チャンスは、必ずあるものだ

2023年11月02日 10時25分47秒 | その気になる言葉

▼「継続」は力なり。

地道な実践の中で、勝利の土台は築かれる。

自分なりの歩幅で、今日も着実な一歩を!

▼信念・哲学・理念さえ正しく強ければ、越えれない困難などないはず。

▼日本を中心とした世界地図。

欧州の地図では日本は「極東」に位置する。

「地球儀」には、中心となる国はない。

地球儀のどこであれ、自分の指先を当てれば、そこが中心である。

「我々は地球儀を眺めることによって、人間としての在り方を探し始める」歴史学者千田稔

▼一念を変えることで、環境は変わり始める。

▼よき精神が、生き生きとして継承されている組織は強い。

ましてや青年を大切にし、育んでいっこうという心が脈打ち、流れている組織には行き詰まりはない。

永遠の発展があるはずだ。

▼全ての事業が、一代限りで終わってしまえば、未来への流れは途絶えてしまう。

一家、一族の繁栄、幸福も継承が根本である。

▼人間を尊び、守り合う、生命尊厳の時代、社会を築き上げていく重要な使命が人間にある。

▼生きる理念・哲学は、自己自身の生き方として体現され、信頼の絆をもって人びとと結ばれていくことだ。

▼人の孤立化が進んでいる時代だ。

他の人にあまり干渉たくない人もいるだろう。

一人で悩みを抱え込み、自信を喪失しやすい傾向もある。

だからこそ、対話を対話を大切にした。

▼互いを敬う心をもって、人々が接していけるような土壌ができれば、地域社会は、良い方向に向かうだろう。

▼一人の人間に内在する無限の可能性を引き出し、行動すれば世界平和に大きな影響を与えると、確信したい。

▼<誰も置き去りにしない>地域の組織や集いが期待される。

▼<勝つのだ!>という強い意志が不可欠!

敗者は、戦う前から、すでに心が破れている。

▼真実は叫んでこそ伝わる。

沈黙は、敗者のまま去る身となる。

▼悪が勝者になっては、正義は死ぬ。

▼チャンスは、必ずあるものだ。

それを、どこまでも確信することだ。

 


ガザ地区の死者7割 子ども・女性

2023年11月02日 10時25分47秒 | 社会・文化・政治・経済

イスラエル軍によるパレスチナ自治区ガザへの攻撃で犠牲者数が拡大の一途をたどっている。

全面的な地上侵攻前にもかかわらず、過去の戦闘と比べても突出。国連によると、8000人超の死者の7割近くが子どもや女性で「国際人道法違反」との批判が高まる。

国連職員の死者も64人となる。

「人はなぜ戦争をするのか?」91年前に物理学者のアインシュタインは問う。

  • ヒトはなぜ戦争をするのか?―アインシュタインとフロイトの往復書簡
ヒトはなぜ戦争をするのか?―アインシュタインとフロイトの往復書簡 
 
 
1932年、ノーベル賞受賞から10年を経て、すでに世界に名立たる知識者になっていたアインシュタイン。
53歳の彼が、国際連盟から「人間にとって最も大事だと思われる問題を取り上げ、一番意見を交換したい相手と書簡を交わしてください」と依頼され、選んだテーマがこの本のタイトルであり、その相手はフロイト。当時76歳だったフロイトは1917年に『精神分析入門』を刊行し、やはり名の知れわたった碩学であった。

時代はすでに全体主義の足音が聞こえはじめており、ナチ党の政権掌握は1933年1月。アインシュタインはユダヤ人(後にアメリカへ亡命)、フロイトもユダヤの血を引いている。

解説の養老孟司は、当時のアインシュタインにとって「ナチの勃興が焦眉の重大問題だった」と述べ、フロイトはその問題に気づいていないともみえるとしている。

アインシュタインは「人間を戦争というくびきから解き放つことはできるのか?」と問い、「人間の心を特定の方向に導き、憎悪と破壊という心の病に冒されないようにすることはできるのか?」と悩む。

