利根輪太郎の競輪人間学 負けない車券

2022年11月14日 15時13分13秒 | 未来予測研究会の掲示板

新町の寺田さんは、3連複での勝負である。

1レース1000円で、2点の車券。

例えば本命のラインが2-5-3 別のラインが4-6-1 7番(単騎)

車券は2-3-5 2-4-5の2点である。

結果は2=4=5で1040円

「車券で勝負するなら3連複で十分」と言う。

自分を含めて人の外れ車券を確認すると、組み合わせが悪い。

それは、迷いの表れであるのだが・・・。

 

FⅠ 大垣競輪 ヤマコウカップ・日刊スポーツ杯

9レース(11月14日)

専門新聞の予想

3=7 142

3=4 726

3=1 742

3=2 741

4=2 376

人気から3番が車券の軸となる。

だが、その3番が車券に絡まないことが少なくないのが競輪の難しさなのだ。

つま、3番を外した車券をも想定すれば、負けない車券買いになるはず!

分かっていても、オッズを観ていていると、そ1れができなくなる。

本命ラインが先行か、捲ーりかで、展開はさゆうされるものだ。

7-3-1が主導権を握り先行なら、3-7-1ラインで決着するだろう。

だが、2-4-6ラインが主導権を握り、2-4-6 7-3-1-5の展開となる。

本命の3番は5番手に置かれる。

7番は捲り切ったが、3番は万事窮す!

結果

3連複 2=4=7 2,940円(14番人気)

3連単 7-2-4 2万7,530円(78番人気)




選手名 着差 上り 決ま
り手
S

B
勝敗因
1 7 瀬戸 栄作   11.9    
2 2 吉武 信太朗 1/2車輪 12.2 SB  
× 3 4 原 誠宏 1/4車輪 12.1      
4 1 松田 治之 1車輪 11.7      
5 5 玉手 翔 1/4車輪 11.6      
  6 6 近藤 範昌 1/2車身 12.1      
7 3 中村 圭志 1/2車輪 12.0

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


58歳の現役選手が“競輪の神様”に教え請う「凄いところは惨敗したときの切り替えの早さ」

2022年11月14日 15時08分02秒 | 未来予測研究会の掲示板

配信

 

【関連記事】


日本では、そもそも宗教が嫌いの人が多い。

2022年11月14日 12時33分41秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

宗教こそ人間らしく生きるための基盤

日本では、そもそも宗教が嫌いの人が多い。

しかも、知識人でさえ宗教に疎いことは否めない。

なぜか、日本では、戦争に宗教が加担した歴史があるからだ。

戦争責任表明に見る歴史認識

 明治以降の天皇制に基づく軍国主義のなかで、時流に抗して治安維持法違反や不敬罪で弾圧された教団がある。

宗教団体へ治安維持法が初めて適用された1935年の「大本」への弾圧では、教祖・出口王仁三郎と幹部ら61人が治安維持法違反と不敬罪の容疑で検挙され、壊滅的打撃を受けた。

このほか法華宗本門流、日本基督教団第6部・第9部のホーリネス系教団、創価教育学会(現・創価学会)なども弾圧された。

カトリック教会は上智大生靖国参拝拒否事件をきっかけに、神社参拝を認める方向性に転換した。
 圧力に押される形であったとしても、主な教団のほとんどが戦争に協力した。

一方、日本における人々の宗教への理解度の低さから、高学歴の人たちまでが、オウム真理に入信し、殺人の罪まで犯し、死刑ともなった。

本来、生命尊厳などの倫理観や価値観は宗教性に基づいているはずだ。

そもそも、オウム真理の信者たちには、人間としての基本を理解していなかったのである。

 

 

 


宗教の社会的役割とは、「安心・安全」の場所を提供することだ

2022年11月14日 12時21分46秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

「あそこへ行けば安心できる」と心から感じられる場が必要だ。

宗教の社会的役割とは、「安心・安全」の場所を提供することだ。

宗教は人間のエゴイズム(利己主義)を抑制し、利他的な思考・行動を促すものだ。

人知を超えた存在に思いをはせることで、反省や謙虚さ、努力の大切さ、他人とのつながりや感謝の念が惹起される。

正直に真面目に生きること、そして「よりよい社会」を築く意欲を歓喜する。

「不安の時代」「不確実性の時代」といわれる今だからこそ、

「宗教」あるいは「宗教性」について、真摯に考察していく必要性があると感じる。


宗教の社会的な価値が問われている。

2022年11月14日 11時30分28秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

日本人の宗教行動

正月は初詣のために神社に行き、結婚は教会であげ、葬式は寺院で執り行われる。

つまり、日本人は一貫しない宗教行動をしており、海外の人たちの感覚では理解しずらい。

現今の問題を見る、宗教全般について学ぶ機会の必要性を感じる。

宗教はこれまで世界中で存在し続けてきた。

それは、宗教が人間にとって不可欠なものであり、普遍的な価値を有しいることの証であるといえるだろう。

人は生きていく上で、さまざまな事態に直面する。

なかでも、生まれること、老いること、病気になること、死ぬことという「生老病死」をめぐる根源的な問題に直面した時、人は超越的な存在を感じることが多く、人類は宗教を必要としてきた。

