裏目に泣く。
これは、今は亡き競輪仲間のトラさんのエピソードの一つである。
彼は、農家に生まれて、当時は農業系の取手第一高校へ進学することを父親に勧められていた。
だが、父親に反発していたので、取手第二高校へ進学する。
もしも、取手一高へ進学していたら、自転車競技部とのつながりがあったかもしれない。
彼は高校時代は野球部に所属していた。
もしも、であるが、彼が二高ではなく、一高へ進学していたら・・・
歴史にもしもがないが、運命は変わっていたかもしれないのである。
当時、野球部の練習で、100メートのタイムを計測したら、彼は10秒9が最高タイムとなる。
さらに、県大会の競技では、100メートル10秒7の記録となる。
だが、3メートの追い風のために、その記録は参考記録となる。
中学生の時に、100メートル競走で一度も彼に勝てなかった同級生が、取手一高へ進学して、競輪選手となる。
高校を卒業して、上野の印刷工場に就職した彼は、先輩に誘われ、初めて当時の後楽園競輪へ向かう。
そして、中学生時代の元同期生の競輪選手としての雄姿に、心の底から感動を覚えたのである。
その姿は、一人ではなかった。
先輩、後輩を含めて、取手一高から5人も競輪選手を輩出していたのだ。