演奏に行き、その後一週間ぐらい風邪で完璧にダウンしてしまった。
演奏に行ったのが5/29の日曜日。今日が6/5だからほぼ一週間ぶりに回復した格好だが、その間に6/3にも新宿でランチタイムコンサートの本番があったのが信じられないぐらい。
3月の震災以降、自分の主催するチャリティコンサートの準備やあちこちからかり出されるチャリティコンサートでの演奏などで、正直疲れきってしまったのかもしれない。
ただ、今回の福島の避難所(2カ所)での演奏には、自分自身ちょっとスッキリしないところがあり、未だに「行ってよかったのかナ?」という躊躇の念が心のどこかにひっかかっている。
本番の一週間前に福島に行かないか?と言われ、それにはすんなりと「行きたいです」と答えメンバーを探しての福島行きになったのだが、これが自分自身の思いつきで「福島の避難所に行って来ようかな?」となりその結果「行ってきた」のだったら多分もっとスッキリと帰ってこれたのかもしれない。
しかし、今回の避難所での演奏にはスポンサーがあった。
スポンサーとは言っても演奏自体のギャラはノーギャラなのでその部分は純粋にボランティアなのだが、交通費と食事代はK通信と地元の新聞社という二つの大きなメディアが出してくださった。
ということは、このメディアにとっての一つのイベントでもあり事業でもあったわけでこの部分が未だに心にひっかかりを残しているのだ。
別にメディアがスポンサーになって慰問をすることが悪いと言っているのではない。こういうことは(どこか企業や自治体がボランティアの後押しをすること)とてもありがたいことで、こういうシステムがあれば私だけでなくもっと多くのアーティストの人たちがさまざまな所に出かけていくことができるはず(もちろんボランティアの人たちだって)。
だからそれ自体には全く問題はないのだが、問題は「一体この形でこの時期にみつとみ俊郎という人間が被災地に行く必要があったのかな?」ということだ。
つまり、私がもっとすごい有名人であったのなら、「あの有名人がこの避難所に来てくれて演奏して行ったんだ」という受け止められ方をしてそこで避難されている方たちに実質的な「癒し」以上のモノを残してくることができたのだろうけど、一体私と私の仲間が演奏してきたことが彼ら、彼女らにどれだけのモノを残せたのだろうか?という疑問というか懸念というものが未だに心の中でくすぶっているのだ。
避難所で長期間ボランティアでお手伝いをなさっている方々は口々に「いい演奏聞かせていただいて癒されました」みたいなことはおっしゃるのだけれども、それがたとえ真実であったとしても、そんな形で私が駆け足でザっと避難所を2カ所も回りあわてて日帰りで帰ってくるという行為が果たして「何だったのだろう?」「本当に行ってヨカッタのかナ?」という疑問が私の心の中に未だにくすぶり続けているのだ。
先日ある出版社の編集の人と仕事の話をした時その編集の方が教えてくれた。
ある有名な作家の方に先日こう言われたという。
「震災以来、なんか悪意に満ちた結末のストーリーや悪意の表現ってとっても書きにくくなっちゃってネ」。
たしかにそうなのかもしれない。
小説はフィクションなのだから、どんなストーリーがあっても良いし、どんなに悪意に満ちた筋があったってかまわないはずなのに、社会全体が「善意と良心の大合唱」のような現在の状況では、これまでOKだったものが突然OKでなくなるようなこともあるのだろうなと思う。
それに善意とボランティアが全ての社会活動の前提になってしまうとちょっとヤバイのかナ?とも思ってしまう。
「ところで、この仕事ギャラいくらですか?」という当たり前のことばが途端に悪意に満ちたことばに変わってしまいかねないからだ。
ある意味、社会全体が行き詰まっていて誰にも不満や怒りをぶつけられないからお金や権力を持っている人たちは格好のヤリ玉にあげられる(つまり、悪意の感情の持って行き場がないので)。
「あいつら悪人だからやっつけてしまえ」と、まあ時代劇なら簡単になるのだけれども、どういうわけかまだ日本中の人たちが「腑抜け」のようになっているから、残念ながら、水戸黄門も将軍吉宗も未だに現れてはいない(でも、期待だけはしているはず)。
まだ一揆も何も起きていないから(これが不思議だけど)、非難されないうちに先にあやまっちゃえと、重大な責任のあるはずの政治家たちは先に謝罪したりアリバイを作ったりしてズルく立ち回ろうとする(本当に政治家というのは狡猾な人種だと思うけど、まあ、それが習い性になっている方たちが今の日本には多いのでしょうネ。これも今の国会が意識のレベルの低いボンボン二世議員ばかりでできているせいなのかもしれませんが)。
批判もできない抗議もできない何も手段を持たない国民の大多数にフラストレーションだけははたまっていく(きっと、私自身の中にもけっこうあるンだろうナ)。
今回の避難所での演奏でも中学生ぐらいの男の子のある行動がそのフラストレーションを象徴していた。
この中学生くんはこともあろうか私たちが演奏を始める直前に避難所になっている高校の体育館の中でバスケのドリブルを始めたのだ。
「おいおい、お前、俺たちの演奏を邪魔する気か?」と一瞬思ったのだが、本当はそうではなかった。
それは彼なりの意志表示だったのだ。
よく考えると、「俺はここにいるんだゾ、でもそっちに行ってみんなと一緒に演奏を聴くのなんかまっぴらゴメンだ」とでも言っているように私には聞こえてきた。
案の定、彼のドリブルは演奏が始まるとピタリと止んだ。
やはり、これだけの大災害は直接間接を問わず人の心にとても深い「何か」を残していく。それが「善意」ということばで自分自身の心を慰めようとするものなのか、あるいは、「悪意」に対する怒りで置き換えようとするものなのか。
だんだん、その正体が見えてくるような気がする。
