みつとみ俊郎のダイアリー

音楽家みつとみ俊郎の日記です。伊豆高原の自宅で、脳出血で半身麻痺の妻の介護をしながら暮らしています。

柳原白蓮

2014-07-13 10:26:11 | Weblog
の名前がそう頻繁にメディアに登場することはないと思っていたけれど、つい最近たまたま買った週刊誌でこの人の名前を目にした。
私はTVを持たない人間なので、現在オンエアされている朝の連ドラ『花子とアン』が翻訳家の村岡花子さんのことを題材にしていることぐらいは知っていたが、実際にドラマを見たことはない。
なので、ドラマの中に柳原白蓮が登場していることは、この週刊誌を読むまではまったく知らなかった(もっとも、ドラマの中では葉山蓮子という役名になっているらしいが)。
実は、この柳原白蓮という人、私の妻・恵子にとってまんざら他人とはいえない人物なのだ。

妻の旧姓は「新見(しんみ)」という。
幕末の歴史に興味がある人なら、この新見という姓を聞けばすぐに「ある人物」のことを思い浮かべるはずだ。
その「人物」とは「新見正興(しんみまさおき)」という人。
黒船が来航して江戸幕府はあわててアメリカへ幕府の使者を送ったが、その時の正式な特使としてポーハタン号に乗った幕府の役人のうちの代表格がこの新見正興なる人物だ。
勝海舟や福沢諭吉、ジョン万次郎などが乗船してアメリカに渡った有名な咸臨丸はポーハタン号の護衛艦で、正式な外交特使はあくまでポータハン号に乗った3人の役人たちだった。
当時の新見正興の役職はたしか外国奉行(外国奉行とはいっても神奈川奉行なので、けっして外務大臣クラスではなくせいぜい県知事クラスだろう)。
柳原白蓮は、この新見正興の孫娘にあたる人。
で、妻の恵子は、新見正興や柳原白蓮の血筋に連なる人間(つまり、子孫)の一人、ということになる。

新見正興はアメリカから帰国後埼玉で農業を始めその後没落してしまったような人間なので(きっと真面目過ぎる役人だったのだろう)、彼の三人娘は、いずれも養女に出され芸妓をしていたそうだ。
ただ、この三姉妹は並はずれた美貌の持ち主だったようで(現在残っている白蓮の写真を見ればそれは一目瞭然だ)街行く人が全て振り返るほどのルックスだったと言われている。
それもそのはず、父親の正興も「陰間侍(かげまざむらい)」と言われたほどのルックスの持ち主で(陰間とは美少年という意味)、そのことが理由でアメリカ行きの特使代表に抜擢されたという説もあるぐらいだ(この徳川末期の頃の幕府の政策はまったく支離滅裂で理解不能なところもあるので、あながちその説も間違いとは言えないかもしれない)。
正興の三人娘の一番下の娘のりょうさんを見受けするために福沢諭吉と柳原前光伯爵(前光の妹は大正天皇の生母)とが取り合いになり、結果としてりょうさんは柳原伯爵のお妾さんとして柳原家に入り白蓮を産むことになる(その後の白蓮の波瀾万丈の生涯は、多くの人の知るところだろう)。
「佳人薄命」とはよく言われるが、人の容貌で人生が大きく変わることも、ある意味、致し方のないことかもしれない(私の実母も、りょうさんや白蓮ほどではないにせよ、その美貌で人生が大きく変わった人間の一人なのかもしれない)。
そんな個人的な事情もあり、私は以前から新見正興という人物のことをいろいろ調べている。
幕末のこの2隻の船に乗り込んだ日本人たちのアメリカでのふるまいや見聞、そして、その後の日本がどうなっていき白蓮につながっていったかというような(いわゆる大河ドラマ的な)展開の方に興味があるからで、無論、できたらこれを一冊の書物にまとめようとも考えてはいる。
新見正興という人自体は、他の幕末の志士や江戸幕府、明治の政治家たちとは違いあまり重要な人物とは言えない(薩摩や長州、ましてや徳川の血筋でもないのだから致し方ないが)。
それでも彼のまわりには幾多の重要人物がいたし、何よりも彼ら日本の使者たち(咸臨丸の乗組員も含めて)がアメリカでどんなことをしていたのかが気になっている。
幕府の役人のうちの一人が、初めてみるアメリカの風習(特に女性のパーティドレスにかなり衝撃を受けたらしい)のあまりの違いに冷静さを失い、パーティ中に「無礼者!」と言ってあやうく刀を抜いて切り掛かりそうになったという話も伝わっている(『ラストサムライ』の逆バージョンのような話だが、本当に切りかからなくてヨカッタな)。

歴史を調べていく面白さというのは、「自分がもしその時代に生まれていたらどんな運命が待ち受けていたのだろう」と想像できるような(妄想には違いないのだが)ワクワク感かもしれない。



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