また、「“教養のない人”よりも“知識人”と言われる人たちの方が、暗示にかかりやすいとも言えます」と。

これに対してフロイトは「人間から攻撃的な性質を取り除くなど、できそうにもない!」と明言する。戦争とは別のはけ口を見つけてやればよいと言い、エロス(愛)と破壊衝動をキーワードに問題解決に挑む。

そして、「文化」をヒントに彼なりの示唆深い解答を提示する。70年前の往復書簡。冷戦が終息し、地域紛争の多発で明けた21世紀に、このフロイトの解をいかに読み解けば良いのであろうか?

養老孟司の解説「脳と戦争」は往復書簡との関連性でみると、いまひとつ理解できない。「人の攻撃性が生得的であろうとなかろうと、人が見ている世界は所詮はヴァーチャルである」とし、「それならヴァーチャル世界で戦争をすればいい。攻撃性をそこで満足させればいいのである」と言う。しかし増加する内戦や地域紛争では、斧(おの)や自動小銃で殺戮を犯す“ヴァーチャル”とは言えない現実がある。

付録「戦争の世紀」は1898年の米西戦争以降の戦争を列挙しているが、その意義は不明。高校の歴史教科書の要約である。(澤田哲生)

ナチズムの嵐に消えた世紀の戦争論!世紀の変わり目の今、日本に甦る!一九三二年、国際連盟がアインシュタインに依頼した。「人間にとって最も大事だと思われる問題をとりあげ、一番意見を交換したい相手と書簡を交わしてください」とりあげた問題は、戦争。相手は、フロイトだった。

 

感想
 
フロイトの返信は非常に面白い。また養老先生の注釈が文化の差異をうまく解説してくれています。
 
 
政治家・学者連中に読ませる本
 
9・11のWTCのテロ発生から一年。またもや戦争という名の亡霊がはびこり始めたようである。ブッシュ親子はどうしてそんなに戦争がしたいのだろう。彼は言う、正義のために。でも正義ってなに?いったい誰のための正義?もちろん答えはアメリカのためである。その結果、どうしてわれわれを巻き込もうとしているのだろう?
そんな時だからこそ、20世紀最大の英知の会話が今ほど必要なときはないのではないだろうか。戦争は不可避であるのだろうか?遺伝子がそうさせているのだろうか?答えはNOであろう。言葉で考えた論理が、身体的表現として戦争を是認する。とくに、政治家・学者連中は自分の身には大きな身体的危害が及ばないから勝手に正義を論理だてる。自分がやばくなったら他国へ逃げるのに。もちろん、戦争に行かされるわれわれ一般人としては、彼らの論理には反対ではないか?
戦争に関する限り、頭で考えるのは止めにして、利己的な遺伝子的に、戦争反対と言おうではないか。
 
 
間違いなく人類史上最重要な書の1つ
 
人類史上、イエス・キリストに次ぐ有名人と言ってもさして無理のない二人が、人類に戦争を止めさせる方法について書簡を交わしたのですから、歴史的な出来事であり、もっと注目されて良いはずです。
 
もちろん、いかに天才とはいえ、このような難しい問題に簡単に答が出せるはずがありませんし、フロイト自体は非常に悲観的な見解を述べています。しかし、よく読むと、恐るべき貴重なヒントが提示されていると思います。
 
アインシュタインおよびフロイトについて、十分に知識を得てから読めば、更に価値の高さが理解できると思いますが、逆に、このシンプルな書簡から、この人類史上最高の賢者達に興味を持つこともあると思われます。そして、後者の場合にも本書は実に適切な書であると思います。
 
