新書)、訳・編書に『世界史の針が巻き戻るとき』『つながり過ぎた世界の先に』(マルクス・ガブリエル著、ともにPHP新書)、『5000日後の世界』(ケヴィン・ケリー著、PHP新書)、『コロナ後の世界』(文春新書)など多数。
【訳者略歴】
月谷真紀(つきたに・まき)
翻訳家。主な訳書に、『Learn Better』(アーリック・ボーザー著、英治出版)、『不可能を可能にせよ!』(マーク・ランドルフ著、サンマーク出版)、『第三の支柱』(ラグラム・ラジャン著、みすず書房)など。
マルクス・ガブリエル[Markus Gabriel]
1980年生まれ。史上最年少の29歳で、200年以上の伝統を誇るボン大学の正教授に就任。西洋哲学の伝統に根ざしつつ、「新しい実在論」を提唱して世界的に注目される。著書『なぜ世界は存在しないのか』(講談社選書メチエ)は世界中でベストセラーとなった。さらに「新実存主義」「新しい啓蒙」と次々に新たな概念を語る。NHK Eテレ『欲望の時代の哲学』等にも出演。他の著書に『世界史の針が巻き戻るとき』『つながり過ぎた世界の先に』(ともにPHP新書)など。
【インタビュー・編者略歴】
大野和基(おおの・かずもと)
1955年、兵庫県生まれ。大阪府立北野高校、東京外国語大学英米学科卒業。1979~97年渡米。コーネル大学で化学、ニューヨーク医科大学で基礎医学を学ぶ。その後、現地でジャーナリストとして活動。97年に帰国後も取材のため、頻繁に渡航。世界的な識者への取材を精力的に行っている。著書に『代理出産 生殖ビジネスと命の尊厳』(集英社新書)、訳・編書に『世界史の針が巻き戻るとき』『つながり過ぎた世界の先に』(マルクス・ガブリエル著、ともにPHP新書)、『5000日後の世界』(ケヴィン・ケリー著、PHP新書)、『コロナ後の世界』(文春新書)など多数。
【訳者略歴】
月谷真紀(つきたに・まき)
翻訳家。主な訳書に、『Learn Better』(アーリック・ボーザー著、英治出版)、『不可能を可能にせよ!』(マーク・ランドルフ著、サンマーク出版)、『第三の支柱』(ラグラム・ラジャン著、みすず書房)など。
一読しました。筆者は「話し合えばわかり合える」という信条のようです。理解し合えない者とも、妥協点を探る、駆け引きをする、時間を掛ける、時には強硬に出るといったような具合です。勿論、教育によりそういった議論なり知的な解決を模索出来るような人物を育む必要があるとの主張。確かに理想はそうだなと思いました。
ただしかし、申し訳無いけれど、西ヨーロッパ人特有、また日本にも良くいますが、お勉強が出来るアタマの良い人達に良くある"理想"信奉の人達の、傲慢のようなものを感じてしまいました。私達ならならデキるぜ、みたいな。そしてそれをサイレントマジョリティーに押し付けるのです。
しかし共産主義と同様に、そんな理想は貧しい国も含め、信条や宗教や価値観の違う、国家間や社会で実現出来るのでしょうか。私は全くそう思いません。
いまウクライナでの残念な事がクローズアップされています。よく考えれば別にこの件でだけではなく、パレスチナを爆撃しているイスラエルなど、戦火はウクライナだけではないのです。彼らは話合いで解決するのでしょうか。仮にそうだとしてもどちらかが戦いに疲弊したあとでしょう。
争いには互いの理屈・理由があります。そもそもこの侵攻は英米EU、つまりそれらを牛耳る強欲なグローバリスト・巨大資本の連中がウクライナを通じて、ロシアを煽り続けた結果ともいえます。
しかし共産主義と同様に、そんな理想は貧しい国も含め、信条や宗教や価値観の違う、国家間や社会で実現出来るのでしょうか。私は全くそう思いません。
いまウクライナでの残念な事がクローズアップされています。よく考えれば別にこの件でだけではなく、パレスチナを爆撃しているイスラエルなど、戦火はウクライナだけではないのです。彼らは話合いで解決するのでしょうか。仮にそうだとしてもどちらかが戦いに疲弊したあとでしょう。
争いには互いの理屈・理由があります。そもそもこの侵攻は英米EU、つまりそれらを牛耳る強欲なグローバリスト・巨大資本の連中がウクライナを通じて、ロシアを煽り続けた結果ともいえます。
