今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。
「結婚したがらない女がふえた。結婚はしても子供を生まない女がふえた。以前は子供は二人いたが、近く一人になる。次いで一人もいなくなる。核家族は進行中なのではない。完了したのである。
私は家族の一員ではあったが、同時に家族というものの見物人だったからその崩壊ぶりをつぶさに見た。
核家族のなかには老人がいない。両親とは別居するのが条件で結婚したのだ、両親の指図は受けない。両親もカドがたつから言うべきことも言わない。
夫婦は中年になって初めて両親の死を見る。昔は湯灌(ゆかん)をしたり経帷子(きょうかたびら)を着せたりしたが、今は病院で死んで自宅で死ぬことはなくなったから死はただ怖いのである。以前は子供や若い娘の死なら家人が死に化粧をして、さながら生ける者に言うように語りかけた。
死者がごくの老人なら通夜の客は年に不足はないなどと言って酒盛りしてむしろ楽しげだった。子供には酒を買いに行かせた。そこが裏店(うらだな)なら一方で赤子の生れる激しい声がする。こうして子は生死は自然のことで恐ろしいことではないのを知った。それが核家族になってすでに五十年である。親は子を『お前たちの世話にはならないからね』と言って育てた。戦前まではまだ『君には忠、親には孝』と教えたがその言葉には力がなかった。
谷崎潤一郎は親不孝を看板にして世に出たと、その『青春物語』に書いている。谷崎のデビューは明治四十三年である。嘉村磯多という小説家は長州の人で、そこの名門山口中学にめでたく入学したのはいいが学資が続かない。『親のことを思えば勉強せにゃいられぬ』と口走って『オイあいつ、親のことを思えばだってさ』と級友に嘲笑されている。時は明治の末ごろである、長州は忠孝の本場である。それなのに天下の大勢は駸々乎(しんしんこ)として本場にまで及んでいる。
五百石どりまた千石どりの武士は世襲である。ご先祖が槍一筋で得た扶持(ふち)である。だから朝夕ご先祖の位牌(いはい)を拝んだのである。明治維新になってご先祖は子孫を養ってくれなくなった。当然忠義は衰えた。孝は百行(ひやつこう)の本(もと)だったが、禽獣の親は子が一人前になるまでしか世話しない、馬の子は生れながら体毛に覆われている。脚ふみしめ、ふみしめて立つ。一人前になったら赤の他人である。
人の子はまる裸で生れる。立って歩いて口をきくまでだって何年もかかる。母親はそれに没頭し、父は母子を養わなければならない。その代り老後は長男が見た。孝は自然の情ではない。中国人が三千年もかかって教えた徳目だから、お前たちの世話にはならぬと言われたら子は渡りに舟である。たちまち孝は形骸化した。
核家族の両親を子供の全員が見るということは誰も見ないということである。親子は禽獣と同じくあかの他人になったのである。窮して子は親の世話を国にみさせようと今しているところである。
戦前『制服の処女』という映画があった。世俗と遮断して娘ばかりに寮生活を強いるのは不自然だというテーマで好評だった。それなら老人ばかりのホームは死ぬ人だけがいて、生れる人がいないのだから不自然なこと同じだろう。いくら善美を尽しても赤子がいなければ老人は死ねない。老若男女がいて、賢愚美醜があってはじめて浮世である。
私は我儘な老人たちを見る。お前たちの世話にはならぬと言う老人は金を持っている。さ、これからは自分の時間だ、身まま気ままな海外旅行をするつもりだったのに孫の世話をおしつけられては迷惑だ、あれは重労働だ、それにタダだ。
いよいよ手足がきかなくなったら世話になりたいというのを我儘といったのである。」
(山本夏彦著「最後の波の音」文春文庫 所収)