アインシュタインがただ科学の天才であるだけではないことには多くの方が同意すると思いますが、彼が選んだ最高の賢者は、ともすれば誤解され、あるいは、売名のために卑劣に彼を貶める輩が実に多いながら、例えばマスローにおいては「自分の仕事はフロイトの深い意味の探求」と言わせた、真の天才フロイトであったことも感慨深いと思いました。
 
 
80年前に書かれた書簡とは思えないくらいリアルです
 
提起されている問題が今でも解決されてないという現実
戦争が繰り返されている世界と向き合わなければならない
という現実、結局何も進歩していないという事なのか。
 
 
一読の価値あり、しかし物足りない
 
 この本はアインシュタインが国連から「今最も大切なテーマについて誰を指名して意見を交換してもよい」という提案を受け、フロイトを選び、テーマに戦争を選んで交わされた2通に手紙をメインとした本である。後半は「二人の手紙の推測による解説」と「日本人の戦争にたいする意識」「世界で起きた戦争の時事」が書かれている。
 
ちなみにアインシュタインはルーズベルトに爆弾の開発を即す為に手紙を送ったのではない 
「未来のエネルギー源としての研究。爆弾は作れると思うが今のところ無理だろう」という内容で、開発は彼には秘密で行われた。(ウィキペディア)
 
 私の印象では、アインシュタインは「兵器よりヒトを恐れていて、自分の研究が悪用されることを推測している」 もしも彼が「爆弾を作れる」と確信していたらルーズベルトへの手紙はなかったかもしれないし、敵国よりも先に行くために送っていたかもしれない。
 
 私はこの本から「開発した者と悪用する者のどちらが悪いのか?」という疑問を覚えた。
この本自体は面白い、戦争について考えるなら二人の手紙の内容は一読の価値があると思う。
が、物足りなさは否めない、これ以降に文通が続かなかったので仕方ないが・・・。
 
衝動理論のことはよくわかります
 
アインシュタインは言う。「人間には本能的な欲求が潜んでいる。憎悪に駆られ、相手を絶滅させようとする欲求が!」
 
これがフロイトへの問いかけであり、フロイトは精神分析学の衝動理論(エロスとタナトス)を引いて、「人間から攻撃的な性質を取り除くなど、できそうにない!」と答えながらも、文化の発展に一縷の希望を託す。
 
アインシュタインからのもう一通の手紙が欲しかったですね。いったいどんな意見をもったでしょう。中途半端な終わり方という感は免れません。養老先生の解説もいまひとつですし。
 
一番びっくりしたのは、アインシュタインが広島・長崎の原爆に強い憤りを覚えていたこと。自分の発見した理論があのような形になるなんて、原爆投下から13年前にこの手紙を書いていた頃は思いもよらなかったでしょうね。
 
 知的な逡巡を味わう
 
アインシュタインとフロイトが戦争について書簡で意見を交換し合う!?
当時高校生だった私には大いに興味をそそられる作品でした。
両者の書簡ともよく戦争という話題について考え込まれた
とても丁寧なもので、読む価値は大いにあると思います。
ただ、フロイトは相変わらずというべきか独特の意見を展開していて
論理を外れる部分もあり、大学1年のとき論理学の授業でこの本を
論理的に批評するレポートを提出したほどでもあります。
とにかく、「ヒトはなぜ戦争をするのか?」という根本的であるにも
関わらずあまり深く考えない分野についての2大知識人の考察は一読
の価値ありだと思います。
友人などと読みあって考えあうのもいいでしょう。
ただ、牧場の少女カトリという作品中にあった、「嵐や吹雪と違って
戦争は人間が始めたものだから人間がやめさせる事ができるはずだわ」
という単純な考えも忘れたくないなー、と最後に蛇足な個人的付け足しです。
 
ちょっと期待はずれ
 
往復書簡!というわりに1往復しかしていない・・。
往復にはちがいないけどさあ・・というかんじ。
ただ内容は非常に濃いです。文庫で700円とかで読めたら
もっとよかったなー。
 
