創作 今な亡きナオちゃんと人(女)たち 3)

2023年11月09日 23時02分29秒 | 創作欄

私は、いわゆる本人訴訟を選択したのだ。

実は、被害者である大津典子とは、3度、神田駅駅そばの居酒屋で酒を飲んでいた。

ただ二人だけではなく、他社の仲間の記者の一人である三田村春樹と部下の典子3人とである。

「うちの新人の大津典子。よろしくな」私が、いつもの居酒屋で三田村を待っていると彼は若い女性と一緒であった。

二人は互いの名刺を交換した。

その人が大津典子であった。

高校卒業後、偶然にも尚子と同じに、日本ジャーナリスト専門学校の出身者であり、当時、20歳だった。

その時は、私はまだ独身だった。

居酒屋の後は、私が行きつけのバー「フロリダ」へ二人を誘う。

私のウイスキーがキープされていたのだ。

「私、ウイスキー飲むの初めて」すでに、ビールを飲んいた典子は、水割りを飲む。

我々はロックだった。

店のホステスのミドリが「南さんは、ママの恋人みいね」と言うのだ。

「ミドリちゃん、そんなこと言ってはダメ!南さんに失礼よ」とママの都さんがたしなめる。

「だって、南さんが来ると、ママはとっても嬉しそうな顔をするもの」

ママの都さんは30代半ばの年齢と思われた。

都さんは外語大学出で、アメリカのフロリダ州へも留学経験があり、店名は「フロリダ」となる。

彼女は東京芸大出の画家の彼氏と後年結婚した。

「南さんは、女の人にもてるのね」酔って顔をすっかり赤らめた、典子が言うのだが、残念ながら私は女性にもてたことはなかった。

私は、翌年、尚子の隣の下宿人であった藤間千絵と結婚する。

そして、三田村から「南さんが結婚して残念だわ」と言う大津典子の言葉を伝え聞いたのだった。

りまりは、灯台下暗しであっのだ。

女性自身から「恋心」を吐露することは、稀だろう。

「言ってくれたら、藤間千絵と結婚せずに、大津典子を選んでいたも知れなかった」私の思いは広がり始めていた。

相思相愛の男女の関係を私は、長らく欲していた。

だが、皮肉なものだ、その大津典子に強姦罪で訴えれる身となり、京都地裁の被告席に座っていたのだ。

参考

本人訴訟とは、弁護士や司法書士を代理人として立てず、自分で訴え提起や裁判所への出廷をすること、つまり、自分で裁判を行うことをいいます。

裁判は弁護士がやるイメージだと思いますが、実は弁護士(代理人)を立てなくても、自分で裁判をすることはできます。

本人訴訟のメリット

費用が節約できる!

本人訴訟のメリットは、料金が安く済むことだといえるでしょう。

弁護士に依頼しなければ、費用のメインである「弁護士費用」(着手金・報酬金)は一切かかりません。

着手金は、最低でも10万円かかることが多く、数十万円になることはざらです。着手金だけで100万円を超える裁判もあります。

費用の節約はご本人にとっては一番の大きな課題なので、この点がクリアできるのは大きいですね。

スピーディーに物事を進めることができる!

訴状等の書面の書き方などをはじめとする本人訴訟のやり方を事前に学んでおけば、思い立ったらすぐに訴えることができることもメリットです。

また、弁護士に依頼する場合、裁判期日ごとに打ち合わせをする必要がありますが、自分だけで裁判をする場合には打ち合わせはいりません。

したがって、弁護士に相談し、事務手続きを踏んで裁判を起こすよりも早く問題を解決できる可能性があるといえます。

できるだけ安く・素早く問題を解決したい人は、本人訴訟で裁判を起こすのも選択肢の一つではあります。

本人訴訟のデメリット

しかし、本人訴訟にはデメリットもあります。

難しい法律を理解する必要があること

素人と専門家では法的な知識に圧倒的な差があります。

したがって、法律が理解できずに、裁判では苦労するシーンを多く見かけます。

例えば、法廷ではどのように振る舞うかということ1つを取ってみても、素人の方ですとわからず不安になることは多いでしょう。

「準備書面」、「上申書」の違いは何か、準備書面に「否認する」、「認める」等と書く必要がありますが、「認める」と書いたら負けてしまうのか、などなど、素人の方が裁判の1から10まで理解するのは困難です。

