利根輪太郎の競輪人間学輪 思い込み

2022年05月02日 11時29分16秒 | 未来予測研究会の掲示板

並び 1-4-8 3-5-7-9 6-2

レース評
前評判通り3連勝で勝ち上がった吉田が完全Vへ突っ走る!山岸が逆転十分な対抗。
穴は河端マークから突っ込む阿竹。

一番人気 3-5(3.8倍)

3番吉田 有希選手の3日間の競争結果から、車券は3-5で固いと思い込む。

多くの競輪ファンの期待であった。
だが、一番人気で収まらないのが競輪の常なのだ。

別のラインの可能性を軽視してしまう。
押さえ車券は不可欠なのだ。




選手名 着差 上り 決ま
り手
S

B
勝敗因
1 6 河端 朋之   11.6    
× 2 2 阿竹 智史 1車身1/2 11.5    
  3 8 新山 将史 3/4車身 11.9      
4 5 山岸 佳太 1車輪 11.5      
  5 7 中田 健太 3/4車輪 11.5      
  6 9 武藤 篤弘 3/4車身 11.3      
7 4 根本 哲吏 3/4車輪 12.2      
8 3 吉田 有希 7車身 12.5      
9 1 嵯峨 昇喜郎 大差 14.7   SB  

 結果

6-2 1,970円(4番人気)

6-2-8 9,270円(22番人気)

戦い終わって

戦い終わって写真

 青森施設整備等協賛競輪G3決勝は嵯峨昇喜郎が前で、以下根本哲吏―新山将史―河端朋之―阿竹智史―吉田有希―山岸佳太―中田健太―武藤篤弘の順で周回。赤板過ぎに吉田が上昇するも、嵯峨が突っ張る。吉田はそれでも単独で仕掛けに行くも、河端のヨコまで。バックで根本が捲りに行くその上を河端が捲り、G3初優勝を決めた。「作戦は前が理想で、後ろからは嫌だなと。初手で中団が取れて、前の嵯峨君が吉田君を突っ張ってくれたので何とか四番手は死守と。ヨコにずっと吉田君がへばりついていたけど、山岸君だったら嫌でしたね。そのぶんチャンスができたし、自分だけ脚を使っていなかったのでスピード差があったように見えたのかも。前が突っ張って駆けてカカリ切っていないところで根本君が無理やり番手から仕掛ける感じだったので。あとはもうガムシャラでしたね。G1の裏開催で本当の上位はいない開催だったけど、これを良いキッカケにしたいです」。
 
 二着に入ったのは河端マークの阿竹。河端の踏み出しには遅れ気味となったが、それでも最後はしっかり続いてきた。「初手は取れたら前で、後ろ攻めになるとしんどいかなと思っていました。中団からのスタートとなったので、良い展開になりました。吉田君が河端君のヨコにずっといた感じだったので仕掛けづらかったと思う。でも最後は凄い所(三コーナー)から伸びていきましたね。ちょっと前を見て、出切っていく感じだったので慌てて追った感じ。ただ、ピッタリ付いていたとしても厳しかったでしょうね。今節は連日前のおかげです」。

 三着は東北ライン三番手の地元新山。吉田ラインを粉砕したが、あの展開では厳しかったか。「一番車をもらっていたので前から。吉田君に取らせないって作戦でした。赤板過ぎに突っ張ってくれて嵯峨君が良いレースをしてくれました。自分はそんなに脚に余裕がなかったし、車間空けて対応したりとか対応できなくて申し訳なかったし、そこが課題です。もうすこし脚があればゴール前で勝負できたと思います。タテの脚が足りないですね。これから脚をもっとつけていかないと」。

 

 



 

 

 

戦い終わって写真

 青森施設整備等協賛競輪G3決勝は嵯峨昇喜郎が前で、以下根本哲吏―新山将史―河端朋之―阿竹智史―吉田有希―山岸佳太―中田健太―武藤篤弘の順で周回。赤板過ぎに吉田が上昇するも、嵯峨が突っ張る。吉田はそれでも単独で仕掛けに行くも、河端のヨコまで。バックで根本が捲りに行くその上を河端が捲り、G3初優勝を決めた。「作戦は前が理想で、後ろからは嫌だなと。初手で中団が取れて、前の嵯峨君が吉田君を突っ張ってくれたので何とか四番手は死守と。ヨコにずっと吉田君がへばりついていたけど、山岸君だったら嫌でしたね。そのぶんチャンスができたし、自分だけ脚を使っていなかったのでスピード差があったように見えたのかも。前が突っ張って駆けてカカリ切っていないところで根本君が無理やり番手から仕掛ける感じだったので。あとはもうガムシャラでしたね。G1の裏開催で本当の上位はいない開催だったけど、これを良いキッカケにしたいです」。
 
