すきを見せないこと

2017年12月28日 05時32分40秒 | 沼田利根の言いたい放題
【生殺与奪】せいさつよだつの意味と使い方

:生かすも殺すも、与えるも奪うも思いのままであること。
他のものを自由自在に支配することのたとえ。
:絶対的な権力を握っている意で、「生殺与奪の権」という形で用いることが多い。
「殺生与奪」ともいう。

現在では、週刊誌の記事もその一つであろうか。
政治家、芸能人など、すきを見せないこと。
写真など撮られないこと。
告発もあるので・・・

【茨城 取手市クロスボウ殺人未遂事件】

2017年12月28日 05時15分30秒 | 沼田利根の言いたい放題
河野俊文被告(39)の裁判 12年6か月の実刑判決

茨城県取手市で、2015年4月15日午前1時50分、、自転車に乗っていた会社員の男性(47)がクロスボウ(洋弓銃)のようなもので撃たれた。
無職の男の裁判員裁判で、水戸地裁は懲役12年6か月の実刑判決(求刑15年)を言い渡した。

被告人は覚醒剤使用の影響で集団ストーカー被害を受けていると思い込み、鬱憤を募らせていた。
犯行前に試し撃ちを繰り返し、クロスボウに拳銃並みの殺傷力があると認識していた。
被告人は精神疾患と寝不足で当時の記憶がはっきりしていないが、事件があった時間には犯行現場と別の場所で、地面に向けてクロスボウを撃っていた。
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4月15日の事件の日、現場(東2丁目)の県道(通称新道)を友人の新川さんが徒歩で通過したのは午前3時30分ころ。
当方は、散歩で近く(東3丁目)を歩いていたのが午前4時ころだった。
「時間が遅かったら、俺が被害に遭っていたかもな」と新川さん。
「そうですね。恐ろしいですね」と同感。
すでにパトカーが走り回っていた。
「事件かな」と想っていたら、どんでもない事件であった。
沼田利根


受け止めれば救える 座間事件

2017年12月28日 04時48分01秒 | 社会・文化・政治・経済
人のために尽くす。
労苦をいとわない信念の行動の中に
充実の人生がある
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悩みに支援の仕組みが抜け落ちている。
親からの虐待や家庭内暴力など「死にたい」と訴える若者の背景はさまざま。
衝動的に自殺する恐れもあるが、「死にたい」は「生きたい」と同じ意味。
本当に死にたいわけではない。
「死にたいほど苦しい」のSOS。
きちんと受け止めてあげれば、自殺させずに救える可能性が高い。
ツイッターの「#死にたい」との発信は、助ける契機になり得る。
NPO法人「東京フレンズ」理事長の西隅亜紀さん

野良猫2匹などにエサ

2017年12月28日 02時34分55秒 | 日記・断片
昨日午前4時50分ころに久しぶりに朝の散歩で西田さんに会う。
西田さんの猫のタマは寒いので散歩に着いて来ない。
猫好きの西田さんは、井野団地の駐輪場にいる猫や、八重洲団地内の猫にパンをあげている。
猫好きの当方も散歩の時に、猫に酒のつまみにしているイカや夜食で残したアジフライなどを猫にあげている。
住む家もなく、身を寄せて空き家の庭にうずくまっている猫は哀れである。
この寒さだ。
死なねばいいが・・・
春に生まれた3匹の子猫がいつの間にか2匹になり、母猫も何処かえ消えた。
ヤオコウのベンチで、斎藤さんがカンコーヒーを飲んでいた。
3人で30分ほど歩きながら色々世相など語る。