また、弁護士は法律について5年、10年、それ以上勉強してきているわけですから、法律の理解という点では太刀打ちはできません。

うまく主張立証できない結果、不利な結果になる可能性がる

また、裁判で正しい主張や立証活動ができず、敗訴したり不利な条件の判決が下されたりする可能性があり、望み通りに裁判が進まないケースがあります。

例えば、立証責任というものがありますが、どちらも証明できない場合にどちらが負けるのか、というのは素人の方には理解しにくいものです。

自分が証明しないと負けてしまう部分をしっかり証明しないでいるとそのまま負けてしまいます。

また、時効が成立しているのに気づかないまま時効を援用しないでいると、それはそれで勝てるチャンスを逃すことになります。

和解をする場面で「いい和解」ができない可能性がある

裁判の後半には「和解」をするかどうかを検討する場面があります。

裁判の中では最も重要な局面だと言えます。

例えば、和解の場面で、弁護士がついていれば、「期限の利益喪失約款の条項を入れる」ということは当然に検討します(「期限の利益喪失約款がわからない方は調べてみて下さい」。

他にも、例えば、実際にあったケースですが、素人同士で清算条項を入れなかった結果、後日紛争が蒸し返されてしまったということがあります(清算条項がわからない方は調べてみて下さい)。

書類の準備や裁判に出席する時間や手間がかかる

裁判の手続がわからない場合には、手間と時間がかかってしまうこともデメリットです。

訴状を初めとする書面の書き方を調べ、どこにいつ何を提出したらいいのか、証拠とはどんなものかなど、自分だけでは難しいことは多々あります。

*実際に裁判に必要な書類の例*

訴状/答弁書/準備書面/証拠説明書/証拠申出書/反訴状/控訴状/控訴理由書/上告状/上告理由書/上告受理申立書/上告受理申立理由書/抗告状/陳述書

裁判が長期化することがある

また、本人訴訟の場合、弁護士を依頼したときに比べて裁判が長期化する傾向にあります。

自分の主張をまとめるのに時間がかかると、裁判は無駄に長引くおそれがあります。

弁護士を依頼した場合には、期日における裁判官の発言や指示などから、裁判官の求めるものを予測し、適切に対応して、時間を短縮できます。

本人訴訟で、裁判官の求めるものを1回で用意できないと、「次回期日に持ち越し」となります。口頭弁論は1か月から2か月に1回程度ですので、「次回期日に持ち越し」となってしまうと、単純に決着までの期間が1~2か月延びてしまうことになります。

尋問が不十分になる


創作 今な亡きナオちゃんと人(女)たち 2)

2023年11月09日 20時54分47秒 | 創作欄

逮捕された私は、京都府下京警察署で、映画やテレビのドラマの中で観てきたように、狭い取調室で事情聴取を受けた。
まず、余罪があるかどうかを追求される。
「これまでも、女を力でづくで犯してきたのではないだろうな。この際だ、洗いざらい吐き出せ!」と迫られる。
「ありません」
「本当なのか、調べれば明らかになるることだからな」実に二人の捜査官は威圧的である。

「ああ、私は犯罪者なのか」と頭が混乱するばかりである。

何もかもが、私には地獄そのもに思われた。

そして、私は弁解がましく「大津典子さんが、高校生時代に遊んできたと言っていたので、それで、男性経験があると、思い込んでいました」

「馬鹿野郎!お前、そんな問題じゃないんよ」捜査官の一人が机を叩く。

私は、何をどう話せば自分に有利になるのか全くわからないままで、取調べのプロである警察官と向き合うのは、精神的に厳しいものがあった。

私のように、いったん逮捕されてしまうと、日常生活と切り離された状態で捜査機関から取調べを受けることになり、心身ともに相当な負担を覚悟しなければならない状態に堕ちいるたのだ。