 
 
 

 


屍の街・半人間

2023年11月02日 09時40分48秒 | 社会・文化・政治・経済
 
  • 屍の街・半人間 (講談社文芸文庫)
 
 
大田洋子(著)  
 
真夏の広島の街が、一瞬の閃光で死の街となる。
累々たる屍の山。
生きのび、河原で野宿する虚脱した人々。
僕死にそうです、と言ってそのまま息絶える少年。
原爆投下の瞬間と、街と村の直後の惨状を克明に記録して1度は占領軍により発禁となった幻の長篇「屍の街」。
後遺症におびえ、狂気と妄想を孕んだ入院記「半人間」。
被爆体験を記した大田洋子の“遺書”というべき代表作2篇。
 
人類の頭上に初めて投じられた原爆の実相に目を足で向き合い、占領下で限られた情報をかき集めて書いた。
 「屍の街」を書くことで、文学上の「語り部」となった。
 
ひたすら高潔な正義の人、だったわけではない。
過去には、戦争協力の文も書いていたのだ。
 強さ、弱さ併せ持つ人間臭さや悔いが作品を味わい深くしている。
 戦争末期、東京から広島に疎開し、原爆に遭遇し傷を負った。
 妹が「書けますか、こんなことを」と問うと洋子は「これを見た作家の責任だもの」と言った。
 異変に気付いたんもは敗戦の後の8月20過ぎだった。
 
被爆者たちが、外傷もないのに次々に死に始めた。
 放射線障害が体をむしばむ原爆症だった。
 刺さったガラス片を取ってもらいホットした娘が「私はいつ死ぬですか?」村の老医師に問う。
洋子は医師と被爆者らとのやりとりを書きとめる。
その娘は1週間後に血を吐いて死んだ。
 
妻は無傷だが顔色の底に変な色が沈んでいるのを医師は気づいていた。
男はそっと聞く。
「女房の方はいつ死ぬ?」
「1週間くらいかな」
「一緒くらいだね。あの世まぜ道づれといのは、よほどの縁だ」男は言う。
男は数日のうちに死に、妻はその2日後に死んだのだ。
男は原爆の不条理を本質的に突く言葉を残した。
 
東京の出版社は占領軍の検閲を内容を削る。
そして、完全版が出たのは1950年。洋子も米将校に尋問された。
 
真夏の広島の街が、一瞬の閃光で死の街となる。
累々たる屍の山。生きのび、河原で野宿する虚脱した人々。僕死にそうです、と言ってそのまま息絶える少年。原爆投下の瞬間と、街と村の直後の惨状を克明に記録して一度は占領軍により発禁となった幻の長篇「屍の街」。
 
後遺症におびえ、狂気と妄想を孕んだ入院記「半人間」。
被爆体験を記した大田洋子の“遺書”というべき代表作二篇。 
 
 
「銅色に焦げた皮膚に白い薬や、油や、それから焼栗をならべたような火ぶくれがつぶれて、癩病のような恰好になっていた」原爆の惨劇の断片を切り取っていく迫真のドキュメンタリーである「屍の街」。
今で言うPTSDに悩まされる過程を描く「半人間」。
前者は今となっては様々な情報を得ているだけにさほど衝撃は受けないが、後者の方が小説としての出来はすぐれているように思う。
戻っている平和な日常との歪、精神の壊れっぷりがなんとも恐ろしい。
 