その価値観の侵入をどうしても防ぎたいという者。どちらも正義、どちらも悪とも言える。背景は異なりますが、ABC包囲網で石油を止められ、手を出すように仕向けられたかつての日本も完全に悪党だったのでしょうか。
私にはそうは思えません。ただ、そういった政府のもとで、命を落とす普通の市民や仕方なく戦地に赴く兵士は本当に悲しいし、心から気の毒です。自分の家族や日本の同胞が同じ目にこの先も遭わないことを祈るし、そういう意志を代弁する政治家を選ぶ他ないでしょう。
そんな状況であるのに、一方的にウクライナの肩を持つような発言が日本のマスコミ、ソーシャルメディア、まあこれらは予定調和ですが、意外と保守系の論者にも多く見られ個人的には残念でした。
そんな状況であるのに、一方的にウクライナの肩を持つような発言が日本のマスコミ、ソーシャルメディア、まあこれらは予定調和ですが、意外と保守系の論者にも多く見られ個人的には残念でした。
そもそも西欧と東欧の複雑な歴史や地政、状況をそういった方々は理解できているのか。
影響力がある方々が、いとも単純に一方の陣営に肩入れする発言をするのは疑問です。グローバリストの太鼓持ちなら勿論そうなるんでしょうけど。そもそも、日本人は高度成長期以後、グローバリストに何をされてきたかを理解をし、忘れない方が良いのではないでしょうか。
良くも悪くもこれだけ真面目に働く日本において、不況が三十年も続くのも不自然と思いませんか。巨大資本家、グローバリスト達に脅され、好き勝手にルールを変更され、家族との団欒を犠牲にしてまで働いた、日本人の努力の結晶をいとも簡単に奪われてきた背景があるのに、そういったデジタルな反応には理解できません。
こんな魑魅魍魎が跋扈する世界で、果たして筆者が云うような理想は、この地球上で実現するのでしょうか。話し合いだけではなく、差別をなくせ、ヘイトを許すな。そんな美辞麗句も、グローバリストにとって自分たちを正当化する事に使われています。
そもそも筆者のいう話し合いとは、どのレベルの話し合いなのでしょうか。国家の間の話し合いというならば、その場のルールは、突き詰めれば英米の上位1%の連中が提供しているのではないでしょうか。
こんな魑魅魍魎が跋扈する世界で、果たして筆者が云うような理想は、この地球上で実現するのでしょうか。話し合いだけではなく、差別をなくせ、ヘイトを許すな。そんな美辞麗句も、グローバリストにとって自分たちを正当化する事に使われています。
そもそも筆者のいう話し合いとは、どのレベルの話し合いなのでしょうか。国家の間の話し合いというならば、その場のルールは、突き詰めれば英米の上位1%の連中が提供しているのではないでしょうか。
国連では日本は未だに敵国条項に入る国です。そんなところにせっせと金を貢いでる日本は一体何なんですか?ウクライナを言うならもっという事をがありますよね。
世界から核兵器廃絶。
世界から核兵器廃絶。
人類皆兄弟。国家間の争いの歴史や、綺麗事すら支配力強化のために利用するようなクズが支配している世界では、話し合いとやらのそんな理性の果へは、未来永劫到達できない、銀河の果のように思えます。いわば弥勒菩薩が外界に降るのを待つのと同じで、それは信仰に近いのではないかというのが読後の感想です。
一読しました。筆者は「話し合えばわかり合える」という信条のようです。理解し合えない者とも、妥協点を探る、駆け引きをする、時間を掛ける、時には強硬に出るといったような具合です。勿論、教育によりそういった議論なり知的な解決を模索出来るような人物を育む必要があるとの主張。確かに理想はそうだなと思いました。
ただしかし、申し訳無いけれど、西ヨーロッパ人特有、また日本にも良くいますが、お勉強が出来るアタマの良い人達に良くある"理想"信奉の人達の、傲慢のようなものを感じてしまいました。
私達ならならデキるぜ、みたいな。そしてそれをサイレントマジョリティーに押し付けるのです。
しかし共産主義と同様に、そんな理想は貧しい国も含め、信条や宗教や価値観の違う、国家間や社会で実現出来るのでしょうか。私は全くそう思いません。
