30年以上にわたり,わたしはイエス・キリストの十二使徒の一人として奉仕してきました。わたしたちは,大管長会の指示に従い,3万余りのユニットに集うおよそ1,600万人の会員を擁する世界的な規模の教会を管理しています。
イエス・キリストの神性と神権,完全な教義について教え,証しています。
この教会独自の教義とは,啓示を受け,主の戒めを今日の状況下でどう実践すればよいかを教える預言者と使徒を,神が今も召しておられると知っていることです。
わたしは生涯を通じて,宗教の自由というテーマに興味をひかれてきました。54年前,シカゴ大学の若い法学教授だったころにわたしが初めて出した本は,アメリカ合衆国における教会と国家の関係について自ら編集したものでした。
今日では,政治,紛争の解決,経済的発展,人道支援,そのほかの分野における宗教の重要性は当時よりもはるかに高まっており,もはや無視することはだれにもできません。
世界の人口の84パーセントは特定の宗教を持っています。
しかし,世界中の77パーセントの人々は,宗教の自由に関して厳しい,または非常に厳しい制限のある国に住んでいます。
宗教を理解し,宗教と世界的な問題,および政府との関係を理解することは,わたしたちの住む世界をより良くしていくために不可欠です。
宗教の自由は,世界のほとんどの地域で理解されていませんし,理解されている地域であっても,宗教の自由は世俗主義と過激思想に脅かされています。
とは言え,宗教が守ろうとしているのは神から与えられた生来の自由であり,この自由は全国民の福利を追及する政府と補完し合いながら実現するという理想を,わたしは擁護するものです。
したがって,政府は国民の宗教の自由を確保するべきです。有名な,国連の世界人権宣言第18条には次のように述べられています。
「すべて人は,思想,良心および宗教の自由に対する権利を有する。この権利は,宗教または信念を変更する自由ならびに単独でまたは他の者と共同して,公的にまたは私的に,布教,行事,礼拝および儀式によって宗教または信念を表明する自由を含む。」
宗教の補完的な責任とは,その信者を通じて,宗教の自由を確保する国の法律を遵守し,その国の文化に敬意を払うことです。
宗教の自由が確保されるのであれば,そのような対応は,感謝の対価であり,喜んで支払われます。
こうした一般的な原則をだれもが受け入れ,実践しているならば,宗教の自由に関するこのような話し合いは必要ないでしょう。
しかし,周知のとおり,世界はこうした普遍的な原則をめぐる対立に悩まされています。例えば,現在,宗教を特別に擁護するという観点に異議申し立てをしている著名人がいます。
そのような人が書いた本に,Freedom from Religion〔『宗教からの自由』〕やWhy Tolerate Religion?〔『宗教を寛大に取り扱うのはなぜか』〕などがあります。
ほかにも,宗教的な信条を公的な場で実践することを否定し,教会,シナゴーグ,モスクで教えるという宗教の自由を制限して,宗教とその信者を排斥しようとする人がいます。
そのような試みは,もちろん,「世界人権宣言」のうたう「公的にまたは私的に」宗教や信念を表明する権利の保証に反しています。
宗教の自由な実践は,信者が,一つの共同体として,例えば,教育,医療,文化の分野における活動の一環として行動する際にも適用されなければなりません。
宗教の信条と実践は非合理的で,政府や社会が目指す重要な目標に逆行するとして批判されることもあります。わたしは,もちろん,社会にとって宗教ほど価値あるものはないという立場を守り続けます。
ある無神論者が最近出版した本で認めているように,「宗教を信じていない人でも,西洋文明の基本的価値観が宗教に根ざしていることは理解していますし,宗教が遵守されなくなるとともに,そうした価値観が衰退していくことに懸念を抱いています。」そうした「基本的価値観」の一つが,人には本来,尊厳と価値があるという概念です。
これ以外に,宗教に社会的な価値があることを示す例を7つ紹介しましょう。
1.西洋文明における最も重要な道徳的進歩の多くは,宗教的な原則に動機づけられたものであり,説教壇から説く教えに促されて,公式な採択に至ってきました。
大英帝国における奴隷貿易の廃止,アメリカ合衆国における奴隷解放宣言,過去半世紀にわたる公民権運動がそうです。
こうした進歩は世俗的な倫理が原動力となってもたらされたのではなく,道徳的に何が正しいかを宗教の観点からはっきりと判断できる人々が中心となって推進したのです。