作者が強調する原爆の恐ろしさは、その破壊力や被爆だけはない。
それは今までにない爆弾だった。
人々の想像力を超えていた。
そして突然の未知の力による破壊は、肉体のみならず人々の精神内部にまで及ぶ−
まさに体験した者だけが言えることだが、原爆の最大の恐怖は、
人々の気力を奪い去り、表情を消し、魂を蒼ざめさせることだという。
「じっさいは人も草木も一度に皆死んだのかと思うほど、気味悪い静寂さがおそったのだった」
「裂傷や火傷もなく、けろりとしていた人が、ぞくぞくと死にはじめたのは、八月二十四日すぎからであった」
見渡す限りの焼け野原を見た喪失感、そして生存者が日をおいて発症して死んでいく、という不可解な死の恐怖が全編を占めている。
そして作者は、自分の魂と人々の心をここまで消失させ、死の恐怖におびえさせた原因についての思いを率直に書く−。
広島は国内の他都市が大きな被害を受けたなかで、8月まで大空襲を免れていた。
それはなぜか?
アメリカは世界最初の原爆の地として広島を残していただけの話ではないのか?
そして、広島が爆撃を受けない理由を徹底的に調査し分析しなかった
戦争責任者、知識人への激しい憎悪…
「その推理が主知的に処理されていたならば、広島の街々に…
あれほどの死体をつまなくてすんだことと思える。」
 ところで大田洋子は書くことによって、魂の亡失から抜け出し、
自らを救済できたのだろうか?
作者のむける刃は、戦争というものに向かい、それに対して何もしようとしない無気力な人間に向かい、
そして最後に、感情を狂わせ喪失させられた自分自身に向かい、自らを傷つけることで救いを得ようとしているように感じて、気になった。
 

ガザ地区とは?

2023年11月02日 09時25分15秒 | 社会・文化・政治・経済

イスラエルに封鎖されているガザ地区の経済が非常に苦しん状況だ。

失業率が47%、貧困率が65%で住民の80%は何らかの人道支援に頼って生活をしている。

地中海に面したガザは、古代からアフリカとアジアをつなぐ交易の中継地として多くの人が行き交い、 アレキサンダー大王やナポレオンも足を踏み入れた歴史的な場所です。

長くオスマントルコの支配下にありましたが、 第一次世界大戦後はイギリスの委任統治領になり、 1948年には第一次中東戦争とイスラエルの建国の結果、エジプトの管理下になりました。
この時多数のパレスチナ難民が流入し、ガザの人口は5倍になりました。
1967年の第三次中東戦争によってイスラエルに軍事占領され、以来、インフラや産業が破壊されたまま整備されず、 人口の多い貧しい地域になっていきました。

肥沃な土地はイスラエルの入植地として没収されたこともあり、 ガザの人々は低賃金労働者としてイスラエルに出稼ぎに行くようになりました。

その結果、ガザで、「インティファーダ(イスラエルへの抗議運動)」が1987年に始まったのは自然なことでした。

ガザとはどんなところか?

1993年にイスラエルとPLO(パレスチナ解放機構)の間で結ばれた「オスロ合意」に基づいて、翌年ガザ地区は、ヨルダン川西岸地区と共に「パレスチナ自治区」になりました。

しかし、2007年以来、ガザはイスラエルに軍事封鎖されています。

  • ガザの現状

    長さ50km、幅5~8kmの狭く細長いガザは、種子島ほどの面積に200万人の人が住む、 世界で最も人口密度が高い場所の一つです。

  • 人口の約45%は14歳以下の子どもで、7割は難民となった人々です。 2005年までは、イスラエルの入植地があり、イスラエル軍が常駐していました。

  • 同年、ガザ内部から入植者と軍が撤退しましたが、ガザは周囲からイスラエル軍に包囲され、 人や物の出入りが極端に制限されています。

  • その結果、燃料や食料、日用品、医療品などが慢性的に欠乏し、 経済や生産活動が停滞して、 人々は国連や支援団体からの援助物資で命をつないでいます。
    また2008年以降、ほぼ2年おきにイスラエル軍からの激しい軍事攻撃が行われ、 多数の市民が犠牲になり、大規模な破壊がガザの状況をますます悪化させています。

