みつとみ俊郎のダイアリー

音楽家みつとみ俊郎の日記です。伊豆高原の自宅で、脳出血で半身麻痺の妻の介護をしながら暮らしています。

療法士とのコミュニケーション

2014-04-02 21:35:18 | Weblog
恵子のリハビリの指導をするのは、療法士と言われる人たちだ。
最初の病院から数えると本当にたくさんの療法士さんたちのお世話になってきた(この二年足らずの間に病院を4つも体験してきたのだから当たり前の話だ)。
その中でも今回入院している病院でお世話になっている若い男性の療法士を私は特に気に入っている。
とても恵子とウマがあっている。
そう思えるからだ。
なぜそう思えるかというと、それは彼の話術のせいかもしれないと思っている。
別にことばが巧みなわけではない。
特に優しいことばや丁寧なことばをかけてくれるわけでもない。
むしろ、彼のことばはぶっきらぼうだ。
でも、彼のことばの一つ一つを私は「信頼できる」し、何よりも患者の「乗せ方」が上手だと思う。
「そうそう、それでいいんだよ」「うまいうまい」「できるじゃない」「でも、こうやった方がもっと楽だよ」
けっして媚びずに適確な指導をしてくれる。
だから恵子も彼のことばに本気で応えようとする。
そんな「コミュニケーション」をはたで見ていてとても好感が持てるし、何よりも「これならリハビリはどんどん進むな」という感触を持つことができる。
事実、今日リハビリ病棟に移ったばかりだというのに、「来週から少しずつ荷重をかけたリハビリをやっていきます」と言われた。
手術した患部が固まるまでは荷重ゼロで、足にまったく負荷をかけないリハビリをやっていくと言われていた。
そして、その分岐点の目安は5週間から6週間だろうと言われていたのに、まだ3週目の来週からもう荷重をかけていくリハビリに切り換えるという。
「本当にそんなに早くていいのだろうか?」と耳を疑ったが、医師も療法士も口を揃えて「大丈夫」と言う。
やはり、これもかの療法士とのコミュニケーションがうまく行っているせいなのだろうか。
世の中、小手先の技術だけではどうにもならないことがあまりにも多い。
そして、その技術の先にあるものを探っていくとはやはり「何をどう伝えるか」ということにも行き着いていく。
しかも、「何をどう伝えるか」なんて、考えるまでもなく答えは決まっている。
こちらの気持ちを相手にどう伝えるか。
これができるかできないかがコミュニケーションなのであって、人間の生活でこれ以上に大事でこれ以上に難しいことなんてあるわけがないのだ。
その意味では、恵子と療法士さん、ものの見事にコミュニケーションが取れている。
この事実だけでも私たちには大きな「希望」だ。

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