現代社会でが、孤独や孤立の問題など、現実の生活の中で生きづらさを感じる人も多く存在する。

そのことからも、宗教の社会的な価値が問われている。


仏教思想の大切な特徴の一つが平等観 

2022年11月14日 11時30分28秒 | 新聞を読もう

仏教が誕生したインド社会は、カースト =ヴァルナ制度による厳しい差別社会であった。

人々の生活は、カースト=ヴァルナによっ て厳しく分断され、人間の尊厳も奪われていった。

そうした現実の中で仏教は、いのちとは 何か、人間とは何かを明らかにしていった。

いのちのつながりとその不可分性を大切にし縁 起思想を明らかにしていった。

差別は人と人を切り離していく。

いのちはつながりの中で存在するが、差別はそのことを 奪っていこうとする。

差別は人と人を分断し孤立させていこうとする。

人間とは何か、人間のいのちとは何か、私のいのちは他者のいのちとどのようにつながり、 無限のいのちとどのようにつながっていくのかといったことが大切な課題としてあったよう に思う。

それは、自己と他者、主体と客体、個人と社会の関係などの課題でもあると思う。

の尊厳と無我 人間は自立的・主体的存在であるとともに、他者とのかかわり、社会や環境とのかかわり の中で生きる存在である。

 自己と他者、個人と社会は絶えずさまざまな緊張関係を生み出し、対立し葛藤しながら展 開していく。仏教は主に自己の側から他者や社会とのかかわりを見ていった。

自己の側の煩 悩やエゴイズム(利己主義)を主に課題としていった。

そして「我執」から解放された「無我」 の中に救い・解放を見ていった。

仏教の生命観

仏教の生命観と人権思想

仏教はいかに人権に関わるか

山岡政紀 書評集

〔書評〕『新版 日蓮仏法と池田大作の思想』 松岡幹夫著/第三文明社刊/2018年7月3日 発行/定価1400円/ISBN 978-4-476-06236-6 C0010

創価学会を「哲学」として見る視点

創価学会インタナショナル会長池田大作氏(以下、池田会長)は、1960年に創価学会第三代会長に就任して以来、60年近くにもわたり創価学会の活動を指導してきた。

その間、おびただしいほど多くの言説を著し、『池田大作全集』は既に150巻にも及んでいる。

ライフワークと定めた小説『新・人間革命』も去る2018年9月8日に全30巻の連載がようやく完結を見たところである。

池田会長は仏法者として日蓮の御書(遺文)や法華経など仏法哲学に関する講義を多く著述しているほか、歴史家トインビーをはじめとする世界の識者との対談、ハーバード大学をはじめとする世界諸大学での講演、平和・文化・教育をテーマに世界に発信する提言などが世界に多大な影響を及ぼしてきた。

そのいずれにおいても、仏法の生命哲学を普遍的な言葉に置き換えて現代の哲理に昇華して語っている。こうした池田会長の言説に触れたことを契機として池田会長との出会いを熱望し、実際に会見を果たした人々のなかには周恩来、ゴルバチョフ、マンデラといった世界各国の指導者も名を連ねている。

しかしながら日本国内においてはこうした池田会長の言説に対してまともな評価がほとんど行われていない。

ゴルバチョフ氏は2007年に来日した際、「日本人は池田会長を過小評価している。それは間違っているのではないか」、「池田会長とは対談集も発刊し、世界で読まれています。皆さんは、その対談集を読まれたのですか」と発言している。

その場にいた財界人たちはこの言葉に驚いたというが、実際に会って意気投合し、対談集まで出しているゴルバチョフ氏から見れば、なぜ日本人は池田会長の思想を知ろうとしないのか、対談を読もうともしないのかと驚いたことだろう。

かつて外交官としてゴルバチョフ氏と池田会長の出会いの場に関わり、それ以来、池田会長のファンになったと公言して憚らない作家・佐藤優氏は、講演のなかで「日本の社会には創価学会タブーがある。

創価学会の悪口であればどんなめちゃくちゃなことでも書けるが、創価学会の平和への貢献や池田会長の功績を書くとすぐに叩かれる」(佐藤優(2018)より、要旨)と述べている。

さらに日本の宗教学において、伝統的な仏教宗派に対してはその教理の「内側の」視点に基づく宗教哲学的な論考が見られるものの、明治期以降に成立したいわゆる新宗教に対しては教団の形成や社会との関わり等について「外側の」視点から分析した宗教社会学的な論考が大半である。

