

村中直人 (著)
【精神科医・松本俊彦氏 推薦! 】
(『誰がために医師はいる――クスリとヒトの現代論』著者)
「殴ってもわからない奴はもっと強く殴ればよい?――まさか。
それは叱る側が抱える心の病、〈叱る依存〉だ。
なぜ厳罰政策が再犯率を高めるのか、なぜ『ダメ。ゼッタイ。』がダメなのか、
本書を読めばその理由がよくわかる」
--------------------------------------------------
叱らずにいられないのにはわけがある。
「叱る」には依存性があり、エスカレートしていく――その理由は、脳の「報酬系回路」にあった!
児童虐待、体罰、DV、パワハラ、理不尽な校則、加熱するバッシング報道……。
人は「叱りたい」欲求とどう向き合えばいいのか?
●きつく叱られた経験がないと打たれ弱くなる
●理不尽を我慢することで忍耐強くなる
●苦しまないと、人は成長しない……そう思っている人は要注意。
「叱る」には効果がないってホント?
子ども、生徒、部下など、誰かを育てる立場にいる人は必読!
つい叱っては反省し、でもまた叱ってしまうと悩む、あなたへの処方箋。
【目次】
はじめに
Part 1 「叱る」とはなにか
1 なぜ人は「叱る」のか?
2 「叱る」の科学――内側のメカニズムに目を向ける
Part 2 「叱る」に依存する
3 叱らずにいられなくなる人たち
4 「叱らずにいられない」は依存症に似ている
5 虐待・DV・ハラスメントとのあいだにある低くて薄い壁
Part 3 〈叱る依存〉は社会の病
6 なぜ厳罰主義は根強く支持されるのか?
7 「理不尽に耐える」は美徳なのか?
8 過ちからの立ち直りが許されないのはなぜか?
Part 4 〈叱る依存〉におちいらないために
9 「叱る」を手放す
あとがき/〈叱る依存〉をより深く考えるためのブックリスト/注
【著者紹介】
村中直人(むらなか・なおと)
1977年生まれ。臨床心理士・公認心理師。一般社団法人子ども・青少年育成支援協会代表理事。
(『誰がために医師はいる――クスリとヒトの現代論』著者)
「殴ってもわからない奴はもっと強く殴ればよい?――まさか。
それは叱る側が抱える心の病、〈叱る依存〉だ。
なぜ厳罰政策が再犯率を高めるのか、なぜ『ダメ。ゼッタイ。』がダメなのか、
本書を読めばその理由がよくわかる」
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叱らずにいられないのにはわけがある。
「叱る」には依存性があり、エスカレートしていく――その理由は、脳の「報酬系回路」にあった!
児童虐待、体罰、DV、パワハラ、理不尽な校則、加熱するバッシング報道……。
人は「叱りたい」欲求とどう向き合えばいいのか?
●きつく叱られた経験がないと打たれ弱くなる
●理不尽を我慢することで忍耐強くなる
●苦しまないと、人は成長しない……そう思っている人は要注意。
「叱る」には効果がないってホント?
子ども、生徒、部下など、誰かを育てる立場にいる人は必読!
つい叱っては反省し、でもまた叱ってしまうと悩む、あなたへの処方箋。
【目次】
はじめに
Part 1 「叱る」とはなにか
1 なぜ人は「叱る」のか?
2 「叱る」の科学――内側のメカニズムに目を向ける
Part 2 「叱る」に依存する
3 叱らずにいられなくなる人たち
4 「叱らずにいられない」は依存症に似ている
5 虐待・DV・ハラスメントとのあいだにある低くて薄い壁
Part 3 〈叱る依存〉は社会の病
6 なぜ厳罰主義は根強く支持されるのか?
7 「理不尽に耐える」は美徳なのか?
8 過ちからの立ち直りが許されないのはなぜか?