いまウクライナでの残念な事がクローズアップされています。よく考えれば別にこの件でだけではなく、パレスチナを爆撃しているイスラエルなど、戦火はウクライナだけではないのです。
しかし共産主義と同様に、そんな理想は貧しい国も含め、信条や宗教や価値観の違う、国家間や社会で実現出来るのでしょうか。私は全くそう思いません。
いまウクライナでの残念な事がクローズアップされています。よく考えれば別にこの件でだけではなく、パレスチナを爆撃しているイスラエルなど、戦火はウクライナだけではないのです。
彼らは話合いで解決するのでしょうか。仮にそうだとしてもどちらかが戦いに疲弊したあとでしょう。
争いには互いの理屈・理由があります。そもそもこの侵攻は英米EU、つまりそれらを牛耳る強欲なグローバリスト・巨大資本の連中がウクライナを通じて、ロシアを煽り続けた結果ともいえます。
争いには互いの理屈・理由があります。そもそもこの侵攻は英米EU、つまりそれらを牛耳る強欲なグローバリスト・巨大資本の連中がウクライナを通じて、ロシアを煽り続けた結果ともいえます。
その価値観の侵入をどうしても防ぎたいという者。どちらも正義、どちらも悪とも言える。背景は異なりますが、ABC包囲網で石油を止められ、手を出すように仕向けられたかつての日本も完全に悪党だったのでしょうか。
私にはそうは思えません。ただ、そういった政府のもとで、命を落とす普通の市民や仕方なく戦地に赴く兵士は本当に悲しいし、心から気の毒です。自分の家族や日本の同胞が同じ目にこの先も遭わないことを祈るし、そういう意志を代弁する政治家を選ぶ他ないでしょう。
そんな状況であるのに、一方的にウクライナの肩を持つような発言が日本のマスコミ、ソーシャルメディア、まあこれらは予定調和ですが、意外と保守系の論者にも多く見られ個人的には残念でした。そもそも西欧と東欧の複雑な歴史や地政、状況をそういった方々は理解できているのか。
そんな状況であるのに、一方的にウクライナの肩を持つような発言が日本のマスコミ、ソーシャルメディア、まあこれらは予定調和ですが、意外と保守系の論者にも多く見られ個人的には残念でした。そもそも西欧と東欧の複雑な歴史や地政、状況をそういった方々は理解できているのか。
影響力がある方々が、いとも単純に一方の陣営に肩入れする発言をするのは疑問です。
グローバリストの太鼓持ちなら勿論そうなるんでしょうけど。そもそも、日本人は高度成長期以後、グローバリストに何をされてきたかを理解をし、忘れない方が良いのではないでしょうか。
良くも悪くもこれだけ真面目に働く日本において、不況が三十年も続くのも不自然と思いませんか。巨大資本家、グローバリスト達に脅され、好き勝手にルールを変更され、家族との団欒を犠牲にしてまで働いた、日本人の努力の結晶をいとも簡単に奪われてきた背景があるのに、そういったデジタルな反応には理解できません。
こんな魑魅魍魎が跋扈する世界で、果たして筆者が云うような理想は、この地球上で実現するのでしょうか。話し合いだけではなく、差別をなくせ、ヘイトを許すな。そんな美辞麗句も、グローバリストにとって自分たちを正当化する事に使われています。
そもそも筆者のいう話し合いとは、どのレベルの話し合いなのでしょうか。国家の間の話し合いというならば、その場のルールは、突き詰めれば英米の上位1%の連中が提供しているのではないでしょうか。
こんな魑魅魍魎が跋扈する世界で、果たして筆者が云うような理想は、この地球上で実現するのでしょうか。話し合いだけではなく、差別をなくせ、ヘイトを許すな。そんな美辞麗句も、グローバリストにとって自分たちを正当化する事に使われています。
そもそも筆者のいう話し合いとは、どのレベルの話し合いなのでしょうか。国家の間の話し合いというならば、その場のルールは、突き詰めれば英米の上位1%の連中が提供しているのではないでしょうか。
国連では日本は未だに敵国条項に入る国です。そんなところにせっせと金を貢いでる日本は一体何なんですか?ウクライナを言うならもっという事をがありますよね。
世界から核兵器廃絶。
世界から核兵器廃絶。