創価学会もまたそれらの新宗教の一つと見なされているうえに、排他性を持った教団との認識に基づく批判的な分析が多くを占め、創価学会の哲学の本質を「内側から」理解しようとする論考はいまだに希少というのが実情である。

池田文献への学術的アプローチ

前置きが長くなったが、こうした実情への問題意識が執筆の動機づけとなっていることは、本書『新版 日蓮仏法と池田大作の思想』を評するうえで不可欠な文脈なのである。

中国では北京大学を筆頭に20を超える諸大学で池田大作研究所が設立されるなど「内側」視点の池田思想研究が拡がりを見せており、その潮流は欧米にも拡大しつつある。

その一方で日本では池田会長の言説を学問的に整理し、分析し、その言説が持つ仏教哲学としての意義を正面から論じた研究が依然として少ない。

今後、日本における池田思想研究が興隆しゆくための先鞭となることを意図して書き起こされたのが本書である。

本書の著者松岡幹夫氏はかつて日蓮正宗大石寺宗門に僧籍を置くも、いわゆる第二次宗門問題の際に宗門を批判して離脱した人である。

宗門離脱に際しては大石寺の僧侶に顔面を殴られたとの逸話もある。怒号を浴び、暴力を振るわれてまで自らの信念を貫いて長年所属した宗門を離脱したというのだから腹が据わっている。

それこそは、いっさいの妥協を排して日蓮仏法の本義に忠実に生きようとした誠実な信仰の発露であったことを同氏はこれまでも度々述懐している。

氏はその後、本格的な学問の手法を修めるべく、東京大学大学院に進んで博士号を取得し、現在は大学教授として教鞭を執り、今日に到る。

本書には池田思想に対して学問的にアプローチするための研究手法が採られている。

その特徴の第一は池田会長の言説に忠実に基づいて考察している点である。

おびただしい池田会長の言説のテクストを収集・整理し、そこから解釈や一般化を行っている。

この点は文芸研究や歴史研究に求められる文献重視と共通の手法である。

第二の特徴は、そうして収集した池田会長の言説を表面的に捉えるのではなく、その理念の元となっている日蓮仏法の法理に淵源をたどって考察している点である。

つまり、池田会長が仏法の哲理を一般的な言葉へ普遍化した言説を、日蓮仏法の言葉へと再解釈しているのである。

このことがまさに本書の特徴である池田思想の「内側の」視点に迫る哲学的アプローチの中核にほかならない。

池田会長の言説は時代に即応した展開をしてはいるものの、その本質は約60年間全くぶれることなく一貫している。

それは池田会長が日蓮仏法の法理に一貫して忠実であり、その基軸がぶれないからであろう。

ゆえに池田会長の言説を日蓮仏法へと再解釈する作業は、池田会長の真意を確認するうえで重要な作業となる。

池田思想における「すべてを生かす」とは

 本書は、序章「創価学会研究の現状と課題」、第一章「池田思想の五つの特徴」、第二章「池田思想に対する偏見を正す」、第三章「仏教哲学と池田思想」、第四章「現代仏法と池田思想」、第五章「人間主義の宗教」の全6章から成る。

 第一章では池田思想の五つの特徴が記されている。これは池田会長が日蓮仏法を社会哲学としてどのように展開しているかをその言説をもとに整理したもので、①生命の復権、②自由自在の主体性、③すべてを生かす、④変化の信仰、⑤智慧に生きる、以上の五項目である。それぞれを端的に要約すると以下のようになる。

①生命の復権。

西洋近代の理性信仰に代わって、理性だけでなく、感情、直観、欲望等も含む全体的生命に尊厳を見出そうとする。

②自由自在の主体性。理性よりも根本的な生命次元の主体性の回復により、何ものにも囚われない自由自在の生き方を勧奨する。

③すべてを生かす。

根源的な主体性に基づくことにより、生死、善悪、苦楽など、二律背反的に現れる現象のすべてを無駄なく生かしていく。

④変化の信仰。人間が自身の宿命を真正面から受け止め、それを転換しゆく「人間革命」の可能性を信じ、そこに人間生命の尊厳観を見出す。

⑤智慧に生きる。個人の幸福と社会の繁栄が両立することを目的として、そのためには現実に即したあらゆる智慧を柔軟に生かしていくべきであるとする。

 このうち、③「すべてを生かす」が特に繰り返し言及され、本書全編を通じてのキーワードとなっているので、ここを重点的に紹介したい。「すべてを生かす」は総合的概念で、この小節では池田会長が多面的に展開した池田会長の言説11件が典拠と共に引用されている。それらをさらに整理すると次の4項目に整理できる。各項1件ずつ引用を再掲する。