敢闘会の幹事会

2017年12月28日 02時00分23秒 | 日記・断片
昨日は取手本部の敢闘会の幹事会を青柳の相米宅で午前10時30分から開き、次回、1月28日に開催する敢闘会の式次第の配布について話し合う。
大利根支部は1月18日、台宿支部は20日、井野支部は17日配布と決まる。
これまでは木曜日か金曜日に敢闘会を開いてきたが、組織の拡大を目指して初めて日曜日の午前10時に開くことになる。
定年後も働いている人の参加が期待される。
また、これまで1回の各地区の会員の家庭訪問で式次第を配布してきたが、会えない人の家のポストに案内を入れるだけではなく、2回、3回と訪問して面談することにした。
5、6軒家庭訪問しても会えるのは1人だけのケースも多かったので、なるべくすべての人に会うようにした。
新会員も増やすことが課題であり、会合の充実も期待されている。
なお、はじめて幹事会後、食事会となる。
目指したレストラン(介護施設の系列店)が休みで、喫茶店「琥珀」になる。
喫茶店であるが昼のランチがある。
以前は「リラックス」というスナックであった。
ママさんの旦那さんは、元競艇選手の樋口さん。
この店で、多くの知人ができた。
朝日新聞の記者など。
松本支局から朝日の取手通信部の勤務となった人で、都立日比谷高校出身。
偶然であるが、当方の中学の同級生で日比谷高校に進学した友人を知っていた。
その友人は東京大学へ進学した秀才君。
その記者の名前は忘れたが、「私は、日比谷高校の落ちこぼれ」と謙遜していた。
「リラックス」のママさんが亡くなり、ご主人も亡くなり、娘さんと息子さんが店を継いだが、現在は喫茶店でアルコール類はない店だ。
今のオーナは友人の林さんの中学の同期生。


スナックのころの絵が店に残っていた。
お客さんの誰かが描いたもの。


12月26日(火)のつぶやき

2017年12月27日 03時30分54秒 | 医科・歯科・介護

月の歌を唄う

2017年12月26日 22時48分22秒 | 沼田利根の言いたい放題
多くの人々がロマンを感じている月。
きれいだなー、と見上げていたくなる。
人生を想い月にロマン・夢や希望、願いを馳せたくなるものだ 。
夜道の空、そして、夜明け前。
月を見上げる、神秘を感じる月光。
自分の影を追うように歩いて行く。
それは、母の故郷の夜道でもあった。
街灯が1本も無い農道。
昭和20年代のことであった。
従姉に背負われて、伯母の家へ向かっていた。
祖父はまだ健在であり、杖を頼りに後ろから歩いていた。
「見てごらんよ。綺麗な月だ」祖父は足を止めて促す。
その祖父が月の歌を唄う。



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かぐや姫
『竹取物語』は、平安時代初期につくられたといわれる日本最古の
物語です。
竹取の翁が、光る竹の中にかぐや姫を見つけた時の描写。
「三寸ばかりなる人いと美しうて居たり。……美しきこと限なし。いと幼ければ、籠に入れて養ふ」。
光る竹のなかの美しい娘は、長じてさらに美しくなり、幾人もの
貴公子から求婚されながら、難題を出してはそれを拒みます。
帝からの熱烈なお召しにも応えようとしません。そしてある年の
春から、かぐや姫は月を見ては嘆き悲しむようになるのです。
「月の顔見るは忌む事に制しけれども、ともすれば、人間にも月を見ては、いみじく泣き給ふ」。
「月を見ることは慎むべき事だと止めたけれども」とあります。
当時、月を見るのは不吉なこととされていました。月は、
恐れの対象でもあったといわれています。
そして、八月望月、中秋の
名月の夜、かぐや姫は告白します。
「おのが身は、この國の人のもあらず、月の都の人なり」。
月の国の人は、たいへん美しく年もとらないのだといいます。
帝の兵や
翁たちの必死の抵抗も虚しく、かぐや姫は月の都に帰って行きます。
不死の薬を残して、かぐや姫を失った翁と媼は、血の涙を流して
悲しみ、その薬を飲まずに病み伏してしまいます。
帝も嘆き悲しみ、
かぐや姫に逢えないあれば不死の薬も何になろうと、富士山の頂で
それを燃やしてしまいます。

自らの視野や見識を広げる

2017年12月26日 18時15分17秒 | 沼田利根の言いたい放題
教育こそが人間を自由にする。
教育は人を偏見から解放する。
教育によって社会を変える。
人間教育
人権教育
意図的であれ、偶発的であれ、核兵器が使用されたら、甚大な被害を人類に与える。
核兵器の廃絶に向かうのも人間の意識・意思の問題。
誰もが無関心ではいられないはず。
遠い国問題ではなく、全ての国の市民にとって身近な問題なのだ。
見識が問われる。
無関心ではいられないはず。






















