旧ソ連時代、カザフスタンでは450回を超える核実験が行われ150万人が影響を受けた

2022年06月24日 14時42分28秒 | 新聞を読もう

カザフスタンのセミパラチンスク核実験場では、旧ソ連時代の1949年以降、約40年間に450回以上の核実験が行われました。

周辺住民には正確な情報が伝えられないまま、放射能汚染が繰り返され、150万人以上もの人が被曝したといわれています。

100回以上は空中や地上で行われ、放射性物質(ほうしゃせいぶっしつ)が広範囲にばらまかれました。 熱や地面の揺れを感じ、ほこりや雨を浴びたと答えた人もいます。

核実験の時、家の外に出るように指示されたとの証言(もあり、被害者の中には、人体実験だったと考えている人もいるそうです。

住民は、核実験の放射線がどれほど危険か知らされていませんでした。 放射線による悪性腫瘍の発生は白血病、甲状腺、食道、胃、肝臓、腸、 肺、乳房に観察されている。その他、染色体異常や奇形など放射線によるとさ れる異常が観察されている。


阪神 斎藤友貴哉が1軍合流、昇格の見通し ウエスタン防御率0・00

2022年06月24日 14時24分20秒 | 野球

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阪神-中日」 (24日、甲子園球場)  阪神・斎藤友貴哉投手(27)が24日、中日戦から行われる甲子園の試合前練習に合流。そのまま出場選手登録される見通しだ。  
ウエスタンでは5試合に登板し、1勝0敗、防御率0・00と安定した成績を残してきた斎藤。再昇格前の1軍成績は16試合の登板で0勝1敗、防御率5・40という結果だった。ファームで好投を続けてきた右腕が、1軍で力を発揮する

久しぶりに東京へ

2022年06月24日 12時06分18秒 | 日記・断片

午後2時21分の取手駅発の電車に乗る。

1番先頭の車両であった。

4人がけの席であるが、席に座るのは当方が一人。

松戸駅でようやく、席が埋まった。

同様に、向い側の席も1人から、3人となる。

品川行であり新橋へ行くのを変更して、上野駅で降りてみる。

上野駅の構内で山形の物産店を覗く。

御徒町方面へ向かう。

観光客であろうか、3時30分過ぎの時間帯に、酒を飲んでいる。

当方は一人なので、店に入るのはやめた。

秋葉原で、参議院議員候補者の街頭演説を聞く。

メイド喫茶に誘う若い女の子たちが立ち並び、ビラ配りをしていた。

その数20人余、もっといたかもしれない。

神田駅のガード下は、広くなるり、バー・フロリダなどが存在した路地裏の面影は消えている。

20代に勤めていた志平ビル(漢方薬卸)も無くなっていた。

薬業会館や製薬企業、卸企業が並んで本町界隈や室町の細い路地も消えていた。

都内はどこも同じで、高層ビルが増えていた。

東京駅を経て有楽町へく向かう。

ここでも、街頭演説を聞く。

夕刻となり仕事を終えた友人と新橋で会い、酒を飲む。

友人は「痛風が出たので」と日本酒は控えて、アルコールはビールのみであった。

帰りには、人身事故で常磐線電車はしばし停まる。

 

 

 

 


ミスタータイガース 藤村富美男 『新・必殺仕置人』の元締・虎役でレギュラー出演

2022年06月24日 10時25分14秒 | 野球

本来、ミスタータイガースの呼称は藤村富美男に対して与えられたものである。

藤村は、1935年の球団創立時からチームに在籍しており、20年以上攻守にわたってチームの中心選手として活躍し、4度の優勝にも貢献。特に、1948年からはゴルフクラブを参考に「物干し竿」と呼ばれる長いバットを用いて本塁打を量産し、闘志溢れるプレースタイルがファンから絶大な支持を得た。

この時代、戦後の復興期にあって、藤村の人気は関西圏の野球ファンを一気に増加させ、タイガースを象徴する存在であるとして、「ミスタータイガース」との呼称が考案された[2]

本来は、球団創設メンバーであり1940年代後半に不動の4番打者として活躍した藤村富美男に対する称号である。

1977年に俳優としてテレビ時代劇『新・必殺仕置人』の元締・虎役でレギュラー出演し、中村主水(藤田まこと)・念仏の鉄(山崎努)ら江戸中の全仕置人を束ねる闇の殺し屋組織『寅の会』元締という役柄で、特に寅の会の掟を破った外道仕置人(演:今井健二)を物干し竿を一振りで仕置するシーンには現役時代のフィルムがカットインするなどの演出も盛り込まれた。

同ドラマの最終回では殺される役柄であったが、同じ役で1982年の必殺スペシャルにも出演し、1979年にはその後の仁義なき戦いにも出演。

野球では1974年に野球殿堂入りを果たし、完全にタイガースとも縁が切れたわけではなく、1977年オフには球団が藤村を総監督に据える構想を描き、藤村は後藤次男への監督要請前に承諾したが、1966年の総監督・藤本定義―監督・杉下茂という二頭政治の失敗を目の当たりにしている後藤は「それなら引き受けられない」と反発した。

長田睦夫球団社長は藤村について「現場には一切口を出さない。私的な相談役」と無報酬・非常勤の球団社長付アドバイザーで落ち着いた。

1984年のインタビューではタイガースから「顧問としていくばくかのお金をいただいている」と述べ[62]、1985年のタイガース優勝時には大阪スポーツ専属評論家として日刊スポーツに優勝コメントを寄せた。同年には甲子園を訪問した際に川藤幸三に対し、「テレビで見たが、お前ベンチで偉そうにしているな。それでいい。タイガースの歴史を作ってきたのは大学出のスターじゃない。お前ら補欠の人間だ。だからそのまま偉そうにしておけ」と激励した話が伝えられ[70]、川藤はこの藤村の訓示を直立不動で聞いたという。

1988年以降は病院や介護施設で闘病生活を送っていたが、1988年に村山が監督にな


岡田彰布氏 阪神・大山の状態が少し気がかり 自分から崩れにいくような打撃

2022年06月24日 10時22分29秒 | 新聞を読もう

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「広島3-3阪神」(23日、マツダスタジアム)  阪神は引き分けたが、序盤の好機で得点を奪えていれば、勝てた試合だっただろう。特に6月は絶好調だった大山の状態が少し気がかりだ。

 2点を先制後の初回1死三塁は広島の内野が前進していたが、カウント1-1から3球目の内角高めの直球に詰まって浅い右飛に倒れた。三回1死満塁では空振り三振。特に気になったのは、同点の七回2死一、二塁だ。  2ボールから森の高めのチェンジアップを引っかけて三ゴロに倒れた。

この場面は1球見送ってストライクを取られても打者の方が有利なのだが、見送ればボール球のようにも見えた球を追いかけるように打った。

 大山は「狙い球を絞る」というより、「バッティングカウントなら打ちにいく」と決めているのかもしれないが、七回は決して無理して打ちにいく場面ではない。余裕があれば、ああいう打撃にはならなかっただろう。  

大山は構えた時にバットのヘッドが投手方向に入っているため、追いかけるような打撃になるとバットの軌道が波を打って、高いバウンドのゴロになるケースが多く、今日はそういう打撃に見えた。

 いい時は無心で自分のポイントで打てていたが、今日のように自分から「打ってやろう」と崩れにいくような打撃をしては状態が狂ってしまう。  

これまでの大山の打撃を振り返ると、調子の波が大きいことが気になっている。一球、一打席でバッティングは崩れるもの。調子がいい時ほど、謙虚な気持ちを忘れずに打席に立ってもらいたい。