①人生のあらゆる経験を幸福境涯の確立のために生かす。

「仏界が基底の人生は、過去・現在の九界の生活を全部、生かしながら、希望の未来へと進める」(全集30-423)。

過去・現在のあらゆる苦難を未来の幸福のために生かしていく道を示している。

②すべての人を掛け替えのない人として尊重し、生かす。「あらゆる人を活かしていくのが、仏法」(全集97-369)。

人種、国籍、性別、社会的地位、宗教等、あらゆる外的側面を除去した生活者としての民衆をすべて尊極と捉え、生かす。

教育の根本精神にも通じる。

③あらゆる思想を生かす。

「歴史上の、あらゆる偉人の英知も(中略)現代に活かし、実生活のうえに活かし、価値創造していくことができる」(全集137-260)。

東西の万般の思想、哲学、宗教を活用しながら、社会の繁栄のために活かす。

④仏法の八万法蔵をすべて生かす。

「仏法では『序分・正宗分・流通分』、また『要・略・広』等と説きます。そのなかに、一切の知識、一切の善論を包含し、時に応じ、状況に応じて、最も価値的に表現するわけです。

大海のごとく、『すべてを生かす』のが仏法です」(聖教96.4.25)。

あらゆる一切経が法華経を説くための準備や法華経を広めていくための補助としての役割があって生かされるとする。

①~③は日蓮仏法の法理を普遍的な言葉で展開したものである。

そして、④が日蓮仏法における「三分科経(序・正・流通)」(注1)をかみ砕いて示したものである。日蓮の遺文「観心本尊抄」には、より本質的な「五重三段」(注2)の法理が展開されている。

詳細は略するが、要は根本の成仏の法である文底下種の法を中核に据えれば文上の法華経本門寿量品も生かされ、さらには法華経本門だけでなく迹門も生かされ、つまるところ法華経だけでなく爾前経や涅槃経も生かされ、八万法蔵の一切経すべてが生かされるという法理である。

そして、これを現代的に普遍化して展開したのが③と位置づけられる。なお、①は「煩悩即菩提」(注3)、②は「十界互具」(注4)の現代的表現である。

仏法そのものが全体包括主義的な思想であり、現象面の差異を乗り越えて本源的な法理への合一を目指す志向性が一貫しているため、どの部分を取っても「すべてを生かす」という全体包括的な一つの概念で表現することができる。

池田思想における「すべてを生かす」は、③に「東西の万般の思想、哲学、宗教を活用しながら」と記したように、他の宗教との対話姿勢も含まれている。本書にも池田会長の下記の言説が引用されている。

「仏教徒である前に、人間である。イスラム教徒である前に、人間である。キリスト教徒である前に、人間である。対話を通して、人間性という共通の大地に目を向け、友情が生まれれば、そこから互いの長所も見えてくる。学び合おうとする心も生まれるのだ」(名言100選120)

「仏教であれ、キリスト教であれ、イスラム教徒であれ、どの宗教も「生命の尊厳」を説いています。その共通の基盤の上に立って、人類の平和のために対話し、協調していくことは、宗教の当然の使命です」(全集141-400)

このことは本書では創価思想の排他性のイメージに対する反駁として特に強調されている。

創価学会・日蓮仏法は排他的か?

創価学会が日本社会で批判される理由は排他的、攻撃的、独善的とのイメージにある。

それは戸田第二代会長時代(1951~58)から池田第三代会長時代初期(1960~1970頃)までの間に強力な布教拡大が遂行された過程で他宗教の信者を大量に改宗させたことで他教団からの批判を招いたことや、一部の会員に強引で感情的な折伏があったことも本書で事実と指摘されている(p.94)。

しかし今日、聖教新聞を開いても他宗教を批判するような言辞はいっさい見られず、それどころか、平和、人権、環境などの社会的テーマを扱った啓発的な記事では、学会内外の専門家や有識者、あるいは他団体関係者のコメントを掲載するなど、社会貢献、社会との融和を目指す編集方針が明確となっている。今日の聖教新聞を見る限り、閉鎖的で排他的な印象は全くない。

ただ、このように現象や印象の次元で論じるのでは皮相的である。

本書は、そもそも日蓮仏法は排他的宗教なのかどうか、また日蓮仏法を語る池田会長の言説は排他的色彩を帯びていたのか、といった本質的な議論を文献学的、かつ哲学的に論じており、そのことが本書全編を貫く主題ともなっている。

これについて著者松岡氏は「日蓮仏法の折伏は決して排他主義ではない。

じつはその反対であり、排他性と戦うことが折伏なのである」(p.91)と述べている。鎌倉時代当時、浄土宗の僧・法然は『選択集』で法華経について「捨閉閣抛」(捨てよ、閉じよ、閣け、抛て)と誹謗した。