写真:10月桜




人生を棒に振る

2017年12月26日 17時49分59秒 | 社会・文化・政治・経済
一生を台無しにする

人生を棒に振るの言い換えや別の言い方。
・ある事柄によって、それまでの積み重ねを無にしてしまうこと。
・ 一生を台無しにする
・ 人生を台無しにする
軽はずみないたずら
悪ふざけ
暴力

相撲人生にピリオード
出世最速だった朝青龍
暴力で土俵人生にピリオド― スポニチ

大相撲の横綱朝青龍が現役引退を表明した。
初場所で史上3位の25度目の優勝を果たして健在ぶりを示したばかり。
だが場所中に泥酔して一般男性へ暴力をふるった事件の責任を取る形で、土俵人生にピリオドを打った。

不祥事が原因で引退した横綱は戦後4人目。
史上6位の幕内712勝の実績を残し、日馬富士は平成24年に第70代の横綱に昇進して迎えた九州場所で相撲人生にピリオド を打った。
17年ぶりに誕生した4横綱時代は、わずか5場所で幕引きとなった。
その一方で暴力を振るわれた貴ノ岩は、「まさか横綱が引退するほどの問題になるとは、思っていなかったのではないか」
16歳の時に来日した日馬富士は現・伊勢ヶ濱部屋に入門し、「安馬」のしこ名で力士としての人生をスタート。
同じ年に初土俵を踏んだり力士には日馬富士を含め白鵬、鶴竜らのちの横綱3人がいる。2001年の初土俵から8年後、大関に昇進し、四股名を「日馬富士」に変えた。
富士は親方の「旭富士」に由来するという。



















何のために働くのか?

2017年12月26日 17時35分54秒 | 社会・文化・政治・経済
自滅する人

自分で自らの可能性を閉じていく人で、つまりは自滅する人が多い。

真面目な人ほど自滅する!
一人で抱えちゃう病

努力家で我慢強い人ほどかかりやすい「なんでも一人で抱えちゃう病」。
原因は「誰のことも信用できない」心理にあるという。

人生を棒に振る

【自滅への道】完璧主義は自分も他人も傷付けるだけ。

自分たちは何を目指しているのか?
明確な目標があること。

何のために働くのか?
過労死、過労自殺
根本的に働くことの意味・意義を問い直すこと。

働くことには多様な考えがる。
日本的風土の中での働き方。
諸外国での働き方も認識する。

働くのは「何のため」
活動の意義や目的が明確になってこそ、人生が充実するはず。

どのように自らを革新し、価値を創造し続けていけるか。
多様性と柔軟な思考と行動。













米軍ヘリ窓枠落下 被害小学校 続く中傷

2017年12月26日 12時40分44秒 | 沼田利根の言いたい放題
日本人は確実に人間性が劣化している、と言わざるえない。

のぞく沖縄差別


◇「やらせだ」や「自作自演」まで 

 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)に隣接する市立普天間第二小学校への米軍ヘリの窓落下事故で、同校などに「学校を後から建てたくせに文句を言うな」といっ中傷。

12月25日(月) 8時0分-社会(毎日新聞)

そもそも飛行場は沖縄戦のさなか、米軍が住民を収容所に拘束しつつ造ったものだ。
以前は役場や学校、多数の集落があった。
敗戦後に、住民は周辺に住まざるを得なかったのだ。
そのような歴史的な背景も知らずに「学校を基地の後から建てたのだろう。同情の余地ない。移転しろ」と暴言。
無知は罪悪にもなる典型的ケースでは?

ロサンゼルス暴動 LA 92

2017年12月26日 12時07分37秒 | 医科・歯科・介護
LA 92|番組紹介|ナショナル ジオグラフィック (TV)

12月26日CSテレビ(343)で9時30分~11時30分前まで放映。
死体も写すアメリカの映像に衝撃を受ける。
作りものではなく、すべてが実写でリアル。
「こんなの不公平」と黒人市民が叫ぶ。
「平和など、どうでもいい」と自暴自棄になる人々。
群衆心理の恐ろしさ。
最後は、「もういい」「こんなこと間違っている」と訴える。
警官の横暴への怒りに端を発した。
司法の不公平性に「正義はあるのか?」と抗議が広がる。
憎しみが増大して、暴動にまで発展したが、平和的解決を呼びかける。
放火(焼き打ち)、商店からの商品の強奪、暴行、殺人へ。
「他に解決方法はなかったのか」と市民は冷静さを取り戻す。
「暴力がなければ、平和が戻ってくる」
街に巣くう人々の心の病。
うっ屈していたものが暴発したのだ。