外界と自由に連絡がとれなくなり、当然であるが自宅に戻れず、会社にも通えなくなった。

逮捕直後は家族との面会も制限される。

そして、取調べ後、自白調書ととられる。

その後は、京都地検へ送られたのだ。

私は、被害者である大津典子に対して、犯罪者として罪を償う立場となる。

私は、裏切り行為をしたことから妻を思い、詫び、さらに亡きナオちゃを偲び、留置所とその後の拘置所で来る日も来る日も涙を流していた。

結局、釈放されたのは、約1年後だった。

そして、京都地裁での裁判へ向かうことになる。

弁護士は付けず、自分一人で裁判に臨んだのだ。

交通費用を惜しむために、新幹線ではなく、深夜バスに乗り、東京=京都を何度も往復することとなる。

月に1回の裁判であったのだ。

私は無論、会社から解雇され無職の身となる。

そして、妻は息子を連れ、福島の郡山の実家へ帰り、会えなくなってしまう。

参考

相手方の同意がない場合は、不同意性交等罪(旧強制性交等罪、旧強姦罪)や不同意わいせつ罪(旧強制わいせつ罪)に問われる。
通常の刑事事件の場合、被害者は望まない被害を被っているため、女性が警察に被害届を出すなどの行動に出ることが多い。

被告人の供述調書のうち、自己の犯罪事実を認める内容の供述調書については、自白調書と呼ばれ、特別の扱いを受けます。

具体的には、違法不当な取り調べによるものでない限り、裁判所はその自白調書を裁判の証拠とし、取り調べを行うことができるようになってしまいます。

勾留」とは、逮捕された被疑者もしくは起訴された被告人を、刑事施設に一定期間拘束する制度である。
被疑者の場合は原則10日間。

検察官が勾留請求をすると、ほとんどの場合同じ日に裁判官による勾留質問が行われる。

勾留質問では、裁判官が被疑者に対し、被疑事実の要旨を告げて認否を尋ねる。

そして、裁判官が「勾留の理由」と「勾留の必要性」があると判断すると、原則10日間勾留されることになる。

日本では弁護人が取調べに立ち会うことは認められていない。
したがって、取調べでは一人で取調官と向き合うことになる。

最大3日間の逮捕後の身体拘束期間を乗り切るために、弁護士に早期に依頼し取調べのアドバイスを受けることができる。
起訴前勾留の場合、警察署内の留置場で生活することになり、留置場での生活は、起床、食事、入浴、就寝まで厳しく監視される。

なお、逮捕後は弁護士と無料で面会することのできる当番弁護士という制度を利用することができる。

起訴されると、被疑者から「被告人」に変わり、起訴後も身体拘束が続く場合がある。

これを被告人勾留という。被告人勾留の期間は、原則として公訴提起日から2か月。

当事者の呼び方 被疑者 被告人。

また、原則無料で弁護してくれる国選弁護人は勾留されないと付きません。

警察は、留置する必要があるとき、逮捕から48時間以内に書類及び証拠物とともに被疑者を検察官に送致しなければなない。

【逮捕後72時間以内】勾留請求・勾留質問
検察官は、留置の必要があるとき、送致から24時間以内に裁判官に被疑者の勾留を請求しなければなりません。つまり、勾留請求のタイムリミットは逮捕から72時間以内(3日間以内)です。

勾留請求を受けた裁判官は、被疑者と面接して勾留するかどうか決めます。これを勾留質問といいます。全国的には勾留請求日と同じ日に勾留質問が行われることが多いようです。

【最大10日間】逮捕後の勾留
裁判官が勾留を必要と判断すると勾留状を発付します。これを勾留決定といいます。逮捕後の勾留期間は原則として10日間です。勾留請求日を1日目と数えます。例えば、3月1日に逮捕されて翌2日に勾留請求された場合、勾留期限は原則として3月11日までとなります。

【最大10日間】勾留期間の延長
裁判官は、「やむを得ない事由」があると認めるときは、検察官の請求により勾留期間を延長することができる。

 

 


映画 美しき諍い女(いさかいめ)