真言宗においては平安時代の開祖・空海が残した『十住心論』等で法華経を「戯論」と断じたことに依拠して法華経を排撃していた。

日蓮はこれらの諸宗による法華誹謗から法華経を護るための護法の戦いとしてその誤りを指摘し、『立正安国論』を著して幕府に上呈した。

つまり、日蓮の折伏とは護法の戦いだったのだという。

たしかに日蓮遺文における浄土宗や真言宗に対する折伏は法華誹謗の罪を糾弾するものであって、それら諸宗が依拠する観無量寿経や大日経そのものを否定してはない。

むしろ「すべてを生かす」の④で述べているように、それらは法華経の真実を部分的に補佐するものとして日蓮遺文の随所で肯定的に引用されている。

法華経は一切衆生の絶対平等と永遠の生命を説ききった経典であり、そこにはあらゆる人々の生命の尊厳を根本から見つめ、生かしきっていこうとする究極の人間主義が説かれている。

ゆえに日蓮は法華誹謗が厭世思想や差別思想など、何らかの形で生命の尊厳に対する毀損を含むものと捉え、人間主義を守るために諸宗の法華誹謗と闘ったのである。

世界の宗教紛争に見られる排他主義は、ナチス・ドイツのホロコーストに象徴的に示されるように他宗教の教徒を迫害の対象にするなど、人間性と生命の尊厳を毀損し、人間主義の対極にある人間疎外と言えよう。

いっぽう日蓮仏法における折伏は慈悲の行為であることを、本書では戸田第二代会長の言葉を引用して述べている。

「折伏は人類の幸福のためであり、衆生済度の問題であるから、仏の境涯と一致するのである。

されば折伏をなす者は慈悲の境涯にあることを忘れてはいけない。

けっして宗門論争でもなく、宗門の拡張のためでもない。

御本仏大聖人の慈悲の行を行ずるのであり、仏にかわって仏の事を行ずるのであることを忘れてはならない」(戸田全集3-99)

そうしてみると、創価学会員も隣人を幸福にしたい一心で折伏を行じているのであり、相手が他宗の信者であることを尊重したとしても、現に今苦悩に直面しているであれば、自らの信仰の幸福境涯と確信をもってその人と共に幸福を築きたいと願い、その思いを語ることは排他主義とは言えまい。

ここで、牧口常三郎氏が『人生地理学』で提唱した「人道的競争」が想起される。

本書でも加藤弘之氏の説を引いて、人道的競争は利他的精神の拡がりを意味するとして、その意義を主張している(p.244)。

つまり、一人の人を誰が真っ先に幸福にできるのか、各宗派が良い意味で競えばよい。

そのように個人救済のレベルでは健全な人道的競争を行いつつ、同時に教団としては平和や人権問題のために融和し協調することは矛盾なく両立できるはずである。

ただし先述のように、本人の意思に反して強引に入信させようとしたり、あるいは他宗教を信仰しているというだけで人格攻撃したり、現在は幸福であるのに不幸になると脅迫したりするのは人間主義とは言えず、日蓮仏法の本義に反する。

それは、自分は正しい法を知る者として高みに立ち、相手を無知と断じることから来る人格否定であって、ある種の差別思想となるからである。

もし、そのような折伏がかつての創価学会で行われていたのだとしたら、その歴史は創価学会が自らの取り組みと他宗教との誠実で真摯な対話を通じて乗り越えていかなければいけない。

それ以上に本書が主張する論点は、池田会長自身は会長就任以降、日蓮仏法の精神のままに人間主義の指導方針を貫いていて全くぶれていないことである。

『新・人間革命』には人間主義の折伏のあり方をすべての会員にいかに浸透させていくかについて苦慮する池田会長の姿も描かれている。

「学会が大きくなるにつれて、指導が徹底されていないため、布教の際などに、極端なものの言い方をして社会の誤解を招くというケースが見受けられます。

一家のなかであっても息子や娘を指導しきれないことが多いのに、毎月、何万世帯という会員が新たに誕生しているのですから、やむをえない場合もあるとは思います。

しかし、私としては、みんなが理路整然と、道理に則って、納得のいく、折伏や指導ができるようにしたいと念願しています」(『新・人間革命』第7巻「文化の華」の章p.18)

今日においてそのような前時代的な折伏を行う創価学会員がほとんどいなくなったのは、池田会長の指導がそれだけ行き届き、教団として成熟してきたことを意味する。

今後、そうした過去の残像に起因する排他性の古い偏見を意識しすぎることなく、創価学会が平和のため、社会のために積極的に他団体、他教団とも交流していくことが期待される。

そう考えれば考えるほど、創価学会員の活動実態に現れる現象を「外側から」分析することよりも、池田会長が目指す理想、その日蓮仏法上の意味を「内側から」捉えることのほうがより重要であることが認識されるのではないだろうか。

その視点をもってはじめて創価学会の未来像も展望できるし、世界で受容される理由もまた見えてくるからである。

その道標を示した本書を高く評価するとともに、第二、第三の同種の論説が続くことを今後も期待したい。

 