2.アメリカ合衆国において,教育,医療,貧困者の支援など,数え切れないほど多くの価値ある慈善活動を行っている巨大な民間企業は,たいていの場合,宗教組織が母体となって宗教的な動機で始まり,維持されています。
3.西洋社会は,おもに全面的な法の拘束力によってまとめられているのではなく(この方法は非現実的でしょう),最も大切なことは,心の中に行動規範があるために強制ではなく自発的に規律に従う市民によってまとめられているということです。
そのような自発的な自己規制の源は,多くの人の場合,善悪を判断する宗教的な信念と,まだ見ぬ至高者に対する責任感なのです。
実際,西洋諸国では国の起源においても存続においても,宗教的価値観と現実の政治的な問題が非常に深くからみ合っているため,宗教が市民生活に影響を及ぼさなくなると,あらゆる自由が重大な危機にさらされます。
4.宗教組織は民間企業と協力して,個人と民間の組織を浸食する政府の力を見分け,抑制する仲介的な機関の役割を果たします。
5.宗教はそれを信じる多くの人に,周囲の人への奉仕を促し,総じて,地域社会や国々に大きな恵みをもたらします。
6.宗教は社会的なつながりを密にします。ラビのジョナサン・サックスはこう教えています。
「〔宗教は〕地域社会を築くためのこの世で最も強力な手段です。……消費者時代の個人主義に対する最良の解毒剤です。社会は宗教がなくてもやっていけるという考えが間違っていることは,歴史を振り返れば一目瞭然です。」
7.最後に,末日聖徒であり,企業の経営および革新の分野における「思想的指導者」と認められているクレートン・M・クリステンセンは,「宗教は民主主義と繁栄の基盤である」と書いています。
経済の発展に寄与する宗教の役割について語れることは,まだまだあるでしょう。
わたしは,宗教上の教えや宗教に基づいた信者の行動は,自由で繁栄した社会にとって重要であり,引き続き法律によって特別に保護されるようにするべきだという立場を守り続けます
これまでわたしは宗教の信者や組織に対する政府の責任についてのみ語ってきました。これから,宗教とその信者が政府に対して負っている補完的な責任について話したいと思います。
政府の保護下にある人々に,法の遵守と,文化の尊重を求める権利が政府にあることは,明らかです。
政府の重大な関心事は,国境の安全を確保することと,国民の健康と安全を守ることです。政府には,宗教を含むすべての組織が憎しみを教えることなく,人に対する暴力など,犯罪につながる行為を避けるよう主張する権利があります。
テロを推進する組織に保護を与える必要など,どんな国にもありません。宗教の自由はこうした状況のいずれにおいても政府の力を妨げる障害とはなりません。
今日,宗教と政府の相互補完機能が,ヨーロッパで厳しい試練にさらされています。
大半がイスラム教の宗教や文化を持つ難民ですが,異なる文化と宗教の国々へ大量に流入することで,明らかに深刻な,政治的,文化的,社会的,経済的,宗教的な問題が起きています。
宗教と宗教組織は,難民や難民を受け入れてきた国々を支援するために,短期および長期で,どのような貢献をすることができるでしょうか。
確かに,専門家の中には,こうした問題に対する宗教の役割に懐疑的な人もいますし,宗教には破壊的な影響力があると考える人もいます。
わたしは自分のよく知らない事実に基づく意見に反論するつもりはありません。
末日聖徒イエス・キリスト教会の方針と経験を紹介するだけです。
そうすることで,長期的にも,短期的にも,宗教が持つことのできる,また持つべき良い影響を明らかにすることができると思います。
末日聖徒,もしくはモルモンとして知られるわたしたちは,飢えた人に食物を与え,旅人をかくまうというキリストの教えを文字どおりに解釈しています(マタイ25:35参照)。
また神から授かった近代の啓示で次のようにも命じられています。
「貧しい者と乏しい者,病気の者と苦しんでいる者を,すべてのことにおいて思い起こしなさい。これらのことを行わない者は,わたしの弟子ではないからである。」(教義と聖約52:40)
わたしたちの教会にとって,貧しい人や困っている人を世話することは,任意で行う行為でも,二次的な事柄でもありません。
わたしたちはそれを世界各地で行っています。
例えば,2015年に教会は56か国において177の緊急時対応プロジェクトを実施しました。