人類皆兄弟。国家間の争いの歴史や、綺麗事すら支配力強化のために利用するようなクズが支配している世界では、話し合いとやらのそんな理性の果へは、未来永劫到達できない、銀河の果のように思えます。いわば弥勒菩薩が外界に降るのを待つのと同じで、それは信仰に近いのではないかというのが読後の感想です。
私は哲学について多くを語れるほどの知識も智恵も持っていませんが、本書は「新しい実存論」から
見た「他者」と捉えるのではなくて、「マルクス・ガブリエルという哲学者」が論じる「他者性」の
考察と考えた方が正当な理解のように感じました。
その手掛かりは編集部による『プロローグ』にあります。
本書を読めば、あなたの中にある他者と自己の束縛は解き放たれ、「自由」を感じるだろう
『エピローグ』にも同様のことが書かれていることから、タイトルにある「他者」とは、単に「自分
以外の他の人」や、「自分とは違う(わかりあえない)他の人」よりも拡張して、自分の中に潜む
「他者性」までを取り扱っていると考えたいです。
そもそも、サブタイトルが『差異と分断を乗り越える哲学』となっているのは、ガブリエル氏を新実
存主義の旗手という画一的に捉えていることへのアイロニーなのかもしれません。
分けることの危険性を言いながら、分類することには理解を促進する面があるのは確かですので、
” 便宜上” 、本書の内容を自分の中の他者と生きること、わかりあえない他者と生きること、そして
わかりあえない社会と生きることの3つの視点で見ていきます。
■ 自分の中の他者と生きること
この本で扱っているテーマは広範囲にわたっているので、自分の中の「他者性」との向き合い方へ
の示唆はいろんな切り口からなされています。その要約抜粋は、次のとおりです。
・自由とは、正しい束縛を選ぶ自由だ
束縛の無い自由は、単なる放縦だ
ただしそれは、正しい束縛でなければならない
… 完全な自由は幻想に過ぎず、むしろそれは不自由に近いという思想には賛意しかないですが、
正しい束縛とは何かがよくわからないし、本書にはその解も納得のいくヒントもありません。
・非効率的な活動をする余白を持ったほうが効率性は上がる
… 知識社会や産業のサービス化と言われて久しいですが、効率性はある転換点からは、
それ以上の過剰な効率性の追求は逆効果であることに、先駆者は気付き始めています。
次の引用も同じ文脈で語られている警句です。
・何かをすべきでないタイミングがわかっているのは、たいていの人に欠けている大事なスキルだ
・現在主義と同様に、正義に寄与するのは、「欲望のレベルを下げる」という禅宗の考えだ
… 「足るを知る」です。これがすべてではありませんが、持続可能性を考える時に不可欠です。
■わかりあえない他者と生きること
本書にこの部分の新機軸の提示を期待しているのなら、肩透かしを食らうかもしれません。
・誰もが普遍的価値の存在を信じているけれど、何が普遍的価値かを見出すには対話が必要だ
… 対話(ダイアログ)や物語り(ナラティヴ)の詳細を知りたいなら、心理学や学際領域を扱う
経営学関連図書を当たる方が良いと思います。
・新実存主義における「道徳」は、ふるまいが行為者自身の幸福になる点で、「利己主義」と重なる
… 的を射た指摘ですが、アダム・グラント氏の『GIVE & TAKE』を読む方が内容は濃いです。
もしかすると、ガブリエル氏は紙幅の関係上、この切り口では深く言及しなかったのかもしれません。
言い換えると、自分の他者性およびわかりあえない社会と向き合うことを強調したいのだとも受け取
れます。
■わかりあえない社会と生きること
キーワードは「倫理」です。表現は、政治、民主主義、資本主義などが出てきますが、一言でいう
なら「社会」と捉えてよいと思います。
〔政治の移行プロセス〕アイデンティティ政治 → 違いにこだわる政治 → 違いにこだわらない政治
・まずは「違いにこだわる」段階を踏まなければならない
ステレオタイプは非常に強風なので、一足飛びには次のステップに到達できないからだ
この段階で、私たちは話し合う必要がある
… わかりあえない他者と生きると同じく、対話の重要性を説くにとどまっています。
・相手が自分自身の人間性について違う解釈をしているという事実を見る、「違いにこだわらな
い」が最終段階だ