1)三分科経

経典を三つの科段に分ける考え方。①「序分」=序説としてその経典が説かれる由来や因縁を明かす部分、②「正宗分」=その経典の中心となる本質的な教説の部分、③「流通分」=その経典の功徳を説き、後世においてその経典を受持し広めていくよう弟子に勧めた部分。

2)五重三段

『観心本尊抄』に示される五重三段とは、①釈尊の一切経、②法華経全体、③法華経迹門(前半)、④法華経本門(後半)、⑤文底下種仏法、のどのレベルにおいても序・正・流通の三分科経に立て分けられることを示したもの。正宗分の重要性を示す意味もあるが、序分・流通分もまた正宗分を補佐する役割から包摂される。つまり、法華経以外のすべての経典も生かされるとする考え方である。ただし、序分・流通分が正宗分を排除・否定してしまっては自己否定となる。諸宗派の法華誹謗はこれに当たるとして誤りを指摘したのが日蓮の折伏であって、日蓮は決して序分・流通分に当たる経典それ自体を否定したのではなかった。

3)煩悩即菩提

煩悩に覆われ、苦悩にさいなまれた凡夫の身のままで、内心の仏界を覚知し、菩提(=仏の覚り)の智慧を発揮して苦悩の執着から解放され、自在の境地を得られるとする法理。法華経迹門において地獄界の衆生である提婆達多が成仏の記別を得ることが煩悩即菩提を表現している。創価学会では煩悩即菩提の法理を通して、現実の苦悩と格闘する勇気や智慧のなかに真の幸福境涯があるとしている。

4)十界互具

十界とは十種の生命境涯を表したもの。①地獄界・②餓鬼界・③畜生界・④修羅界・⑤人界・⑥天界・⑦声聞界・⑧縁覚界・⑨菩薩界・⑩仏界。法華経迹門に至るまでこれらはそれぞれに隔絶された生命境涯として固定的に描かれていたが、法華経によって十界のどの衆生もそれぞれまた己心に十界の生命境涯を備えており、固定的ではないことが示された。このことを「十界互具」という。そのことのなかに、地獄から菩薩までのすべての衆生の生命に仏界の生命が備わっていることが含まれている。創価学会ではこれを民族、人種、社会的地位、職業、性別などの外面的要素をすべて超えて、あらゆる一切衆生が平等に尊厳的価値を有する存在であることを示す人間主義の法理として示している。

 

 

 

 

 


茨城に観光地としての魅力が無いわけではない

2022年11月14日 10時01分46秒 | 【お知らせ】
都道府県魅力度ランキングでワースト1位の常連となっている茨城県。
ただ、茨城に観光地としての魅力が無いというわけではありません。
ただ魅力が知られていないだけと感じています。

海と山に恵まれ、大自然や絶景スポット、有名ドラマのロケ地まである茨城県には、多くの魅力的な観光地が溢れています。
また、県南は地域は東京から電車で約1時間で行けるため、プチ旅行にはアクセス面でも最適の県です。
茨城の観光名所
 
ユー君が茨城県・永源寺-もみじ寺を行く 2022年11月12日
 
ユー君が茨城県・永源寺-もみじ寺を行く 2022年11月12日
動画リンク
 
 
全国有数のキャンプ場を誇り、山、海、川、湖のバラエティーに富んでいます。
サイクルロードも整備され、多くのサイクリストたちで賑わうサイクリング王国なのです。
 
永源寺-もみじ寺も最高の秋に彩り!
水郡線の車窓からの紅葉と奥久慈の景観(久慈川の清流)の最高!
 
花貫渓谷は、ダムから名鹿里ヶ淵、小滝キャンプ場にかけ美しい景観が続いています。
 
天心が愛した五浦
 
 福島県との県境にある北茨城市。
断崖絶壁の突き出た岬に、奇怪な岩が海から頭を見せる五浦海岸に「六角堂」はあります。
明治の美術家であり思想家である岡倉天心が、横山大観や下村観山などを呼び寄せ、日本画の近代化に向けた美術活動を指導した“近代日本画の聖地”とも言いうべき場所です。
五浦海岸の景色をこよなく愛し、日本美術院の再興をきっかけにこの地に作られた天心の邸宅、そして六角堂。
東日本大震災の大津波によって流失してしまいましたが、海底に沈んだ実物をできるだけ回収し、登録有形文化財のままの再建を果たしました。
さらに徹底して創建当時の姿を追求し修復された六角堂には、アジア文化を形成する場所としてこの地をデザインした天心の想いが込められています。
 
シャトーカミヤとは

茨城県牛久市に位置し、日本で最初の本格的なワイン工場。

明治36年(1903年)実業家神谷傳兵衛によって造られ、面積は約6万平米と広大な面積を持っています。

煉瓦つくりのお洒落な建物で、異国情緒あふれる場所になっています。

笠間美術の森公園

とても広々とした公園で、公園内には遊びの杜があって遊具完備。

野外ステージもあるので、イベントもたくさん行われる場所です。

中でも焼物好きな方におすすめなイベントが、「陶炎祭り(ひまつり)」という笠間焼の陶器市。

4月末からゴールデンウィーク期間中に開催されていて、ここでしか手に入らない笠間焼も販売されています。

全国から笠間焼のファンの方が集まるため、数十万人が訪れる一大イベントにもなっている場所です。

 

