事業仕分けで内政はがたがたになり、鳩山由紀夫の数々の軽率さにより日米関係は戦後最も冷え込んでいた。株価は下落し、大学生の就職率は過去最低を示し、街も観光地も閑古鳥が鳴いていた。日本全体が沈滞感で覆われていた。
安倍首相になってすぐ空気が変わったのは、首相のメッセージが大きかったと小川氏は言う。
「政策や戦略も大切だが、『成長していこうという精神』が必要だ」と国民に訴えかけた。国家の政策の下に国民を置くのではなく、国民自身の成長への意欲を国策の基軸に据えたのである。
鬱積していた沈滞感をぶち破る政治の力強いメッセージに対する手応えは大きく、国民経済の空気は瞬時に変わった。実体経済の回復を待たずに、株価の上昇、円安など、早速数字に現れたのである。
安倍首相は政権を取る前はTPPに慎重な姿勢を見せていたし、自民党は反対の姿勢を取っていたが、2013年3月、参加を表明し、裏切られたと感じた保守派は多かった。
(実は私もそうだった。)しかし、交渉能力さえあれば、日本はアメリカと対等に渡り合える。事実、安倍政権は、日本に有利にTPP交渉を妥結させた。
日本固有の価値を守りたいと願っている伝統主義者が、同時に世界に開かれた日本を主張することに矛盾はない。日本的な価値、固有性を愛することと、開かれた日本を目指すことは両立し得るし、むしろ、その工夫の中でしか、ある国の固有性は深まらない。
両立させるだけの強い交渉力と、柔軟なコミュニケーション能力、そして日本固有の価値に対する自尊心があってこその日本の固有性であり、日本の成長可能性ではないかと、小川氏は言う。
またTPP参加は、経済面だけでなく、安全保障の一環でもあった。安倍首相は、自由貿易圏の形成と、自由主義国家群による安全保障体制づくりを同時に展開していくのである。
「安倍外交」のスタートダッシュも圧巻だった。
政権発足(2012年12月26日)から数日後の2013年1月早々、東南アジアを歴訪、対ASEAN外交五原則を発表する。2月にはワシントンでオバマ大統領と日米首脳会談を持ち、「日米同盟の完全復活」を宣言する。
4月には、訪日したNATO事務総長と会談し、日・NATO共同政治宣言を発表した。
4~5月には、ロシアと中東を、100社を超える経済ミッションを帯同して訪問した。
6月には欧州を訪問し、アベノミクスによる経済成長路線を各国に説明し、世界の首脳からも日本経済復活に大きな期待が寄せられた。
9月には東京オリンピック誘致に成功する。また中国と軋轢のあるフィリピンやインドを訪問し、経済協力、相互安全保障の前進、首脳同士の友情、観光誘致、南シナ海での中国の脅威への懸念の表明など、対中国包囲網をつくった。
オバマ大統領との最初の日米首脳会談では、わずか1時間30分という極度の冷遇だったが、安倍首相は冷遇を物ともせず、「日米同盟の信頼、強い絆は完全に復活した」と宣言してみせた。また保守系シンクタンクCSISでの安倍首相のスピーチは反響を呼び、リーダーとしての力量を各国のジャーナリズムに認識させた。
東京オリンピック招致直後の訪米で、安倍首相は三つの重要な演説をこなした。
国連総会での一般討論演説、ウォール街でのアベノミクスをPRする演説、保守系シンクタンクであるハドソン研究所での安全保障演説である。
ハドソン研究所での演説では、外交演説で初めて集団的自衛権の検討を表明した。
国連の演説では、日本の経済を立て直し、そのうえで日本を、世界に対して善を成す・頼れる力とすることの二点を表明した。暴力や悪から世界を守るのが安倍首相の言う「力」であり、「積極的平和主義」である。
一方、オバマは「もはやアメリカは世界の警察官ではない」宣言を発し、世界中から米軍撤退を打ち出し、この後、安倍ドクトリンがオバマ外交の不備を補い、それどころかオバマ政権が親中から日米同盟に劇的に路線転換する流れを主導することになるのである。
日本の安全保障環境は、この数年来、急激に厳しさを増している。中国による尖閣危機は常態化し、南沙諸島への海洋侵略が進んでいる。
またアメリカは数年前のシュールガスの開発によって、中東の石油資源に依存せずにエネルギーが可能になり、世界に軍事力を展開し続ける必要はなくなった。
アメリカにとって、日本は絶対的に堅固な同盟国では必ずしもなく、中国も仮想敵ではない。アメリカの中での日中の重要度や親密度は、逆転し得るものになった。