2023年11月09日 07時45分36秒 | 社会・文化・政治・経済

CSテレビで⒒月8日午前Ⅰ時から観たが、あまりにも映画が長いので、眠くなる。そして、 デッサンも綿々と続き飽きが来た。

解説

日本公開にあたり、モデルを演じるエマニュエル・ベアールの“ヘア論争”が巻き起こったリベットの問題作。

老画家の屋敷を、新進画家が訪ねてきた。

彼の恋人を見た老画家は、10年間中断していた野心作“美しい諍い女”の制作再開を決意する。

かつて“美しい諍い女”のモデルを務めた妻、創作に悩む老画家、最初はモデルを拒んでいたが次第に積極的に老画家に挑み始める娘、そしてその恋人。

二組のカップルの関係にも緊張が走りはじめる……。

1991年製作/237分/フランス
原題:La belle noiseuse
配給:コムストック
劇場公開日:1992年5月23日

友人の勧めで、リヴェット作品を初観賞。こんなに長いと知らずに映画館へ行ったのでビックリした。

偉大な画家とモデル・マリアンヌの格闘。
ずっと自分がミューズだったのに、夫が違う女性をモデルにして熱心に描き始めるってのは、辛かっただろうなリズ。
大筋は理解できたけど、やっぱりフランス語聞き取るのが難しくて細かいところはよくわからなかったのが歯痒い(たとえばマリアンヌとニコラのすれ違いや、ニコラのお姉さんがシーンに登場してくる意義などを十分に理解できなかった)。
超個人的で失礼な意見だけど、疑いを恐れずに言うと、画家の絵が下手で残念に感じた…絵を描いている工程をほぼ省かずに映しているのだから、もうちょっと腕の良い絵描きはいなかったのかなと気になってしまった。

ジェーン・バーキンの演技、何気に初めて見た。やっぱり天真爛漫でかわいー😶基本的にリラックスしたファッションでありながら、こなれてる。

ソワレのときも、肩の力の抜けたドレスアップという感じ、余裕ある大人の着こなしが本人にとても似合っていたし素敵だった!真似したい。

 

長編ですが、全く飽きさせません。この格調高さ、たまりません。
...邸宅に住む著名な画家とミドルの妻、小学生ぐらいの子ども。子どもはストーリーには絡んでこないが、ある日、絵画を買い集めるお金持ちの紳士といいう共通の知人を介して、若い画家ニコラとその恋人マリアンヌがその邸宅にやってくる。
 
 
美しき諍い女
老画家と若いモデルの心の葛藤を興味深く鑑賞できました。 フランス映画らしい洒落た背景も素晴らしかった。
 
このような作品を作ることができたのは驚き
...それにしてもこの作品には実に驚いた。4時間という通常の2倍の長さにも拘わらず、その内容の半分以上は、老画家が美しく若い女性の裸体の絵を描いている場面が、ひたすら延々と続くからだ。 物語は、若く美しい女性に出会った老画家が、10年程前に「美しき諍い女」と題する絵に取り組むも未完になってしまったものを、残った才能のすべてを使って、再度この題材にチャレンジするものである。
 
 
アトリエに一緒にいる感覚
 
...ルの二人だけのシーンなのですが、その空間の中に自分が気付かれずにいるかのようで、緊迫感があるけども穏やかに目で追っていくことができて、全く長さを感じさせません。心地よい時間の流れというのでしょうか。  みなさんが書かれているように、当時ヘア論争なんておかしな事をしていたんだなあって思えます。若いときはベアールに負けず劣らず(?)美しかったジェーンバーキンも出演していて個人的には少しうれしかったです。Read more
 
ただものでない人が見られる傑作
長い長い作品である。老絵描きと若きヌード・モデルの人間模様と作品を描きあげるまでの万丈を、それぞれの葛藤を軸に丹念に描いて美しい。問題はこの長尺だと思うが、見飽きさせないのは、老画家を演じるミシェル・ピッコリの確かな芝居と素人でありながら気概を持ってヌード・モデルに挑戦する女性を演ずるエマニュエル・ベアールの勝気さだけで出来ているような新鮮な演技のゆえだろう。ジェーン・バーキンの画家の妻役もなかなか迫真であって、このひともただ者でなかったという確認ができて満足だった。
 
 とある田舎の画家が完成することができなかった作品に「美しき諍い女」がある。若いカップルが彼のアトリエを訪れ、彼女が作品のモデルになることになり、画家は絵を完成させることができた。エマニュエル・ベアール主演。...Read 
 