このほかにも,きれいな水の提供,予防接種,視力矯正など,7つの分野における支援で,何百ものプロジェクトを実施し,世界中の100万人以上に良い影響を与えました。
30年以上にもわたるこうした取り組みは,年平均4,000万米ドルに上るほどの規模です。
わたしたちは宗教団体への反対の一つを避けるために,教会の人道支援活動と世界的規模の伝道活動を厳密に切り離しています。
わたしたちは宗教にかかわりなく人道支援を行っています。権力や,食料そのほかの様々な計らいに影響されることなく,わたしたちの伝道活動を受け入れ,考慮してもらいたいからです。
国連や個々の国々にできること以外に,教会には何ができるでしょうか。この点についても,わたしたちの教会で行ってきたことを紹介しましょう。
教会員の半分はアメリカ合衆国内,残りの半分は合衆国外に分散しており,援助に必要とされる人的資源としては多くありませんが,この教会には影響力を引き出す大きな利点が3つあります。
第1に,会員の間に根付いている奉仕の伝統のおかげで,献身的かつ経験豊かなボランティアの資源があります。
数字に換算すると,2015年に教会のボランティアは,福祉,人道支援,そのほかの教会が主催するプロジェクトで,2,500万時間以上の労働を提供しています。
この数字には,個人的に奉仕した会員の時間は含まれていません。
第2に,人道支援の大義に対する教会員の財政的な貢献によって,自力で資金を賄うことができます。
わたしたちは,官僚機構や政府の資金援助から独立して運営を行う能力がありますが,最大限の影響力を発揮するために,ぜひ個々の行政機関や国連の機関と調整を図りつつ取り組んでいきたいとも思っています。
そのような機関にはますます宗教組織の力に目を向けてほしいと願っています。
第3に,わたしたちには直ちに活動できる世界的規模の草の根組織があります。例えば,難民という世界的な問題について言えば,2016年3月,教会の大管長会と扶助協会,若い女性,初等協会の中央会長は全世界の会員にメッセージを送り,わたしたちの中にいる貧しい人と「旅人」を助けるというクリスチャンの原則を思い起こすよう伝えました(マタイ25:35参照)。
この教会指導者たちは地元の地域社会で難民を助けるようすべての世代の女性に呼びかけました。
この呼びかけにこたえたヨーロッパの会員の代表的な例を挙げましょう。2016年4月のある夕方,ドイツで200人を超えるモルモンの会員とその友人たちがボランティア活動を行い,ヘッセン州とラインラント=プファルツ州にある6か所の難民センターに住む子供たちのために1,061個の「歓迎袋」を作成しました。
袋の中には新しい衣類,衛生用品,毛布,画材が入っていました。この活動を導いた女性の一人はこう述べています。「家を追われる〔難民の〕悲劇的な状況を変えることはできませんが,〔彼らの置かれた〕環境が変わるよう手助けをし,〔彼らの〕生活が変わるよう積極的に働きかけることはできます。」
教会が以前に行った世界的規模の人道支援活動について二つの例を紹介します。
2015年,LDS慈善事業団は,イギリスを本拠地とするAMAR財団と全面的にタイアップして,ISIS(アイシス〔訳注:イラクとシリアで発生したイスラム過激組織で,イスラム国と呼ばれることもある〕)の残虐な攻撃の的にされたイラク北部の少数民族ヤジディーのための一次医療センターを建設しました。
この一次医療センターには,研究室と応急手当室,薬局,超音波検査機器が完備しており,心身ともに傷ついた人々に安らぎをもたらしています。AMAR財団はヤジディーの中から医療専門家とボランティアを採用しており,彼らはヤジディーの文化に特有な方法でケアを行っています。
2004年12月26日,東南アジアで壊滅的な被害をもたらした地震と,その結果として起こった津波により,14か国で23万人の人々が亡くなりました。LDS慈善事業団は,災害発生の翌日,現地に到着し,その後5年間にわたって積極的な支援活動を行いました。
大きな被害を受けたバンダ・アチェ地域だけでも,教会の慈善事業団は定住用として900戸の家,24の村落水道システム,15の小学校,3つの医療センター,それからモスクとしても使える3つの公民館を建設しました。
さらに,それらの地域社会に住む人々の礼拝を助けるために,聖なるコーランと祈祷用の敷物を支給しました。
これは,宗教の自由を擁護するだけでなく求める文化において,宗教にどれほどの価値があるかを示す例の一部にすぎません。
わたしたちは宗教の自由こそ第一の自由だと考えているのです。