みつとみ俊郎のダイアリー

音楽家みつとみ俊郎の日記です。伊豆高原の自宅で、脳出血で半身麻痺の妻の介護をしながら暮らしています。

料理を作る夢

2014-07-05 12:38:38 | Weblog
夢の中のシチュエーションというのは、けっこう突飛だ。
場所は日本ではなくアメリカの日本食レストラン。
私がアメリカに住んでいたのは学生時代とその後の数年間だったので、多分夢の中の「私」はきっと若かったはずだが、不思議なことに、夢の中の自分の年齢がまったく自覚できない。
(夢の中で)本当は皿洗いのアルバイトをしているはずの私が(アメリカではこのバイトを何度もしていた)いきなり客の目の前で料理をする場面に飛ぶ。
この辺の展開の突飛さがいかにも「夢」なのだが、私が、客にカウンター越しにオーダーを尋ねると(どうもそういう類いの店らしい)、一人の中年女性が「カリフォルニアロール」と答える。
え?カリフォルニアロール?
夢の中の私がかなり戸惑っている。
「え~と、カリフォルニアロールにはアボカドがたしか入っていたような気もするけど、作り方がよくわからない…。」
本気で困惑している私は厨房に行きシェフに作り方を尋ね、やっと客の前に料理を出す…といった内容の夢だった。

この夢を見た直後私はナゼこんな夢を見たのだろうとしばらく考え込んでしまった。
料理が趣味で本職になろうかと思った時期さえあった私が、なぜカリフォルニアロールごときで困惑するのかといったことが理由ではない。
通常人間はたくさんの夢を見ているはずなのにほとんどそれらをよく覚えていないのは、ある程度熟睡の度合いが深いからなのだろうと思う。
なのに、これほど鮮明に夢の内容を覚えているということは、「これは心配ごと?」「ストレスが溜まってる?」と思ったからだ。
なにしろ、この夢の後の気分はサイテーだった。
夢の中の私が本気で「アセっていた」からだ。
ふだん滅多に見ることのない「料理の夢」を見るというのは、きっと現実で毎日のように料理に追われているからに違いない。
私は、自分でそう結論づけた。
まだ家事をするまでに回復していない恵子の代わりに、全ての家事をやらなければならない私としては、他のところは手を抜けても料理だけは手を抜けない。
365日、毎日、毎食全てを作る私は、自分の健康と彼女の健康のことを考えながらメニューを考える。
冷蔵庫のドアは、「カルシウムの多い食品」「ビタミンDの多い食品」など、いろいろな食品成分表のコピーで完全に覆い尽くされている。
今の私に、料理の名前などはどうでもよい存在だ。
おそらくここ数年名前のある料理(例えば、カレーとかシチューとかいった名前のある料理だ)などはあまり作っていないかもしれない。
全てが「賄い料理」に近いもので、恵子と二人で「これ、なんていう料理って言えばいいのかネ?」と首をかしげることも多い。
材料を先に決め、そこから調理の方法などを考えていく(普通は料理の名前を決めて、素材は何?と考えるものだが)。
しかも、塩も醤油も砂糖、油、スパイス類も恵子には「刺激」となって涙目を誘うのであまり使えない(50種以上揃えた自慢のスパイスコレクションも今や開店休業状態だ)。
必然的に、素材の味をどうやって生かせば美味しくなるのかナと頭をヒネることになる。

栄養素だけではない。食べ易さも重要な要素だ。
不自由な右手では食べられないので彼女はいつも左手をメインに食事をする。
しかも、使えるのは、介助箸かスプーン(これも金属製ではなく軽いプラスチック製だ)なので、基本的にあらゆる麺類がメニューから外される(なのに、お中元で蕎麦や素麺をいただいたりする…ああ!)。
食べ易さと栄養を同居させたメニューを、手を替え品を替え毎食考える。
これは、ある意味、「闘い」のようなものだ。
ヘタをしたら、一日中食べ物のことを考えていたりする自分に気づきハっとする(人間、食べなくても生きていかれたらホントに楽なのに…)。
そんなわけなので、私が仕事で東京などへ遠出する時は、朝食を一緒に食べ終わった後、片付けをしながら彼女用の昼食、夕食を作ってテーブルの上にセットしておかなければ出られない。
先日の新宿でのコンサート本番当日も、朝5時に起きて一緒に朝食を食べ、片付けをしながら炊きあがったご飯でおにぎりやおかずを作り夕食用の弁当を作る。
傍らで、パンを切って昼食用のサンドイッチを作ると、その両方をアイスボックスに入れて置き、急いで伊豆高原の駅まで車を走らせ7時30分の列車に飛び乗り一路新宿まで向った(そんな具合なので、本番用の衣裳や楽譜、その他必要なものは前夜全てバッグに詰め込んでおくが、それでも時折大事なモノを忘れたりする…汗)。

外食をしたり出来合いのお弁当を買ってきて食べればよいのにとか、ヘルパーさんに頼めばいいのにと言ってくれる人もいるしケアマネさんもそう勧めるが(ケアマネージャーはそれが仕事だから当然のことだろうが)、ヘルパーさんというのは、別に住み込みのお手伝いさんではないし、せいぜい、1時間、2時間の間の「ヘルプ」にしか過ぎないのでこれまで頼んだことは一度もない。
しかも、ヘルパーさんとはいってもプロのシェフでもなければ調理師や栄養士さんでもないのだから(大抵は普通の主婦だ)、そのレベルの「ヘルプ」をお願いできるわけでもない。
外食だって出来合いの弁当だって、おそらく私が作った方がよっぽど栄養豊富で彼女の好みの料理を仕上げることができる(と思い込んでいるからイケナイのかナ?)。
ショートステイに泊まってもらったこともあるが、これは彼女が嫌がるのであまり利用はしていない。
おそらく、これもショーステイの施設で出る食事があまり美味しくないせいかもしれない(そういう「緊急避難場所」に美味しい食事を求めること自体間違っているのかもしれない)。
しかし、食事というのは人間生活の基本なので、彼女が食事にストレスを感じることだけはいつも避けたいと思っている。
もちろん、私も、現在の介護保険制度の中で利用できるものは最大限利用しているつもりだが、ことヘルパーさんには関しては(私たちにとっては)あまり都合の良い制度とは言えない(現実的にヘルパーさんに助けられているご家庭はたくさんあるのだろうが)。
とにかく、私の生活の中で、食事というのは一番大きな存在であり、ここからほんのちょっとでも逃げられたらと思っている「潜在意識」がそんな夢を私に見せたのかかも…と、私は自分の夢を分析した。

(きっと本来の意味は違うのだろうが)マザー・テレサのあることばを思い出した。
「百人に食べ物を与えることができなくても一人にならできるでしょう」。
私にとっての「一人」とは、私の目の前で一緒に生活している人に他ならない。

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