みつとみ俊郎のダイアリー

音楽家みつとみ俊郎の日記です。伊豆高原の自宅で、脳出血で半身麻痺の妻の介護をしながら暮らしています。

福島原発の問題は

2011-04-25 21:49:38 | Weblog
私たちの喉元にささった大きな魚の骨のようなモノでその痛みと苛立ちを一体いつになったら取り去ることができるのか?といった感じだが、私はこの事件に関して今ある一つの出来事を今い出している。

それは、私が大学を卒業する直前の1972年の年末のこと。
今の大学生には当たり前の卒業旅行などというものは私の卒業した70年代にはまったく存在しなかった。
しかし、私と同級生数人は「卒業前にひとつ修学旅行でもやらかそうか」と意気投合して東北旅行を4拍5日で計画した。
参加したのは男子学生だけ9人に引率の先生(学生の頼みをシブシブ引き受けてくれたこの人の良い先生は後に学長になった)が一人の計10人のツアー観光だった。
私たちの専攻は仏文科というほとんど女子大のような環境だったのでこれでも男子学生のほぼ全員(しかも2クラス分)。
女子大のような仏文科の中で大勢の女子に紛れ込んだ男子学生はいつも隅っこで小さくなっていたのでその団結力と絆はとても強かった。
あの事件の前までは…。
それは卒業旅行の最終日の旅館で起こった出来事だった。
その頃、東京では「ゴミ戦争」という社会問題が起きていた。
ゴミ戦争というのは、江東区の夢の島で処理されていた東京都のゴミを時の都知事の美濃部さんが23区に一つずつゴミ処理工場を作り自前でゴミを処理してもらおうということでゴミ処理場の建設を計画したところから始まった。
この計画に真っ先に反対したのが杉並区だった。
高井戸に作ろうとした工場の建設を地元の住民が実力で阻止しようとしたのだ。
これには、これまで東京中の「臭いもの」を一手に引き受けてきた江東区の住民もブチ切れた。
江東区は、怒り心頭で「何を山の手のプチブルエゴイストが」とドンパチが始まったのがいわゆる「ゴミ戦争」だ(つまりは、ことばを変えれば下町と山の手の戦いでもあったわけだ)。
いっけんこの話と何の関係もないように見える私たちのクラスの卒業旅行でこのゴミ戦争の代理戦争が始まったのは、ちょうどおりしも私たちのこの10人の中に江東区の人間と杉並区の人間がいたことが原因だった。しかも、この同級生の二人はこれ以上この代理戦争にふさわしい人間はあり得ないほど特別な二人だった。
杉並在住の同級生は時の最高裁の長官の息子(つまりは日本の超VIPの息子だ)、片や、江東区の同級生は江東区の代々続くプレス工場の経営者の息子(つまりは、けっとばし工場の息子だ)。
このあまりにも環境の違う二人(しかも、杉並区と江東区の代表のような二人)が、おりしも社会問題となっていた「ゴミ戦争」の代理戦争を酔った勢いで始めてしまったから(旅行最終日なので明日でもう解散という安堵感もあったのかもしれない)、それ以外の私を含めた同級生たちはこの二人のどちらの味方をすればいいのかただオロオロするばかり。
ただ、このオロオロ組の男たちも今では衆議院議員の国会議員や大学教授、大企業の重役などになっているのだから(その中に私もいるのだが)まあこれも青春時代のある出来事、単なる思いでと考えればいいのだろうが、私には今回の福島原発の問題とこのゴミ戦争が妙にダブって見えてしょうがない。
つまりはこういうことだ。
福島の原発は実際に何を作っていたかと言えば「東京の電気」だ。
東京の電気をなんで福島で作らなければいけないのか?
ここが一番の問題だ。
杉並のゴミをなんで江東区で処理しなければならないのか?
要するに、今回の原発の問題もトドのつまりは人間のエゴが生み出した問題そのものなのでは?という気がしてならないのだ。
福島の海沿いの特に貧しい地域を選んで札束でほほを叩いて「さあ、ここに原発を作ればアナタたちはハッピーになりますよ」と言って作った電気で東京の人間は毎日のほほんと浮かれて暮らしていたわけだ。
ゴミ戦争の時も、杉並のホワイトカラーのサラリーマンたちはけっして自分たちの手は汚さずにどこかで誰かがゴミを処理してくれるものだと信じきっていた。
こんな風に考えると、今回の原発の問題って、二重三重に悲しい出来事なのでは?と思えてならない。