みつとみ俊郎のダイアリー

音楽家みつとみ俊郎の日記です。伊豆高原の自宅で、脳出血で半身麻痺の妻の介護をしながら暮らしています。

震災以来外国の報道が

2011-04-12 09:41:23 | Weblog
気になって、毎日 ABC,BBC,CNNなどのニュースをネットでチェックするようになった。
日がたつにつれ日本関連の報道はどんどん少なくなっているがその代わり「ロングアイランドで娼婦ばかりをねらった10人の連続殺人、被害者家族に告知電話」だとか(映画そのままだな)「日焼けサロンで肌をやくと発ガンリスクが高まる(そんなこと昔から言われてきたことだろうが...)」とか相変わらずアメリカらしいニュースが目立つようになってきた(イギリスの BBCでも似たり寄ったりだ)。
それよりも、私はこういう外国の報道を見るようになって急に里心がついたというか(それも変な話だが)アメリカ留学時代の大学での授業のことを思い起こすようになってしまった。
私は日本では音楽大学というものを経験していないので単純な比較はできないのだが、アメリカの音楽大学での授業のユニークさは今でもすごく印象に残っている。
特に教師の教え方のユニークさと個性は際立っていたように思う(「きっとこんな先生、日本にはいないんだろうな?」と思わせてくれる先生が多かったからだ)。

私が取っていた音楽史の先生はかなりセレブっぽい雰囲気のある(つまり、上品な感じの)50代ぐらいの女性だった。
楽器の演奏とは違い、音楽史などはモロ語学力が必要とされる課目なので私みいたいな外国人にはハンデとされていたのだが、私はこの授業がとても好きでおそらく他のアメリカ人よりも成績は優秀だったはずだ。
この先生のユニークな点はことばへのこだわりだ。つまり英語(アメリカでいうところの国語だ)というものに大変こだわりを持っている先生で、試験の時に学生の答案に英語としての誤りがあると答えがたとえ合っていてもバシバシ点数を引く人だった。
そのおかげで、男子学生が答案を返された後必ず教師にクレームをつけにいく。
「先生、これ答えあってるじゃないですか。なのに、なんでこんなに点数引くんですか?」
こう質問しようものなら学生もタジタジとなるような答えが機関銃のように返って来る。
「それはアナタの語学力が劣っているから。語学もまともに使えないような人がまともな音楽家になれるわけがないでしょう?もう一度英語から勉強し直しなさい」(この人は特に若い男性に恨みでもあるのか?そう思えるぐらいその剣幕はスゴかった)。
先生のこの啖呵を聞くのが私は大好きだった。
私は外国人だからさぞ点数を引かれただろうと思われるだろうが、この先生は私たち外国人が犯しやすい単語のミスなどにはけっこう目をつぶってくれる。文法がきちんとあっていれば単語のスペルや単語の間違いではそう点数は引かれなかった。だが、この先生、何よりも文法の間違いにはウルサイ。その点、日本人は学校の英語教育で文法はけっこう鍛えられているのである意味ネイティブのアメリカ人より有利だったかもしれない(その意味でも今日本の小学校で始まった英会話の授業というのは「どうなのかな?」と思ってしまうのだが)。

さらに、もう一人忘れられない先生がいた。
名前をハイジと言って自分のことをレズビアンとだ言って憚らない人だった。
この先生から私は音楽理論を習ったのだが、この先生の授業は生徒全員まず教室の脇でみんなで手をつなぎ円陣を作らされるところから始まる。
そのサークルの中に先生も入り、先生がまずCならCの音をハミングする(このピッチは毎回変わる)。すると先生と手をつないだ隣の人が今度はC#をハミングする。そして、その次の人がDをという風に次々に半音ずつ上がりながら歌い継いで行くことから授業が始まるのだった。
つまり、これがこの授業のウォーミングアップというわけだ。
手をつなぐことで隣の人の振動を感じてより正確なピッチをもらい、それをまた次の人に空気中の音と手から伝わる振動でピッチを伝えて行くという彼女ならでは独特のやり方がこのウィーミングアップだった。
もちろん、最初はけっこう調子っぱずれになって、元のCがオクターブ目にはとんでもないピッチになっていることもあったが、不思議なものでこれを続けると生徒はだんだんピッチの取り方が上達していく。
基本的に半音はとても歌いにくい。その取りにくい半音のピッチを感じることで円陣の中で自分の役割をしっかりと見極め全体のハーモニーを感じる(自分の出したピッチがおかしいと隣の人のピッチも狂わせてしまうわけだから自分が出すピッチの責任は重大だ)、という、まあ、ある意味、レズビアンの先生らしいやり方だとは思ったが、これは今でも十分使えるやり方なのでは?と思っている。
こんな授業を進める日本の音楽大学ってどこかあるのかナ?
まったく日本の音楽大学には縁のない私にはこの比較が今だもってよくできないのだが。