演奏に行ったのが5/29の日曜日。今日が6/5だからほぼ一週間ぶりに回復した格好だが、その間に6/3にも新宿でランチタイムコンサートの本番があったのが信じられないぐらい。
3月の震災以降、自分の主催するチャリティコンサートの準備やあちこちからかり出されるチャリティコンサートでの演奏などで、正直疲れきってしまったのかもしれない。
ただ、今回の福島の避難所(2カ所)での演奏には、自分自身ちょっとスッキリしないところがあり、未だに「行ってよかったのかナ?」という躊躇の念が心のどこかにひっかかっている。
本番の一週間前に福島に行かないか?と言われ、それにはすんなりと「行きたいです」と答えメンバーを探しての福島行きになったのだが、これが自分自身の思いつきで「福島の避難所に行って来ようかな?」となりその結果「行ってきた」のだったら多分もっとスッキリと帰ってこれたのかもしれない。
しかし、今回の避難所での演奏にはスポンサーがあった。
スポンサーとは言っても演奏自体のギャラはノーギャラなのでその部分は純粋にボランティアなのだが、交通費と食事代はK通信と地元の新聞社という二つの大きなメディアが出してくださった。
ということは、このメディアにとっての一つのイベントでもあり事業でもあったわけでこの部分が未だに心にひっかかりを残しているのだ。
別にメディアがスポンサーになって慰問をすることが悪いと言っているのではない。こういうことは(どこか企業や自治体がボランティアの後押しをすること)とてもありがたいことで、こういうシステムがあれば私だけでなくもっと多くのアーティストの人たちがさまざまな所に出かけていくことができるはず(もちろんボランティアの人たちだって)。
だからそれ自体には全く問題はないのだが、問題は「一体この形でこの時期にみつとみ俊郎という人間が被災地に行く必要があったのかな?」ということだ。
つまり、私がもっとすごい有名人であったのなら、「あの有名人がこの避難所に来てくれて演奏して行ったんだ」という受け止められ方をしてそこで避難されている方たちに実質的な「癒し」以上のモノを残してくることができたのだろうけど、一体私と私の仲間が演奏してきたことが彼ら、彼女らにどれだけのモノを残せたのだろうか?という疑問というか懸念というものが未だに心の中でくすぶっているのだ。
避難所で長期間ボランティアでお手伝いをなさっている方々は口々に「いい演奏聞かせていただいて癒されました」みたいなことはおっしゃるのだけれども、それがたとえ真実であったとしても、そんな形で私が駆け足でザっと避難所を2カ所も回りあわてて日帰りで帰ってくるという行為が果たして「何だったのだろう?」「本当に行ってヨカッタのかナ?」という疑問が私の心の中に未だにくすぶり続けているのだ。
先日ある出版社の編集の人と仕事の話をした時その編集の方が教えてくれた。
ある有名な作家の方に先日こう言われたという。
「震災以来、なんか悪意に満ちた結末のストーリーや悪意の表現ってとっても書きにくくなっちゃってネ」。
たしかにそうなのかもしれない。
小説はフィクションなのだから、どんなストーリーがあっても良いし、どんなに悪意に満ちた筋があったってかまわないはずなのに、社会全体が「善意と良心の大合唱」のような現在の状況では、これまでOKだったものが突然OKでなくなるようなこともあるのだろうなと思う。
それに善意とボランティアが全ての社会活動の前提になってしまうとちょっとヤバイのかナ?とも思ってしまう。
「ところで、この仕事ギャラいくらですか?」という当たり前のことばが途端に悪意に満ちたことばに変わってしまいかねないからだ。
ある意味、社会全体が行き詰まっていて誰にも不満や怒りをぶつけられないからお金や権力を持っている人たちは格好のヤリ玉にあげられる(つまり、悪意の感情の持って行き場がないので)。
「あいつら悪人だからやっつけてしまえ」と、まあ時代劇なら簡単になるのだけれども、どういうわけかまだ日本中の人たちが「腑抜け」のようになっているから、残念ながら、水戸黄門も将軍吉宗も未だに現れてはいない(でも、期待だけはしているはず)。
まだ一揆も何も起きていないから(これが不思議だけど)、非難されないうちに先にあやまっちゃえと、重大な責任のあるはずの政治家たちは先に謝罪したりアリバイを作ったりしてズルく立ち回ろうとする(本当に政治家というのは狡猾な人種だと思うけど、まあ、それが習い性になっている方たちが今の日本には多いのでしょうネ。これも今の国会が意識のレベルの低いボンボン二世議員ばかりでできているせいなのかもしれませんが)。
批判もできない抗議もできない何も手段を持たない国民の大多数にフラストレーションだけははたまっていく(きっと、私自身の中にもけっこうあるンだろうナ)。
今回の避難所での演奏でも中学生ぐらいの男の子のある行動がそのフラストレーションを象徴していた。
この中学生くんはこともあろうか私たちが演奏を始める直前に避難所になっている高校の体育館の中でバスケのドリブルを始めたのだ。
「おいおい、お前、俺たちの演奏を邪魔する気か?」と一瞬思ったのだが、本当はそうではなかった。
それは彼なりの意志表示だったのだ。
よく考えると、「俺はここにいるんだゾ、でもそっちに行ってみんなと一緒に演奏を聴くのなんかまっぴらゴメンだ」とでも言っているように私には聞こえてきた。
案の定、彼のドリブルは演奏が始まるとピタリと止んだ。
やはり、これだけの大災害は直接間接を問わず人の心にとても深い「何か」を残していく。それが「善意」ということばで自分自身の心を慰めようとするものなのか、あるいは、「悪意」に対する怒りで置き換えようとするものなのか。
だんだん、その正体が見えてくるような気がする。
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