    パレスチナ問題とは

どうしてこうなったのか - ガザの近代史

  • イスラエルの撤退と封鎖

    2005年、イスラエルはガザ内部から入植者と軍を撤退させ、事実上ガザを放棄しました。 しかしその代わりに周囲を封鎖、人や物の出入りを大きく制限しました。
    2006年のパレスチナ自治政府の選挙では、それまでのPLO (パレスチナ解放機構。オスロ合意でイスラエルとの対話路線を選んだ「ファタハ」が中心で、民族主義的で非宗教的。)ではなく、 「ハマス」(イスラム主義を掲げる政治グループ、対イスラエル強硬派)が多数派となりました。 ハマスがファタハをガザから追放し、事実上ガザを支配するようになると、イスラエルはガザの封鎖を強化し、 2008年には食料や燃料など生存に必要な物資も最低限しか搬入されなくなりました。

  • 繰り返される攻撃と破壊

    2008年、2009年、2012年、2014年、そして2021年と、イスラエル軍は逃げ場のないガザに大規模軍事侵攻を行いました。 2014年の軍事侵攻では、過去2回をはるかにしのぐ激しい攻撃が、空、陸から51日間にわたって行われ、 死者2,251人(うち70%が女性や子どもを含む民間人)、 負傷者約11,000人、全壊・半壊家屋18,000戸という大きな被害がもたらされました。
    2021年5月には11日間にわたって空爆が続き、民間人や子どもを含む約2,500人が死傷しました。
    停戦後の現在も封鎖は続き、破壊された町の復興は遅々として進んでいません。 人々は、 いつまた繰り返されるかわからない戦争の恐怖を抱えながら生活しています。

    > ガザ難民支援について見る

ガザが抱える問題

ガザが抱える問題には封鎖に起因するものが多く、イスラエルの封鎖政策は、 国際法で禁じられている「集団懲罰」であると国連や人権団体などから強い批判を受けています。 しかし国際社会は、この状態に対して効果のある措置をとることができていません。


夜明けのはざま

2023年11月02日 08時45分36秒 | 社会・文化・政治・経済
 
 
『52ヘルツのクジラたち』で本屋大賞を受賞!
3年連続、本屋大賞ノミネート!!

自分の情けなさに、歯噛みしたことのない人間なんて、いない。

地方都市の寂れた町にある、家族葬専門の葬儀社「芥子実庵」。
仕事のやりがいと結婚の間で揺れ動く中、親友の自死の知らせを受けた葬祭ディレクター、元夫の恋人の葬儀を手伝うことになった花屋、世界で一番会いたくなかった男に再会した葬儀社の新人社員、夫との関係に悩む中、元恋人の訃報を受け取った主婦……。

死を見つめることで、自分らしく生きることの葛藤と決意を力強く描き出す、『52ヘルツのクジラたち』で本屋大賞を受賞した町田そのこ、新たな代表作!
 
「悲しみとか苦しみはあなた一人のものじゃないのよ、と一緒のそばにいるみたなイメージの作品」
 
葬祭ディレクターの佐久間真奈は仕事にやりがいを感じていたが、恋人からプロポーズで、「結婚するなら仕事を変えてほしいと言わてしまう。
そんな時、衝撃的な知らせを受ける。
 
一人娘の結婚について悩むシングルマザーや昔の恋人を失った主婦、いじめを受けた過去を持つ葬儀社スタッフなど、さまざまなな痛みを抱えた人々が、「死」と向き合う5編の連作。
 
葬儀社「芥子実庵」は仏教説話の「ケシの実の話」が重要なモチーフ。
幼い子を亡くし、その死を受け入れられない母親が、釈迦の教えで死が誰にも訪れることを知るという話である。
 
「このエピソードが最初にできたんです。生きるといろいろな痛みにさらされますが、自分の痛みばかりに敏感で、でも痛みって誰にでも平等にあると思い、<痛みの物語なんだな>と方針がきまりました」(毎日新聞の記事から引用)
 