「暴力がなければ、平和、希望が戻ってくる。亡くなった人は、もう家族の元へは帰れない」ロドニー・キングさんの言葉。
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人種差別が生むものは暴力と混乱だけなのか?
1991年3月3日。
黒人のロドニー・キングはスピード違反を犯し、カーチェイスの末に車から引きずり降ろされ、殴る蹴るの暴行を受け重傷を負った。
一部始終をとらえたビデオテープに映っていたのは、無抵抗になったキングに警棒を何度も振り下ろす白人警官たちの姿。
ビデオは公になり警官たちは起訴されるが、翌年無罪に。
この事件や当時の人種間の緊張状態に端を発し、虐げられてきた黒人たちの怒りが爆発。
最悪の大暴動が始まる。
ロサンゼルス暴動とは、1992年4月末から5月頭にかけて、アメリカ合衆国・ロサンゼルスで起きた大規模な暴動。
新旧の人種問題、陪審制の難しさなど、暴動の背景にある多くの問題が浮き彫りになった。

4,000人を超える連邦軍部隊(陸軍、および海兵隊)が投入された。

ロサンゼルス暴動はロドニー・キング事件に対する白人警察官への無罪評決をきっかけとして、突如起こったかのような印象で日本では報道されることが多かったが、その潜在的要因として、ロサンゼルスにおける人種間の緊張の高まりが挙げられる。
アフリカ系アメリカ人の高い失業率、ロサンゼルス市警察(以下「LA市警」)による黒人への恒常的な圧力、韓国人による度を超した黒人蔑視、差別に対する不満などが重なり、重層的な怒りがサウスセントラル地区の黒人社会に渦巻いていた。
そこにロドニー・キング事件のLA市警警官に対して無罪評決、ラターシャ・ハーリンズ射殺事件における韓国人店主への異例の軽罪判決が引き金となり、黒人社会の怒りが一気に噴出して起きた事件であるといえる。

サウスセントラル地区の人口比率の変動と人種間の緊張

事件の重要な要件として、暴動がはじまったサウスセントラル地区の人口比率の変化が挙げられる。
サウスセントラルはかつて黒人地区であったが、ヒスパニック系が居住者として取って代わるようになり、一方では韓国系アメリカ人がそれまで黒人の所有していた酒屋や雑貨店などを買い取って商売をはじめていた。
国勢調査によれば、歴史的に黒人居住地区であった場所におけるヒスパニック系住民の増加率は119%に達していたという。こういった地区では商店などの経済競争が人種間の憎悪を高めていった。
それまで黒人が一手に引き受けていた単純労働は、半分の賃金で働くラテン系移民へと移っていった。
また、韓国人(コリアンアメリカン)による極端とも言える黒人蔑視などもあり、韓国人商店と客である黒人住人との関係のみならず、黒人社会と韓国人社会全体が明確に断絶していた。
黒人住民たちは韓国人商店の客扱いが酷く商品が値上がりしているとの不満を持っていた。

すでに1989年の時点で、スパイク・リー監督の映画ドゥ・ザ・ライト・シング (映画)ではこうした人種間対立を題材に扱い、上記の様な黒人社会と韓国人社会の対立も描きながら、人種間対立が暴動へと発展する様子を描いている。

ロドニー・キング事件、およびその裁判

1991年3月3日、黒人男性ロドニー・キングがレイクビューテラス付近でスピード違反を犯し、LA市警によって逮捕された。
その際、20人にものぼる白人警察官が彼を車から引きずり出して、装備のトンファーバトンやマグライトで殴打、足蹴にするなどの暴行を加えた。たまたま近隣住民が持っていたビデオカメラでこの様子を撮影しており、この映像が全米で報道され黒人たちの怒りを膨らませた。