… ここでは、ジェンダーや民族などに対する偏見や差別の問題が取り上げられており、それをい
かに発展的に解消するのかが描かれています。世界をリードしてきた米国に自国第一主義を唱
える大統領が現れたかと思えば、新型コロナ感染症問題においては外国人排斥思想が出現し
(本書では、東京オリンピック・パラリンピックの日本の対応を厳しく批判しています)、そし
て今日時点では、20世紀の冷戦構造の亡霊のようにウクライナ問題が勃発しています。
・今私たちがやるべきは、倫理資本主義を創造することだ
… 共産主義の破綻により顕在化したのは、資本主義の行き詰まりでした。
この苦境からどう脱却するかを明確に提示しているリーダーや論客はおそらく出てきていませ
んが、多くの賢人が共通して訴えているのは、「倫理」の重要性です。
日本を例に取るなら、渋沢栄一の『論語と算盤』の精神です。
社会システムがどのように変わるにせよ、「倫理」の欠落したシステムは持続可能ではないこ
とを示唆しています。
最終章でガブリエル氏は、「利他主義は簡単だ。自分自身の利益を大事にするほうが実は道徳として
難易度が高い」と言い張っています。一見暴論に見えますが、一周回るならこの論理は正しいです。
ですが、日本に暮らす私たちだけでなく世界の多くの国の社会は、まだ第二段階の「違いにこだわる」
にすら辿り着いていません。
だから、『わかりあえない他者と生きる』ための「対話」であり、私たちの深層心理に根付いている
バイアスから「自由」になることが求められているんだな。
ほぼ妄想レベルの書評ですが、ガブリエル氏との「対話」を楽しみ、内省できる良書です。
考察と考えた方が正当な理解のように感じました。
その手掛かりは編集部による『プロローグ』にあります。
本書を読めば、あなたの中にある他者と自己の束縛は解き放たれ、「自由」を感じるだろう
『エピローグ』にも同様のことが書かれていることから、タイトルにある「他者」とは、単に「自分
以外の他の人」や、「自分とは違う(わかりあえない)他の人」よりも拡張して、自分の中に潜む
「他者性」までを取り扱っていると考えたいです。
そもそも、サブタイトルが『差異と分断を乗り越える哲学』となっているのは、ガブリエル氏を新実
存主義の旗手という画一的に捉えていることへのアイロニーなのかもしれません。
分けることの危険性を言いながら、分類することには理解を促進する面があるのは確かですので、
” 便宜上” 、本書の内容を自分の中の他者と生きること、わかりあえない他者と生きること、そして
わかりあえない社会と生きることの3つの視点で見ていきます。
■ 自分の中の他者と生きること
この本で扱っているテーマは広範囲にわたっているので、自分の中の「他者性」との向き合い方へ
の示唆はいろんな切り口からなされています。その要約抜粋は、次のとおりです。
・自由とは、正しい束縛を選ぶ自由だ
束縛の無い自由は、単なる放縦だ
ただしそれは、正しい束縛でなければならない
… 完全な自由は幻想に過ぎず、むしろそれは不自由に近いという思想には賛意しかないですが、
正しい束縛とは何かがよくわからないし、本書にはその解も納得のいくヒントもありません。
・非効率的な活動をする余白を持ったほうが効率性は上がる
… 知識社会や産業のサービス化と言われて久しいですが、効率性はある転換点からは、
それ以上の過剰な効率性の追求は逆効果であることに、先駆者は気付き始めています。
次の引用も同じ文脈で語られている警句です。
・何かをすべきでないタイミングがわかっているのは、たいていの人に欠けている大事なスキルだ
・現在主義と同様に、正義に寄与するのは、「欲望のレベルを下げる」という禅宗の考えだ
… 「足るを知る」です。これがすべてではありませんが、持続可能性を考える時に不可欠です。
■わかりあえない他者と生きること
本書にこの部分の新機軸の提示を期待しているのなら、肩透かしを食らうかもしれません。
・誰もが普遍的価値の存在を信じているけれど、何が普遍的価値かを見出すには対話が必要だ
… 対話(ダイアログ)や物語り(ナラティヴ)の詳細を知りたいなら、心理学や学際領域を扱う
経営学関連図書を当たる方が良いと思います。