物語では、結婚と仕事に悩む女性。
生きることに思い悩んだ時、読んでほしい小説だ。
 
 
 
自分の情けなさに、歯噛みしたことのない人間なんて、いない。

地方都市の寂れた町にある、家族葬専門の葬儀社「芥子実庵」。
仕事のやりがいと結婚の間で揺れ動く中、親友の自死の知らせを受けた葬祭ディレクター、元夫の恋人の葬儀を手伝うことになった花屋、世界で一番会いたくなかった男に再会した葬儀社の新人社員、夫との関係に悩む中、元恋人の訃報を受け取った主婦……。

死を見つめることで、自分らしく生きることの葛藤と決意を力強く描き出す、『52ヘルツのクジラたち』で本屋大賞を受賞した町田そのこ、新たな代表作!福岡県出身で、3人の子を育てながら地元で執筆活動を続ける町田さん。
 
福岡県出身で、3人の子を育てながら地元で執筆活動を続ける町田さん。
 20歳で県内の理容師専門学校を卒業後、理容師の職に就くものの1年で退職。
 その後、レストランの店員や100円ショップ、和菓子店、葬儀屋など職を転々とした。
「28歳までは、自分には何もなかった」と語る町田さん。
 

 

 
 
 
 
 

 

 


 創作 今は亡きナオちゃん 12)

2023年11月02日 02時50分52秒 | 創作欄

「及び難いと思うと、悲しいものよね」尚子は、東京駅駅の売店で買ったビールを飲みながら、新幹線の窓のガラス越しに、夜のとばりを見詰めていた。
「ナオちゃん、東京とお別れするのね」尚子は涙を浮かべる。
そして、私の手を握り絞めた。

元彼の大崎夏人の話に話題が及ぶのだ。
「彼はね、薬剤師のナオちゃんより、外科医の人と結婚したの」
私は終始、黙ったままで聞き役となる。
「前にも言ったことがあるけど、時ちゃんは不思議な人ね。ナオちゃの過去の事まで言ってしまう。やはり、時ちゃんはママの生まれかわりなのね」尚子は「ママ」とつぶやきながら私を抱きしめた。

私は初めて尚子の温かい胸の鼓動を感じる想いがしたのだ。

尚子はミニスカートの足をずっと私の足に密着させている。

新幹線の自由席は、空席が目立っていた。

「ナオちゃんはね、本当はママのような女優になりたかったの。それで、高校生までバレイを続けていたけど、結局はママのことを思って、乳がんで亡くなったママのためにもと、外科医も目指したのけれど、東京女子医大と慶応大学医学部の受験に落ちて、仕方がなく東京薬科大学へ行って、薬剤師に・・・まさか今、ナオちゃんが薬業界の専門紙の記者になるとはね」尚子は目を閉じて私の肩に赤毛の頭を傾けた。

新幹線が大垣駅を過ぎた時だった。

「京都駅で途中下車しましょう。ナオちゃん京都で泊まりたくなっわ。いいわね時ちゃん」

「京都ですか?いいですね」尚子と過去に来たことがあった街だった。

あの日を追憶するように、二人は深夜の鴨川や高瀬川へ向かっていた。

そして木屋町の和風旅館へ泊った。

風呂からあがった二人は、備え付けの冷蔵のビールを飲む。

尚子は、全裸になって、布団の上へうつ伏せとなる。

「時ちゃん、ナオちゃんのクビ筋からキスマークを付けてね。いいわね」

尚子は両方の乳房を握りしていた。

「いいわ、いいのよ。あの日よりも時ちゃん、上手よ。とっても!」

前回よりも、尚子は身をよじりながら悶え続ける。

私は、高瀬川のせせらぎに耳を傾けたながら尚子に奉仕し続ける。

だが、私は最後まで尚子の体を犯すことができなかった。

「時ちゃはね。ママの生まれかわりなの」それは呪文のように私を縛りつづけていたのである。