この事件でビデオに映り身元が分かる白人警官3人(ステーシー・クーン巡査部長、ローレンス・パウエル巡査、ティモシー・ウィンド巡査)とヒスパニック系警官1人(セオドア・ブリセーノ巡査)の計4人が起訴された。裁判の結果、警官達の“キングは巨漢で、酔っていた上に激しく抵抗したため、素手では押さえつけられなかった”との主張が全面的に認められ(実際はおとなしく両手をあげて地面に伏せたキングが無抵抗のまま殴打され、医療記録によるとあごを砕かれ、足を骨折、片方の眼球は潰されていたとされるが、裁判では認められなかった)、事件発生から1年経過した92年4月29日に陪審員は無罪評決を下した。
これについては、白人住民の多かったシミ・バレーで法廷が開かれ、陪審員に黒人は含まれていなかった事も原因の一つであるといわれる。

ラターシャ・ハーリンズ射殺事件

ロドニー・キング事件のわずか13日後となる1991年3月16日、持参したバックパックに1ドル79セントのオレンジジュースを入れ、手に支払いのための小銭を握っていた黒人少女(当時15歳)であるラターシャ・ハーリンズを、韓国系アメリカ人の女性店主、斗順子(トウ・スンジャ、Soon Ja Du、当時49歳)が射殺したのである。
事件の様子は防犯ビデオに収められており、2人は揉み合いになったのちに少女が店主の顔面を4度殴打、店主は床面に激しく転倒させられた。
店主は少女に椅子を投げつけた。

その後、件のオレンジジュースをカウンターに置いて店から歩いて出て行こうとする少女に対して、韓国人店主は背後から銃を向け、その頭部を撃ち抜いた。
Duは逮捕され、事件の判決は同年11月15日に出された。
陪審員は16年の懲役を要求していたにもかかわらず、判決は5年間の保護観察処分、およびボランティア活動400時間、罰金500ドルという殺人罪としては異例に軽いものであった。この判決は黒人社会の怒りを再び煽ることとなり、無実の黒人少女を射殺するというこの事件により、黒人社会と韓国人社会間の軋轢は頂点に達した。

ブラック・コリア

1991年11月5日、ラッパーのアイス・キューブはアルバム“Death Certificate”を発表。
このアルバムのなかに収録された“BLACK KOREA”という曲において、韓国系アメリカ人の経営する商店で、黒人の少年少女が入店すると、商店主が万引きしないか猜疑のまなざしで見たり、後をつけたりすることを歌詞でのべ、黒人社会と韓国人社会間に存在する軋轢を描いた。
曲の最終部では、韓国系アメリカ人による黒人への侮蔑的な態度に対する鬱積した怒りを次のように表現した。

暴動勃発[編集]

1992年4月29日、LA市警の警官への無罪評決が下されたこの日、評決に怒った黒人たちが手の付けられない暴徒と化し、ロサンゼルス市街で暴動を起こして商店を襲い、放火や略奪をはじめた。

また、小規模な暴動及び抗議の動きはロサンゼルスだけではなくラスベガス、アトランタ、サンフランシスコをはじめとしたアメリカ各地、およびカナダの一部にまで波及したようである(「本部長は辞任せよ」「4人の警官は全員有罪だ」「暴力警官からバッジを取り上げろ」のプラカードを掲げて抗議デモをしたグループもあった)。

レジナルド・デニー集団暴行事件[編集]

この暴動が勃発した初日、LA市内をトラック輸送仕事でいつも通り走行していた白人トラック運転手、レジナルド・デニーはフローレンス通りとノルマンディーアベニューの交差点で信号待ちをしていた際、主に若者を中心とした暴徒化した黒人らにキャビンから引きずり出されて暴行を受けた。その内容は、コンクリート塊でこめかみを強打したり、倒れた被害者の頭部に数十キロの鉄の塊(エンジンブロック)を投げ落とすなどだった。またこの様子は地元TV局の取材ヘリから空撮されており、この衝撃的なシーンは幾度となく繰り返し全米にTV放送され、彼はロサンゼルス暴動におけるもっとも著名な被害者となった。なお、暴行を受けた後、彼はTVニュースでその暴行のライブ中継を見ていた地域住民の黒人によって助け出され、病院で開頭手術などを受け一命を取り留めている。

LA市警と非常事態宣言[編集]