デッサンする時の木炭のキシュキシュいう音が耳触り。美人はちやほやされる物と思っていたけど、美人でも絵のモデルって大変なんだなぁと。
映画の中でほとんど、ヌードの役に挑戦した女優に拍手です。

 

スローペースで長い作品。テーマは面白く興味深く感じた。バルザックの原作ということを後で知った。

[描く]、[描かれる]。
それが、凄い緊張関係を持って行われ、その結果産み出された作品がひとの人生を変えてしまうほどの力を持つ。それができるは、突出した才能のある芸術家に限ったこと、また産み出された作品は多くの人には理解されないし必要ともされない。それを世に出してはいけないこともある、いうことらしい。
(とはいえ、最後に皆に見せた絵は、いくら映画の中でとはいえ、ちょっとひどすぎないか…)。

このようなことが現実的なのかどうか、絵をちゃんと描いたこともない私には実感としてはわからず、頭で理解するだけ。しかし、興味は持てた。

マリアンヌは仮面をかぶることをやめ、人生を仕切り直す旅に出るのだね。そうなると初めて、冒頭からモデルも佳境に入るまでの、お…続きを読む

これを「外国映画ベスト・ワン」に選ぶキネマ旬報にはおそらく「変なフランスかぶれ」や「芸術かぶれ」が多いのだろう。選んだ人物の「貴方たちには解らないでしょ」みたいな顔が目に浮かぶ「不愉快な変態映画」

同じテーブルの人が倒れても身動ぎもしない登場人物達に感情移入できる筈もなく、変な台詞に緩慢な演技は最後まで見る気がしないので途中退場した。

 
 
 自分の求めるものは何なのか?

否、それは”私”が求めているのか?
それとも、何か大いなる力に描かさせられているのか?
歴史を越えて、人の心を揺さぶる芸術について、よく作り手が語る言葉。
そんな瞬間・過程をひたすら紡いだ映画。

画家とモデルがアトリエで対峙する。そこにその妻や恋人の思惑が絡む。
それだけの筋で、4時間見せ切る。
キャンパスに色を塗りこめる。それだけなのに、なんともいえない緊張がはらむ。
そんなシーンが繰り返される。
それだけで驚嘆すべき映画。

音楽もほとんど自然音。
鄙びた?自然あふれる村に立つ城。
その納屋を改築したアトリエ。ホテルの部屋。
そんな閉塞的な空間と、突き抜けるような空と森、朴訥とした村の佇まい。続きを読む

 
 人は死の瞬間に人生のすべてを回想する、同じように一枚の絵画でその人の全てを表現できると信じる老画家と美しいモデルの物語。

完成した作品は、当然、封印される。
それを理解できるのは作者とモデルしか存在しないのに。
そして、自分の全てを知ったマリアンヌは生きる意味を失ったのか、復活したキリストのように生きるのか。
良い作品は自分の目のようにカメラが動く。

 
白い地が変化していく様を淡々と見せるだけで、こんなにも興味をそそられるかという多少の映像的な発見もあったけれど、全体的に長すぎて辛い作品だという印象は否めない。

古臭い芸術の敗退していく様、差別的で暴力的様、利己的で人をも物として扱う様…様々な興味深い負の側面を数多く見いだすことができるけれど、その意義については理解には及ばず、絶えず苦痛を持って眺めていたように思う。
真新しさが見られない古典的芸術作品を教育的に鑑賞したといった感じ。

美しい

 

エマニュエル・べアールの若かりし頃の作品ですね。

整形してないからホントに綺麗。
まさに彼女自体がアートの様です。

肉体を剥いで骨格にしていく。

アートな作品で好きです。

 

 

老い

 

筆を折った画家も若かき日の妻も老いには勝てません。創作ができなくなった画家が創作できる様になるには、塗りたくられたキャンバスではなく、真っ白いキャンバスが必要だったのかもしれません。


