国際知的協力委員会
国際連盟知的協力委員会(Committee on Intellectual Co-operation)は、国際的な輿論を構成する要素である教育、科学、哲学の研究制度及び研究設備を探求し、また国際関係改善のために各国間における思想や知識の交換を図る方途を審議することを目的に、国際連盟の諮問委員会として設置され、1922年8月1日に第1回委員会が開催されました。
委員会設立に際して、国際連盟事務局次長であった新渡戸稲造が幹事長に就任し、哲学者ベルグソン(M.H.Bergson)や、物理学者のアインシュタイン(M.A.Einstein)、キュリー夫人(Mme. Curie-Sklodowska)などが委員を務めました。委員会は、第1次世界大戦後に困窮が著しかった各国の知的生活水準の調査や、知的財産権に関する国際条約案の検討、各国大学間の協力などを進めました。また、知的協力委員会に対応する国内組織として、1926年(大正15年)には、学術協力国内委員会が創立されました(委員長には東京帝国大学教授の山田三良博士が就任)。
国際連盟知的協力委員会については、外務省記録「智的労働委員会」、「国際連盟学芸協力国際委員会及国際学院関係一件」、「国際連盟学芸協力国際委員会及国際学院関係一件 学芸協力国内委員会関係」に関係史料が収められています。
1946年(昭和21年)のこの日、「国際連合教育科学文化機関憲章」(ユネスコ憲章)が発効し、ユネスコ(UNESCO)が発足した。
「UNESCO」の名前は正式名称「United Nations Educational, Scientific and Cultural Organization」の頭文字に由来する。日本語では「国際連合教育科学文化機関」といい、国連の専門機関である。
戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。
相互の風習と生活を知らないことは、人類の歴史を通じて世界の諸人民の間に疑惑と不信を起こした共通の原因であり、この疑惑と不信の為に、諸人民の不一致があまりにもしばしば戦争となった。
ここに終わりを告げた恐るべき大戦争は、人間の尊厳・平等・相互の尊重という民主主義の原理を否認し、これらの原理の代りに、無知と偏見を通じて人種の不平等という教養を広めることによって可能にされた戦争であった。
文化の広い普及と正義・自由・平和のための人類の教育とは、人間の尊厳に欠くことのできないものであり、 かつ、すべての国民が相互の援助及び相互の関心の精神を持って、果たさなければならない神聖な義務である。
政府の政治的及び経済的取り決めのみに基づく平和は、世界の諸人民の、一致した、しかも永続する誠実な支持を確保できる平和ではない。
よって、平和が失われないためには、人類の知的及び精神的連帯の上に築かれなければならない。
これらの理由によって、この憲章の当事国は、すべての人に教育の十分で平和な機会が与えられ、客観的真理が拘束を受けずに研究され、かつ、思想と知識が自由に交換されるべきことを信じて、その国民の間における伝達の方法を用いることに一致し及び決意している。
その結果、当事国は、世界の諸人民の教育、科学及び文化上の関係を通じて、国際連合の設立の目的であり、かつ、その憲章が宣言している国際平和と人類の共通の福祉という目的を促進するために、ここに国際連合教育科学文化機関を創設する。
フランスのパリにあり、教育・科学・文化の発展と推進を目的としている。
ユネスコの旗
2013年(平成25年)11月時点で、加盟国数は195ヵ国、準加盟9地域である。日本は1951年(昭和26年)7月2日に加盟した。最も新しい加盟国はパレスチナ国である。2016年(平成28年)時点で、分担金の最大の拠出国はアメリカ合衆国(22%)、2位は日本(9%)である。ただし、アメリカは拠出金支払いを全額停止しているため、実質的に最大の拠出国は日本である。
「教育や文化の振興を通じて、戦争の悲劇を繰り返さない」との理念により設立の意義を定めたユネスコ憲章の前文には「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和の砦を築かなければならない」との文言がある。
活動にあたっては、重点的に推進する目標として「万人のための基礎教育」「文化の多様性の保護および文明間対話の促進」などを定める。それに基づき、例えば前者に関しては識字率の向上や義務教育の普及のための活動、後者については世界遺産の登録と保護、文化多様性条約の採択のほか、歴史的記録遺産を保全するユネスコ記憶遺産(世界の記憶)事業などを実施している。