ある方から手伝ってくださいと言われ、「もちろん何でもお手伝いさせてください」と言って文京シビックに勇んで駆けつけたものの「若い方がたくさん手伝っていただいているので、みつとみさんはゆっくりご覧になってください」と言われちょっとショゲ気味に客席に座った(たしかに、私はもうそんなに若くはないもんな...笑)。
でも、このコンサート、私はボランティアの一人として行くつもりだったのだが、この障害を持つ人々のためのピアノコンクールという内容をまったく知らなかった自分を完璧に恥じなければならなかったほどその内容に打ちのめされて帰ってきた。
コンサートの冒頭、この団体の名誉顧問をつとめる聖路加病院院長の日野原重明先生がご挨拶をしたのだが、その内容にあった「このご時勢、ほとんどのコンサートや会合がキャンセルされる中にあって、このコンサートだけは立派に開催してその意味を世の中に広く知らせる必要がある。なぜなら、さまざまな苦労と困難を生まれてからずっと味わってきたこの子たちこそが、今被災している人たちの苦労を本当に理解できる子たちなのだから」ということばの意味を彼ら彼女らの演奏を聞いてはじめて本当に理解できた。
彼ら彼女らの障害は本当にさまざまなのだけれども、右手の指がほとんど不自由で左手だけで弾きこなす人もいれば、鍵盤を動かす両方の手は自由だけれども、ペダルを踏む足がほとんど動かないために口から息を送ってペダルを踏む装置で器用にショパンやチャイコフスキーを弾きこなす人もいる。
私は、彼ら彼女らの演奏を聞いて(見て)、まったくことばを失った。
そして、演奏を聞きながら昨年全盲でバン・クライバーン・コンクールに優勝した辻井さんのことを思い出していた。彼がどれだけの苦労と苦難の道を歩みながらあの栄冠を獲得したのだろうかと。
楽器というのは、どの楽器でも多かれ少なかれ肉体の運動を伴う。スポーツのようなフィジカルな動きを習得し同時に精神的な感動をも生み出さなければならないのが楽器の演奏だ。特にピアノという楽器の物理的な大きさは圧倒的だ。あれだけの鍵盤の幅を自在に動き、かつ指の圧力をコントロールしていく運動能力は我々健常者にとってもそんな簡単にねじ伏せられる相手ではない。そのピアノに対して、両足のほとんどの長さと機能を失い、手も背丈もとても小さな全盲の少女の演奏を見て「ピアノってなんて意地悪なんだろう」と思えてしまうほどその大きさは圧倒的だった。
「もうちょっと易しくしてあげてよ」と言いたくなるほどピアノという怪物はモンスターのように彼女の前に君臨していた。
しかし、それでも、彼女は「ピアノが私に翼をくれた」と言いピアノに感謝し、ピアノにありったけの愛情を注いでいく。「こうしなければ私と仲良しにはなってくれないんだもの」とでも言っているように(その姿のいじらしいこと)。
本のタイトル(『ピアノが私に翼をくれた』)にもなっている通り、ピアノと仲良くなることによって、彼女は翼を持ち世の中に羽ばたくことができたのだろう。
演奏を終わった彼女は終止笑みをうかべ、つきそいに手をひかれながら聴衆にいつまでも手をふり袖へと消えていった。
被災地の人の苦しみもこの彼女の苦しみも本当には理解のできない自分を恥じるしか術はなかった。
でも、このコンサート、私はボランティアの一人として行くつもりだったのだが、この障害を持つ人々のためのピアノコンクールという内容をまったく知らなかった自分を完璧に恥じなければならなかったほどその内容に打ちのめされて帰ってきた。
コンサートの冒頭、この団体の名誉顧問をつとめる聖路加病院院長の日野原重明先生がご挨拶をしたのだが、その内容にあった「このご時勢、ほとんどのコンサートや会合がキャンセルされる中にあって、このコンサートだけは立派に開催してその意味を世の中に広く知らせる必要がある。なぜなら、さまざまな苦労と困難を生まれてからずっと味わってきたこの子たちこそが、今被災している人たちの苦労を本当に理解できる子たちなのだから」ということばの意味を彼ら彼女らの演奏を聞いてはじめて本当に理解できた。
彼ら彼女らの障害は本当にさまざまなのだけれども、右手の指がほとんど不自由で左手だけで弾きこなす人もいれば、鍵盤を動かす両方の手は自由だけれども、ペダルを踏む足がほとんど動かないために口から息を送ってペダルを踏む装置で器用にショパンやチャイコフスキーを弾きこなす人もいる。
私は、彼ら彼女らの演奏を聞いて(見て)、まったくことばを失った。
そして、演奏を聞きながら昨年全盲でバン・クライバーン・コンクールに優勝した辻井さんのことを思い出していた。彼がどれだけの苦労と苦難の道を歩みながらあの栄冠を獲得したのだろうかと。
楽器というのは、どの楽器でも多かれ少なかれ肉体の運動を伴う。スポーツのようなフィジカルな動きを習得し同時に精神的な感動をも生み出さなければならないのが楽器の演奏だ。特にピアノという楽器の物理的な大きさは圧倒的だ。あれだけの鍵盤の幅を自在に動き、かつ指の圧力をコントロールしていく運動能力は我々健常者にとってもそんな簡単にねじ伏せられる相手ではない。そのピアノに対して、両足のほとんどの長さと機能を失い、手も背丈もとても小さな全盲の少女の演奏を見て「ピアノってなんて意地悪なんだろう」と思えてしまうほどその大きさは圧倒的だった。
「もうちょっと易しくしてあげてよ」と言いたくなるほどピアノという怪物はモンスターのように彼女の前に君臨していた。
しかし、それでも、彼女は「ピアノが私に翼をくれた」と言いピアノに感謝し、ピアノにありったけの愛情を注いでいく。「こうしなければ私と仲良しにはなってくれないんだもの」とでも言っているように(その姿のいじらしいこと)。
本のタイトル(『ピアノが私に翼をくれた』)にもなっている通り、ピアノと仲良くなることによって、彼女は翼を持ち世の中に羽ばたくことができたのだろう。
演奏を終わった彼女は終止笑みをうかべ、つきそいに手をひかれながら聴衆にいつまでも手をふり袖へと消えていった。
被災地の人の苦しみもこの彼女の苦しみも本当には理解のできない自分を恥じるしか術はなかった。