『ウィッカーマン』(The Wicker Man)は、1973年製作のイギリス映画。スコットランドに古くから伝わる原始的宗教が生き残る島を描いた、ミステリアスなフォークミュージカル風恐怖ドラマ。
4月4日午前6時からCSテレビのザ・シネで観た。
以外な結末であった。
キリスト教以前のペイガニズムが信仰されるのどかな島で、外からやってきた熱心なキリスト教徒の警官が異教徒に迫害されるさまを描いている。
本作をカルト映画と評する向きもある。
ガーディアン紙はホラー映画ベスト25を紹介する企画でこの映画を4位に選出し、Cinefantastique誌が「ホラー映画の『市民ケーン』」と評したのを紹介しつつ、公開前後に様々なトラブルに見舞われ不遇だった映画が1980年代までにはカルト的な地位を確立したと述べている。
「ウィッカーマン」とは、『ガリア戦記』に記述されている柳の枝で編まれた巨大な人型の檻で、ドルイド教徒が生贄となる人間を入れて燃やしたものである。
2006年にニコラス・ケイジ主演、ニール・ラビュート監督でリメイクされた。
ペイガニズム(古典ラテン語:pāgānus「田舎」、「素朴」、後に「民間人」、英: paganism、仏: paganisme:パガニスム、羅: paganismus)とは、4世紀の初期キリスト教徒が、ローマ帝国で多神教やユダヤ教以外の(一神教を含む)宗教を信仰していた人々に対して初めて使った言葉である。多神教や異教徒の一神教の信仰を広く包括して指し示す。
ローマ帝国の宗教思想の発展において、初期キリスト教自体がいくつかの一神教カルトの一つとして発展し、ペイガン(異教徒)という概念が生まれた。第二神殿ユダヤ教(またはヘレニズム的ユダヤ教)から生まれたキリスト教は、ディオニューソスのカルト[1]、新プラトン主義、ミトラ教、グノーシス主義、マニ教など、異教(ペイガン)の一神教を唱える他の宗教と競合しており、多神教と共に異教をさして使うようになった。
一方、アメリカ合衆国では1960年代以降、ペイガンと自己規定する人々のさまざまな折衷主義的で個人主義的な無数の宗教運動が各地で発生しており、ペイガニズムという言葉を従来とは異なった価値観をもって使用する自称ペイガンないしネオペイガンが数千人以上の規模で存在する[2][3]。
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あらすじ
スコットランド・ハイランド地方西部の警察に勤める中年の巡査部長ニール・ハウイー(エドワード・ウッドワード)は、ヘブリディーズ諸島のサマーアイルという孤島で行方不明になった少女ローワン・モリソンを探してほしいという匿名の手紙を受け取る。ハウイーが飛行艇で向かった先で見たものは、島の領主であるサマーアイル卿(クリストファー・リー)のもとでキリスト教の普及以前のケルト的ペイガニズムが復活していた風景だった。
島民は農業に励む普通の生活を送っているが、宗教生活や性生活だけは他のイギリス人と異なっていた。彼らは生まれ変わりを信じ、太陽を信仰し、子供たちに生殖と豊作を願うための性的なまじないを教え、大人たちは裸で性的な儀式に参加していた。
ハウイーは非常に厳格なキリスト教を信仰しているため、これらの風習に衝撃と嫌悪を隠せなかった。宿では、あるじの娘のウィロー(ブリット・エクランド)が艶かしい踊りと歌でハウイーを誘惑し、彼を困らせる。「五月祭」の近づく中、島民は準備や儀式に忙しく、彼の捜査は進まない。
教師や役人も含め、島民は「ローワンという少女はここにはいない、最近死んだばかりだ」と口をそろえる。ハウイーは島の権力者であるサマーアイル卿のもとへゆくが、そこで彼はサマーアイル島の物語を聞かされる。サマーアイル卿の祖父の世代、凶作が続いたために皆でキリスト教を捨てて古代の宗教儀式に戻ったところ島は豊かになり、リンゴの名産地になれたという。
ハウイーは次第に、少女は人身御供として殺されたか、あるいはこれから殺されるのでは、との疑念を抱くようになる。やがてローワンの墓を暴くと中には野ウサギしか入っていなかったこと、ローワンが昨年の五月祭の主役(メイクイーン)であったこと、凶作の年の五月祭は生贄が供えられることを知り、今年のリンゴの凶作のために去年の五月祭の主役だった少女が五月祭で殺されることを確信する。
飛行艇の故障で応援の呼べないハウイーは、少女を救うべく、五月祭の主役である愚者パンチを演じる予定の宿のあるじを昏倒させ、自らがパンチの扮装をしてサマーアイル卿が先導する五月祭の行進に紛れ込む。
ハウイーを含めた扮装した島民の行進は、町外れの海辺の丘に立つ、柳の枝で出来た巨大な「ウィッカーマン」の像へと向かう。
祭が始まり現れたローワンが生贄にされかけたところをハウイーは救うが島民に取り押さえられ扮装を暴かれる。そこでサマーアイル卿は予定している生贄はローワンではなくハウイーであり、今までのすべては彼をこの島へ招きよせて生贄にするための罠だったことを明かす。五月祭で燃やされる生贄は少女ではなく4つの条件があった。
愚者パンチのように童貞で、賢くかつ愚かな者でなければならず、しかも王の代理としての力を持ち、自由意思で来なければならない。
ハウイーは信仰のために童貞であり、政府の警官=女王の代理として自ら進んで島へやってきて、謎を解く過程で罠にはまった、ということで生贄の条件をすべて満たしたのである。