また鳩山首相が沖縄米軍基地問題を混乱させ、米政府に極度の不信を与えるなど、日米関係はかつてなく悪化した。安倍首相が登場した時、日米の安全保障は、破綻寸前だったと言っていい。
また日本政府にはテロ対応の体制そのものがなく、在外邦人に何かあったとき、救出の手段がないため、「国家安全保障会議」(日本版NSC)の創設を急ぐこととなった。
この日本版NSCという安全保障の最高会議ができても、スパイ天国の現状では、アメリカ、イギリスをはじめとする各国のNSCは日本への情報提供を渋るだろう。NSCの発足と、先進国並みの機密情報保護法の成立は切り離せないため、安倍首相は特定秘密保護法成立を急いだのである。
また日本では、罰則対象となる国家機密が、一部の軍事情報を除き、法律で明確になっておらず、外交やスパイ活動、テロに関して、法的根拠も取り扱い基準も罰則も不明瞭だった。この特定秘密保護法により、安全保障上の重要機密情報を管理する統一的なルールが定められ、日本と国民の安全を守るための機微な情報を外国とやり取りし、政府内で共有し、かつこれを保護するための基盤が整ったのである。
この特定秘密保護法が国会審議に入ると、産経新聞と読売新聞を除くマスコミは、激しい批判を展開し、大規模な反対集会も相次いだ。
彼らはものが言えない暗黒社会になると言って大騒ぎしたが、法案施行から二年半、そのようなことには全くなっていない。
次に、安倍首相は集団的自衛権行使容認へと歩を進める。集団的自衛権行使は、1969年の佐藤栄作時代の国会答弁で否定され、その後、歴代政権が踏襲して今日に至っているため、安倍首相の下準備は周到を極めた。
与党自民党と公明党さえも、抵抗勢力なのである。
日本の命綱である日米安保条約は、アメリカによる片務的な日本防衛の義務づけであり、これを双務化する流れをつくることにより、日米間の不公平感や不信感を取り除き、日米の軍事が一層緊密になり、日本の安全保障を確かなものにするのが狙いである。
国際情勢は大きく変わっており、集団的自衛権の一部を認めなければ、日本の平和と安全を維持するのが困難な事態が生じ得る。だから、自衛を全うできる範囲を拡大するという論理である。
安倍政権は法案の整備に入り、2015年4月、法案全容が明確になった段階で、「日米防衛協力の指針」(ガイドライン)が18年ぶりに改定された。
それにより、初めて尖閣防衛が日米安保の適用対象であることが明記された。
この一連の動きは、対中脅威への予防措置としてぎりぎり間に合った大きな一歩だったのである。
国会審議で、当時(2015年5月)の民主党の党首・岡田克也は、「日本が戦後70年、平和を保てたのは日米同盟ともう一つは、憲法九条があって、日本の武力行使、海外での武力行使を封じてきたからだ」と述べた。
小川氏は、憲法九条の制約を利用した路線が戦後日本の平和に関して功を奏したのは否めないと、岡田氏の主張を否定しない。
ベトナム戦争、キューバ危機、度重なる中東戦争、近年では湾岸戦争、イラク戦争に至るまで、日本は一度も海外派兵をしていない。
前二者は冷戦に起因するものだし、中東危機は日本にとって死活的な原油算出地域での紛争で、日本はいずれも部外者とは言えない。
にもかかわらず、戦争、戦闘の部外者として通せたのは、憲法九条の制約だったのは間違いない。
岡田氏の言うことは正しい。安倍首相はそれを明確に否定はしないが、その論理には乗らない。
そのようにアメリカ人の血に依存しておきながら、憲法の盾による平和は、どんなに居心地がよくとも、不道徳だからである。
そして、集団的自衛権の解禁を進めたのは、この道徳的破産が、日米安保条約の実効性を損なう日が着々と近づいていることを感じてきたからである。
マスコミは反安保一色になり、安倍首相は長期間批判に晒されたが、内閣支持率が急落することも恐れず、国会を延長して審議を徹底し、平和安全法制を成立させた。
世界の大勢は日本の集団的自衛権限定解禁を支持した。多くの国が支持や歓迎を表明し、国際社会に完全に承認されたと言ってよい。
世界の大多数の国とメディアが支持した法案に強く反対したのが、日本の左派メディアと中国の管制メディアだった。
小川氏は、安倍政権の人口政策、労働政策や、北方領土交渉について批判しているが、安倍首相がいかにぎりぎりのところで日本の国益を守ってきたか、よく分かった。安倍首相がいなかったらと思うと、ぞっとすることばかりだった。