主な襲撃目標となったLA市警は自らを守るだけで手一杯の状況となり、暴動を取り締まることはまったくできなくなっていた。その証拠に前述の、中継されたデニー集団暴行事件でも最後まで警察は現れる事はなかった。この時、LA市警は現場に黒人警官のみを行かせるよう編成をしており、現場近くにいた白人制服警官達には「現場に近づくな」との命令がディスパッチャー(通信司令)を通して発せられていた。

4月30日、当時の市長トム・ブラッドリー(黒人。翌93年9月末退任)は非常事態宣言を発令した。

韓国人商店街への襲撃

もうひとつの主たる襲撃目標となったのが韓国人商店である。襲撃による被害額の半分弱が韓国人商店のものであるともされる。
韓国人商店主らが防衛のために拳銃を水平発射しているシーンも幾度となくテレビにおいて放映された。
ちなみに彼ら韓国人店主らの多くはベトナム戦争の帰還兵だった。
ベトナム戦争に参加した韓国人帰還兵に米国政府が移住許可を与えたため、70年代に韓国系移民が4倍も増えた。
彼らは主に競合相手のいない黒人街で商売を始め、従業員には黒人でなくヒスパニック系を雇い、閉店すると店を厳重にガードし、そそくさと韓国人街へ帰るというスタイルで商売していた。
黒人の間では「自分達を差別しながら商売する連中」というイメージが定着し、そうした黒人による日頃からの韓国系への鬱憤が、暴動時の韓国人商店襲撃へと結びついたといわれている[2]。また、当初は韓国人商店が襲撃されたが後には他のヒスパニック系/白人/黒人/日系/中国系の店も襲撃されるようになった。[要出典]

暴動鎮圧のために州兵は元より、4,000人を超える連邦軍(陸軍、および海兵隊)部隊までが投入され、さらには司法省が、ロドニー・キング事件について、公民権法違反(第7篇。人種差別行為禁止)容疑でのFBIによる再捜査をアナウンスするなどの努力によって、6日間にわたった暴動はようやく収束を見た。

被害

暴動による被害は死者53人、負傷者約2,000人を出し、放火件数は3,600件、崩壊した建物は1,100件にも達した。
被害総額は8億ドルとも10億ドルともいわれる。
韓国人街は市警が暴動鎮圧に消極的だったと厳しく非難した。
また彼らは『無実の我々が犠牲を強いられた責任は市当局にある』と述べた。

この事件での逮捕者は約1万人にものぼり、そのうち42%が黒人、44%がヒスパニック系、そして9%の白人と2%のその他の人種が含まれていた。

暴動以後[編集]
暴動後、ロドニー・キング殴打事件の再審理を求める世論が盛り上がり、FBIが公民権法違反で再捜査を行った。
再審理の結果、指揮を執る立場にあったクーン巡査部長と直接関与したパウエル巡査の2人が有罪評決を受けた(ブリセーノ巡査とウィンド巡査は無罪)。
LA郡の連邦地裁陪審団は同市に対しキングに約382万ドル(当時レートで約3億9700万円)の賠償金を支払うよう評決を下した。
キング側は「警官の暴行は人種的な背景によるもので、頭部を殴打されたため脳に回復不能の障害が残り視力低下や頭痛、集中力欠如などの後遺症に苦しむ」と主張。
この評決が下される際も、暴動が再発するのではないかと緊張が走ったが、事前の警備が万端であった上にほぼ順当な判決が下されたこともあり、暴動が起きるようなことはなかった。
ロドニー・キング事件以来、「警官は悪だ」とのイメージが定着して、全米で警官の志願者が減少し、警察署は定員充足率9割強という人材不足に頭を悩ませている。
キングはのち、2012年6月17日ロサンゼルス市内の自宅プールで死去した。47歳だった。

12月25日(月)のつぶやき

2017年12月26日 03時29分03秒 | 医科・歯科・介護

徹が口ヒゲ・顎ヒゲを生やした

2017年12月25日 18時39分21秒 | 創作欄
徹の父の真吾は口ヒゲをは生やそうとしたが、妻の信恵に止めたれ断念した。
それは、新婚半年後の27歳の時のことだ。
息子の徹が口ヒゲをは生やした時、「お前はいいな」と父は苦笑した。