 大子町のりんご狩り「おいしい「奥久慈りんご」を育てています。

 
  • 1位 牛久大仏 関東平野を見守る高さ120mを誇る仏像で、「青銅製立像」では世界一高いとしてギネスブックに登録されている...
  • 2位 鹿島神宮 ...
  • 3位 筑波山 ...
  • 4位 国営ひたち海浜公園 ...
  • 5位 袋田の滝 ...
  • 6位 偕楽園 ...
  • 7位 竜神大吊橋 ...
  • 8位 あみプレミアムアウトレット
  • 水戸黄門のゆかりの地である茨城県。
  • 美しい花々が咲き誇る国立ひたち海浜公園や鹿島神宮など、見どころが満載です。

    鹿島神宮 

    県下随一の歴史を誇る武神を祀る古社

    紀元前660年創建と伝わる古社で、神栖市の息栖神社(いきすじんじゃ)、香取市の香取神宮と並び東国三社と称される。ご祭神は武芸の神様・武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)。

    そのため、必勝祈願に多くのアスリートが訪れる。本殿から先は鬱蒼とした杉林が続き、その中に鹿園や奥宮、御手洗池がある。静かな散策を楽しもう。

 香取神宮 

茨城県の鹿島神宮・息栖神社と合わせて“東国三社”と呼ばれています。「関東屈指のパワースポット」としても注目され、遠方からもたくさんの方が参拝に訪れる人気の神社です。

 茨城県に隣接の成田ゆめ牧場 

夏の間、7つの会場で総数約11万2000本のヒマワリが咲き誇る。また、ヤギや羊のエサやりのほか、牛の乳搾り、乗馬などさまざまな体験ができる、ファミリーにおすすめのスポットだ。

 茨城県に隣接の成田山公園  広大な敷地に庭園や美術館を整備。四季の景色も見ごたえがある

16万5千平方メートルの広大な敷地に、自然の景観に富んだ雄飛の瀧、西洋庭園、平和大塔、書道美術館などがある。桜、梅、新緑、紅葉と四季折々の鮮やかな景色を楽しめる名園。

 

 袋田の滝 

高さ120m、幅73mを4段に流れ落ちることから「四度の滝」ともいわれる。季節ごとの表情は、西行法師が四季ごとに来て見なければ本当のよさが分からないと絶賛したほど。

竜神大吊橋 

日本有数の長さを誇り、全長375m、水面からの高さ約100mの竜神大吊橋は、鋭く切れ込んだ竜神ダム湖の上に架かっており、そのスケールはまさに日本最大級といえる。橋からの景観も壮観。

筑波山 

関東平野北東部に位置し、山頂は男体山と女体山の二峰に分かれている。男体山へはケーブルカーで、女体山へはロープウェイで山頂へ上れる。山頂からは関東平野の大パノラマが楽しめる。

筑波山神社 

筑波山全体をご神体とし、夫婦和合・縁結び・家内安全などのパワースポットとしても人気。山の中腹にあるので、参拝して登山の安全を祈願しよう。

筑波山ロープウェイ 

筑波山中腹のつつじケ丘から標高877mの女体山の間を約6分で結ぶロープウェイ。ゴンドラの大きな窓から眺める関東平野のパノラマと、間近に見える筑波山が美しい。

 

つくばわんわんランド 

世界の犬や猫たちが約90種500頭余りもいる、犬・猫好きにはたまらないテーマパーク。お散歩やわんわんドリームショー、ドッグレースも開催。

あみプレミアムアウトレット 

国内外の人気ブランド約150店舗が並ぶアウトレット。グルメも充実しているので一日中過ごせる。ベビーカーの無料レンタルなどのサービスも受け付ける。

 土浦全国花火競技大会 

大曲と並ぶ日本屈指の競技大会、「土浦全国花火競技大会」。1925年から続く歴史ある大会で、毎年10月の第1土曜日に開催されています。

大会は発色や花火の形が重要な「10号玉」、動物やキャラクターを模ったものや、最新の技術を披露する「創作花火」、連発花火の「スターマイン」の三部門で構成。その打ち上げ花火数は約20,000発にものぼります。

