今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。
「藤山愛一郎は藤山雷太の子で、雷太は大日本精糖を再建した人でその名はついこの間までとどろいていた。愛一郎は二代目だから若いときから誰にでもちやほやされた。下へもおかれなかったがそれは雷太の子だからで、そうでなければハナもひっかけまいと愛一郎は思わずにはいられなかった。
だから二代目には先代の名を言わないのが礼儀なのに、言うのが礼儀だと勘ちがいする者がどの席にもいて、三十四十になっても言うから聞えないふりをすると聞えるまで連呼してやまないのである。
いま雷太はさすがに忘れられたが、そうなるまでには三十年かかった。めでたく世間が忘れたころは、愛一郎は雷太の年齢に近づいていた。それでも雷太は忘れられたからいいが、漱石はいまだに忘れられない。
漱石の全集は繰返し何回も出て時々莫大な印税が舞込むから、遺族は忘れてなんぞいられない。喜んで待ちうけてそれでいてそれは死んだ人がもたらす定期的でない、しかも労せずして得る大金だから当然生きている人をスポイルする。他人はうらやむが実は子供たちを誤る。漱石の子は原稿を頼まれることがあっても、それは常に父の思い出で、子らは漱石の遺族であって他の何ものでもないのである。
〔Ⅲ『可哀想な二代目たち』昭59・3・8〕」
(山本夏彦著「ひとことで言う‐山本夏彦箴言集」新潮社刊 所収)