フィルム自体は絵画の様で本当に綺麗でしたが、ちょっと長すぎるのと抽象的すぎるので、好みが分かれると思います。

 
 若い画家とその恋人が老画家の住む大きな屋敷に招かれる。老画家の妻と画商の男も加えた五人の会話は空虚な会話で、誰も自分の真情を口にしているようには見えない。

しかし、交錯する五人の視線は観客に対して登場人物たちの本音を伝えていて、彼らの視線の一つ一つを丁寧に追っていくことで状況に対する理解が得られる。
若い女がモデルになり、老画家は昔あきらめた絵をもう一度描こうとする。映画はこの描く行為を中心に映し出す。
筆によって紙にひかれる線の一本一本を丁寧に追うと、1本では何の意味も持たない線が、他の線と関係を結ぶことで人間の肉体の一部へと変容していく。非常に長い時間をかけてカメラはとらえるのだが、これは多くの観客に忍耐を要求するものである。そしてこの忍耐こそが、人間や人間を取り巻く真実を理解するには不可欠なものであることを映画は訴えかけてくる。
老画家は、新しいモデル…続きを読む

 
 冒頭のオープンカフェは、周りを木々に囲まれ、その隙間から無数に差し込む陽光が印象派絵画そのもので、額縁舞台の映像美である。芸術の街らしく、光と影のコントラストは風景画のような情景を見せてくれた。


裸婦役のE・ベアールもまた、印象派の画家達が好んだ丸みを帯びた柔らかい肢体で、艶かしい裸体を見せてくれた。

写真の技術により、絵画が記録としての役割を持たなくなった時代、画家達は内面にある感情を表現するようになった。それが印象派以降であるが、この映画の中でも“美しき諍い女”というモチーフで、モデルに様々なポーズをさせることによって諍い女=激しい女の内面を捉え、形象化しようと試みたのではないか・・・と思われた。

 

スタッフ・キャスト

  • ミシェル・ピコリ

    ミシェル・ピッコリ

  • ジェーン・バーキン

    ジェーン・バーキン

  • エマニュエル・ベアール

    エマニュエル・ベアール

  • マリアンヌ・ドニクール

    マリアンヌ・ドニクール

全てのスタッフ・キャストを見る

受賞歴

第44回 カンヌ国際映画祭(1991年)

受賞

コンペティション部門
グランプリ ジャック・リベット

出品

コンペティション部門
出品作品 ジャック・リベット
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映画 美しき諍い女(いさかいめ)

2023年11月09日 07時45分36秒 | 社会・文化・政治・経済

ポスター画像

解説

日本公開にあたり、モデルを演じるエマニュエル・ベアールの“ヘア論争”が巻き起こったリベットの問題作。

老画家の屋敷を、新進画家が訪ねてきた。

彼の恋人を見た老画家は、10年間中断していた野心作“美しい諍い女”の制作再開を決意する。

かつて“美しい諍い女”のモデルを務めた妻、創作に悩む老画家、最初はモデルを拒んでいたが次第に積極的に老画家に挑み始める娘、そしてその恋人。

二組のカップルの関係にも緊張が走りはじめる……。

1991年製作/237分/フランス
原題:La belle noiseuse
配給:コムストック
劇場公開日:1992年5月23日

友人の勧めで、リヴェット作品を初観賞。こんなに長いと知らずに映画館へ行ったのでビックリした。

偉大な画家とモデル・マリアンヌの格闘。
ずっと自分がミューズだったのに、夫が違う女性をモデルにして熱心に描き始めるってのは、辛かっただろうなリズ。
大筋は理解できたけど、やっぱりフランス語聞き取るのが難しくて細かいところはよくわからなかったのが歯痒い(たとえばマリアンヌとニコラのすれ違いや、ニコラのお姉さんがシーンに登場してくる意義などを十分に理解できなかった)。
超個人的で失礼な意見だけど、疑いを恐れずに言うと、画家の絵が下手で残念に感じた…絵を描いている工程をほぼ省かずに映しているのだから、もうちょっと腕の良い絵描きはいなかったのかなと気になってしまった。

ジェーン・バーキンの演技、何気に初めて見た。やっぱり天真爛漫でかわいー😶基本的にリラックスしたファッションでありながら、こなれてる。

ソワレのときも、肩の力の抜けたドレスアップという感じ、余裕ある大人の着こなしが本人にとても似合っていたし素敵だった!真似したい。

 

長編ですが、全く飽きさせません。この格調高さ、たまりません。
...邸宅に住む著名な画家とミドルの妻、小学生ぐらいの子ども。子どもはストーリーには絡んでこないが、ある日、絵画を買い集めるお金持ちの紳士といいう共通の知人を介して、若い画家ニコラとその恋人マリアンヌがその邸宅にやってくる。
 