また、「土浦花火づくし」と称した大会提供花火「ワイドスターマイン」も見どころの一つで、大迫力のスターマインが桜川を覆い尽くします。

 洞峰公園 

敷地内は緑に囲まれ、四季折々の表情を見せる自然豊かな市民憩いの空間としてにぎわう。

太陽熱を利用した温水プールやテニスコート、体育館、多目的広場、アスレチックなどのスポーツ施設も整備されている。茨城県つくば市二の宮2丁目20

 科学万博記念公園 

科学万博跡地を利用した、芝生のある緑豊かな公園。池のまわりには、ショウブやアヤメ園が造成され、のんびりできる。テニスコートもあり、自由な遊びが楽しめる。

 御岩神社 

古くから信仰の山として崇拝されてきた御岩山にある神社。参道には老樹巨木が鬱蒼と茂げり、ひときわ高くそびえ立つ御神木の三本杉は県指定の天然記念物。

 七ツ洞公園 

本格的な英国風景式庭園。4つの池の周辺に、フォリーという装飾的建物が点在する。「秘密の花苑」も見どころ。映画『テルマエ・ロマエ』の撮影に使われたことでも有名。

 茨城県立歴史館 

茨城県の歴史を常設展で紹介するとともに、毎回趣向を凝らした特別展やテーマ展を開催。敷地内には、江戸時代の民家建築や洋風校舎もある。

 偕楽園 

日本三名園のひとつに数えられる、水戸を代表する景勝地。約3000本の梅が植えられ、2月20日~3月31日に開催される梅まつりには多くの観光客が訪れる。

 千波公園 

周囲約3kmのひょうたん形をした千波湖に面する公園。ボート遊びや湖畔を囲む桜並木の散策、ジョギング、サイクリングなどが楽しめる憩いの場として親しまれている。

 千波湖 

偕楽園に隣接する湖。湖畔を1周する散策コースや、湖に面した千波公園には、D51やアスレチックがある少年の森、芝生の広場、ボート乗り場などがある。

 水戸芸術館 

市制100周年を記念して建設されたコンサートホール、劇場、美術ギャラリーからなる芸術複合施設。高さ100mのユニークなデザインの塔の上からの眺めは格別だ。

 弘道館 

水戸藩第9代藩主徳川斉昭(なりあき)によって天保12(1841)年に創設された藩校。現存する正門、正庁、至善堂(しぜんどう)は重要文化財に、弘道館公園は特別史跡に指定されている。

 水戸城址 

鎌倉時代、馬場氏により建てられた館が、慶長14(1609)年に水戸徳川家の誕生とともに水戸城となった。明和元(1764)年の火災で三階物見が焼失し昭和20(1945)年の空襲で全焼した。

 大洗マリンタワー 

地上約60mのタワーの展望室から360度のパノラマが楽しめ、晴れた日には富士山や日光・那須の連山などが見渡せる。「さんふらわあ」関連グッズも販売。

アクアワールド茨城県大洗水族館 

遊びながら楽しく学べる水族館。「出会いの海の大水槽」には80種2万匹の魚が泳ぐ。特にサメの展示種類数は日本一。アクアホールの水槽内を優雅に泳ぐイルカも見られる。

大洗磯前神社 

平安時代初期の斉衡3(856)年に創建。ご祭神の大己貴命(おおなむちのみこと)、少彦名命(すくなひこなのみこと)が降臨した地。元日には初日の出奉拝式が行なわれ、多くの参拝客が訪れる。

 筑波山 

関東平野北東部に位置し、山頂は男体山と女体山の二峰に分かれている。

男体山へはケーブルカーで、女体山へはロープウェイで山頂へ上れる。山頂からは関東平野の大パノラマが楽しめる。

 国営ひたち海浜公園 

開園面積約200ha(東京ドーム約43個分)の広い園内は、レンタルサイクルやシーサイドトレインでの周遊がおすすめだ。春のスイセン、チューリップ、ネモフィラ、初夏にはポピーやバラなど彩り豊かな花々が四季を通じて楽しめる。

 

 


「危機が伝わらない」怖さ

2022年11月14日 09時31分51秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

▽「平和の文化」は、人間の価値観や生き方の上に築ずかれる。そこで、生命尊厳の理念を基調とする人間的連帯を世界に築かねばならない。

▽決意を表明して一日を過ごせば、幸福感はアップするそうだ。

▽「危機が伝わらない」怖さ。

なぜ危機感が伝わらないのか。

一つには楽観バイアスがある。

バイアスとは、思考や判断に特定の偏りをもたらす思い込み要因、得られる情報が偏っていることによる認識の歪み、といった意味で用いられる語。

「何とかなるだろ」という根拠のない安心感。

事態を楽観にとらえた方が気持ちは楽になるからだ。

事故の前例がないから、大丈夫だろう、と油断することも、これまでの災害対策で指摘された問題点。

危機を危機として感じ取る敏感さが大切だ。

▽人類の宿命(戦争・紛争など生命を脅かす利害)を転換するには、一人一人の心の変革が必要だ。

生命軽視こそが人類の宿命に他ならない。

▽究極の人類の生存への危機―それは核兵器の使用を選択肢にすることだ。