当方は、取手出身の歌手である藤野とし恵さんのファンのひとりである。
記憶は定かではないが、30代のころ、台宿のスナックで、とし恵さんに会っているようだ。
その店は、1階のスナック・エイトの真上の2階の居酒屋の店だったと思うのだが記憶は定かではない。
藤野とし恵さんの恩師は、藤田まさと。
今日は、家人の友人あるチャコちゃんの招きにより取手・青柳会館での歌謡ショーに参加参加した。
チャコちゃんは、とし恵さんとは取手小学校と取手第一中学時代の親友。
この日の主催は「きらく会」で、会の7周年の行事だったのだ。
当方の友人の相米さんも役員として会場にいた。
少し遅れアイちゃんもやってきた。
とし恵さんの新曲の歌謡指導もあり、参考になった。
カラオケ・スナック「福ちゃん」のママも参加していた。
風邪でなければ、当方も1曲、歌いたかっのだが・・・
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藤田 まさと(ふじた まさと、1908年5月12日 - 1982年8月16日[1])は、静岡県榛原郡川崎町(現・牧之原市)出身の作詞家。
本名・藤田正人。
経歴
1908年(明治41年)川崎町細江に生まれる。
1918年(大正7年)旧満州の遼寧(辽宁:りゃおにん)省大連に渡り、1926年(大正15年)大連商業学校卒。大連商時代には、野球で甲子園に出場している。内地に戻り、明治大学に入学したが、1928年(昭和3年)、3年生で大学を中退し、日本ポリドール蓄音機株式会社に入社する。
制作部長、文芸部長を歴任しながら作詞活動も行い、1935年(昭和10年)、「旅笠道中」、「明治一代女」の大ヒットで一躍人気作詞家となった。
戦後も「岸壁の母」などのヒットがある。1979年(昭和54年)には、自身もレコードを出し歌手としてデビューしている。晩年には、「浪花節だよ人生は」のヒット曲がある。
1982年(昭和57年)8月16日死去。享年74。
デビュー年 | 1964年 |
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デビュー作 | 恋に命は賭けられぬ (シングル) |
デビューしたきっかけ | 1961年姉の藤野たつ美がレコード大賞新人賞受賞式に急病のため代わりに出席し歌いスカウトされる |