 
美しき諍い女
老画家と若いモデルの心の葛藤を興味深く鑑賞できました。 フランス映画らしい洒落た背景も素晴らしかった。
 
このような作品を作ることができたのは驚き
...それにしてもこの作品には実に驚いた。4時間という通常の2倍の長さにも拘わらず、その内容の半分以上は、老画家が美しく若い女性の裸体の絵を描いている場面が、ひたすら延々と続くからだ。 物語は、若く美しい女性に出会った老画家が、10年程前に「美しき諍い女」と題する絵に取り組むも未完になってしまったものを、残った才能のすべてを使って、再度この題材にチャレンジするものである。
 
 
アトリエに一緒にいる感覚
 
...ルの二人だけのシーンなのですが、その空間の中に自分が気付かれずにいるかのようで、緊迫感があるけども穏やかに目で追っていくことができて、全く長さを感じさせません。心地よい時間の流れというのでしょうか。  みなさんが書かれているように、当時ヘア論争なんておかしな事をしていたんだなあって思えます。若いときはベアールに負けず劣らず(?)美しかったジェーンバーキンも出演していて個人的には少しうれしかったです。
 
ただものでない人が見られる傑作
長い長い作品である。老絵描きと若きヌード・モデルの人間模様と作品を描きあげるまでの万丈を、それぞれの葛藤を軸に丹念に描いて美しい。問題はこの長尺だと思うが、見飽きさせないのは、老画家を演じるミシェル・ピッコリの確かな芝居と素人でありながら気概を持ってヌード・モデルに挑戦する女性を演ずるエマニュエル・ベアールの勝気さだけで出来ているような新鮮な演技のゆえだろう。ジェーン・バーキンの画家の妻役もなかなか迫真であって、このひともただ者でなかったという確認ができて満足だった。
 
 とある田舎の画家が完成することができなかった作品に「美しき諍い女」がある。若いカップルが彼のアトリエを訪れ、彼女が作品のモデルになることになり、画家は絵を完成させることができた。エマニュエル・ベアール主演。
 

デッサンする時の木炭のキシュキシュいう音が耳触り。美人はちやほやされる物と思っていたけど、美人でも絵のモデルって大変なんだなぁと。
映画の中でほとんど、ヌードの役に挑戦した女優に拍手です。

 

スローペースで長い作品。テーマは面白く興味深く感じた。バルザックの原作ということを後で知った。

[描く]、[描かれる]。
それが、凄い緊張関係を持って行われ、その結果産み出された作品がひとの人生を変えてしまうほどの力を持つ。それができるは、突出した才能のある芸術家に限ったこと、また産み出された作品は多くの人には理解されないし必要ともされない。それを世に出してはいけないこともある、いうことらしい。
(とはいえ、最後に皆に見せた絵は、いくら映画の中でとはいえ、ちょっとひどすぎないか…)。

このようなことが現実的なのかどうか、絵をちゃんと描いたこともない私には実感としてはわからず、頭で理解するだけ。しかし、興味は持てた。

マリアンヌは仮面をかぶることをやめ、人生を仕切り直す旅に出るのだね。そうなると初めて、冒頭からモデルも佳境に入るまでの、お…続きを読む

これを「外国映画ベスト・ワン」に選ぶキネマ旬報にはおそらく「変なフランスかぶれ」や「芸術かぶれ」が多いのだろう。選んだ人物の「貴方たちには解らないでしょ」みたいな顔が目に浮かぶ「不愉快な変態映画」

同じテーブルの人が倒れても身動ぎもしない登場人物達に感情移入できる筈もなく、変な台詞に緩慢な演技は最後まで見る気がしないので途中退場した。

 
 
 自分の求めるものは何なのか?

