今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。
「アルバイトの女子大生の電話の応対が珍しくいいので、その社の女子社員が聞き耳をたてやがてまねして全体が少しよくなったようだと聞いて、本当かとそのアルバイト嬢に確かめたらなに皆さん裏おもてがないだけ、あたしだって仲間同士なら学生ことばで何言うか知れやしません、ただ出るところへ出れば『よそいき』を使うだけですと笑ったので、裏おもてがないとは言い得て妙だと感心した。
やっぱり教育のせいである。先生と生徒は友のごとくあれ、相手によって言葉をかえるのは差別だと、小学校の先生は生徒と言葉を共にして四十年になる。
(略)テレビドラマの主人公は、私はこの男の上役である、または下役であると一々名乗って出て来やしない。茶の間の見物はそれを言葉によって区別して鑑賞しているのだから、聞きわけてはいるのである。ただ使うなと教えられて使わないでいるうち、使えなくなったのである。狼に育てられた子供に似て言葉はあとから教えても身につかない。
テレビドラマはさておき尋常の言葉が通じないで最も困るのは小説家のはずなのに、それがちっとも困らない。ご存じの通り文学雑誌には読者がない。その雑誌を檜舞台に同業者の言葉で同業者に訴えるのだから、その心配は無用なのである。小説の言葉が一国の言語の模範である時代は過ぎた。あるいはもともとなかったのではないか。せめて裏おもてあるべし。
〔Ⅶ『せめて裏おもてあるべし』平3・11・21〕」
(山本夏彦著「ひとことで言う‐山本夏彦箴言集」新潮社刊 所収)