Part 4 〈叱る依存〉におちいらないために
9 「叱る」を手放す
あとがき/〈叱る依存〉をより深く考えるためのブックリスト/注
【著者紹介】
村中直人(むらなか・なおと)
1977年生まれ。臨床心理士・公認心理師。一般社団法人子ども・青少年育成支援協会代表理事。
Neurodiversity at Work株式会社代表取締役。人の神経学的な多様性に着目し、脳・神経由来の異文化相互理解の促進、および学びかたの多様性が尊重される社会の実現を目指して活動。
2008年から多様なニーズのある子どもたちが学び方を学ぶための学習支援事業「あすはな先生」の立ち上げと運営に携わり、現在は「発達障害サポーター'sスクール」での支援者育成にも力を入れている。
著書に『ニューロダイバーシティの教科書――多様性尊重社会へのキーワード』(金子書房)がある。
厳しくタイトルに書きましたが、基本的には、良書だと思います。
特に、第四章は応用行動分析学や進化心理学などの知見が、それを知らない方にも分かりやすく紹介してあります。
ただ、あまりにいただけない点があります。
それは、「仮説にすぎないことから、自論を断定的に語る」という流れが繰り返されることです。
注意深く読まなければならないのですが、ある研究結果から飛躍して自論に繋げることが前半部分にとても多いのです。
例えば、「処罰感情がコロッセオという娯楽を招いた」
「堕胎における日本の現状は処罰感情が招いたもの」
などです。
そうかもしれないですが、そうとは言い切れないことを「断定」しているのが気になります。
著者にとって「叱る依存」という自論ありきで、それを肯定するデータばかり引用している印象です。
脳神経科学からの引用は特に顕著で、推測に過ぎない部分を事実のように語っていたり、単純化し過ぎているところがあったりします。
私は基本的に「叱ることの効果は限定的であり、罰的対応によって成長を促すことはできない」とする著者の主張に賛成です。
これらの主張は真新しいわけではなく、これまでも応用行動分析学(ABA)などにおいて分かっていることだからです。
しかし、「叱る依存」という自分の生み出した言葉を必要以上に読者に印象付けようとし、全てをそこと結びつけようとするかのような著者の自論の展開の仕方に、どうしても引っかかってしまいました。
特に、第四章は応用行動分析学や進化心理学などの知見が、それを知らない方にも分かりやすく紹介してあります。
ただ、あまりにいただけない点があります。
それは、「仮説にすぎないことから、自論を断定的に語る」という流れが繰り返されることです。
注意深く読まなければならないのですが、ある研究結果から飛躍して自論に繋げることが前半部分にとても多いのです。
例えば、「処罰感情がコロッセオという娯楽を招いた」
「堕胎における日本の現状は処罰感情が招いたもの」
などです。
そうかもしれないですが、そうとは言い切れないことを「断定」しているのが気になります。
著者にとって「叱る依存」という自論ありきで、それを肯定するデータばかり引用している印象です。
脳神経科学からの引用は特に顕著で、推測に過ぎない部分を事実のように語っていたり、単純化し過ぎているところがあったりします。
私は基本的に「叱ることの効果は限定的であり、罰的対応によって成長を促すことはできない」とする著者の主張に賛成です。
これらの主張は真新しいわけではなく、これまでも応用行動分析学(ABA)などにおいて分かっていることだからです。
しかし、「叱る依存」という自分の生み出した言葉を必要以上に読者に印象付けようとし、全てをそこと結びつけようとするかのような著者の自論の展開の仕方に、どうしても引っかかってしまいました。
叱ったことのない大人など、果たしているのだろうか?
概ねその答えは予想できる。
紀伊国屋書店が版元である本書を手に取ったのは、叱ることに迷いを感じている一般の人が多いと思う。叱ることの効果と正しさに、座りの悪さを覚えている人なのではなかろうか?
タイトルに<叱る依存>とあれば、『叱る自分が叱られる』予感があるに違いない。そこを敢えて手に取って読んでみた、そのあっぱれな探求心に見合う内容であったか?と問われれば、その答えは「Yes」である。
近年の脳科学の知見により、本書で展開される『叱ることによる効果は一時的なものである』ということは、知識としては徐々に浸透してきている。とはいえ、頭で分かっていてもついつい叱りすぎ、という事がままあるものだ。<叱る依存>と、それに著者は言葉を与えた。この意義は大きい。
概念は、それを表す言葉が得ることによって輪郭を顕わにする。それをしたのだ。
泣きつかれて眠る子どもの顔に、萎縮し盛んに指示を仰ぐ新人に、『つい叱りすぎてしまった』と思うのは誰でもやってしまう身近な事で、やるべきではないと何度も思っているのに繰り返してしまう。これを「依存」という切り口で見ることに、違和感はない。
定義されていなかった概念だからこそ、丁寧に、何度も<叱る依存>という言葉を繰り返し、心理学的な意味の「依存」を説明しながら、読者が受けとめるための余白を稼いでくれているように感じる。臨床心理士・公認心理師である著者の、カウンセリング能力の高さが窺われる。
どんな社会の中にも実存する「権力」から目を背けないまっすぐな視点と、科学的な裏付けをもった分析で、<叱る依存>を炙り出した著者の姿勢はとてもクールだ。
さて私的な話だが、『叱る自分が叱られる』予感に打ち震えた私に訪れた読後感はというと、<叱る依存>を受容した先に福音を見た。この概念を受容した者がマジョリティとなった社会は(家庭から国家に至るあらゆるサイズの社会において)、個のパフォーマンスが最大化できる”生きやすい”社会なのではないかと思う。
良書である。
概ねその答えは予想できる。
紀伊国屋書店が版元である本書を手に取ったのは、叱ることに迷いを感じている一般の人が多いと思う。叱ることの効果と正しさに、座りの悪さを覚えている人なのではなかろうか?
