慈悲は「あわれみ、憐憫、 慈しみ 」 の気持ちを表現する場合に用いられる。
キリスト教では、この愛の概念をとても大事にしています。
一方、仏教では「愛」を「貪愛」という煩悩の1つとして分類しています。
なぜ私達を悩ませる煩悩なのか、簡単に説明しましょう。
愛は相手に与える側面もありますが、相手から奪う側面も持っています。
誰かを愛した時、その人のために時間もお金も体力も使いたくなったり、実際に使っている人も多いでしょう。
一方で愛しているが故に、見返りがない時、相手の心が離れた時、その愛が恨みや攻撃のタネに転じ、ストーカーや犯罪にまで手を染めることもあります。
このように愛は一見「優しさ」に見えます。
しかし愛の裏に見返りの心が隠れているのです。
仏教で「愛」が煩悩に分類される理由は、ここにあります。
慈悲とは
一方、慈悲とは何か、まずは辞書でみてみましょう。
1 《「慈」は、梵maitrī「悲」は、梵karuṇāの訳》仏語。仏・菩薩(ぼさつ)が人々をあわれみ、楽しみを与え、苦しみを取り除くこと。
2 いつくしみ、あわれむこと。なさけ。
辞書にもある通り、慈悲はもともと仏教の言葉であり、仏の心のことです。
漢字の意味を1つ1つ見ていきましょう。
「慈」=苦しみを抜いてやりたい心
まず慈悲の「慈」とは、「苦しむ人の苦しみを抜いてやりたい」という心です。
苦しんでいる人を見て、かわいそうだな、何かしてやれないだろうかと思ったり、困っている人をほっておけないという思う気持ちです。
「悲」=喜びを与えてやりたい心
次に慈悲の「悲」とは「喜びを与えてやりたい」という気持ちです。
相手を喜ばせたい、楽しませたい、笑顔にさせたいという心です。
相手が幸せだと、自分も幸せな気持ちになる、そんな心のことです。
仏は「苦しむ人の苦しみを抜いて、喜びを与えてやりたい」と思っています。
相手の幸せを願う心の塊なのです。
慈悲の心とは?
相手の幸せを願う心。
この記事を読んでいるあなたも、一度はそんな心になったことがあるのではないでしょうか。
特に、親の子どもに対する心とは、まさに慈悲の心と言えるでしょう。
- 子どもが第一志望の大学に合格したことを、母親が自分のことのように喜んでくれた
- 大好きなハンバーグを、父親が全部くれた
- 熱を出して苦しんでいるのを見て、夜中にも関わらず親が病院に連れて行ってくれた
多かれ少なかれ、皆さん一度はこのような経験があるでしょう。
慈悲は、見返りなく、相手の幸せを願う心です。
慈悲にも2つあるって本当?
仏教では、慈悲に2つあると教えています。
「人間の慈悲」と「仏の慈悲」の2つです。
どんな違いがあるのか、順番に見ていきましょう。
人間の慈悲とは?
人間の慈悲は不完全なのです。
その特徴が3つあります。
- ・不平等
- ・続かない
- ・先が見通せない
それぞれの特徴について簡単に説明します。
不平等
人間の慈悲には偏りがあります。
慈悲を注ぐと言っても、家族が最優先です。次に親族、友人の順番で、赤の他人に慈悲の心を持つことは難しいでしょう。当然ですが、そこに「差別」が生まれます。
続かない
親の慈悲心に敵うものはありません。しかし、子どもに対してもずっと同じ気持ちでいられるでしょうか?10年20年もすれば、当時抱いていた慈悲の心とは温度差があることを感じるでしょう。
先が見通せない
残念ながら人間には先を見通す力はありません。
子どもが喜ぶからと、お菓子ばかり与えていたら、小児肥満となって、子どもが病気になってしまうかもしれません。
良かれと思ってやったことが、返って相手を苦しめてしまうことがあります。
このように人間の慈悲は不完全なので「小慈悲」と言われます。
仏の慈悲とは?
一方、仏の慈悲は、人間の慈悲とは真逆の特徴を持っています。
・すべての人に平等
・永遠に変わらない
・智慧に裏付けられている
「小慈悲」に対して、仏さまの慈悲は「大慈悲」と言われます。