・新実存主義における「道徳」は、ふるまいが行為者自身の幸福になる点で、「利己主義」と重なる
… 的を射た指摘ですが、アダム・グラント氏の『GIVE & TAKE』を読む方が内容は濃いです。
もしかすると、ガブリエル氏は紙幅の関係上、この切り口では深く言及しなかったのかもしれません。
言い換えると、自分の他者性およびわかりあえない社会と向き合うことを強調したいのだとも受け取
れます。
■わかりあえない社会と生きること
キーワードは「倫理」です。表現は、政治、民主主義、資本主義などが出てきますが、一言でいう
なら「社会」と捉えてよいと思います。
〔政治の移行プロセス〕アイデンティティ政治 → 違いにこだわる政治 → 違いにこだわらない政治
・まずは「違いにこだわる」段階を踏まなければならない
ステレオタイプは非常に強風なので、一足飛びには次のステップに到達できないからだ
この段階で、私たちは話し合う必要がある
… わかりあえない他者と生きると同じく、対話の重要性を説くにとどまっています。
・相手が自分自身の人間性について違う解釈をしているという事実を見る、「違いにこだわらな
い」が最終段階だ
… ここでは、ジェンダーや民族などに対する偏見や差別の問題が取り上げられており、それをい
かに発展的に解消するのかが描かれています。世界をリードしてきた米国に自国第一主義を唱
える大統領が現れたかと思えば、新型コロナ感染症問題においては外国人排斥思想が出現し
(本書では、東京オリンピック・パラリンピックの日本の対応を厳しく批判しています)、そし
て今日時点では、20世紀の冷戦構造の亡霊のようにウクライナ問題が勃発しています。
・今私たちがやるべきは、倫理資本主義を創造することだ
… 共産主義の破綻により顕在化したのは、資本主義の行き詰まりでした。
この苦境からどう脱却するかを明確に提示しているリーダーや論客はおそらく出てきていませ
んが、多くの賢人が共通して訴えているのは、「倫理」の重要性です。
日本を例に取るなら、渋沢栄一の『論語と算盤』の精神です。
社会システムがどのように変わるにせよ、「倫理」の欠落したシステムは持続可能ではないこ
とを示唆しています。
最終章でガブリエル氏は、「利他主義は簡単だ。自分自身の利益を大事にするほうが実は道徳として
難易度が高い」と言い張っています。一見暴論に見えますが、一周回るならこの論理は正しいです。
ですが、日本に暮らす私たちだけでなく世界の多くの国の社会は、まだ第二段階の「違いにこだわる」
にすら辿り着いていません。
だから、『わかりあえない他者と生きる』ための「対話」であり、私たちの深層心理に根付いている
バイアスから「自由」になることが求められているんだな。
ほぼ妄想レベルの書評ですが、ガブリエル氏との「対話」を楽しみ、内省できる良書です。
①すべての動物が類として「共生」出来るように刷り込まれている事実に基づいて人間も他者と「共生」出来る存在だと言う。
しかし、これは人類学的知見であって、哲学的知見ではない。
②生き方も価値観・人生観も異なる他者と「共生」することが可能であると考えられる。他者とわかり合えることがなくても「共生」出来るのだ。
③しかし、人間社会は発展し、進化するものである。「共生」だけで生きていけるのか、「理解」が欠けているのではないか?
現象学的他者論を主張したレヴィナスは、他者を尊重・歓待する眼差し・顔を提起したのが参考になる。
④分断社会は克服できるのか?「共生」のみでは心もとない。ヤスパースが提起した「実存的交わり」は参考になる。理性的判断、愛しながらの闘いによる他者との真剣勝負である。そして最大の課題は他者との対話であろう。
⑤インタビュー記事を原稿にする手法は、分かりやすいが哲学的思考の展開、深みに欠ける欠点がある。このような本の出版・乱立はほどほどにして、論著で勝負したい。
お勧めの一冊だ。
②生き方も価値観・人生観も異なる他者と「共生」することが可能であると考えられる。他者とわかり合えることがなくても「共生」出来るのだ。
③しかし、人間社会は発展し、進化するものである。「共生」だけで生きていけるのか、「理解」が欠けているのではないか?