タイトルに<叱る依存>とあれば、『叱る自分が叱られる』予感があるに違いない。そこを敢えて手に取って読んでみた、そのあっぱれな探求心に見合う内容であったか?と問われれば、その答えは「Yes」である。
近年の脳科学の知見により、本書で展開される『叱ることによる効果は一時的なものである』ということは、知識としては徐々に浸透してきている。とはいえ、頭で分かっていてもついつい叱りすぎ、という事がままあるものだ。<叱る依存>と、それに著者は言葉を与えた。この意義は大きい。
概念は、それを表す言葉が得ることによって輪郭を顕わにする。それをしたのだ。
泣きつかれて眠る子どもの顔に、萎縮し盛んに指示を仰ぐ新人に、『つい叱りすぎてしまった』と思うのは誰でもやってしまう身近な事で、やるべきではないと何度も思っているのに繰り返してしまう。これを「依存」という切り口で見ることに、違和感はない。
定義されていなかった概念だからこそ、丁寧に、何度も<叱る依存>という言葉を繰り返し、心理学的な意味の「依存」を説明しながら、読者が受けとめるための余白を稼いでくれているように感じる。臨床心理士・公認心理師である著者の、カウンセリング能力の高さが窺われる。
どんな社会の中にも実存する「権力」から目を背けないまっすぐな視点と、科学的な裏付けをもった分析で、<叱る依存>を炙り出した著者の姿勢はとてもクールだ。
さて私的な話だが、『叱る自分が叱られる』予感に打ち震えた私に訪れた読後感はというと、<叱る依存>を受容した先に福音を見た。この概念を受容した者がマジョリティとなった社会は(家庭から国家に至るあらゆるサイズの社会において)、個のパフォーマンスが最大化できる”生きやすい”社会なのではないかと思う。
良書である。
子どもを日々叱ってしまう自分を変えるきっかけになればと購入しました。
叱ることのデメリットだけではなく
なぜ叱ってしまうのか、叱りが本人や社会にもたらす影響も細かに科学的見解からも書かれており
今一度、自分の行動と社会を見つめ直す視点を得られました。
子育てをしている人に限らず
誰かを叱る/叱られる立場にある全ての人に是非読んで欲しいと思いました。
叱ることのデメリットだけではなく
なぜ叱ってしまうのか、叱りが本人や社会にもたらす影響も細かに科学的見解からも書かれており
今一度、自分の行動と社会を見つめ直す視点を得られました。
子育てをしている人に限らず
誰かを叱る/叱られる立場にある全ての人に是非読んで欲しいと思いました。
怒ってしまうことが多く、どうにかしたいと思っていました。まさか、依存だなんて驚きですが、書いてあることを読むと納得します。こんな風に明確に言ってくれた方が良いです。
僕は依存してると思うと、バカバカしくて、情けなくて、苛立ちも消える気がしなくもないですね。
前よりマシな気もします。
この本に書いてあることを忘れずにに、これから頑張ります。
僕は依存してると思うと、バカバカしくて、情けなくて、苛立ちも消える気がしなくもないですね。
前よりマシな気もします。
この本に書いてあることを忘れずにに、これから頑張ります。
よく売れているので購入してみました。叱る行動が依存となってしまっている場合もあることについての心理教育本としては良いと思いますが、〈叱る依存〉の本質については十分ではありません。なぜなら、〈叱る依存〉の本質は条件反射にあるからです。
条件反射となってしまった〈叱り行動〉は、わかっちゃいるけどやめられません‼︎条件反射としての叱り行動をガチでコントロールしたい方には、『やめたいのにやめられない悪い習慣をやめる技術』をオススメします。いただけない様々なハマり行動に対応した内容となっています。
条件反射となってしまった〈叱り行動〉は、わかっちゃいるけどやめられません‼︎条件反射としての叱り行動をガチでコントロールしたい方には、『やめたいのにやめられない悪い習慣をやめる技術』をオススメします。いただけない様々なハマり行動に対応した内容となっています。
タイムラインで流れてきてピンときて即予約注文した本。
我が意を得たりな本でした。
久しぶりに一気に読み終えました。
プライベートで子育てしてる人にも読んでほしいけど、正論な分、ウッてくるところは少なからずあります。まずは仕事で子育て支援やら保育をしている人、あとは教育的・指導的立場にある人が自戒するために、というところかと思います。
