本来、ミスタータイガースの呼称は藤村富美男に対して与えられたものである。
藤村は、1935年の球団創立時からチームに在籍しており、20年以上攻守にわたってチームの中心選手として活躍し、4度の優勝にも貢献。特に、1948年からはゴルフクラブを参考に「物干し竿」と呼ばれる長いバットを用いて本塁打を量産し、闘志溢れるプレースタイルがファンから絶大な支持を得た。
この時代、戦後の復興期にあって、藤村の人気は関西圏の野球ファンを一気に増加させ、タイガースを象徴する存在であるとして、「ミスタータイガース」との呼称が考案された[2]。
本来は、球団創設メンバーであり1940年代後半に不動の4番打者として活躍した藤村富美男に対する称号である。
1977年に俳優としてテレビ時代劇『新・必殺仕置人』の元締・虎役でレギュラー出演し、中村主水(藤田まこと)・念仏の鉄(山崎努)ら江戸中の全仕置人を束ねる闇の殺し屋組織『寅の会』元締という役柄で、特に寅の会の掟を破った外道仕置人(演:今井健二)を物干し竿を一振りで仕置するシーンには現役時代のフィルムがカットインするなどの演出も盛り込まれた。
同ドラマの最終回では殺される役柄であったが、同じ役で1982年の必殺スペシャルにも出演し、1979年にはその後の仁義なき戦いにも出演。
野球では1974年に野球殿堂入りを果たし、完全にタイガースとも縁が切れたわけではなく、1977年オフには球団が藤村を総監督に据える構想を描き、藤村は後藤次男への監督要請前に承諾したが、1966年の総監督・藤本定義―監督・杉下茂という二頭政治の失敗を目の当たりにしている後藤は「それなら引き受けられない」と反発した。
長田睦夫球団社長は藤村について「現場には一切口を出さない。私的な相談役」と無報酬・非常勤の球団社長付アドバイザーで落ち着いた。
1984年のインタビューではタイガースから「顧問としていくばくかのお金をいただいている」と述べ[62]、1985年のタイガース優勝時には大阪スポーツ専属評論家として日刊スポーツに優勝コメントを寄せた。同年には甲子園を訪問した際に川藤幸三に対し、「テレビで見たが、お前ベンチで偉そうにしているな。それでいい。タイガースの歴史を作ってきたのは大学出のスターじゃない。お前ら補欠の人間だ。だからそのまま偉そうにしておけ」と激励した話が伝えられ[70]、川藤はこの藤村の訓示を直立不動で聞いたという。
1988年以降は病院や介護施設で闘病生活を送っていたが、1988年に村山が監督にな