現象学的他者論を主張したレヴィナスは、他者を尊重・歓待する眼差し・顔を提起したのが参考になる。
④分断社会は克服できるのか?「共生」のみでは心もとない。ヤスパースが提起した「実存的交わり」は参考になる。理性的判断、愛しながらの闘いによる他者との真剣勝負である。そして最大の課題は他者との対話であろう。
⑤インタビュー記事を原稿にする手法は、分かりやすいが哲学的思考の展開、深みに欠ける欠点がある。このような本の出版・乱立はほどほどにして、論著で勝負したい。
お勧めの一冊だ。
話し合いは問題解決の上で最も重要なことは間違いないでしょう。
また、エビデンスといった一見万能に見える科学的合理性や唯物論は、倫理や道徳を蔑ろにする最悪な思想である。要は倫理や道徳を最重要とする思想が基になければならない、という著者の基本的姿勢に異議はありません。
更に、利他主義は利己主義と同様に反道徳的である。万人共通の道徳規範も存在しえない、という主張も合点が行きました。確かにこれらは、行き着くところ単なる善意や価値観の押し付けなのかもしれません。
特に著者が子供とも先入観無く十分に話し合って、時には自分の間違いもはっきり認める、というスタンスは立派なものだと感じました。私自身、子供(学生も含む)の言い分を「屁理屈」「言い訳」などとろくに取り合ってくれない環境で生まれ育ち、自らもそのようにしがちなので、目から鱗でした。
しかしながら・・・
話し合いは万能では無く、対話できない相手とは「自衛」するしかない、とも唱えていますが、その「自衛」こそが「問答無用!」という発想に至り、実力行使としての深刻な対立や争いを生むのではないでしょうか?
また、偏見の解消のための社会的立場や思想が異なる者同士のミーティングを主張していますが、日々の生活に追われる者には、特定の抽象的テーマについて話し合おうと思う時間もエネルギーも無いと思います。
しかも、ミーティングも、各自の社会的立場や影響力があれば、自由闊達な発言はできませんし、他者の尊重も利害関係があれば不可能かもしれません。
「違いにこだわらない政治」を主張していますが、他者との違いが単純に性別・人種・嗜好自体に過ぎなければ苦労しません。逆に、性別や人種に関しては、「平等」の旗印の下、逆差別的な優遇措置が取られることも珍しくありません。
しかも、性別・人種・嗜好・所属が自身のアイデンティティとなるから複雑になります。
要は他者と生きることとは、他者と利害が生じることです。容易に喚起され、克服は極めて困難な利害対立だからこそ、この世に問題は尽きないのではないでしょうか。
従って、著者の思想は目から鱗的な発想と着眼点に富んで面白くもありますが、一歩違えば荒唐無稽となります。また、現実的な泥臭さとは無縁であり、空想的理想論に陥りがちである、と思いました。
更に、利他主義は利己主義と同様に反道徳的である。万人共通の道徳規範も存在しえない、という主張も合点が行きました。確かにこれらは、行き着くところ単なる善意や価値観の押し付けなのかもしれません。
特に著者が子供とも先入観無く十分に話し合って、時には自分の間違いもはっきり認める、というスタンスは立派なものだと感じました。私自身、子供(学生も含む)の言い分を「屁理屈」「言い訳」などとろくに取り合ってくれない環境で生まれ育ち、自らもそのようにしがちなので、目から鱗でした。
しかしながら・・・
話し合いは万能では無く、対話できない相手とは「自衛」するしかない、とも唱えていますが、その「自衛」こそが「問答無用!」という発想に至り、実力行使としての深刻な対立や争いを生むのではないでしょうか?
また、偏見の解消のための社会的立場や思想が異なる者同士のミーティングを主張していますが、日々の生活に追われる者には、特定の抽象的テーマについて話し合おうと思う時間もエネルギーも無いと思います。
しかも、ミーティングも、各自の社会的立場や影響力があれば、自由闊達な発言はできませんし、他者の尊重も利害関係があれば不可能かもしれません。
「違いにこだわらない政治」を主張していますが、他者との違いが単純に性別・人種・嗜好自体に過ぎなければ苦労しません。逆に、性別や人種に関しては、「平等」の旗印の下、逆差別的な優遇措置が取られることも珍しくありません。
しかも、性別・人種・嗜好・所属が自身のアイデンティティとなるから複雑になります。
要は他者と生きることとは、他者と利害が生じることです。容易に喚起され、克服は極めて困難な利害対立だからこそ、この世に問題は尽きないのではないでしょうか。
従って、著者の思想は目から鱗的な発想と着眼点に富んで面白くもありますが、一歩違えば荒唐無稽となります。また、現実的な泥臭さとは無縁であり、空想的理想論に陥りがちである、と思いました。