迫ってきた。
これまでの7か月が長かったのか短かかったのかはまだ私にもよくわからない。
問題は全てがまだ終わっていないということだ。
この病気は退院イコール完治ではない。
今の医療制度ではこれ以上の入院が許されないので退院するまでのこと。
私にとってはこれからの方がはるかにしんどくなってくる。
しばらく外来でリハビリ治療を受けるにしても「一人で電車で病院に行ってこい」などとはとても言えない(それが言えるぐらいまでに回復してくれたら本当に良いのにと心から願う)。
杖で歩くとは言ってもまだハイハイの赤ん坊がやっと立って歩けるようになった程度のぎこちなさだ。
階段や段差だらけの電車の駅を歩くなどとても不可能だ(エレベーターもエスカレーターもついていないのにトイレにだけ手すりのあるこの国の矛盾。形だけ整えれば良いと政治も行政も考えている証拠だ)。
私が当然車で送り迎えをすることになる。それだけではない。
これまで病院で医師,看護師、療法士,栄養士さんがやっていた仕事をこれからは全て私が引き受けることになる。
在宅介護や看護の問題はこういうことなのだろうと思う。
私はサラリーマンではないだけまだ良い方だ。
サラリーマンが「妻の看護で…」を理由に仕事を休むのは不可能に近いはずだ。
世の中にはきっとこんな人がたくさんいるのだろうナと思う。
そう言えば、私のいとこ(母の長姉の長男)は親の面倒を最後まで見たおかげで結婚を逃してしまった(親の介護で婚期を逃したり逆に離婚してしまったような人も大勢いるのでは)。
今は、母も含め親類で生き残っているのは私のいとこの世代より下だけだ。
4月の2週目まで恵子の実家から今の病院に外来でリハビリに通い、4月3週目から伊豆の自宅に戻り中伊豆リハビリセンター病院での外来に切り替える。
基本的にこれまで恵子と私が面倒を見てきた恵子の叔母を一人実家に残していくことになるが、私としてはこれ以外のチョイスはない。
この東京の実家で妻と義叔母の二人の世話を私がしながら仕事をしていくことなど到底無理な注文だ。
ストレスだらけの東京の実家での生活では恵子のこれ以上の回復は望めないし、第一私が絶対に倒れてしまう。
自然と一緒に暮らすストレスフリーの伊豆の自宅での二人だけのリハビリ生活。
義叔母には悪いが私と恵子にとってこれ以外の選択肢は残っていない。
これまでの7か月が長かったのか短かかったのかはまだ私にもよくわからない。
問題は全てがまだ終わっていないということだ。
この病気は退院イコール完治ではない。
今の医療制度ではこれ以上の入院が許されないので退院するまでのこと。
私にとってはこれからの方がはるかにしんどくなってくる。
しばらく外来でリハビリ治療を受けるにしても「一人で電車で病院に行ってこい」などとはとても言えない(それが言えるぐらいまでに回復してくれたら本当に良いのにと心から願う)。
杖で歩くとは言ってもまだハイハイの赤ん坊がやっと立って歩けるようになった程度のぎこちなさだ。
階段や段差だらけの電車の駅を歩くなどとても不可能だ(エレベーターもエスカレーターもついていないのにトイレにだけ手すりのあるこの国の矛盾。形だけ整えれば良いと政治も行政も考えている証拠だ)。
私が当然車で送り迎えをすることになる。それだけではない。
これまで病院で医師,看護師、療法士,栄養士さんがやっていた仕事をこれからは全て私が引き受けることになる。
在宅介護や看護の問題はこういうことなのだろうと思う。
私はサラリーマンではないだけまだ良い方だ。
サラリーマンが「妻の看護で…」を理由に仕事を休むのは不可能に近いはずだ。
世の中にはきっとこんな人がたくさんいるのだろうナと思う。
そう言えば、私のいとこ(母の長姉の長男)は親の面倒を最後まで見たおかげで結婚を逃してしまった(親の介護で婚期を逃したり逆に離婚してしまったような人も大勢いるのでは)。
今は、母も含め親類で生き残っているのは私のいとこの世代より下だけだ。
4月の2週目まで恵子の実家から今の病院に外来でリハビリに通い、4月3週目から伊豆の自宅に戻り中伊豆リハビリセンター病院での外来に切り替える。
基本的にこれまで恵子と私が面倒を見てきた恵子の叔母を一人実家に残していくことになるが、私としてはこれ以外のチョイスはない。
この東京の実家で妻と義叔母の二人の世話を私がしながら仕事をしていくことなど到底無理な注文だ。
ストレスだらけの東京の実家での生活では恵子のこれ以上の回復は望めないし、第一私が絶対に倒れてしまう。
自然と一緒に暮らすストレスフリーの伊豆の自宅での二人だけのリハビリ生活。
義叔母には悪いが私と恵子にとってこれ以外の選択肢は残っていない。
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