否、それは”私”が求めているのか?
それとも、何か大いなる力に描かさせられているのか?
歴史を越えて、人の心を揺さぶる芸術について、よく作り手が語る言葉。
そんな瞬間・過程をひたすら紡いだ映画。

画家とモデルがアトリエで対峙する。そこにその妻や恋人の思惑が絡む。
それだけの筋で、4時間見せ切る。
キャンパスに色を塗りこめる。それだけなのに、なんともいえない緊張がはらむ。
そんなシーンが繰り返される。
それだけで驚嘆すべき映画。

音楽もほとんど自然音。
鄙びた?自然あふれる村に立つ城。
その納屋を改築したアトリエ。ホテルの部屋。
そんな閉塞的な空間と、突き抜けるような空と森、朴訥とした村の佇まい。<br…</br続きを読む

 
 人は死の瞬間に人生のすべてを回想する、同じように一枚の絵画でその人の全てを表現できると信じる老画家と美しいモデルの物語。

完成した作品は、当然、封印される。
それを理解できるのは作者とモデルしか存在しないのに。
そして、自分の全てを知ったマリアンヌは生きる意味を失ったのか、復活したキリストのように生きるのか。
良い作品は自分の目のようにカメラが動く。

 
白い地が変化していく様を淡々と見せるだけで、こんなにも興味をそそられるかという多少の映像的な発見もあったけれど、全体的に長すぎて辛い作品だという印象は否めない。

古臭い芸術の敗退していく様、差別的で暴力的様、利己的で人をも物として扱う様…様々な興味深い負の側面を数多く見いだすことができるけれど、その意義については理解には及ばず、絶えず苦痛を持って眺めていたように思う。
真新しさが見られない古典的芸術作品を教育的に鑑賞したといった感じ。

美しい

 

エマニュエル・べアールの若かりし頃の作品ですね。

整形してないからホントに綺麗。
まさに彼女自体がアートの様です。

肉体を剥いで骨格にしていく。

アートな作品で好きです。

 
 筆を折った画家も若かき日の妻も老いには勝てません。創作ができなくなった画家が創作できる様になるには、塗りたくられたキャンバスではなく、真っ白いキャンバスが必要だったのかもしれません。


フィルム自体は絵画の様で本当に綺麗でしたが、ちょっと長すぎるのと抽象的すぎるので、好みが分かれると思います。

若い画家とその恋人が老画家の住む大きな屋敷に招かれる。老画家の妻と画商の男も加えた五人の会話は空虚な会話で、誰も自分の真情を口にしているようには見えない。

しかし、交錯する五人の視線は観客に対して登場人物たちの本音を伝えていて、彼らの視線の一つ一つを丁寧に追っていくことで状況に対する理解が得られる。
若い女がモデルになり、老画家は昔あきらめた絵をもう一度描こうとする。映画はこの描く行為を中心に映し出す。
筆によって紙にひかれる線の一本一本を丁寧に追うと、1本では何の意味も持たない線が、他の線と関係を結ぶことで人間の肉体の一部へと変容していく。非常に長い時間をかけてカメラはとらえるのだが、これは多くの観客に忍耐を要求するものである。そしてこの忍耐こそが、人間や人間を取り巻く真実を理解するには不可欠なものであることを映画は訴えかけてくる。
老画家は、新しいモデル…続きを読む

 
 冒頭のオープンカフェは、周りを木々に囲まれ、その隙間から無数に差し込む陽光が印象派絵画そのもので、額縁舞台の映像美である。芸術の街らしく、光と影のコントラストは風景画のような情景を見せてくれた。


裸婦役のE・ベアールもまた、印象派の画家達が好んだ丸みを帯びた柔らかい肢体で、艶かしい裸体を見せてくれた。

写真の技術により、絵画が記録としての役割を持たなくなった時代、画家達は内面にある感情を表現するようになった。それが印象派以降であるが、この映画の中でも“美しき諍い女”というモチーフで、モデルに様々なポーズをさせることによって諍い女=激しい女の内面を捉え、形象化しようと試みたのではないか・・・と思われた。

 

スタッフ・キャスト

  • ミシェル・ピコリ

    ミシェル・ピッコリ

  • ジェーン・バーキン

    ジェーン・バーキン

  • エマニュエル・ベアール

    エマニュエル・ベアール

  • マリアンヌ・ドニクール

    マリアンヌ・ドニクール

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受賞歴

第44回 カンヌ国際映画祭(1991年)

受賞

コンペティション部門
グランプリ ジャック・リベット

出品

コンペティション部門
出品作品 ジャック・リベット