サマーアイル卿は島民たちの信仰の主宰者としてハウイーをウィッカーマンの中に閉じ込め、火を投じた。死の恐怖に直面したハウイーが詩篇23篇を絶叫するなか、サマーアイル卿やローワン、島民らは来年の豊作を祈って、燃えるウィッカーマンの周りで中英語の歌『夏は来たりぬ』を歌い五月祭は最高潮を迎えるのであった。
キャスト
- エドワード・ウッドワード - ハウイー巡査
- クリストファー・リー - サマーアイル卿
- ダイアン・シレント - ミス・ローズ
- イングリッド・ピット - 図書館員
- ブリット・エクランド - ウィロー
スタッフ
- 監督 - ロビン・ハーディ
- 脚本 - アンソニー・シェーファー
- 製作 - ピーター・スネル
製作の背景とさまざまなバージョン
![](https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/a2/WickerManIllustration.jpg/200px-WickerManIllustration.jpg)
『ウィッカーマン』はハマー・フィルムのホラー映画の吸血鬼役で知られたクリストファー・リーが自らの演技の地平を広げようとしていた時期に、ブリティッシュ・ライオンの社長ピーター・スネルと共同で作った映画だった。まずリーと劇作家アンソニー・シェーファーが出合い、一緒に映画を作ろうという話が決まり[8]、ブリティッシュ・ライオン社が企画に加わった。シェーファーと監督のハーディは、ハマー・フィルムのホラー映画のファンであったが、これから作る映画はそれらと対照的な印象の映画、例えば「古代の宗教」を中心に据えたホラーにすれば面白いだろうと考えた[9]。
シェーファーは、警官が田舎で起こる儀式殺人の調査のために呼ばれるというデイビッド・ピナーの小説『Ritual』(1967年)を読んで、これを原作としようと考えた。『Ritual』は、もとはマイケル・ウィナーの監督、ジョン・ハートの主演を予定してピナーが執筆した映画原案だったが[10]、ウィナーが企画から降りたために、小説として完成させたものだった[11]。シェーファーとリーはピナーから映画化権を買って脚本化に取り掛かったが、そのままではうまく映画にならないと考え、小説に基づいてはいるがほとんど別の物語として脚本を執筆した[12]。シェーファーは普通のホラー映画よりも「若干洗練された」映画にしたいと考え、暴力や流血は最小限にしようとした。映画の中の人身御供の儀式がどのようなものかを思いついた瞬間にようやくこの映画の焦点が明確になったという。題名ともなっている「ウィッカーマン」を儀式の中心とし、現代のキリスト教徒と田舎の異教の共同体を対立させるというアイデアにシェーファーは興味をそそられ、異教に関する研究に打ち込んだ。ハーディとの打ち合わせで、現代の現実にありそうな場所を舞台に、本物の伝統音楽を伴奏にして、異教の要素を客観的かつ正確に紹介する、という基本が定まった[13]。素材の一つとして、ジェームズ・フレイザーの宗教や神話に関する研究書である『金枝篇』が使われた[14]。
配役[編集]
主演の警官役を打診されたマイケル・ヨークらが断ったため、スパイを題材にしたイギリスのテレビドラマシリーズ『Callan』(1967年 - 1972年)で茶の間に親しまれていたエドワード・ウッドワードがキャスティングされた[15]。イギリスのホラー映画のベテラン女優であるイングリッド・ピットは図書館員として配役された。またスウェーデン出身の女優ブリット・エクランドが宿の娘ウィロー役に選ばれたが、スコットランド地方の訛りがうまく話せなかったためエクランドの会話は女優・歌手のアニー・ロスの吹替となり[16][17]、ウィローが宿の警官の部屋の隣室で『ウィローズ・ソング』を裸で歌うシーンは、エクランドがトップレスしか承諾していなかったので、尻の映る後ろ姿は代役である。
撮影[編集]
当時はイギリス映画の危機の時代で、予算は極めて厳しく[15]、早く製作にかかるよう会社から強く要請されたため、初夏という設定の映画は秋に撮影されている。しかも撮影中にブリティッシュ・ライオン社はEMIに買収された。
![](https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/8/82/Culzean_Castle_32.jpg/200px-Culzean_Castle_32.jpg)
飛行艇が奇岩の立つ孤島上空を飛ぶオープニングの場面は、インナー・ヘブリディーズ諸島のスカイ島付近で撮影された。島内の場面の大部分のロケーションはスコットランドのカイル・オブ・ロハルシュに近いプロックトン(ネス湖で有名なインヴァネスから電車で3時間程度)である[18]。ここでは、BBCスコットランド製作の人気TVシリーズ『マクベス巡査』も撮影されている。スコットランド南部のマチャーズ半島南端にある港町アイル・オブ・ホイットホーンもいくつかの場面でのロケ地となっており、町の人々や地元の城の持ち主らがエキストラとして登場している。ウィッカーマンの像が燃やされるクライマックスの祝祭のロケ地となったのは、アイル・オブ・ホイットホーン近くの半島最南端の岬バロウヘッドの断崖上であった[18]。サマーアイル卿の居城の場面はスコットランド南部のカレイン城で1972年秋に撮影された[19]。
ブリット・エクランドはウィッカーマンに火をつけるシーンで中に詰め込まれた生き物が死んでいると述べたが[20]、監督のハーディは、撮影時は生き物の扱いにはかなり慎重であり、ウィッカーマンが燃えるシーンでは中に生き物はいなかったと述べている[21]。