共同農業新聞社の同僚の村岡純子との性の関係に終止符が打たれることなった。
彼女の妻子ある彼が、香港支社から戻って来たきたのだ。
42歳の彼氏は香港での業績が高く評価されて、2年を経て本社の営業次長になり、日本へ戻ってきたのである。
純子と私の間に、恋愛感情があったわけではなく、男と女の体の関係に過ぎなかった。
「南君と腐れ縁にならずにすんだわ」純子はむしろさばけていた。
つまり彼女は、ものわかりのよい、したたかな女なのであった。
一方、大津典子との関係はドロドロしたものとなってゆく。
「南さん、あなたを信用していたのに、私、妊娠したようなの。生理がとまっているわ」深刻な表情となっていた。
私には妻子がいたので、典子が打ち明けた事態に、少なからず動揺してしまう。
男の身勝手であり、私は避妊に配慮をしていなかった。
「寝床で、南のバカ、バカと咽び泣いているのよ」打ち明けた典子とその日も浅草のラブホテルで過ごしていた。
「私、日記を書いているのよ。書くのはあなたのことばかり」彼女は私が無罪になった日を契機に、高校卒後以来の日記を再開させていたそうだ。
その日記を中学校の教師である母親に読まれてしまったのだ。
彼女の父親は、郵便局に勤める温厚な性格の人だった。
戦場カメラマンである典子の兄が、紛争地のイラクから戻ってきていた。
そして、母親は息子に娘の成り行きを明かしたのだ。
兄は、7歳離れた妹の典子を可愛がってきたので、当然、「そんな男は、絶対に許せない!」と憤る。
そして典子の兄は唐突に、電話で社長を呼び出したうえで「社員の不倫を許していいのですか!」と怒りに任せて、共同農業新聞社に抗議の電話をしてきたのだ。
「君は、誰なんだ。まず、名乗りなさい」と社長は詰問するが、電話は直ぐに切られたのである。
典子の母と父と兄の3人が、私が住む下北沢のアパートに押しかけてきたのは、日曜日の午前10時ころであった。
呼び出しのブザーでアパートのドアーを開けたのは私であった「上がらもらうよ」怒りを募らせ目を吊り上げた男が、いきなり肩で勢いよくドアー押し開けたのだ。
「突然、何ですかですか?!」私は刑事たちに踏み込まれた過去の記憶がよみがえる。
背後には中年の男女が立っていたのだ。
それが典子の両親であった。