平易な表現で、依存症自体への誤解についてもしっかり触れられている良著です。
ちょっともう一回読み深めたいと思いました。
我が意を得たりな本でした。
久しぶりに一気に読み終えました。
プライベートで子育てしてる人にも読んでほしいけど、正論な分、ウッてくるところは少なからずあります。まずは仕事で子育て支援やら保育をしている人、あとは教育的・指導的立場にある人が自戒するために、というところかと思います。
平易な表現で、依存症自体への誤解についてもしっかり触れられている良著です。
ちょっともう一回読み深めたいと思いました。
子供に叱ってしまう自分に自己嫌悪していました。
この本はただ叱るのはダメ!ということではなく、叱ってしまう側叱られる側の心理的問題をわかりやすく説明されています。
具体的な改善方法も理由付けがなされた上で書かれているので大変参考になりました。
子育て中の方にはもちろん、全ての方にオススメしたい本です。
この本はただ叱るのはダメ!ということではなく、叱ってしまう側叱られる側の心理的問題をわかりやすく説明されています。
具体的な改善方法も理由付けがなされた上で書かれているので大変参考になりました。
子育て中の方にはもちろん、全ての方にオススメしたい本です。
ぜひ、育児や医療や教育やスポーツなどを通じて子どもに関わっている全ての大人に読んでほしい良書です。端的に言えば
・「叱る」ことは実はほとんど効果がなく、むしろ害悪の方が大きい
・効果がないのに「叱る」には依存性がある
・日本社会は各所でその「叱る」依存性に侵されている
・筆者の村中さんもまた、その問題に悩んできた1人
といったことが(筆者のご経験や執筆の基礎になった脳科学や心理学関連の文献から)難しい言葉を使わずに平易に表現されています。
「叱る」ことをしないと子どもがダメになる、理不尽なことに耐える忍耐力も教育としては必要、といった典型的で多くの人に支持されている考えも実は誤りであり、後編には「叱る」を手放して期待する効果を得るにはどうすれば良いのかの具体案も書かれています。
学校のブラック校則、子供への過度な規制と制限、日本の時代遅れな妊娠中絶手法、芸能人の不祥事を寄ってたかって叩く行為など、日本社会が抱える多くの課題の根源がこの一冊の中で説得力ある「仮説」という形ではあれど締めされており、私はそれに対して非常に膝を打ちました。
筆者はこうした日本社会の課題に「一石を投じる」ことを一つの目的としてこの本を執筆されたという言葉が途中で登場しますが、まさにその価値に満ちている一冊です。大人による理不尽な指導に常々疑問を持ってきた記憶が未だ鮮明な私としては、読んでいて救われた部分も多々ありました。
現時点で「叱る」ことが常態化しており、内心それに悩んでいるという教育関係者の方や保護者の方は、ぜひ手に取ってみてください。
・「叱る」ことは実はほとんど効果がなく、むしろ害悪の方が大きい
・効果がないのに「叱る」には依存性がある
・日本社会は各所でその「叱る」依存性に侵されている
・筆者の村中さんもまた、その問題に悩んできた1人
といったことが(筆者のご経験や執筆の基礎になった脳科学や心理学関連の文献から)難しい言葉を使わずに平易に表現されています。
「叱る」ことをしないと子どもがダメになる、理不尽なことに耐える忍耐力も教育としては必要、といった典型的で多くの人に支持されている考えも実は誤りであり、後編には「叱る」を手放して期待する効果を得るにはどうすれば良いのかの具体案も書かれています。
学校のブラック校則、子供への過度な規制と制限、日本の時代遅れな妊娠中絶手法、芸能人の不祥事を寄ってたかって叩く行為など、日本社会が抱える多くの課題の根源がこの一冊の中で説得力ある「仮説」という形ではあれど締めされており、私はそれに対して非常に膝を打ちました。
筆者はこうした日本社会の課題に「一石を投じる」ことを一つの目的としてこの本を執筆されたという言葉が途中で登場しますが、まさにその価値に満ちている一冊です。大人による理不尽な指導に常々疑問を持ってきた記憶が未だ鮮明な私としては、読んでいて救われた部分も多々ありました。
現時点で「叱る」ことが常態化しており、内心それに悩んでいるという教育関係者の方や保護者の方は、ぜひ手に取ってみてください。