 二着に入ったのは河端マークの阿竹。河端の踏み出しには遅れ気味となったが、それでも最後はしっかり続いてきた。「初手は取れたら前で、後ろ攻めになるとしんどいかなと思っていました。中団からのスタートとなったので、良い展開になりました。吉田君が河端君のヨコにずっといた感じだったので仕掛けづらかったと思う。でも最後は凄い所(三コーナー)から伸びていきましたね。ちょっと前を見て、出切っていく感じだったので慌てて追った感じ。ただ、ピッタリ付いていたとしても厳しかったでしょうね。今節は連日前のおかげです」。

 三着は東北ライン三番手の地元新山。吉田ラインを粉砕したが、あの展開では厳しかったか。「一番車をもらっていたので前から。吉田君に取らせないって作戦でした。赤板過ぎに突っ張ってくれて嵯峨君が良いレースをしてくれました。自分はそんなに脚に余裕がなかったし、車間空けて対応したりとか対応できなくて申し訳なかったし、そこが課題です。もうすこし脚があればゴール前で勝負できたと思います。タテの脚が足りないですね。これから脚をもっとつけていかないと」。

 
                     
           

 


1959年(昭和34年)にはじまった「こどもの読書週間」

2022年05月02日 11時23分26秒 | 社会・文化・政治・経済

第1回は、日本書籍出版協会児童書部会が中心となって開催した「こども読書週間」(4月27日~5月10日)です。

この年は、ポスターではなくしおりを作成し、東京都内の書店やデパートで配布したと記録されています。

1959年11月に読進協が発足したので、翌1960年の第2回より、読書推進運動協議会が主催団体となり、名称を「こどもの読書週間」、期間を5月1日~14日(こどもの日を含む2週間)と定めました。
 よく、「『こどもの読書週間』の『こども』はなぜ、『子ども』ではないのですか?」とのお問い合わせをいただきますが、これは、「こどもの日」に名称をあわせたからです。
 「こどもの読書週間」は2000年の「子ども読書年」を機に、現在の4月23日~5月12日の約3週間に期間を延長しました。

4月から5月にかけては、「国際子どもの本の日(4月2日)」「サン・ジョルディの日(4月23日)」などの記念日・関連イベントも多く、また、2001年12月に公布・施行の「子ども読書活動推進法」により4月23日が「子ども読書の日」となった影響もあって、「こどもの読書週間」は年々大きな盛りあがりをみせています。

2022年・第64回こどもの読書週間 標語

「ひとみキラキラ 本にどきどき」


読書週間の歴史

終戦まもない1947年(昭和22)年、まだ戦火の傷痕が至るところに残っているなかで「読書の力によって、平和な文化国家を作ろう」という決意のもと、出版社・取次会社・書店と公共図書館、そして新聞・放送のマスコミ機関も加わって、11月17日から、第1回『読書週間』が開催されました。

 そのときの反響はすばらしく、翌年の第2回からは期間も10月27日~11月9日(文化の日を中心にした2週間)と定められ、この運動は全国に拡がっていきました。
 そして『読書週間』は、日本の国民的行事として定着し、日本は世界有数の「本を読む国民の国」になりました。
 いま、電子メディアの発達によって、世界の情報伝達の流れは、大きく変容しようとしています。しかし、その使い手が人間であるかぎり、その本体の人間性を育て、かたちづくるのに、「本」が重要な役割を果たすことはかわりありません。
暮らしのスタイルに、人生設計のなかに、新しい感覚での「本とのつきあい方」をとりいれていきませんか。

 『読書週間』が始まる10月27日が、「文字・活字文化の日」に制定されました。よりいっそうの盛りあがりを、期待いたします。