みつとみ俊郎のダイアリー

音楽家みつとみ俊郎の日記です。伊豆高原の自宅で、脳出血で半身麻痺の妻の介護をしながら暮らしています。

ショック療法だ!

2012-01-06 21:26:17 | Weblog
と恵子は叫んだ。
私が病院の中で「携帯がない」と騒ぎだし、自分の荷物や車の中や外を探しまわっている時(何度探しても見つからないので私は半分諦めかけていた)、恵子は何を思ったか自分が病人であることをすっかり忘れ、「自分も探さなければ」と思ったらしい。
不自由な右手や右足を駆使しても「携帯を探さなければ」と思ったのは、私の物忘れや整理整頓の出来なさを長年サポートしてきた習性のゆえだろうと私は思っている。
結果として私の携帯は車の中のかなり見つかりにくい場所に落ちていたのだが、そこに至るまで私が病室と駐車場を何度も行ったり来たりしている最中に恵子は無意識に右手を動かしていたらしく、最後には「ほら右手こんなにスムースに動くようになったよ。あまりに心配したからショック療法で動くようになったのかも?」と動きのデモンストレーションをして見せてくれる。
確かに手の動きは多少なめらかにはなっているようだが、いわゆる「奇跡物語」のようにまったく動かなかった手が突然動き出したというようなわけではない。
きっと彼女の脳が無意識のうちに右手にどんどん「動かす指令」を与えていたのだろう。
私が読んだ京大の脳神経科学者、久保田競先生の本にも「強制使用法」というのが解説されていた(この先生の書かれた脳関係の本はたくさん読破した)。
それはマウスの実験なのだが、麻痺していない方の手足を縛り、無理矢理麻痺した方の手足でものを取ったりつかんだりさせるとどんどん神経回路が迂回してつながり最終的に自由が効くようになるのだというような説明が本の中ではなされていた。
いわゆる「荒療治」の一種なのだが、これと似たようなことが恵子の身体と心にも一瞬起きていたのかもしれない。
大体において脳卒中のリハビリというのは、いったん壊れてしまった道路(神経回路)を復旧するのではなく、また新たに別の道を作って、脳から手足や末端に神経回路を作り直すことなのだという(どの本を読んでもそういうことが書いてある)。
だとしたら、その迂回路を作るための方法はいくらでもあるはず(道を直すのではなく新たに作るのだからどんな道でも良いはず)。
げんに、リハビリの先生(療法士さん)たちもこれに似たようなことをしょっちゅうやっている。
先日も男の理学療法士さんがいきなり「杖なしで歩きましょう」と言い出した。
杖なしも何も恵子はまだ車椅子から杖に完全に移行したわけではない。
杖自体がまだ初心者に近い状態だ。
なのに、この療法士さんは彼女に杖なしで歩かせようとする。
彼曰く「本当に杖なしで歩けないのなら、身体を支えていることすらできないはず。両足で身体を支えられているということは、杖に頼らなくても身体は倒れることはないし、歩くこともできるはず」。
まあ、理屈はわかるけど…という感じだが、実際にこの療法士さん恵子を無理矢理歩かせた。
もちろん、彼が身体をしっかりと支えてはいたのだが、恵子の中から杖に頼るという感覚がこれで少し消えたことは確かだと思う。
本当に人間の身体というのは心と身体の微妙なバランスで成り立っていることがよくわかる。
この強制的に杖を取り外すというようなやり方の話は『ブラックジャック』の中にも確かあったような気がする(『ブラックジャック』では杖ではなく「人工声帯」だったかナ?)。
もちろん、これで恵子が一気に自由に歩ける、なんてことにはならないのだが、こうした道の付け方は絶対に有効だし、そのことを恵子も良くわかっている。
だから、Pレッスンや絵日記などの代替療法も率先してやっているのだと思う。

そう言えば、いつも病院の廊下の真ん中で車椅子の上でボンヤリと(生気のない表情で)「頭をかかえて考える人」のポーズをしている男の患者さん(かなり年輩の方)が今日は療法士さんと歩行訓練をしていた。
やはり、あの人も少しずつ「前に進んでいる」んだ。


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