徹は淑子から「徹ちゃん口ヒゲ生やしてみて、似あうと思うの」と言われた。
映画「貴族の巣」を観て、銀座みゆき通りの淑子行きつけの喫茶店でのことだった。
「口ヒゲですか?」と問い直す。
「できれば、顎ヒゲも」淑子は微笑んだ。
1970年当時、ヒゲを生やしている若い人は希であった。
徹は夏目漱石や森鴎外を想い浮かべた。
ヒゲは明治・大正時代の流行であり、昭和40年代にはそぐわないはず。
だが、淑子の希望の一つなら「それも、試してみるか」と快諾したのだ。
着物のモデルの仕事で淑子が京都へ行き、ついでに大阪堺の実家で過ごした約3週間後、東京駅に淑子を迎えに行く。
「汗を流したいの」と淑子が言うので、八重洲の東京温泉へ向かう。
「ヒゲ生えるの早いのね。でも、そのヒゲ整えないとね」淑子は言うのだ。
「整える?」
「私が通う六本木の美容室へ行きましょ」
「ええ!美容室ですか?」徹は床屋の間違いではないかと聞き返す。
「私も髪を切に行くので、一緒に行くの。いいわね」
二人でタクシーに乗って六本木まで。
だが、ハンサムな美容師は戸惑う。
「ヒゲなど整えた経験ないので、どうすればいいのかな?」ハサミ(鋏)の手が止まる。
隣で髪を切る淑子が笑いを堪えていた。

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強さの象徴? コンプレックス?
ヒゲを生やす 「男の心理」 | ファッション ...
ヒゲを生やしている男性は、なぜそれを生やしたいと考えるのでしょうか?
「剃るのが面倒くさい」「オシャレ感を出すため」など、さまざまな理由がありそうですが、ヒゲを 生やすその意味について、詳しく考えてみた人は少ないかもしれません。そこで今回は、ヒゲに隠れた潜在意識についてリサーチ! 「なぜヒゲを生やしたくなるのか」
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貴族の巣1970年8月29日公開
理想に生きようとして夢破れた、ロシアのインテリ貴族の悲劇を描いた、イワン・ツルゲーネフの同名小説の映画化。
監督は「僕の村は戦場だった」のシナリオに参加した新進アンドレイ・ミハルコフ・コンチャロフスキー、脚本はワレンチン・エジョフとアンドレイ・ミハルコフ・コンチャロフスキー。
撮影はゲオルギー・レルベルグ、美術はアレクサンダー・ボイム、ミハイル・ドヴィグブスキー、ミハイル・ロマージン、音楽はビャチェスラフ・オフチンニコフがそれぞれ担当。
出演は演劇学校在学中のイリーナ・クプチェンコ、モスクワ・ドラマ劇場所属のレオニード・クラーギン、A・ワイダ監督夫人のベアタ・ティシュキエヴィッチ、ほかに、ヴィクトル・セルガチョフ、アレクサンダー・コストムレッキー、タマーラ・チェルノワなど。

千葉県柏のかに料理「甲羅」

2017年12月25日 18時25分39秒 | 日記・断片
昨日は、長男が予約した千葉県柏のかに料理「甲羅」へ行く。
長男が家まで迎えに来て、11時30分に到着。
遅れると心配したが、日曜日で水戸街道は車が混んでいて、先方の方々3人も遅れて来たので良かった。
予約したこちらが遅れては様にならない。
約1時間30分前後だったが、楽しく交歓。
当方は少し喋りすぎた。
座を盛り上げる何時もの気遣いだが・・・
みなさんはノンアルコールのビール。
家人はウーロン茶。
当方は久保田の千寿を2杯飲む。
初対面の方であり、聞くと茨城県大子町の出身の方で、現在は取手・藤代に在住。
なお、70歳であるが、まだ現役で霞が関方面まで通っているとのこと。
友人の寺川さんと2年前に大子町のりんご園や紅葉を見にので、それらのことも話題にした。
久慈川の清流やその支流の美しい景色も思い出された。
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<参考:写真も>
ご家族の団らんから、友人同士の会食、さらに大人数での宴会まで、幅広く対応させていただける個室から広間までご用意しています。
落ち着く日本情緒を漂わせた上品な空間で『かに料理』をゆったり楽しんで頂けます。