みつとみ俊郎のダイアリー

音楽家みつとみ俊郎の日記です。伊豆高原の自宅で、脳出血で半身麻痺の妻の介護をしながら暮らしています。

人間のサガ

2011-04-06 10:19:25 | Weblog
のさまざまな面を見せつけられてしまう今回の災害。
地震と津波の被害だけなら、世界中から同情される「被害者」で済んだものが、原発事故のおかげで日本は一転「加害者」扱いされている。
世界中が「日本のモノを買うな」と一斉に輸入禁止に踏み切り始めたのは、まあこれも人災なのだろうし、ある意味「天罰(?)」なのかもしれないと思う(アメリカのグレン・ベックという日本が大嫌いな保守政治家が「日本に天罰が下ったのだ」とバカなことを言って顰蹙を買ったけれども、もちろんそれとは違う意味で)。
日本は唯一の被爆国とずっと世界に主張してきたし、だからこそ「原子力には人一倍厳しい国」と言い続けてきたはずなのに、実は「こんなにも原発に甘かったのか」と全国民が思い知らされたのが今回の原発事故だ。
もちろん、そんな非科学的な理由でいつまでも世界各国の輸入禁止が続くとは思えないけれど、人というものは「見えないものに対する恐怖」というものを今も昔も変わらず持ち続けている動物だ。
人類の長い歴史の中で、人間は常に「見えないもの」を恐れ畏怖しそれを信仰や儀式の対象にしてきたのだけれども、逆にそれが「攻撃」の材料になってしまうこともある。
見えない「核兵器」を理由に戦争をしかける国もあれば、こうした見えない「放射能」を武器に相手を遮断してしまう国もある。
これも人間のサガの恐ろしさの一つかもしれない。

人の歴史の中には「洪水伝説」というものが多々あるが、アトランティス大陸とかムー大陸のように「水に一つの文化をさらわれて消滅してしまい、そこに新しく違う文化が創造されていく」といったものの繰り返しだと主張する人もいる。
別に、今回の災害にあてはめるつもりはないけれど、イタリアのベニスという町も水を利用して敵からの侵入を防ぎそして豊かな文化を作ってきた(他の町から追われた人の行き着く「駆け込み寺」的な要素のあった町でもあるが)歴史を持つように、社会や政治というのは全てリスクマネージメントなのでは?と思うのだが(日本中火山や水に囲まれている日本が「水や揺れに溺れた」とは思いたくはないのだが)、多少「見えない敵」に対する備えを怠ったのかも?という気がしてならない。